[40] 王の決定
しばらくして、書類の束を握りしめ、機嫌の悪いユリウスが戻ってきた。
私の顔を見ると、とたんに顔を輝かせ抱きついてくる。
「ただいま!ああ、ユカが待っていてくれるって幸せだな」
「はいはい、お疲れさま」
「いちいち抱きつくなよ、子どもじゃないんだから。ところで王の話はどうだった?」
カイルが単刀直入に切り出し、ユリウスは私をちらと見て言い淀んだ。
「私のことは気にしないで。多分私が城下に出てたことがばれて問題になったんじゃない?」
「ユカは心配しなくても大丈夫だ。父上には護衛つきで城下で見聞を広めていた時に事故にあったと説明した。神官長から内々の謝罪があって神官の件を知ったそうだ。神殿との関係は維持したいし、いい貸しが出来たくらいに思ってらっしゃる。街の一部では噂になったようだが、あえて事実は認めず表沙汰にしないことになった」
「じゃあ我々にも咎めは?」
「俺がユカを自由にさせすぎていると叱られたくらいだ。王妃が城下を見る必要はないと一笑されたよ。すぐに後宮に閉じ込めて籠の鳥にして、せいぜい啼かせてやればいいとな」
さすが野獣系、例えからしてアレだわ。
変に感心している私は、二人が白い目を向けていることに気付きあわてて言い繕う。
「あの王の花嫁じゃなくって本当によかったわ、ってしみじみしていたところよ」
「安心しろ。俺は父上みたいに後宮に飼い殺しなんてしない。それにこれを見て頂いて思い直して頂いた」
ウィルーは手にした書束を私に手渡す。
「これって、わざわざ部屋に取りにきたレポートよね」
昨夜遅い時間までかかって書き上げた、カイルに与えられた課題のレポートだった。
書き終えて、アイーダさんにお茶を入れ直してもらい一息ついていると、どうやってかぎつけたのかカイルがやってきた。
そして今朝渡す予定だったそのレポートを強引に持って行ってしまった。
「こういうことになるかもと、今朝までにユリウスに読ませて用意していたんだ。多少偏りはあって総体的な視点はまだまだ足りないが、具体的で斬新なアイデアが盛り込まれて、いい出来だったよ。Aマイナスだな」
採点までするの?
偉そうに、私の先生か!
ってそういえば忘れてたけど、カイルは一応私の先生だったんだっけ。
「父上も目を通すうちに真剣に御覧になっていたよ。特に失業対策や都市整備、都だけでなく国内の治安改善案は予算をぶんどってまわすから、来期から進めていくようにとのご命令だ」
「あの王がそこまで肩入れを?すごいな」
「俺も驚いたさ。ユカの発想は今までの常識を覆すようなものばかりだけど、ここまで関心をひくとは思わなかった」
「あの、話が見えないけど、とにかく問題なしってことで安心していいのね?」
「…問題がないわけじゃない、大有りだよ。薬が効きすぎてしまったんだ。あと1ヶ月と少しで例の約束の半年がくるから、それに合わせて結婚式を早めろと言いだした。ユカは国益になるって」
「ユカ様はまだ王妃様直々の王妃教育も受けてないんだぞ?それに結婚となるとお前が王位につくことになるし、その準備だけでもとうてい間に合うわけがない」
「今回の婚姻は異例づくめだから、ついでに慣例を破って王位継承と別にして王太子と王太子妃もありだと言い出して、侍従達が大混乱してたぞ。とりあえず長年王妃不在だったための6院立て直し中で準備に忙殺され暇はないし、今回の調査で発覚した不正の追求とか処理もあって今はユカの手が必要だから無理ってつっぱねたさ。そうしたら代替案を出された」
ユリウスは、二人の会話に頭が追いつかず立ち尽くす私を抱く腕に力を込めた。
彼の表情は見えないが、声が怖い。
私は困惑してユリウスの肩越しにカイルをみると、彼もやはり厳しい顔をしていた。
「代替案てどんな?」
「代替案というか既に決定事項になってしまった。ユカの手持ちの仕事が終ったら、すぐ正式に婚約発表をして後宮に入らせ、王妃教育を受けさながら正式に王妃代行をさせると」
「は?なにその無茶振り。正式に王妃代行って後宮でできることなの?しかも王妃教育を受けながらって片手間で出来ることじゃないでしょう」
「王妃になるのならそのぐらいこなしてみせろとおっしゃった。ユカの執務室は母上が使われていた王妃の執務室を使っていいそうだ。後宮から出る際の移動の際は警護という名の見張りがつくがな。接触する者も制限される」
「今から逃げたくなってきたわ」
「今は王妃不在間の問題の対処に手をとられているが、それもあと少しで終る。うまく回り始めたらそう負担になる程ではないし、任せられる者を増やしていけばいい。本来なら6院管理の公務の他にも、王と共に出席する公務や貴族の婦人や後宮の方々との交際もあるんだからな。それにもうしばらくは、ユカの侍従が見つかって引き継ぎを終えるまではカイルがサポートするから」
「ユリウスはどうするの?」
「正式な王妃代行が出来れば俺は不要になる。明日から朝議に顔を出すように仰せつかったよ、父上も気が早い。婚約発表後からは、王の公務の一部を代行をさせるそうだ。自分がさぼる気まんまんじゃないか」
「そっか。じゃあこうして執務室で一緒に仕事は出来なくなるのね」
「寂しいけどな。王妃の公務さえなければ、ユカをずっと側に置いて仕事を手伝ってもらったり抱きしめたりできるのに」
「職場では無しだって言ってるでしょ。そろそろいい加減に離してよ、暑苦しいから」
「嫌だっ!もうすぐこんなことも出来なくなるんだぞ?毎日髭の爺達にとりかこまれるんだぞ。嫌だ嫌だ」
「別にもう会えない訳じゃないでしょ?」
「そうですよ。仕事さえ片付ければ、いくらでも後宮に会いにいけて入り浸れますよ。それに正式にユカ様が王妃になれば共に過ごす時間も増えるんですから」
「そうか、そうだよな。俺、ユカの為に頑張って王になるよ」
「王になる者なんだから、これからやもっとよく考えて口にしろ」
「わかってる。でも俺は何よりもまず、ユカを幸せにしないといけないんだ。神は、ユカを王妃でなく俺の花嫁としてここに遣わされたんだから。だから俺は立派な王になるけど、それより前に、まずいい夫になることに決めたんだ」
王妃でなく花嫁。
私は思いがけないユリウスの言葉に驚いた。
私は、王子の花嫁、つまり良き王妃になることを求められているのだと思いこんでいたのに、彼は王妃である前に花嫁として私を幸せにしないといけないと言ってくれた。
私の胸はみるみる温かいもので満たされる。
出会ったばかりの時は顔を合わせれば反発していた彼が、数ヶ月しかたたない私をこんな風に想ってくれるようになったのか。
いつも真っ直ぐに私を見つめてぶつかってくるユリウスが、まだ男女として、恋愛感情とは言えないけど、好ましく愛しい気持は私の中にも芽生えていた。
見知らぬ世界で慣れない環境の中、次期王妃という重い鎖に絡められながらなんとか立っていられるのは、一人じゃないから。
色々な出会いの中で、信じられる、私の手をとってくれる人達がいる。
その中で、ユリウスは手だけでなく抱きしめて一緒に立とうとしてくれようとしている。
王は夫の前に王であるべきじゃないの、私はそんな大人ぶった言葉を飲み込み、今はただ彼の気持を素直に受け取った。
それにしても、と心の中でつぶやきながら苦笑した。
どうしてそれを、腕の中の私じゃなくカイルと見つめ合いながら言ってるのかしらね。




