[49] 獅子の爪痕
私は無抵抗になった彼女を再び抱きしめながら静かに話しかけた。
「いつですか?」
「…きのう」
「身体は洗いました?」
彼女は力なく首を振った。
私は侍女を呼ぼうとしたけど大きな声を出すことは憚られ、彼女を膝から降ろしてベッドを立とうとした。
「ジュディスさん?」
ぐったりと横たわっている彼女は、私のドレスを握りしめている。
「大丈夫、帰ったりしませんよ。お湯の用意をしてもらいましょう」
私は彼女にシーツを被せると、ドアの外で待機していたイーナさんに浴室の準備を頼んだ。
既に用意をしていたようで、浴室の場所を示される。
私は彼女を抱えて浴室に連れていくと、先に自分のドレスを脱ぎ捨てた。
ガーターで止めてあるタイツも脱ぎ捨て、潔く下着姿になる。
それをジュディスはシーツを被って、あっけにとられて見ていた。
「あんなの着てたら邪魔だから」
私は彼女からシーツを取り上げネグリジェを脱がして裸にすると、湯船の横に据えられた盥の中に導いた。
彼女は素直に中に入り膝を抱える。
湯をかけると傷口に染みるようで、涙がはらはらと盥に溜まった湯の中に落ちた。
私は海綿に石けんをつけると、傷の上は抑えるように、それ以外をゆっくり優しくこすっていく。
彼女の身体中に獅子のつけた跡が残っていた。
私は無言で彼女の全身を、一片の残滓も残らないよう隅々まで洗う。
昔、弟を風呂に入れてやっていた頃のことを思い出しながら手を動かし、彼女は私にされるままになっている。
所々ごわついている彼女の髪をきっちり洗いあげた後、彼女を湯船に入れてほっと一息ついた。
「このお湯、いい香りね」
湯船の横に座ってふちにもたれて、水面から出た彼女の透き通るように白く細い肩に手ですくった湯をかけてやると、桃の香りに似た芳香が鼻をくすぐった。
「私、まだこの世界に来て1年も経っていないの。だから花の名前も知らないものばかりなの。でもこれはきっと花の香りでしょ」
「…シラ」
「この香りはシラっていう花なの?」
彼女は小さく頷いた。
「そっか。私のいた世界でモモという花がつける実の匂いに似てるわ。モモの実は、神聖な神様が食べる果実で、邪悪なものや穢れを祓うってくれるのよ」
私は一方的にたわいもない異世界の話をしながら、浴槽から外にたらした彼女の濡れ髪を拭いてやった。
彼女の白い肌がすっかり桃色に染め上がった所で外に出し、彼女の身体の上を転がる水滴を拭きとってやる。
立って並ぶと私の肩ほどの小柄な少女だった。
跪いて足先までしっかりぬぐってやり、生乾きの髪はタオルをかぶせて巻き上げて留めた。
全てさらけだされた彼女の身体に向き合うと、傷と痣にそれぞれの為の薬を塗り込む。
そして新しく出してもらった寝間着を着せた。
再び彼女がシーツを探すのでそれを頭から被せて肩を抱き浴室を出た。
居間を横切る私たちの姿を見て、エリス夫人とイーナさんが呆気にとられている。
怪訝に思って自分を見たら、下着姿のままだったことを忘れていた。
苦笑しながら後でねと手を振ってみせ、再びジュディスの寝室に戻った。
入浴の間に換気がされ、シーツ類も全て取り替えられている。
彼女は被っていた古いシーツを脱ぎ捨てると、いそいそとベッドの中に潜り込んだ。
今度は丸くならず、普通に横になって私をじっと見ていた。
「何か飲む?それとも休む?」
彼女は首を横に振り私に手を差し出す。
私はそれを両手で包んだ。
「どうして、きかないの?」
「見ればわかるわ。闘ったんでしょ?」
彼女は顔をゆがめ、洗い立ての白くなめらかな肌に再び熱い涙が流れる。
「あきらめなかったんでしょ?敵わなかったけど、それでもせいいっぱい抵抗した。それが事実よ」
それが獅子を喜ばせることになってしまっても、彼女に出来ることはそれしかなかった。
そして私も、彼女の手を握ることしか出来なかった。
しばらくして、私は寝室を出た。
さすがに恥ずかしくて、さっきまでジュディスが被っていたシーツを借りて身体に巻いている。
「ユカ様、こちらに着替えください」
そういえば勢いでドレスを浴室の濡れた床に投げ捨てていたんだったと思い出し、エリス夫人が差し出した新しいドレスを受け取り、部屋の隅でこそこそと着替えさせてもらった。
そして、お茶をいただきながら、改めてイーナさんに話しを聞いた。
一年前から、後宮に入っている王妃候補付きの女官仲間の中で妙な噂が流れていたらしい。
夕方以降は出歩いてはいけない。
月夜は狩りがあるから、鍵を閉め耳を塞ぎ、決して寝室から出てはいけないと。
女官は侍女と違い泊まりはないし、既婚のものは家庭があるので夕方には退勤する。
なので、あまり噂のことは気にせず、侍女達に戸締まりだけは厳しく言いつけていた。
王の御代になってから後宮では、暗黙の了解になっていたことだと知らずに。
それから、10人以上はいたはずの王妃候補の少女が一人、二人と突如候補を降りて後宮を出た。
候補を降りないけれど急に様子の変わった少女の噂も出回りはじめた。
そして先月、たまたま寝付けず、侍女が目を離した隙に図書室に本をとりに部屋を出たジュディスは彼と出会ってしまった。
護衛はついていたが、彼女の側で守っていた彼らは彼を見て硬直した。
そして連れ去られる彼女に助けを求められても、それに応じることは出来なかった。
何故ながら、彼はこの国の王だから。
ジュディスは翌朝、部屋に戻された。
彼女はショックで寝室に籠り、10日経ってようやく落ち着いてきた矢先に、今度は王からの使いが来て彼女を無理矢理連れ去った。
そしてまた、弱々しくもなんとか立ち上がろうとしていた昨晩彼女は再び連れ去られ、早朝あの姿で戻されたのだそう。
「あのど変態」
私は吐き捨てるように言った。
横に座るエリス夫人も咎めはしなかった。
連続で陵辱し続ければ、そのうち屈服し抜け殻になってしまう。
それは彼の望む獲物じゃない。
まるでネコが獲物をいたぶるように
傷が癒えかけ希望が芽吹いた所でそれを摘みとるのを楽しんでいる。
きっと他の子も同じような目に遭ってるはず。
ジュディスのように抵抗せず、すぐに諦めるようなら王はすぐに興味を失うだろうけど。
そうなればまた新たな獲物を牙にかける。
そしてジュディスはまだ獅子の玩具のまま。
「もうこれ以上は待てないよね」
私はジュディスの部屋を出ると、外で待っていた護衛を連れて後宮を出て、王子の執務室へ向かった。




