[47] 王妃の執務室
後宮に来て面倒が急増したけど、いいこともあった。
それは警備が行き届いているので自由に庭を自由に歩き回れることだ。
しかも、妾妃達の朝は遅い。
私は人目がないのを幸いに、日課の早朝ジョギングを続けてきた。
もちろん護衛付きだけど。
人目につかないといっても妾姫の部屋から目に入る場所もあり、朝の早い侍女もいてバレバレなんだけどね。
エリス夫人に苦言を呈されたけど、私に健康で長生きして欲しかったら必要なことだからと強引に続けている。
お陰ですっかり「次期王妃様は男まさりな方」と噂されているらしい。
仕事漬けな為、お茶会のお誘いも差し障りのない範囲でお断りしているから妾妃の皆さんの反応が心配だったけど、自分が至らない所を私が奮闘してくれていると、ターニャ様が各方面にフォローを入れてくださった。
ターニャ様の援護射撃に応える為にも、一日も早く立派に王妃代行の務めをはたしたいところだけど、あっという間に滞って、毎日遅くまで執務室に籠るはめになった。
毎日午前中はカイルが手伝いに来てくれるが、それでも追いつかない。
早く私専任の侍従をつけないと限界な所まできていた。
王妃として国民を支えるのが務めといっても、貴族のお嬢様や他国から嫁いだお姫様が平民の暮らしをどこまで考えられるというのかな。
実務は6院の院長が行っている以上、ただ決済の印を押すハンコ押しがせいぜいよね。
もしかしたらそれが狙いで王妃の公務になっているのかしら。
ただ、各院長の仕事は現行の各制度や施設の運営を滞りなく継続すること。
将来的な展望や発展を考え方向性を決めていくのは為政者の仕事だ。
それが王妃の母性と慈愛という精神的なものに委ねたせいで、王国史既に200年以上国民の生活水準は足踏み状態になっている。
元の世界を基準に考えると、それってすごく違和感を感じる。
だから異世界から王妃を迎える必要があった?
これって思いっきり反則よ、神様。
私は為政者の器じゃない。
私はあくまで文明が発達した世界を私が知っているだけ。
でも、長い歴史の中の試行錯誤から出された答えを知っているからってそれを教えればいいってもんじゃないわよね。
自分達での手で技術や知恵を高めることが発達だもの。
滞ってた流れを取り戻すための起爆剤になれってことかな。
だから、あまり私の異世界のやり方を振りかざさないようにしなくては。
正式に王妃代行となり、私には城の2階の一角にある王妃の執務室が与えられた。
窓の外には後宮が見える。
この部屋は後宮に面していて、部屋の下は広い廊下で後宮への渡り廊下に続いている。
その渡り廊下の上は屋根でなく部屋状になった通路で、この部屋からそこを伝って後宮へと行き来できるようになっていた。
通路の鍵は王妃だけが持つことができ、「王妃代行の責任で好きに使っていいけど、他の人に渡しちゃだめよ」とターニャ様は鮮やかな赤いリボンをつけた銀の鍵をくださった。
手続き無しで行き来できるといっても昼間は廊下に専任の衛士がいて、護衛が一緒じゃないとそこから通してくれない。
それに私がいないとナナやシュリはそこを使うことができず、下の渡り廊下を面倒な手続きをして通っていかないといけない。
表の衛兵も来客やおつかいの行き来すら確認に次ぐ確認が必要で融通がきかない。
まるで機密情報の管理みたいよね。
機密って私の存在になるけど。
使い勝手の悪さにいらいらしながら指を噛む。
「いっそ後宮とこっちと2手に別れたらここは誰でも…そうか、2部屋あれば解決よね」
「どうなさいました?ユカ様」
部屋の入り口に置いた机で書類整理をしていたシュリがこちらを見た。
たまたま王子の執務室で私のおまけで仕事を手伝うようになったナナとシュリは、今の私の重要な戦力になっている。
といってもまだまだ人手不足で、肝心の侍従もまだ決めかねている。
「手が空いたらでいいから、カイルに相談があるから来てって伝言をお願いできる?」
「カイル様ですか?今大丈夫なので行って参ります!」
心なしか嬉しそうに返事をしたシュリは、手早く手元の書類を揃え置くと、立ち去っていった。
私はそれを見て急ぎペンをとると、紙に色々とかきつけた。
「王妃執務室を後宮に移動するだって?」
「移動といっても、もう一部屋増やすの。ほら、そこの通路から後宮に入ったすぐ右手に使われていない遊戯室があるでしょ?あそこを借りたいの。その部屋を私の執務室に、こっちにこれから加わってもらう人達の机を置くの。そうすれば私がいなくても仕事はまわるし人の出入りも楽に出来るようになるわ。警備は間の通路に置けば充分じゃない」
「だが、それは前例が…」
「王妃がここまで仕事をするのも前例がないんじゃないの。カイルでさえこの部屋に入るのは色々面倒なんだから。そうだわ、そこの通路は私との面談室にしてもいいわね。そうすればその間警備の人には外に出ていてもらえばいいし」
「まあ、人員を増やすならそのほうがいいだろうな。だけど、どうしてそんな大掛かりにしようと?」
カイルは、私の机の前に立ち、腕組みをしながら私を鋭い目で私を見下ろす。
このポジション、蛇に睨まれたカエルな気分で緊張するから嫌なのよね。
私は立ち上がると、椅子の背にもたれて背後の窓の外を見た。
「ユリウスが代行をやっているのを見ていて思っていたの。6院を管理するって公務を新しい仕組みにしたいの」
私はちらりとカイルに目をやると黙ったまま私の次の言葉を待っている。
「王妃の執務室と働く人達の部屋を分けるわ。まず王妃直属の監査部という独立部署を作るの。本当は別室を用意したいんだけど準備段階は部屋の一角で充分だわ。今回みたいな不正を発見し摘発することはわざわざ王妃の手を煩わす事ではないでしょう?王妃が公務を行えないと6院が野放しになってしまうのは組織としておかしいわ。ちゃんとした監査組織を作りましょう」
「監査とは、不正を調査し正すということだな。貴族の税の徴収や納税を監督する監査院はあるが、身内を捜査するなんて疑心暗鬼になるぞ?…それにわざわざ作る必要があるのか?問題が起こってから特別班なりを作ればいいじゃないか」
「本来は組織ごとに置くのが好ましいから、そのうち6院の内部に作ったほうがいいと思っているわ。それに結構忙しいはずよ。不正の情報があれば調査をするけど、それ以外にきちんと業務が行われているか抜き打ちで監査を行うの」
「なるほど、何かあった時だけ動くだけじゃなく、常に監督するということか」
「うん、目的は不正を裁くんじゃなくて未然に防ぐこと。憎まれ役になると思うけど抑止力は必要よ。だから独立させておく必要があるの」
「他には?」
「次にこれよ」
「執務室の人員要望リスト?」
「侍従にカイルみたいな万能な人が欲しくて探していたけど、やっぱり二人といないことがよく分かったわ。それにナナやシュリの能力に頼るのも限界があるしね。それならそれぞれの分野に長けた人を集めようと思って。そうすれば見つけ易いし、後継も育てやすい」
「私設秘書、執務秘書、補佐官、補佐官秘書、法律顧問、広報官?なんだこれは』
「私設秘書はエリス夫人でいいと思う。私の側で私的なものを含めた予定を管理したり助けてくれる人で公務の内容には関わらないわ。執務秘書は王妃の公務のスケジュール管理と調整などで、エリス夫人と連携してもらうの。そして補佐官はカイルがやっていたように、或る程度権限を持って対応できて、仕事の割り振りを出来る人。私のかわりに6院の院長とも接触してもらうから秘書も必要でしょう?法律顧問は、この国と法に詳しくて、適切に皆に助言してくれる方がいいわね。現役を退いた博識な方がいいわ。広報官は…私と国民の窓口にって施策の説明をして認知してもらうための外部とのパイプ役。すぐには必要ないけどそのうち必要になるはずだから準備していきたいわ」
「よくここまで考えたな…」
カイルはうなりながらも、深く考え込んでいる。
きっと私が彼らを使ってどう仕事をしていくかじゃなく、近い未来、ユリウスが王になった時のことを考えてるのよね。
やっぱり彼は王子の、次期王の侍従だもの。
現在の王の執務室は確かに精鋭の侍従が複数いるけど、業務の分担はあっても専門職を置くことはしていない。
感心されても、これはアメリカの大統領を支える上級スタッフの仕組みを参考にしただけだから少し後ろめたい。
本当は王政の国を参考にすればいいんだろうけど、残念ながら私にはそこまでの知識はないのよね。
これだってたまたま好きなドラマで覚えただけだもの。
「ユリウスに話してみるから、今のを文書にまとめてくれるかな」
「はい、これね。私もまだ概略しか詰めれてないけど一応用意しておいたわ」
「さすがだな。ここまで書いてあれば大丈夫だろう。ただ、王妃になるまでは試験的な運用になるけどな。あと、部屋もさすがに後宮を使うのは無理だと思うがなんとかしてみよう」
「そんなに早く立ち上げは無理だと思うの。でもその心づもりで動けば準備段階でもそれなりにうまくまわるようになると思うの」
カイルは任せておけと微笑み踵を返した。
その彼をドアをの手前で呼び止める。
「ああそうだ、ユリウスに後宮の私の居室に来て欲しいと頼んでちょうだい」
「それは…難しいと思うぞ」
「彼に大事な話があるの。出来るだけ早くね。とにかくそう伝えてくれればいいわ」
「わかった」
立ち止まったカイルは、困った顔を見せて出ていった。
賽は振られた。
というより、一度に二回も振ってよかったかな。
でも、どれも悠長にはしていられないことばかりだものね。
空腹を覚えて外を見ればすっかり日が沈んで、窓の向うの後宮で使用人通路を侍女達が夕食の膳を手に歩いている。
そういえば、ナナ達には先に帰って夕食の用意にかかってもらってたんだっけ。
私はあわてて机の上を片付けると、首から長い鎖で下げたている赤いリボンをつきの銀の鍵をとりだし、警備兵に声をかけた。




