[36] 僕と逃げないか
ウィルーが私を連れてきたのは、北門だった。
正しくは、北門の西柱の警備隊詰め所の階段を登った先だった。
「隊長、明日まで休みじゃなかったんですか?」
「妹の友人を案内してるんだ。ちょっと上行くぞ」
ニヤつく同僚に憮然な顔を見せ、私の手を引いて足早に石の階段を昇っていく。
壁の明り取りの穴からさしこむ光に助けられ、私は薄暗い石の螺旋階段をウィルーについて上っていった。
終点には木の小さい扉があり、それをくぐると門の両柱をつなぐ門扉の上にあたる屋上に出た。
3階くらいの高さで足場は狭いけれど、両脇が胸までの高さの石壁ではさまれているので落ちる心配はない。
下をのぞくと、門の周辺を行き交う通行人の頭頂が色々な方向に移動していく。
「眺めがいいだろ?城内で北の山を眺めるのはここが一番なんだ」
ウィルーの指す街壁の外を見ると、畑に牧場、河川、そして小さな街の彼方に険しく高い山々がそびえてみた。
「あれがボルモア山脈。冬になると白く染まってすごく綺麗なんだ」
「冬?この国は常に温暖な所かと思っていたわ」
昼間は半袖でも充分だし、夜は冷えるが上着1枚あればことたりる。
湿度もさほど高くなく、旱魃にならない程度に雨が降るが、北の山脈の豊かな水源のお陰で困ることはないと聞いていた。
でもさすがに、標高が高いと相応に気温が下がるのね。
私が納得していると、ウィルーが私の手を握った。
骨張った手は、仕事柄小さい傷跡やたこがあって固く温かい。
「なあ、ユウ、今度は城をみてごらん」
「通りから見ても大きかったけど、高い所から改めて見ると大きいわね」
北側なので、ここから見えるのは城の裏側にあたる。
それでも、ぎっしりと立ち並ぶ建物の上にぬきんでてそびえ立つ城は重厚で立派だった。
「木立があってそれに囲われるように白い建物があるだろ?」
「ええ」
「あれが後宮だよ」
「なるほど、あれが私が本当は既にいるべき場所なのね」
「次期王妃ってことは、いずれはあそこに入らなきゃいけないんだろ?そうすれば籠の鳥になっちまうし、王妃といってもきっとユリウスにとって後宮の大勢の女の一人になるってことだ。本当にいいのか?」
「そうね。王妃になる前にいずれは入らないといけないと言われてるわ。女の世界、きっとどろどろしてるんだろうな」
「ずいぶん他人事だな。今以上に命の危険があるってことだよ?」
「心配してくれてありがとう。この世界に来てから状況に流されてばっかりで、確かにあんな所に入りたいとも思わない。元の世界に帰る方法も絶望的だし、ユリウスの花嫁ってのも実感わかないし、王妃になりたいわけじゃないし。やだ、何言ってるんだろ。私、めちゃくちゃね」
「じゃあ、今ここで僕と逃げないか」
逃げるって私と駆け落ちするってこと?
思いがけない言葉に、思わずあんぐりと口を開けてまぬけな顔を晒してしまった。
「なんだよそれ、色気のからっきしもない顔は」
「うふふ、魅力的なお誘いだけど気持だけありがたく受け取っておくわ。ウィルーはエリルがいるでしょ。私は実は我が侭で天の邪鬼で負けず嫌いなの。今ここで逃げたくないわ」
いつのまにか両手を握られていた私は、熱を帯びた真剣な瞳にじっとみつめられていた。
彼の言葉は真剣だったと思う。
エリルはもう少女ではない年頃。
私が連れて逃げてと言えば、ウィルーは一緒に逃げてくれる気だろう。
お互いの為にならないという綺麗ごとは口に出来なかった。
不覚にも彼の言葉に心が揺れてしまったから。
だけど、居心地のよいウィルーの側という選択肢を選べなかった。
私と逃げることで、立ちはだかる困難や追っ手などの受難をウィルーに負わせることを恐れたから。
山側から吹き付ける風は涼しく、私の乱れ髪を巻き上げる。
握りしめる彼の手をほどいて髪を抑えながら、私はだいぶ傾いた陽光を跳ね返す石の城をまぶしげに目を細めてみつめた。
「この世界に送り込まれたのが神様の都合に巻き込まれたのなら、神様の手の平で踊らされるより、自分で好きに踊りたいわ。それにこれが私に与えられた試練という可能性も捨てきれないのよね。もし試練なら、安穏と花嫁になるだけじゃ神様のお眼鏡に叶わない気がしてね」
「試練、か」
「それにいくら「運命の花嫁」って乙女チックな称号をもらっても、可憐な花嫁になって夫の腕の中でぬくぬく守られて生きるのもご免だし、夫を陰で支える賢妻も趣味じゃないわ。夫婦としては対等な立場は譲れないし。あのぼんくら王子がぼやぼやしてたら王位を簒奪してやるわ」
今度、私の言葉にウィルーがあっけにとられ呆然とした。
「おいおい、簒奪って本気?」
「ええそうよ。ユリウスのことは嫌いじゃないしいい王様になってもらいたいと思ってるわ。でもただ平凡な王になるんじゃ、私がわざわざこの世界に来た意味がないでしょ? 私を納得させてくれないなら、自分でなんとかするまでよ」
「やっぱ女って怖いな」
「そこで女をひとくくりにしない!まったく。私だって自分でも自分の中の変化に驚いてるのよ?なんたって、平和な国に生まれて平和ボケした平民だもの。それが王妃にだなんて笑っちゃうわ。こっちに来てから何かしなくちゃと思ってたけど、目の前のことしか考えられなかったの。小さくてもこの世界にいる意義を見つけなきゃ耐えられない気がして。でも、城下で色々な人を見て少しづつ目標が、やりたいことが見えてきたの。私にここまで付合ってくれたウィルーに、ほんとお礼を言わなきゃね」
「僕はただ付合っただけだよ。全てユウ自身が考えて動いたことだよ。そっか、もう決めたんだね」
「ええ。駆け落ち出来なくて残念?」
「ふふっ、僕はユウが女王になったのを見たくなったよ」
「二人の秘密よ。きっと不敬罪とか反逆罪とかになるんだろうし。女王か、なかなかいい響きね。そうね女王になって酒池肉林よっ!」
「ちっさっ。さすが平民。きっと大金を掴むと使い方に困るタイプだよね」
「悪かったわね、こういう発想は貧困なのはしょうがないわよ」
私たちは心地良い風の中で笑いあった。
二人の声は風が空の彼方に運び、上を気にするものもいない。
だが、私たちは気付いていなかった。
悪意のこもった視線の存在を。
下に降りた私は、同僚と言葉を交わすウィルーを置いて一足先に詰め所を出た。
そして下から先ほどまでいた場所を見上げた。
真下の通りからだと案外高く、身を乗り出していないと上に人がいることには誰も気付かないだろう。
大通りのもう少し手前からだと丸見えに違いないけど。
私は見上げたまま、なにげなく数歩下がった。
「あの、もし。ユカ様ですよね?」
この国で私しか持っていない名前で呼びかけられ、思わず振り向くと白い装束の男が立っていた。
この国に来て最初に私を保護してくれた人々、見慣れた神官服を来た男は、にこりと私に微笑みかけた。
召還された時に神殿で会った人だったっけ。
私は最重要人物として神官長とナナ、そして3、4人の高位の神官としか会っていない。
でも、この男に見覚えはなかった。
「神官様が何かご用意ですか?」
いぶかしげに問うた私の目の前で、彼は袖口から白刃を引き出した。
「どうして、こんなことを」
「主に祝福されし者でありながら、主を崇めることを知らぬ異世界の穢女よ、その血をもって償え」
目は私を見定めようとしながらもうつろで頭がぐらぐらと揺れ、大ぶりな両刃のナイフを持つ手も震えている。
私は彼から目をそらさずあとずさる。
ここで逃げるにしても周囲に人が多すぎる。
声をあげるのを躊躇っているうちに、すぐ側を通りかかった子連れの女が、神官の手の中のものを見て悲鳴をあげた。
悲鳴は連鎖し、またたく間に周囲はパニックになった。
それが男を刺激し、彼は無表情に何かをつぶやきながら戸惑うことなく私に迫ってきた。
「いやっ!こないで!」
「おい、何してる」
頭をかばい叫ぶ私の背後で、騒動に気付いたのかウィルーの叫ぶ声がした。
逃げなきゃ、刺される前に!
考えてる間に神官はナイフを私に振り下ろした。
あわてて身をよじり後ろにかけだそうとしたが、よけきれなかったのか熱いものが肩をかする。
「あつっ」
焼けるような痛みの中、次の一歩を踏み出したはずなのに膝に力が入らず私はそのまま前に倒れ込んだ。
あわてて立ち上がろうとしたところ、痛む肩に鈍い衝撃が走り、伸ばした手が空を切って顔から地面に激突した。
男にスカートの裾を踏んで動きを封じられ、更にもう一方の足で私の肩が蹴られたのだ。
首を動かして目の端に男をとらえた時、彼が私に向かって再び刃を振り上げた所だった。
「喜ぶがいい、主の御元に送るのだから」
逃げられない!
男の妙にかん高い声を頭上に感じ、恐怖の中で身を縮めた私は次に襲う痛みに備えた。
※僕が俺になっていました。タイトルも含めて修正しました。失礼しました。




