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貴方に逢いたい

 木の上からトカミエルを見つめていたアニスは、頭上の花冠を触りつつ恨めしそうに時折背中の羽根を見る。

 初めて、疎ましく思った。

 羽根を動かしながら、瞳を伏せる。多くの人間を見てきたが、誰の背にも羽根はない。これは自分特有のものだと知り、打ちのめされた。


「私は、人間じゃない」


 しかし、気落ちするほどの事ではないのかもしれないと前向きに考える。

 トリアはこの羽根を見ているが、贈り物を届けてくれる。人間と違っていても接してくれるので、勇気が持てた。


「楽しそう、いいな」


 水遊びをしている人間を羨ましそうに見つ続け、何度も混ぜてもらおうと身を乗り出した。けれども、踏み止まる。仲間に入れてもらえるか分からなくて、どうしても躊躇する。

 太陽が半分ほど山に沈むと、人間は早々に川遊びをやめて帰っていった。


「今日も、声をかけられなかった」


 木から滑り降り川に足を踏み入れたアニスは、そのジンとくる冷たさにむず痒い思いを抱く。

 パシャン。

 足を動かすと、滴が跳ね上がる。人間が帰ると、こうして残像を追うように同じ場所に立って真似事をする。

 隠れていた小鹿が、顔を出し近寄ってきた。


「おいで、一緒に遊ぼう」


 森の住人には声をかけられるのに、何故。アニスは苦笑し、唇をきつく結んだ。

 彼らの背や頭を撫でながら水が流れる音に耳を澄ませ、風光明媚なその地で決意をした。凛々しいとさえ思わせるその横顔が、不意に緩む。

 瞳が、一点に集中する。陽が落ちる瞬間の輝きが、川の中で更に眩い光を放っている事に気がついた。

 近寄って見てみれば、水底に何かがある。首を傾げ水中に手を入れると、それを拾い上げた。


「これ……」


 銀色に輝く丸いもの。

 いつも見つめていたから分かる、それはある日を境にトカミエルの指にはまっていたものだ。

 先程抜け落ちてしまったのだろう。


「大変、きっと探している」


 興奮気味に呟き、掌で握り締めた。

 この指輪をトカミエルに返さねばならない。つまり、逢う口実が出来た。

 

 ……何処かに置いておく? ううん、見つけてもらえないかもしれない。だから。


 直接、渡せばよい。

 川からゆっくりと上がると、手の中の指輪に目を落とす。小さいのにずっしりとして重い気がした。自分とトカミエルを繋ぐ大事なものだ、冷たい金属の感触を懸命に掌に残す。


「アニス? どうかしたの?」


 小鹿に話しかけられ、アニスは慌てて指輪を硬く握りしめる。


「な、何でもない」


 ぎこちなく笑って、嘘をついた。

 後ろめたい気持ちが湧き上がる。人間指輪を返したい、などと言ったら反対されることが分かっていた。だから、隠してしまった。

 嘘が、こんなにも罪悪感に苛まれるものだなんて知らなかった。

 しかし、心が苛烈な風に吹きさらしになったとしても。


 ……嘘をつく価値はあると思いました。トカミエルに会えるから。


 アニスは、桜桃色の唇をそう動かした。

 雲が薔薇色になって空を染める。太陽の方角から椋鳥が飛んできて、肩に止まった。


「アニスー、老樹様のとこへ行こうよーっ」


 早く飛び立つよう促す椋鳥に、申し訳なさそうに眉を寄せたアニスは首を横に振る。

 掌の中の小さな指輪を、無意識でぎゅっと握り締めた。それがあるだけで、勇気が貰える気がする。

 この言葉で何かが変わってしまうことは解っている。けれども、どうしても言いたい。

 深く息を吸い込んで、一言。


「もう、私……飛ばないの」

「え? 何で? 羽根が痛いの?」


 心配そうに近寄ってきた小鹿を撫でながら「違うよ」と慰めるように笑った。

 椋鳥が騒ぐので、周辺に居た動物たちが気になって集まってくる。

 自分にはこんなにも温かな友達がいるというのに、今から自分の手で壊してしまうかもしれない。アニスは言葉にすることを躊躇した。

 葛藤が続く、けれども手の中の指輪は重みを増していくばかりだった。自分が選びたい道は、決まっている。

 再度息を吸い込むと、勇気を振り絞って口を開く。


「ねぇ、羽根って抜けないかな?」

「えぇ!? 何言ってるのアニス」

「引っ張ってくれないかな? これ、取れたりしない?」

「アニス……」


 予想通り静まり返った動物たちに後退り、俯く。

 見えない亀裂が走った。

 誰もが、アニスを痛々しい瞳で見つめる。視線が合うと、気まずそうに逸らす。

 アニスは、自分で羽根を引っ張った。

 取れないし、痛い。そんなことは、解っている。


「あのさ、アニス……」


 渋りながら、苦虫を潰したような顔で椋鳥が声をかける。

 言いかけた言葉を被せ、アニスは決意を露わにした。


「私、これからは羽根を使わないと決めました。人間は羽根がないから飛べないでしょ? だから、私も飛ばない。そもそも、飛ばなくても生きていける」


 先程決意したことだった。

 人間に近づく為に、努力をする。羽根があっても、飛ばなかったら仲間に入れてもらえるかもしれないと思った。

 それを聞いた途端、椋鳥は産まれて初めてアニスに罵声を浴びせた。憤怒し、大声で喚き散らす。まるで仲間じゃないと突き放されたようで、悲しみが憎しみへ変わった。


「酷いや! 長い間一緒だった僕らより、アニスは人間を選ぶんだ。裏切者っ! もういいよ、知らないっ」


 感情を剥き出しにして、そのまま飛び去る。

 

「姿形が似ているから仲間に入れてもらえる? 似ていなくても仲間にはなれる、この安寧とした森への侮辱だ。興醒めだよ、アニス」


 自分たちのアニスへの思いが全く伝わっていない事に腹を立て、悔しくて情けなくて寂しくて。椋鳥は夕焼けの空を一陣の風の様に舞った。もうすぐ主役が交代し、月が姿を現す。休める夜は好きだったが、今日は来ないで欲しいと思った。

 暗がりは、心に闇を落とす。せめて、明るい場所にいて柔らかく包まれたい。


「ぁ……」


 小鹿は何も言わずに立ち去った。暗く陰が落ちた森へ、吸い込まれるように身を顰める。

 一人、アニスはその場に取り残された。

 ぽつん。 

 ブナの森で遊んでいる風も今日は近くに来てくれない。

 足元で踊る魚たちもいない。

 見上げても木々は葉を揺らさず、声が聞こえない。


「ぁあ……」


 自業自得だと落胆し鳴きそうになって笑うと、項垂れる。しかし、本音を伝えたかった。気持ちに嘘はつけない。


「ごめんなさい。みんなのことは、大好きだよ。それは、変わっていないよ。でもね、私は」


 罪悪感で一杯だ、けれども勝るものがある。 


「トカミエルに逢いたい」


 陽が落ちて、辺りを闇が覆い尽くす。

 その中を一人歩き、森を抜け花畑へ向かった。急に現われた雲によって空は覆いつくされ、月が姿を見せない。

 暗い森の中は、慣れているはずなのに足元が竦んだ。まるで違う場所にいるようで、このまま見知らぬ土地へ連れて行かれそうだった。

 今日に限って、森の動物たちに会えない。椋鳥がみんなに話し回ったのだろうか、立腹しているから来てくれないのだろうか。


「飽きられてしまったのかも」


 動物とは、このまま袂別してしまうのか。それは自分が選択した道であり、受け入れる覚悟もしたつもりだった。

 泣きそうになったが、零れそうな涙を堪える。自業自得だ。


「あれは」


 花畑に辿り着くと、見慣れない花が置いてある。トリアが来ていたのだろう、森にはない品種の花を大事に胸で抱え込んだ。


「優しい人……」


 凍っていた心が、溶けていく。疲れ果て、アニスはそのまま木の下で縮こまると瞳を閉じた。

 自分は間違った選択をしたのかもしれない。だが、後戻りは出来ないのだから精一杯やりたいことをやってみようと前向きに考える。


「明日、なんて言おう」


 小さく唇を動かし、予行練習を始めた。


「これ、トカミエルの物ですよね。落ちていましたよ」


 掠れた声を出す、想像したら頬が熱くなった。


「川で見つけました。大事な物ですよね」


 これは伝えなければと納得し、頷いた。


「綺麗ですよね、とても似合っています」


 これも伝えたい、憶えておかねばと心に留める。


「あの、い、一緒に……遊んでもらえませんか?」


 眠りにつく瞬間まで、失敗しないように幾度も予行練習をする。

 彼を目の前にしたら、恥ずかしくて言葉が出てこないかもしれない。それでも、指輪だけは返さねばと握り締める。

 トカミエルに逢いたい、その一心で。


「トカミエルに、逢いたいの」


 掌をそっと開くと、鈍く光る銀の指輪がある。安堵し、そっと口付けた。

 

「トカミエルを見ていたいの、見続けたいの」


 手に届かないものに漠然と憧れるような想い。名前を呼んだだけで、気がどうにかなってしまいそうなほどに焦がれていた。


「私の名前を呼んでください。そして、出来れば一緒に遊んでください。もしよかったら、隣にいさせてください」

 

 願いを思い描き、指輪に願をかける。


「どうか、人間ではない私を嫌わないでください」


 震える身体に叱咤し、言葉を続ける。


「私、トカミエルの事がとても」


 瞳を煌めかせ、一呼吸おいてから唇を動かす。


「好きです」

挿絵(By みてみん)

 熱い想いを口にし胸を撫で下ろすと、静かな寝息を立てて眠りへと誘われていった。

 月が出ない暗闇の中、指輪を握り締め花冠を頭上に飾ったまま眠る。


 キィィィ、カトン。


 何か、不思議な音が森に響いた。

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