[17] 王妃の仕事
ナナが加わったお陰で、毎晩遅くまで執務室にしばりつけられていたユリウスも少しづつ休憩がとれるようになった。
単純だけど手をとられる項目の多い計算書類が、彼女のお陰で気持よく片付いてく。
最近はカイルに、このままずっと自分の下で働くようにと冗談まじりで、真綿で締め付けるように説得されているらしい。
彼女は私の大事な侍女であり可愛い友人だもの、渡すもんですか。
ユリウス達がこれだけ仕事に追われているのは理由があった。
本当は王子のうちはもっと気楽で、王になる教育を受けた後、王という重責を継ぐまでの短い間は気楽に青春を謳歌し暮らすらしい。
それなのに2年前から、公務から手を引いて後宮の離宮に籠る王妃の仕事を、肩代わりしてるのだそう。
王の仕事は国の政にあり、国民を豊かにする教育や福祉などは王妃の公務になる。
その為公務を疎かにするような王妃の時代、国は荒れて痩せ細ってしまう。
まさに王妃は王の片腕であり、民の、国の母となる。
現王妃でユリウスの母のターニャは、思慮深く思いやりがある人で、国民の為に身を尽くしていた。
けれど産後から病気がちになり、ユリウスが10歳になった頃から公務を続けることは難しいと、担当院の院長と相談の末表舞台からは退いた。
そして現在王子達は、王妃の目を逃れて脈々と続いた不正や、現院長の代に横行する横領などを、1つづつあぶりだしては潰していた。
次の代の王妃に渡すまでになんとか片付けたかったんだけどね。
そう苦笑しながらも決意にあふれるユリウスは、立派な為政者の顔をしていた。
きっと、私が王妃になることを反対している貴族達の中にはそういった公務に関係する者達もいるんだろう。
自分の手のうちの王妃だと得になるし、関心の薄い王妃だと好き放題できるもの。
私がどんな王妃になるか、恐れているんだろうな。
ということで次期王妃の私は先の事も考え、最初はユリウスについて仕事の流れや内容を学び、次に一部を任されカイルがフォローをすることになった。
今は各院から提出された歳出に目を通し、不明だったり不審なものは詳細の資料を手配し確認する。
ナナはユカやカイルの指示で渡された資料の検算に毎日没頭している。
「ねえカイル、ここの救貧院がやたらと支出が多いの。概要を見たら職員数と支出項目と、ほら、10年前の資料と比べると1桁違うんだけど規模を広げるとか何かあった?」
「4年前に支所を数カ所増やしたという報告書があったけど、支所というとあくまで事務手続きの出張所みたいなもののはずだよ」
カイルに質問したはずなのに、奥に座るユリウスが張り切って答えた。
救貧院というのは、王妃が守り支えてきた教育や福祉を司る厚生院の中の6院のひとつで、貧しい暮らしをする人達に国が物資や金銭の援助の代わりに、炊き出しや無料の診療所や相談所、職の斡旋を行っている。
他に、養護院は養子の斡旋や浮浪児や親を失った子供を保護し、親族を探したり養子の斡旋をし、身よりのない子のための孤児院も運営する。
医療院は文字通り病院で、国内の医師の統括をしていて育成や免許の発行、薬の研究を行っている。
教育院は国内の学校の統括をしていて、全国の学校の設立や監督、教師の育成を行い、そして上位教育学校はここが直接運営している。
そして文化院は国内の文化的資産を管理し、芸術活動を保護し推進している。
この6院で、ユリウス達が特に手を焼いているのが救貧院だった。
「頭をすげかえるだけじゃなくて、膿んでる傷口を見つけないといけないんだ」
そう溜め息まじりでユカの差し出した書類に目を通したカイルは、それを持ってユリウスとひそひそと相談を始めた。
「どうして内緒話するわけ?私が聞いたらまずい?」
目の前のあからさまな男の密談に、私はむっとした顔をしてみせた。
しばらくして二人が頷き合うと、ユリウスは楽しげに私を側に呼んだ。
「ユカ、城下に行ってみないか」
「街に出歩いてもいいの?」
「もちろんお忍びでだけどね。一度ユカの目で、民や街の様子に実際に行政が行われている様子を見て意見を聞かせて欲しい。元の世界では平民だったのだからいい比較が出来るだろう。もちろん護衛はつけさせてもらうよ」
以前から、せっかく異世界に来たのだから一度は街を歩きたいと思っていた願いが、いきなり叶うことになった。
食べ歩きをしてみたかったんだよね。
あと、色々お店も色々のぞいてみたいし。
人々がどんな生活を送っているのかとても興味があった。
それに、歴史の授業で習った英勇王イルフリークの像も見たいし、3代前の王によって作られた大庭園も見てみたい。
観光気分で浮かれていると、カイルに『レポートを提出してもらいますからね』と釘を刺された。
社会科見学じゃあるまいし、ってやっぱり仕事の一貫だものねと気を引き締め直す。
でも、この2人こそ平民ライフを実体験すべきなんじゃないかと尋ねると、貴族と王子育ちなので知ってもそれが実際どうなのか判断できないんだとか。
それじゃあ、忌憚のない異世界の平民の意見を、王子様とお貴族様に聞かせてさしあげなければ。
先ほどの件はカイルが処理をするというので、私はさっそくプランをたてはじめた。
期間は7日間。平民らしい平均的な部屋を借りてくれるらしい。
レポートの課題は3つ、『平民の生活水準を実体験すること』『6院の実態を平民目線で調査すること』『この国の為に必要なものを考える』が出された。
とほほ、学生の頃から課題って好きじゃなかったのに。
それに一般人だと思ってる私に「平民」て言われてもいまいちピンとこない。
昔は階級が細かく別れてたそうだけど、今は平民、貴族、王族の3つだけなんだとか。
それだけでも日本育ちの私にはどこか他所の世界のような全くの他人事な気がしちゃって。
そんなわけで、城下の名物や美味しいお店リストも混ぜ込んだ、次期王妃平民生活お忍び視察プランを練るのだった。
「これは……張り切りましたね」
3日後、私が調べに調べ、練りに練った10枚に渡る行動計画を二人に見せた。
「さすが平民目線だ、俺たちには全く思いつかないことばっかりだ」
「ええ、平民にしか分からないポイントばかりで、しかも細部まで気を配っている。実際にここまでデータがとれたら期待以上だな」
だから、二人して平民連呼しないでってば。
「この設定で身分証を作ってもらってもいいかな」
「ああ、もちろんだ。それにしてもユカ様は本当に平民だったのか?実は間者の経験があるとか」
「間者?ああ、忍者やスパイみたいなものかな。ないわよ、だから平民じゃなくて一般人、普通の市民だったんだってば。娯楽本の物語でよく登場する手なの」
「カイル、これでユカに危険はないのか?」
「城下に出る際の『替え玉作戦』で次期王妃を狙う貴族達の目は欺けると思う。ただ問題は実際に街に出た時の危険と、いつもの護衛を動かせないということだが…」
「本当はあの3人にお願い出来たら心強いんだけど、絶対彼らに監視がついてると思うのよね。弱点を掴んで抱き込もうとか調べてそうじゃない?だからいつも通りのシフトでいてもらわないと」
「では、私のほうから腕利きを用意しますよ。ちょっと癖のある奴だが信用してもらっていい」
「カイル、あいつか?やだな、別がいい」
ユリウスが妙に嫌そうな顔をしている。
「街の中で確実にユカ様を守れるのはあいつしかいないだろう」
アイツって誰?と尋ねる私に、ユリウスは『腕は確かだけど嫌な奴』と全然具体的でない説明をしてくれた。
カイルは苦笑しながら、信用できるから大丈夫ですよと言ってくれたので気にしないでおこう。
社会科見学改め、ザ・スパイ大作戦なノリになりテンションがあがった私は、渋々ゴーサインを出してくれたユリウスに、つい抱きついてしまった。
その日最後まで、煩悩でいっぱいになったユリウスは使い物にならず、カイルに一週間休憩無しを宣告されたらしい。




