[42] 未来の義母
「ユカ様、お急ぎください」
「ねえ、ちょっとこのドレス派手じゃない?」
「ユカ様がシンプルなのをお好みなのは存じていますが、こういう場合は可愛らしいほうがよろしいんですよ。それになかなかお似合いですよ」
「そうはいってもね」
これから、私はユリウスの母、ターニャ王妃に挨拶に行くことになっている。
本来は婚約する前に挨拶すべきじゃないのかと思ったけど、後宮の奥にいらっしゃってなかなか会える方ではない。
ユリウスは俺の母だから絶対ユカを気に入るからと言ってくれたけど、こういうのって一緒に行って嫁姑の間に入ってくれるもんじゃないの?
いきなり単身で乗り込むことになり、私はこの世界に来て一番怖じ気づいていると思う。
鏡に映るのは、明るい緑色のドレスを着た私。
後宮に入る事になり、急ぎ買いそろえたドレスだ。
艶のある織り生地に、飴色のレースが袖口や胸元など要所要所にみっちりと縫い付けられている。
胸元は深くカットした上にレースが盛られ谷間が見えないようにしている。
これが白いレースならげんなりするほど乙女チックなんだけど、飴色になっているお陰で落ち着いて見える。
仕立て屋に注文する際に白いレースは使わないように頼んで本当によかった。
私のイメージが伝わりきっていないのか、どうしても彼らは「お姫様」な可愛いフェミニンな服にしたがるから。
この国の大多数を占める、白人種の透き通るような白い肌に比べると、色白な私の肌色は濃く、白いレースは使い方が難しい。
お針子さんはそこを持ち前のセンスでうまく使ってくれるのだけど、王都一大きい仕立て屋であっても彼女の腕には劣る。
今も彼女は眉を潜めながら私の足下で裾を直し、シルエットが綺麗に出るよう微調整してくれていた。
同時に後ろではアイーダさんが髪のセットをしている。
夜会巻きにした髪には銀細工の蔦の葉をモチーフにした髪飾りが一緒に編み込まれた。
本当は揃いの白い石のネックレスとイヤリングと髪飾りが用意されていたけれど、お針子さんの指摘で銀の髪飾りだけにした。
他の装飾品は、金の指輪だけ。
私はそれを指にはめた上から、ドレスと揃いの飴色のレースの手袋をつける。
ターニャ王妃が住むのは、後宮から歩いて5分、庭の奥にある小さな離宮だった。
引き続き私たちの護衛を務める三人のうちイーライとジャックに前後を守られ、私の後ろを、私の女官になったメラニー伯爵夫人とアイーダさんが並んで続く。
後宮にあがる際、侍女とは違う「女官」を決めるよう言われた。
女官は主の相談役であり、身の回りの世話をする侍女達に指示を出す立場となる。
貴族の出が好ましく信頼できる女性がいいというので、私はアイーダさんを推したがカイルにつっぱねられた。
妾妃なら彼女で構わないが、次期王妃、しかも後ろ盾が政治的権威を持たない神殿しかない私には、それなりの地位のある女性がいいという。
心が許せる子爵夫人以上の女性となると、心当たりはメラニー伯爵夫人しかいなかった。
伯爵宅に出向きご迷惑でなければ引き受けて欲しいと頭を下げる私に、彼女は快く引き受けてくれた。
おしどり夫婦である伯爵と離ればなれになることに恐縮していた私に、伯爵は既婚の女官は優遇されており帰宅も自由なことを説明してくれ、妻の出仕を喜んで賛成してくれた。
「ユカ様、今後は私のことはメラニー伯爵夫人ではなく名前で、エリスとお呼びください。それと今までのように気軽に頭を下げてはいけません」
後宮に引っ越した日、時期王妃に与えられる居室「白薔薇の間」で待っていた彼女はそう言い、私に主人に対する礼をとった。
アイーダさんは侍女頭となり、今はナナとシュリだけの侍女が王妃となった時には十数人と膨らむため、彼女らをまとめる指揮官役になる。
後宮から庭の奥へと続く細長い屋根付きの渡り廊下をしずしずと進む一行に、庭に面した窓辺から王の妾妃達から向けられる痛いほどの視線を感じた。
「すごく見られてるわね」
「前を見てしっかりと進むことに集中してくださいまし」
ひとりごちた私に、背後からエリス夫人が低い声音でささやいた。
まあ、王の後宮にやってきた王太子の婚約者で次期王妃、しかも異世界から来た女だもの、季節外れの転校生どころじゃなく珍獣扱いされても仕方が無い。
女子校育ちだったら、あっさりこの雰囲気に慣れたかもだけど。
男兄弟の中で育った私に、女の集団は些か分が悪い。
こんもりと茂る木立を抜けると、2階建ての蔦の絡まる白亜の小さな離宮が現れた。
「素敵な建物ね」
「歴代の王妃様がお住まいになり、代によって立て直したり改修されてきました。でも場所は常に変わりません」
思わず立ち止まり離宮を眺めると、以前侍女としてこの館に住み込んでいたアイーダさんは目を細目懐かしんだ。
私にとって後宮は大奥のイメージを持っていて、各妃が部屋を持ち、それに付き従うおんな達も入り乱れ、どろどろの権力争いが繰り広げられている女の修羅場を想像していたし、そこに身を投じる覚悟をしていた。
ところが、この国の後宮制度は私の持つイメージとかなり違うらしい。
日本で馴染みの側室と同義の「妾妃」は、王妃候補として選ばれたた中で王が選んだ女達と、それ以外に王自らが選び公爵以上の爵位を持つ3人より認められた女性からなる。
王妃は一代につき1人と定められる変わりに、妾妃は何人でも持つことができる。
王の寵愛を受けても王妃になることはできず、あくまでも王の権勢を彩る艶花として側に侍り、また王妃の良き友として城奥の小さな女の園で暮らす。
子を成せば恩賞をもらえるが、生まれた子は王妃の子としてとりあげられ待遇は変わることはない為、我が子が嫡子となっても利はほとんどない。
面会することは可能だが、決して子に母と呼ばれない為に母としての悦びを持つことは許されない。
これは、後宮が出来たばかりの頃に、我が子を王位にと王妃や王妃の子を巻き込む妾妃達の争いで、妾妃だけでなく王妃や多くの子ども達が亡くなったせいだとか。
それでも贅沢な生活と王の恩寵を受けることで一族の優遇が保証されるために、王妃が無理なら妾妃でもと権力者はこぞって娘を差し出し争う。
妾妃になれば王の寵愛を得る為に競い合いはあっても、待遇自体にあまり変化が少ない為血で血を洗うような激しい闘争はないのだそう。
そして王妃にはない妾妃の唯一にして最大の権利が、三行半の権利、つまり自分の意思で妾妃を辞め、莫大な退職金をもらって後宮を去ることが出来るということだった。
ただし、5年以上妾妃の務めを果たしたもののみが得られる。
反対に、王は一度妾妃に取り上げると退位するか本人が望まない限り追い出すことはできない仕組みになっていた。
ただし妾妃がその権利を行使すれば、王が望もうとも二度と後宮にあがることはできない。
その後宮を統べるのが、今、私の前にいる女性、ターニャ王妃だった。
ユリウスと同じ黄金の豊かな巻き毛を軽く後ろに結わい、薄い空色の瞳が印象的で、身体はとても華奢だ。
戦争の末属国となった姫が16歳の時に単身この国に嫁ぎ王妃になったと聞いていたけど、まさに絵に描いたようなお姫様だった。
長く病に伏せっていたせいか儚げな雰囲気を纏い、私より10歳上とは思えない若い美貌で、ユリウスと並んでも姉弟にしか見えない。
私は今、この未来の義母に挨拶をし、彼女自らいれたお茶を頂いていた。
「見知らぬ国というだけでも心細いのに、違う世界からだなんてなんと悲しいことでしょう。神のご意思とはいえ、あなたの気持を慮ると神に感謝できないわ。でも、息子を受け入れてくださってありがとう。どうぞ私を実の母だと思って、困った時はいつでも頼ってちょうだいね。あなたは一人じゃありませんよ」
私の未来の義母様は、お姫様ではなく天使様だったようです。
彼女も一人でこの国に来て、色々ご苦労されたんだろうな。
あの王の妻だから油断できないと警戒していた私は、ターニャ様の言葉が胸に染みたのと、緊張の糸がほぐれて思わず涙ぐんでしまった。
「ありがとうございます。そのお言葉でどれほど勇気を頂けたことか」
「でも、既にエリスにアイーダがついているんですもの、心強いわよね」
ターニャ様に笑顔を向けられ、二人は嬉しそうに頭を下げた。
アイーダさんは、王妃のお気に入りの侍女だったそうで、嫁ぎ先の子爵が亡くなった時は手紙を送って励まされたほどの間柄なんだそう。
わざわざ駆け寄ってアイーダさんの手をとったほど、ターニャ様は再会を喜んでいた。
そしてエリス夫人も姉がユリウスの乳母を務めた関係もあり王妃と親しい様子。
二人ともターニャ様との再会で積もる話がありそうだったが、今日の目的は私の顔見せなので、時折二人を加えながらも私と彼女の会話が続いた。
「あのフランシス様と渡り合ったとお聞きしたから、森の女王のような方を想像していましたのよ。でもずっと可愛らしい方だわ」
あの王を名前で呼ぶと印象が少し変わる。
この方といる時はあの方はどんなかんじなんだろう。
「お恥ずかしい限りです。ユリウス様が私を森の女王のイメージだと仰られました」
「ほほほ、あの子は小さい時からあのお話が大好きで、何度も読んでとせがまれたのよ。私もあのお話はお気に入りなの」
「私も王子に本をお借りしました」
ユリウスのロマンチストなところは母親譲りだったのね。
彼女は、ユリウスが私のために森の女王をイメージしたドレスを贈ってくれたことを話すと目をキラキラさせながら喜んでいた。
話が弾んでいるところに、小さい走り回る足音が近づき、扉がバタンと勢いよく開かれる。
「ジニー様、お戻りください!お客様がいらしていますから駄目ですよ」
黒い髪の5歳くらいの少年が幼い薄い金髪の少女と駆け込んできた。
そして、その後ろからあわてて侍女が飛び込み、私たちを見て膝を折る。
「構いませんよ、こちらにいらっしゃい。あなた達ともこれから家族になる方ですから」
ターニャ様はやさしく微笑むと、子ども達を手招き、自分の傍らに座らせた。
「ユカさん、紹介しますわ。こちらはジニー、そしてアリエル。ユリウスの弟と妹ですわ」
三人が並ぶとあまりに容姿が違うので私は一瞬戸惑ったものの、すぐに笑顔を浮かべ子ども達に挨拶をする。
「ジニー王子、そしてアリエル姫、お会い出来て光栄です。私はユカと申します。どうぞよろしく」
「ほら、ユリウスお兄様と結婚してあなた達の義姉様になる方ですよ。ご挨拶なさい」
子ども達はターニャ様に抱きついたまま、見慣れない私の顔ををぽかんと見あげていた。
「ごめんなさいね。ユリウスはもう何年もここに顔を出していないからお兄様といってもこの2人にはあまり実感がないようなの。あと、ジニーの姉でコリーヌがいるのだけど、今日は出かけているのよ」
私は王妃の言葉に頷いてみせた。
後宮に入る前日、ユリウスとカイルが私の部屋を訪れた。
そしてほとんど一夜漬けで後宮のことを叩き込まれた。
その中で、ユリウスがあまり口にしたくなさそうに、先に知っておいたほうがいいからと自分に弟妹がいることを教えてくれた。
「母上が生んだのは俺だけだ。今は妾妃の方々の産んだ3人の弟と妹と一緒に暮らしてる」
「なるほど、それがこの15歳と5歳と3歳の子達で、私の義理の妹と弟になるのね」
「ああ。だけど俺の兄弟はそれだけじゃないんだ」
「え?」
「妃達以外に産ませた子が30人以上はいる」
私はユリウスが吐き捨てるように放った言葉に耳を疑った。




