[1] 地下鉄から異世界へ
今、私の目の前には金髪碧眼の王子様がいます。
いや、言葉の綾じゃなくって。
目の前にいる若い青年は、映画で見る中世の襟や袖がヒラヒラしたシャツに目と同じ色の、テカテカした織で仕立てられた高価そうな上着なんか着てる。
コスプレで使われるような原色の化学繊維で作られた衣装とは違う、少しくすんだ落ち着いた色目なのもあって、やけにリアルな王子様っぽい雰囲気を醸し出してる。
現代日本人にとっては見慣れない派手格好に吹き出しそうになったけど、中身はモデルばりの美形。
思わず二度見してしまった。
「いやー眼福!ええもん見たわ」と、ついエセ関西弁になってしまうほど衝撃的だった。
ところでこれって夢よね、と頬をつねって見ると痛い。
座り込んでるお尻の下の石畳が冷たい。
春用スーツにストッキングじゃ、冷えだけでなく床の固さまでよくわかる。
まだ一週間も真ん中の水曜日。
小さいコンサルタント会社の社長秘書の仕事をしている私は、秘書の朝は早く、終わりは遅く、休日出勤も多々ある。
だからストレスを溜め込まないためにも、行ける時は多少無理をしてもジムに寄るのが習慣で、いつものように残業した後かろうじて1時間ほどジムで身体を動かしてから帰宅の途についていた。
就職するまで「重役出勤、社長出勤」という言葉があるように、社長は昼近くにのんびりと出勤するものだと思っていた。
だけど、うちの社長だけかもしれないけど、とにかく夜が遅く、朝も早い。
始業は9時。
だけど一般社員がまだ誰も来ていない8時前には社長室の椅子に座り、前の日に私が机に置いておいた日報や伝言、書類などに目を通している。
私も立場上、暢気に始業前に滑り込みなんて出来ない。
一時は社長より早く出勤しなければと、少しづつ時間を早めても、いつも既に社長がいる。
意地になって始発に乗って6時前に着くと、さすがにオフィスの入るビルの入り口が閉まっていて、7時過ぎに新聞を片手にやってきた社長に「平岡くん、非常時以外は出社は8時以降にしなさい」と呆れられてしまった。
そんな理由で、8時ジャストに出勤するのが私の日課。
兄弟には仕事中毒と言われるけど、この充実した生活が楽しく満足なんだからいいじゃない。
少しでも睡眠時間を確保するためには、時間にお金を無駄にしないよう、なんとか最終電車に乗って帰らなくては。
ワインが入って少し高揚し、弾む足取りで赤坂見附駅に駆け込むと、なんとか間に合った、丸ノ内線荻窪行きの23:51分発。
5月も半ば。雨上がりなのもあって、ぎゅうぎゅうに混み合った最終の地下鉄の車内は蒸し暑く、酒臭い隣のおやじがべっちょり汗ばんでた。
それで少し離れようと、不安定な格好になったのがいけなかった。
突然列車が大きく揺れて、掴まる所がなくそのまま倒れ込んで……
スローモーションで、中吊り広告の「不倫」という文字が見えたかと思うとそれが小さくなり、木立のように乱立する男女の沢山の足が見えたのは覚えてる。
そこで気絶しちゃった?
今私がいるのは、遺跡の地下室のような、カビた匂いのする場所だった。
気絶してる間に変なところに連れ込まれたのかな。
「ねえ、ここどこです?どうみても病院じゃないよね。都市伝説にある、地下鉄のもっと下にある秘密の地下道とか地下室の類?」
口調は軽く、だけど顔は警戒心を露にして問いかける私を無視し、私を覗き込んでいた王子風な青年がこっちを指しながら、丈の長い白い衣装を着たおじいちゃんに詰め寄ってる。
おじいちゃんは、先に環と十字架を組み合わせたようなものがついた杖を持っていて、ファンタジー小説やゲームに出て来る神官みたい。
神官?
ファンタジー?
まさかね……
神官っぽいおじいちゃんは、王子をなだめると私の前で倒れ込むように土下座をした。
「異界の姫よ、よくおいでくださりました」
寝なおそう。
「おい女、寝るな!」
「わ、口悪いわね。なんだ、やっぱり残念王子様か」
「なんだと?」
「おっと、つい口に出しちゃった。えっと、ハロー?」
相手がどこの国の人か分からないけど、とりあえず英語で声をかけるのは日本人のお約束。
というかこの人達日本語喋ってるよね。
「姫様、戸惑われているのは重々承知しております。このような形でこの世界にお呼びしたことは、きっとお許しいただけないと覚悟しております。我らもせいいっぱい姫様い幸せになって頂くよう努力して参りますので…」
「すみません、状況さっぱり分からないんですけど。それにさすがに私、姫って呼ばれる歳でもキャラでもないですよ」
25歳にもなって姫と呼ばれて喜ばれるなんて恥ずかしい。
というか実際にいたら痛い。
私の前で、米つきバッタのように平身低頭するおじいちゃんが顔をあげた。
もともと色白で髪も髭も白いおじいちゃん、眉を寄せたつもりがふさふさ眉毛に目が隠れていて、あまり表情の変化が分からない。
「つかぬことをお伺いしますが、姫はおいくつでいらっしゃいますか?」
「知らない人に答えたくないです」
「答えろよっ」
「17歳です」
「嘘つけっ」
王子風が、こめかみに青筋をたてて私に怒鳴る。
さっきから何をそんなにカリカリしてるのか。
「さっきからやたらつっかかってくるけど、それが初対面の人に対する態度? もう絶対教えない」
「姫は混乱していらっしゃるのです。どうぞ、どうぞいましばらくご辛抱ください」
側に立つ王子風を睨むと、おじいちゃんがあわてて彼にフォローを入れ、再び私に向かうとまた頭を下げた。
「誠に申し上げ憎いのですが、あなた様は我々の崇める神の力で異界よりこの国に召喚されたのです。ここはあなた様のお国ではございません」
異世界? 召喚? それって子ども向けの漫画や小説でよくあるやつ、だよね?
昔、そういう本好きだったな。
なんだっけ、今は大人にも人気があって、異世界なんとかってジャンルなんだって弟が言ってたような。
「じゃあ、ここはどこなんですか?日本でもアジアでも地球でも太陽系でもないってこと?」
「ニホン、というのが姫様のお国でいらっしゃいますか? ここはヘブリディー諸国連邦の主国、アイオナ国です」
「でも、ならどうして日本語喋ってるんですか?」
「それは召喚に際し、神があなたに与えられた御技の一つだと思われます。我々には、あなたが我が国の言葉を発しているように聞こえます」
「それは……すごい、ですね。それってこちらの宗教を信じてなくても恩恵があるってことでいいのですか?」
「……これから神について学んで頂ければ、自然と信じる心も生まれるはずです」
どうも、そこはつっこんではいけないところだったらしい。
私をドッキリにひっかけているのか、神様うんぬんは置いておいて、ともかく不思議な現象が私をここに連れてきたってのとどっちが真実味があるだろうか。
私は異世界か、パラレルワールドか、タイムスリップか、そういう不思議現象より、こんな全然笑えない状況でもドッキリであることを祈った。
早く帰って寝たいのに、それよりも明日の仕事に間に合うように帰れるの?
とにかく、この人達は私に危害を加える雰囲気でもないのでそこは安心できそう。
でも、「姫」と呼ばれていることから絶対面倒なことに巻き込まれているのは間違いない。
ここで下手に騒ぎを起こすよりも、大人しくしておいて現状把握の為にも話を進めないと。
「まだまだ色々とお話しすることもありますし、質問もおありでしょう。ここは暗く寒くてお体によくありません。用意している部屋にどうぞ」
おじいちゃんは、私の手を取ると立ち上がらせた。
その時になって、ようやく肩に鞄がかかっていたことに気付いた。
このことだけでも、少しほっとし鞄を抱きしめた。
改稿しました(7/15)
※長編の為、作品の最後に登場人物紹介を章ごとにまとめ載せています。続きから読む時の参考にどうぞ。