[45] 深夜の訪問
三人の少女に呼び出された深夜、私は後宮にきて日課となってしまった、寝る前の一仕事をしていた。
部屋に持ち帰った書類の束をティーテーブルに山積みにし、ソファーに転がってそれを読みふける。
娯楽の少ないこの世界で、いつもは読書を楽しむ時間なのだけど最近は仕事にあてている。
OL時代は仕事の持ち帰りなんて絶対しなかったのに。
夜は一人になれるから、色々並行して追われている昼間よりはこういう思考が必要な仕事に向いてる。
ユリウスも、私室に戻っても仕事をしていると言っていたから、今頃同じようなことをしているんだろうな。
私と違って育ちがいいから、こんな姿ではないだろうけど。
私はまじめにデスクに向かうユリウスのことを想像し、クスリと笑いながらはねあげた膝から上をぱたぱたと動かした。
エリス夫人に見られたら小言を言われるだろうが、彼女は夕食前には帰宅してしまう。
アイーダさんも最初は眉を潜めていたが、行動範囲が制限され自由の少ない生活なんですからと、侍女以外の目がなければ率先して好きにさせてくれる。
書類の端に鉛筆でメモを走り書きしていると、夜勤のシュリが現れた。
「ユカ様、お客様がいらっしゃっています」
「どなた?」
「バネッサ様です」
「バネッサさん?ああ、あの時の。そう、お通ししてちょうだい」
「お着替えはよろしいのですか?」
「ええ、いわ」
私は椅子に座り直すと、書類をまとめて横に寄せた。
「ユカ様、こんな夜分に申し訳ありません。あの、灯りがついているのを見かけて…」
「大丈夫よ、さあお座りになって。シュリ、お茶をお出しして。温めたミルクと蜜を入れて甘めにね」
「お仕事なさっていたのですね、お邪魔してしまって…」
「いえ、急ぎのものではないからいいのよ。それよりあなたに会えて嬉しいわ、バネッサさん」
私に名前を呼ばれ、彼女は頬を赤らめてうつむいた。
ひよこ色のネグリジェの上にえんじ色のガウンを羽織、昼間は編み上げていた
昼間はシニヨンに結っていた髪を、両サイドで三つ編みに、お下げにしている。
それが清楚で可憐な彼女を更に幼く見せていて、私はにやつきそうになる口元を手で隠した。
私の挙動を勘違いしたようで、彼女は顔を青ざめた。
「あの、まだ痛みますか?唇、まだ腫れて…」
「ほら、頬はすっかり普通でしょ?唇も寝て明日起きれば直っているわ。それに私の面の皮は厚いからこのくらい平気よ」
片目をつむり冗談まじりで笑ってみせたが、バネッサは涙まじりにふるふると震えている。
泣かせるつもりはないのよ。
私が困ってみつめる中、彼女はぽたりぽたりと涙を自分の膝の上で握る拳の上に落としながら、ゆっくりと喋り始めた。
「本当に、昼間はユカ様にひどいことを言ってしまい、本当に申し訳ありませんでした。ダイアナもいつもはこんなことを言う子じゃないんです。彼女は私たちを守ろうとして」
「あなた達を守る?」
「ええ。ユカ様には申し訳ないのですが、ここではユリウス様がいつまでも後宮にお渡り頂けないのはユカ様のせいだと噂になっています。あなたが若い私たちに嫉妬して王子を寄せ付けないと。私たち、王妃になりたい気持はありますけど、それはもういいんです。それよりも王子に後宮にお渡り頂けないと困るんです」
「私、後宮のことは勉強不足なところがあって勘違いしていたらごめんなさい。渡りってお部屋で王子と二人きりで過ごすことよね。でもまだ妾妃や王妃になっていないのに王子の渡りが必要なの?その、確かに色々決める前に顔を合わせてお茶をご一緒したり話すことは必要でしょうけど。それは私が城に来る前にも充分時間があったでしょうし」
「でもっ、でも、私たちには今、ユリウス様が必要なんです。」
手で顔を覆い彼女は号泣した。
私は彼女の横に移り、肩を抱き頭を撫でてやる。
シュリがお茶を持って現れ、私たちを見てぎょっとした顔をした。
私が泣かせたわけでは……でも私のせいでもあるよね。
布を濡らして絞ってきてもらい、ついでに酒棚からリキュールをグラスに1杯ついでもらうと、侍女部屋に下がらせた。
グラスを傾け、彼女の為に用意したお茶にリキュールを1、2滴たらす。
「さあ、泣き止んで。顔をあげてごらんなさい。顔を拭いておかないと、明日顔がむくんでしまうわ」
「はい、ありがとうございます」
嗚咽をこらえる彼女の背をなでてやり、目尻から涙の跡に沿って濡布をあてた。
絹のように滑らかな肌をゆっくりやさしくぬぐってやると、彼女はきもちよさそうに目をふせてうっとりとした表情を浮かべる。
「さ、冷めないうちにこれを飲んで」
彼女に、カップを手渡すと、おずおずと受け取りそっと口をつけた。
甘いミルクティーを口に含み、彼女の顔がほころび気持が落ち着いていくのが分かる。
「いい香りですわ」
「秘薬を少しね。こっちを飲み交わすのもいいけど、まだ早いわね」
「これはお酒の香りだったのですか?夜会や食事会で頂くことはありますけど、私は苦くて辛くてあまり好きじゃないのです」
「ああ、そういえばもう成人を過ぎていらっしゃるのよね。私の国では成人が遅いのでつい子ども扱いしてごめんなさい」
「いえ、私なんてこんな風に泣いてしまってまだまだ子どもですわ。それにこちらのほうが、甘くて嬉しいです」
バネッサはにかみながら、カップに口をつける。
「ねえ、王妃候補の方達、あなた達の他にも2人いたわよね?その方々も王子の助けが必要なの?」
「アンネローズさんとジュディスさんは、部屋から出てこなくなってしまって。私にも会ってくれないのです」
「その理由をあなたは知ってるの?」
「私の口からはあの方達の事は言えないんです。でも、私たちは次期王のお側に仕えるよう、この後宮で生きるよう育てられてきました。だから私、あの時お父様に聞いた話であなたにひどいことを言ってしまったんです。ユカ様が私たちがいい王妃になるためにと言い聞かされて育った理想像と正反対の方だったんですもの。だからユリウス様は私たちを見てくださらないのかと思ったら絶望的になってしまって。私達はこんなにユリウス様を必要にしているのに、あなたが遠ざけていると思って。私たちは次王であるあの方のものにならなくてはいけないのです」
彼女が言ってるあのことって、王妃審問のことよね?
私が王と渡り合ったことはターニャ様もご存知で赤面ものだった。
私ははっとした。
ここは後宮、王のための花園。
あの王が、王子の為に用意された好みの少女達を見逃すだろうか。
公然と私を自分の妾妃にと言ったほどの人だ。
私は自分の予想に眉をひそめた。
確か以前黒髪の,好きだった少女を父王に奪われた話を聞いた時、後宮の王妃候補のことを口にしていなかった?
今まで誰も、王の誘いを断われた者はいない。王妃候補でも父との関係を続けている者もいるって。
父の手つきになった少女達に不快感を持っていたから、素直にユリウスが彼女達を助けてくれるとは思えない。
後宮のことなんてすっかり他人事だった頃で、後宮ってそういうものなのかなと思ったこともありすっかり忘れてたのが情けない。
実際に後宮にいる身になると、王は大きな脅威だ。
彼女らは、草むらに身を隠すウサギのように必死に息を殺し、獅子、王の牙から逃れるために助けを求めている。
私は杯の中の酒を飲み干し、天井を見上げた。
バネッサも含めて今日会った3人はまだ無事、と思いたいけど、本当のところは分からない。
私はもう遅いからとバネッサを部屋に帰らせた。
シュリに送らせるつもりだったけど、どこに狼、いや獅子が潜んでいるのか分からないので、バッハに護衛を頼んだ。
これからシュリとナナの夜勤の時は出歩かせないよう気をつけておかないと。
後宮に来てから悩みに追われている気がする。
私はベッドの中でため息をついた。
せめてこれ以上犠牲者が増えないうちに、彼女達を守る手段を考えないと。
それでも数秒後には、寝付きの良い私はあっという間に眠りの海に落ちていった。




