[41] プロポーズ
養護院から提出された孤児院の職員雇用条件の見直し案に判を押すと、後ろで見守っていたナナとシュリから拍手と歓声があがった。
今の押印で、このユリウスの執務室での最後の仕事が片付いたから。
もちろん、仕事自体は終らない。
この後いよいよ一人前の王妃代行として、腕を振るわなければならないから。
あの孤児院の件もこれで全てが片付いたわけじゃない。
孤児院の待遇改善も必要だし、教育や将来独り立ちできるようなシステムも作っていきたい。
救貧院の問題も調査は続行させているけど対処は保留にしてある。
それに手をつける前に、私にはやらなければならないことが山ほどあった。
「ユカ様、お疲れさまでした」
「色々ありがとう。でもカイルにはまだこれからたっぷりお世話になるけどね」
「正式に王妃代行になっても容赦はしないよ。さあ、今日はこれまでにして部屋に戻るといい」
「でもユリウスが戻ってくるまでは待つわ。ちゃんと挨拶してけじめをつけたいし。でも、朝から見かけないけどどこに行ってるの?予定表にも外出としか書いていないし」
「そのユリウスからの伝言だ。ほら」
渡された紙には、堂々としながらも最後で不器用に右肩下がりににへにょっと曲がる筆跡でねぎらいと私の部屋で待っていると書いてあった。
「ユリウスが私の部屋で何してるの?」
「さあな、行ってみるといい」
「何か知ってるのね?と聞いても答えそうにない顔してる。面白がってるでしょう」
上目遣いに睨むと、カイルは人の悪い笑顔を浮かべて、私を送り出してくれた
ナナとシュリを引き連れ急いで部屋に戻ると、バッハとジャックが困った顔をして外に立っていた。
イーライは夜番なので今はいないんだっけ。
「ユカ様、おかえりなさいませ。中でその、王子がお待ちです。お許しなくお通しして申し訳ありません」
「いいのよ。ご苦労様」
ドアをノックし声をかけると、アイーダさんがにこやかに扉を開けてくれた。
そして私を中に通すと、ナナとシュリを外に押し止めた。
「どうして入らないの?」
「私たちは今夜の用意がありますからしばらく席を外しますわ。その間申し訳ありませんが王子のお相手をお願いできますでしょうか」
「ええもちろん構わないけど…」
皆で何を企んでいるのかしら。
私が首をかしげながら居間に続く扉を開くと、部屋が一面、雪が積もったように真っ白なものに覆われていた。
「なにごと?」
「ユカ、おかえり!」
真っ白なのは、バラの花だった。
渋い赤黒い色の絨毯が敷かれているはずなのに、何百本分になるかわからないほどのバラの花で白く埋め尽くされ、むせかえるような甘い香りが部屋に充満していた。
そしてその花弁を躊躇なく踏みしめながらユリウスがかけより、私を抱きしめ、いえ、抱き上げた。
「ちょっと、何するのよ」
そういえば初体験かもしれない。
横抱きに、お姫様抱っこをされたのは。
ユリウスは確かな足取りで白薔薇の道を進み、ソファーの上に私を降ろした。
そして言葉の出ない私の横でユリウスは膝を折ると、私の手をとり甲に口づける。
「最初にユカと話しをした時、喧嘩になっただろ?」
「あれは一方的にユリウスがキレたんだったわ」
私の言葉にユリウスは頬を赤らめ恥ずかしそうに目を伏せた。
「あの時、ユカとの結婚は神による政略結婚だからとあきらめて受け入れるつもりだったんだ。それでもいきなり異世界の女っていうのはなかなか受け入れられなくて。それに…」
「私が黒髪で動揺したのもあったのよね」
「う、うん」
「気持は分かるわ。私だって子どもの頃から結婚するならもちろん好きな人とって思ってきたんだもの。いきなり神様にあなたはこの人の花嫁ですって言われてもねえ」
「でもさ、今の俺はユカのことが好きだ。黒髪だからでも神が決めたからじゃない。ユカのことを考えると胸が痛いし身体が熱くなるし、いつも触れていて、守りたい。ユカが城下で怪我をしたって聞いた時、剣を抜いてあの男を殺したかった。でも、カイルはそれを見越して俺には後まで教えてくれなかった。俺に復讐もユカを助けることも何もさせてくれなかったんだ。あんなのはもう嫌だ」
青い瞳はまるで南国の海のように涙をいっぱいにたたえて揺れていた。
私はそっと手を伸ばし、彼の頬にかかった金色の巻き毛を後ろになでつけてやる。
カイルはただユリウスが暴走しないよう冷静に判断して黙っていたんだろうけど、やり場のない怒りになって静かにユリウスの中に閉じ込められたままだったのね
「じゃあ次は、私を守ってくれるわね」
「ああ、それが誰でもユカを傷つける者は俺が許さない。この覇者の剣にかけて」
ユリウスは腰の剣をひきぬくと、磨き上げられた刃の付け根に口づけた。
「それっていつもの剣じゃないわよね。私の前に召喚された神具の?」
「ああ、王の為に召喚された神具は、神と王を繋ぐ証。だからこそ、あの時は言えなかったことを、この剣に重ねて誓おう。僕はユカを、ヒラオカユカを心から愛し、伴侶として尊重し、慈しみ幸せにする」
再び剣に口をつけ、腰の鞘にしまう。
そしてさっきと同じように手をとると、私の薬指に精緻なあざみの紋を施した金の指輪をはめた。
「ナナ達が教えてくれたんだ。ユカの国では結婚を申し込む時に薬指に指輪をはめて贈ると。ユカ、僕と、ユリウス・カイン・ドランブリックと結婚して欲しい」
そういえば、いつぞやナナ達が元の世界の事を聞きたいと、結婚のことを根掘り葉掘り聞いてきたっけ。
ロマンティックな結婚の申し込みを聞かれて、知識を総動員して説明していたら、サプライズで花と指輪を贈るシチュエーションにうっとりしていたっけ。
…それにしても惜しい、指輪をはめたのが右手なのだけが惜しい。
私は彼のバラのとげで作っただろうユリウスの傷だらけの手を見て、ここまで私の為にしてくれた彼をとても愛しく思いながら彼に答える。
「ユリウス、ありがとう。結婚をお受けするわ。私の可愛い王子様」
「可愛いって、俺はもう成人してるし、もうすぐ王になるんだぞ」
「私もユリウスのことが好きよ。あなたが私を必要としてくれる限り私もユリウスを支えることを誓うわ。家族として、王妃としてね。でもまだまだ私にとっては可愛い弟ってところで、夫としてはまだもう少し早いかな」
「弟だと?俺を愚弄するか」
「ほら、そうやってすぐカッカする。まだまだ先は長いんだから焦る事はないわ。横で見守っているから、いい男になって私を心から惚れさせてみなさい。その期待を込めての結婚の承諾なんだから」
「わかった。絶対いい男になってユカを見返してやるからな。絶対ユカから抱きつかれるようになってや…」
抱きつかれるだけでいいのかしら。
本当に、将来に期待ね。
一人意気込みを語るユリウスの言葉を、私は唇で塞いだ。
「水を差すようなことを言って悪かったわ。改めてちゃんとプロポーズしてくれて嬉しい。もしこのまま無しで事を進めたら、あなたを見切って城から逃亡してやろうと思っていたの」
「本気か?いや、ユカならやりかねないな」
にこやかな私の顔を見ながらも、揺るかがない視線にユリウスは顔を青ざめる。
いけない、脅しすぎた。
「でも、私の言ったことを覚えていてくれて、こうして気持を込めて申し込んでくれた。ありがとう」
私は、再びユリウスに口づけた。
すると、唇を重ねたまま強引に抱き上げられたかと思うと、ユリウスは私のいた場所に座った。
その膝の上で私は彼の首に腕をまわし見つめ合う。
心地よい午後の日差しの中で、間近に見るユリウスの肌はとても白くてきれいだ。
時折、まばたきをすると、私の頬を長いまつげが金粉をきらめかせるようにかすめた。
本当に綺麗な王子様。
まだ少年の面影を残すユリウスの腕の中で、何度も唇を重ね、優しく柔らかい、長い長いキスをした。
「準備はいいか?」
「ええ、だいじょうぶよ」
ユリウスは大太子の正装、軍服に似たデザインで金糸で文様が刺繍された白い衣装に、自身の紋のアザミを織りこんだ襷をかけ、腰には覇者の剣を下げている。
そして白い手袋を填めたてで、私の手をとった。
私は彼と揃いの白い絹のドレスを纏い、ボリュームをもたせ高く結い上げた頭には小さな金のティアラを乗せている。
石はついておらず、金細工でアザミの紋があしらっていて、ひじまでの長い絹の手袋の上にはめた金の指輪と揃いになっている。
今後私はユリウスの婚約者として、常に指輪を、公式の場でこのティアラをつけないといけないらしい。
今から私は、目の前の扉が開かれると前に進み、王をはじめとした貴族達の前に出る。
そこで、王子自ら私の名が紹介される。
彼の婚約者として。
私は大きく深呼吸をすると、同じように緊張しているユリウスに微笑んでみせると、背を伸ばした。
目の前の扉が、広間の光と熱気をはらんでゆっくりと開き、私たちはお互いの手を握りしめた。
番外編に閑話『夜這い [41.5]』あります。




