[37] 理由
「くうっ」
突然私を衝撃が襲い、息がつまり手足や頬に砂利が食い込んだ。
私の背に重いものが覆い被さったのだ。
顔をあげようとするが、頭から押さえつけられているために何も見えない。
周囲でばたばたと人が走り回り、男達の怒鳴り合う声しか聞こえなかった。
実際は短い間だったけど、その時の私にはとても長く思えた。
様子が分からないことが不安を募らせ、私をパニックにした。
そして私は気付いた。
あの甘いランカンの香りに。
「ウィルー? ウィルー、なの?」
私にかかる尋常ではない重さは、ウィルーがただ私の上に被さっているのでなく意識を失っていることを意味していた。
私は必死で彼の名を呼び続けた。
狭い隙間の中で指先で彼に触れ、押して見るが反応はない。
私を庇って刺されたことは嫌でも分かった。
今は熱く感じる彼の熱が消えたら、背中に伝わってくる鼓動が止まったらどうしよう。
不安から涙がこぼれる中、私は必死で声をあげつづけた。
ずるり。
ふいにウィルーの身体が横に滑り落ち、身体が軽くなった。
「お嬢さん、大丈夫ですか?」
身を固くしたままの私に、若い男が覗き込んだ。
警護隊の制服を着ている。
そういえば、さっきウィルーと親しげに話していたっけ。
「ウィルーは…」
私は痛みをこらえながら起き上がろうとするが、無理をしてはいけないと男に押しとどめられた。
だが、視線の先には仲間が運び上げる、ぴくりとも動かないウィルーがいた。
私の血の気が引き、必死に彼の名前を呼んだ。
「落ち着いて。隊長なら大丈夫、意識はありませんが受けた傷は深くなくて出血もひどくないから。安心なさい」
ウィルーは生きてる。
彼の無事に心の底から沸き上がる安堵に気が緩んだのか、私の意識は暗転した。
「あれ、カイル?」
意識を取り戻した私の側には、カイルがいた。
夢じゃないかと手を伸ばそうとした途端、肩に痛みが走った。
「いたっ」
「まだ動かないほうがいい。肩の傷はひどくないが打撲のほうがひどいようだ。他はかすり傷だった」
「ウィルーは?彼の怪我は?」
「彼は脇腹を切られたが臓腑までは至ってなかったので大丈夫だ。気絶してたのは倒れた拍子に頭を打ったらしい」
「そう、よかった。ところでここはどこ?」
ほっと息をつく私を、カイルは複雑そうな顔で見た。
「王立病院だよ。意識が戻った彼が連絡があってさっきここに駆けつけたんだ。ユカが無事で本当によかった。でもこんなに傷をつけるなんて任務完遂とはいえないな」
「あれは、私が勝手に一人で外に出たから。それに神官さんだったからつい油断しちゃったの。ウィルーは私をちゃんと守ってくれたわ」
身を起こし必死に彼を庇う私にカイルはなだめ寝かせ、めくれたシーツをきっちりかけ直しながらため息混じりに言った。
「これは公務でなく私的な依頼だから刑罰はないよ。ユカ様の側についているといって駄々をこねてたが、怪我人は邪魔だから隣の部屋で休ませてる」
「ウィルーってカイルのお兄さんでしょ?彼のことは心配じゃないの?」
「必要ない。あれは街壁から落ちた時も腕を1本折っただけで、翌日からけろりと仕事をしてるような人ですから、心配をするだけ損だ」
どうも、二人の間には複雑な男心が絡み合ってるらしい。
私はそれ以上踏み込まず、話題を変えることにした。
「でも、なんで襲ってきたのは貴族関係者じゃなくて神官さんだったのかな。想定外の相手でびっくりしちゃった」
「それは本人に説明してもらうといい」
カイルは個室のドアを開けると、ぱたぱたという軽い足音と共にナナがベッドに横たわる私に飛びついた。
「ユカ様!ユカ様あ!ご無事でよかった。ごめんなさいごめんなさい。まさかこんなことになるって思わなかったんですう」
「ナナ?ナナがどうしてここに?」
「ひっく、今日お休みの日で神殿に帰ってたら、おじいさまのところに警備隊の人がきて、チャドさんが女の人を襲ったって。詳しい話を聞いて飛んできたんですう!わあああああ」
顔中涙と鼻水でびちょびちょに濡らしたナナは、私の胸で号泣した。
「おい、泣くのは後にしろ。今は話をするのがお前の仕事だ」
「ひゃい。わ、わたし朝神殿に帰ってから、おじいさまとお話をしていたんですよ。おじいさまはユカ様が城下にいらっしゃることをご存知だったので、明日お戻りなのが嬉しくてついユカさまの今日のご予定を話してたのです、ひっく。おじいさまは、すぐに私を諌められたのですが、それをちょうど部屋の前を通ったチャドさんが聞いてたみたいで、ひゃっく」
実は、神官長にも、内々に私のことは知らせてあった。
街で万が一の時に、ウィルー以外に頼れる場所といえば彼の所だったからだ。
神官長は、私だけでなくユリウスやカイルにも信が篤く、誠意ある人だ。
ナナだって悪気があったわけではなく、たまたま悪い偶然が重なっただけのことだ。
なので、ナナや神官長を咎める気は全くなかった。
だけど、私の命を奪おうとされた恐怖と不安は晴れない。
「なぜ、そのチャドさんは私を襲ったの?」
「それは…」
ナナはカイルを振り返り、カイルは頷いて応えた。
カイルに許可をもらうこと?
私が首をかしげると、ナナは言いにくそうに切り出した。
「実は、最近神官達の間でユカ様への不満を口にする人達が増えてるんです」
番外編に閑話『痛みの記憶 [37.5]』あります。




