[13] 初めてのキス
「俺が選んだのは、この俺の盛装と揃いの黒いドレスだ。メラニー伯爵夫人に協力してもらって、森の女王をイメージして仕立てるよう注文した」
「え?黒?」
私たちは顔を見合わせた。
「じゃあこれは、ユリウスが贈ってくれたドレスじゃないの?」
「俺の贈ったドレスが気に入らなかったんじゃないのか?」
私たちは思わず声をあげて笑い合った。
その様子に周囲は足を止めたり、ステップを踏み間違える人達が続出した。
そうか、最初にユリウスが夫人と交わした会話はこのことだったのか。
踊りの途中だったが笑いの止まらない私たちは戦線離脱し、人気のない先ほどのテラスへと移動した。
王子の指示で、扉のところには警護の兵が立ち、窓辺にもさりげなく人を寄せ付けないようにしている。
「箱から出してまさかと着てみたけど、あまりに似合わな過ぎてここまで直すのは大変だったのよ」
「お針子はよっぽど腕が良いのだな。そんな色はユカには似合わないと思っていたけど、よく似合ってる」
「そうね、ありがとう。ユリウスの中の私のイメージがどうなってるのか心臓に悪かったわ。でも、結局どうしてこうなったのかしら」
「俺が甘かったんだ。きっと、誰か依頼した仕立て屋に圧力をかけたか、ユカのもとに届く前に入れ替えさせたのだろう」
「なるほどね。王子様に贈られた似合わないドレスを着た私を笑い者にするか、贈ったものと違うドレスを着たことで王子の不興を買わせようとするのが狙いかな」
「多分な。だが惜しいな、あのドレスを着た姿を楽しみにしていたのに」
「私もユリウスが選んだドレスを見てみたかったわ」
私はユリウスに手を引かれるままに、先ほど無理矢理連れて行かれようとした庭に向かって階段を降りた。
建物から漏れる灯りで照らされた煉瓦敷きの小径を、月の下で咲く花々を眺めながら二人でゆっくりと進む。
「嫌な思いをさせてしまったな」
「あんなこと、たいしたことじゃないわ」
「強いのだな。それに俺のことで怒ってくれた。嬉しかったけど正直怖かった」
「あれは、だって悔しかったんだもの。ユリウスのことを知らなくせにあんなことを言わせておけなかったの」
「俺とユカだって、出会ってまだ間がないぞ」
「そうだけど、知ったことも色々あるわよ」
「どんな?」
「そうね。普段は立派に王子様だけど、カイルといると男の子になるのよね。お茶は砂糖抜きだけど甘いお菓子は好き。だけど杏はあまり得意じゃない。木の実の入ったのが好きでしょ。あと実はメラニー伯爵夫人がちょっと苦手」
「よく見てるな。夫人の事は嫌いじゃないぞ。ただ、子どもの頃にカイルとふざけすぎてしまって彼女にものすごく叱られたんだ。あれは怖かった」
「彼女の逆鱗に触れるって、相当なことをやったのね」
「……居眠りしていた伯爵のヒゲを…ハサミで切り落としたんだ」
私は、夫人と同じようにやさしく温かそうな伯爵の口元にたくわえられたカイゼル髭を思い出した。
「あれを切っちゃったの?あはははは、それは、それは怒られるわよ」
「笑うなっ、俺も子どもだったのだ」
笑いのなかなかとまらない私に、ユリウスはむっとした表情をみせる。
「そう、私が知ってることまだあったわ。すねるとほら、鼻がちょっとふくらむの」
「うっ、嘘だっ」
楓のような樹木の、昼間であれば日差しを和らげる木陰を作りそうな太い幹の前で立ち止まると、私の手を離したユリウスは鼻の脇を揉んでいる。
「あとは、そんな風に素直なところ。それから、私を守ってくれたし、案外やさしい?」
ふと私は我に返って赤面した。
私ったら、何を恥ずかしいことを言ってるの。
ユリウスのことを好きかどうかは自覚もないし、これからそうなるかも分からない。
でも立場上、王妃にならなければならないなら努力はしていこうと思った。
だからこうして、今日というステージもなんとか乗り越えられた、と思う。
だけど今の流れは性急すぎる。
煽っちゃいけないのに…。
見れば、ユリウスは感激した様子で瞳を潤ませて私を見ている。
暗がりでいつもより濃い青色の瞳に、木立の間に配置されたランプの光が反射し煌めいていた。
うわっ、これ、これがヤバいのよ。
この瞳で見つめられるとつい母性本能が刺激されて、つい頭を撫でたり抱きしめたくなってしまう。
私は必死で誘惑に耐えていた。
なのに、なのによ。
とりあえずこの空気を流して、再び歩きだそうとした私は強引に引き寄せられ抱きしめられた。
「ユリウス?」
「ユカ……」
名前を呼ばれると、いつもと違って胸がどきりと跳ね上がる。
「どうしたの」
「俺は今日まで何を見てたんだろう。俺ももっとユカのことを知りたい」
「私ももっと知りたいわ。だからもっと一緒に過ごしましょうね。お茶だけでなくてどこかに行ったりとかす…んむっ」
いきなり私の口がユリウスの唇で塞がれた。
「んんっ」
軽く抵抗してみるが、がっちりと抱き抱えられていて身動きがとれない。
「ユリウス、どうし…」
一度はなんとか顔を離したものの、吸い込まれるような彼の瞳についまた唇を許してしまった。
ユリウスの唇が、私の唇をむさぼる。
その熱く柔らかい唇の感触が心地よくて、私はつい彼に身を委ねた。
下唇を強く吸われる度に、直結したように頭が熱くなる。
唇が押し付舌が遠慮がちに私の唇を舐めた。
その感触に私は身体を震わせた。
すると今度は少し大胆になった舌が私の上唇をなぶる。
私はたまらず彼の背にまわした指に力を込めた。
そして私も彼の唇に舌を這わせ、誘いをかける。
まるで犬がしっぽを降ってじゃれついてくるように私の口内に侵入したそれを私はやさしく受け入れた。
時がとまったかのように、二人は唇を求め合った。
決してキスが上手なわけではないが、その情熱が私の頭をしびれさせる。
自然とお互いの背中にまわした手が相手の身体を求めた。
でも、これ以上は、駄目、よね。
私は両手で彼の顔を挟みこむと、そっと引きはがした。
「はいおしまい」
「ええええっ」
若干ひっくりがえり気味な抗議の声をあげるユリウスの頭をわしわしと撫でて、私はにっこり笑った。
「ゆっくり、知り合わないとね」
「これも知り合うことじゃないのか?」
「そうね。だから、ゆ・っ・く・り」
彼との初めてのキスは、私の中の何かに火をつけるようなキスだった。
ただの恋愛なら私も遠慮はしないけど、だけどここで火を大きくするのは間違いな気がした。
色々な問題に立ち向かう為にも、今は同志でいたほうがいい。
恋愛に浮かれると、この王子様は怪我をしちゃいそうだから。
口紅、とれちゃったな。
隠し持ってた白いハンカチで熱をもった唇のまわりを押さえてはみだしてないのを確認すると、ユリウスの唇についた紅をぬぐってやる。
そして結い上げた端のほつれかけた髪をなでつけると、私はユリウスに手を差し出した。
「さ、戻りましょう」
彼はまだ熱っぽい瞳で私を見つめていたが、渋々その手をとると、煌々と明るく人々がざわめく世界へと足を踏み出した。
番外編に閑話『余韻 [13.5]』あります。




