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贈り物

 ビクゥと大きく身体を震わせ、アニスはおずおずとトリアを見た。

 二人の視線が絡み合う。

挿絵(By みてみん)

 大きな瞳に戸惑いと恐怖が見え隠れしている。引き寄せて抱き締めたくなるような、華奢な身体と愛らしい仕草にトリアの脳が揺さぶられた。


「あ……」


 何か言おうとしたが、トリアの口内は乾ききって声が出ない。言葉を失う、それを初めて体感した。ここまで美しい娘を見たのは初めで、今まで目にしてきた異性が急激に色褪せていく。

 アニスは礼儀正しくお辞儀をすると身を翻し、微動出来ないトリアを置いて森の奥へと消えていった。


「ま、待って!」


 トリアは後を追おうとしたが、足が動かなかった。思わぬ事態に吃驚し、身体の機能が狂ってしまったのか。


「……見つけた。ようやく、逢えた」


 トリアは漠然と呟き、最後にこう付け加えた。


「君を、()()()()護らなければ」


 小さくも、揺ぎ無い決意に取れるような明確な口調だった。

 遠くでクレシダが嘶く。そろそろ日が暮れる、帰らねばならない。

 トリアは後ろ髪を引かれる思いで、何度も森の奥に目をやった。森はまるで自分の侵入を拒むかのように闇で覆われ、背筋が凍る。彼女を追いたいのに、ままならない。こちらへ来るなという警告にも見え、歓迎されていない空気を肌で感じた。

 今は引き返すことにした。いずれは、そこを通らせてもらうと拳を握り締め。


「また、来るから」


 軽やかにクレシダに飛び乗り、トリアは去っていった。


「あの人のこと……私、知ってる?」


 暗闇の奥から、アニスが顔を出す。こちらを気にする素振りを見せながら小さくなっていくトリアの背を、もどかしい思いで見つめていた。

 先程、瞳が交差した瞬間に心が爆ぜた気がする。以前、自分の近くにいてくれたような気がして、倉皇(そうこう)と口元を押さえた。


()()()……?」


 形の良い唇から、そんな言葉が漏れた。

 唐突に具合が悪くなり、低く呻いて蹲る。ギュウ、と腕をきつく掴み、激しく脈打つ動悸から逃れようとする。

 あの長い髪は、触ると滑らかで指通りがよい。あの氷のような、それでいて温かみのある瞳は鋭利だが優しい。穏やかに微笑み見つめてくれる、その表情が大好きだった。逞しい腕で持ち上げられ、クルクルとまわしてもらうのが好きなのは大きくなっても変わらなかった。


「え……?」


 アニスは動揺し、地面に膝をついて叫ぶ。


「知っている!」


 確実に、彼を知っている。いや、()()()いる。

 居たたまれなくて森から駆け出し、人間の街を見渡せる位置まで全力で飛んだ。


「もしかして。もしかして、私、ここへ来る前!」


 街の明かりが見える。夜だというのに煌々としているその場所は、今まで無縁だったものだ。あれは、“火”というもの。


「人間、だったの? それで彼を知っているの? どうして、どうして私あの人のこと『お兄様』って呼んだの!?」


 悲鳴にも似た声で叫ぶと、力なく地面に座り込んだ。自分の両腕を抱き、力を込める。


「行ってみたい。あそこに、行ってみたい! そうしたら、……彼に逢える」


 震える声で、本心を吐露した。


 花畑に、しとしとと雨が降る。

 地面に染み込む恵みの雨は森中に降り注ぎ潤いを与え、土の香りを立ち上らせる。

 動物たちは、じっと雨宿りをしながら耳を済ませゆるりと過ごしていた。

 数日前、人間たちが花畑で勝手気ままに遊んでいた騒がしさが嘘のようだ。本日は静寂を保っており、どこか物悲しささえ漂う。

 彼らが遊び作った花輪がそこかしこに捨てられ、朽ちつつあった。花は枯れる、それは必然だ。

 しかし、アニスの頭上で燦然と輝くトカミエルが作った花冠は、作り立てのままだった。花と葉は瑞々しく艶やかで、()()()()()


「今日は雨だから、誰も来ない……。だから、トカミエルにも逢えない……」


 アニスは、雨の日は人間が来ない事を覚えた。土のぬかるみに足をとられ、衣服を汚してまで森には侵入しない。そこは動物たちと同じで、恨めしく空を見上げているのだろうと思った。

 雨は大地に恩恵を与える必要なものだが、時に妨害にもなる。


「トカミエルに、逢いたいな」


 大樹の下で雨宿りをしながら、僅かな期待を抱いて人間が来るのを待つ。しかし、やはり誰も来ない。アニスは落胆し、唇を尖らせた。

 何故トカミエルを待つのか解らない、ただ、見ていたいと思う。彼の無邪気な笑顔を見ているだけで、心が安らぐ。幸せな気分になると身体が綿毛のようで、軽く浮き飛ばされそうなほどに軽い。


「あい、たい……」


 大樹を出て、花畑で空を見上げる。慰めるように降り注ぐ雨に身を委ね、暫しその場で佇む。


 トリアはクレシダを連れ、街を歩き回っていた。

 雨のため人通りは少ないが、それでも住人たちから「昨日は誕生日おめでとう」と幾度も声をかけられた。その度に会釈し、愛想笑いを浮かべる。流石に祝事をくれる人を無下に出来ない。

 軽く欠伸をし、瞳を擦った。

 会を途中で抜け出したことを、両親に夜中まで叱られていたため眠い。しかし、その最中もトリアは上の空だった。

 両親から、トカミエルと揃いの銀の指輪を貰った。見事な銀細工で、高級なものだと一目で分かった。それでも、心は動かない。

 トリアは礼を一言だけ告げ、歓喜の表情すら見せず自室に籠もってしまった。

 息子の不審な様子に、両親は不安がって首を傾げた。トカミエルと違い、反抗的な態度を見せない穏やかなトリアの身を心配する。今までの彼には有り得ない事だった。大勢に囲まれることを嫌う性格だとは把握していたが、今までは嫌嫌ながらも親の顔をたて出席していたというのに。

 それを放棄し、今年は何処へ行っていたのだろう。部屋に引きこもっていたわけではない、夜になって馬のクレシダとともに帰宅した姿を見ている。


「どうしたんだ、トリアは? トカミエル、何か知っているか?」

「知らなーい」


 銀の指輪は特注品で、この世に二つだけのもの。トカミエルは大層喜び、今も眺めている。


「どうしたのかしら、あの子に限って……。心配ねぇ」

「うーん、恋かな?」

「まさか!」


 両親がそう話しているのを、双子の兄は無関心で聞いていた。


 両親からの贈り物は、大事にしたいと思っている。しかし、トリアの心は森に置いてきてしまった。雨だというのに街を彷徨っているのは、購入したい物があるからだ。


「よぉ、トリア! 誕生日だったんだよな、おめでとう。おじさんからコイツをプレゼントだ」

「ん? ありがとう」


 小さな露店の前で声をかけられ、何かが飛んできた。反射的にそれを受け取ると、繊細な刺繍が施されている布だ。布の色合いも落ち着いているし、肌触りが良い高級品に思える。


「トリアは、額に何時も布を巻いてるからな。変わった模様だろ、異国から取り寄せた」


 彼の気遣いに、トリアは口元を綻ばせた。


「ありがとう、大事に使わせていただくよ」

「へへ、そりゃぁ嬉しいね」

「ところで。……女の子が喜びそうな物、売ってないか?」

「へ?」


 神妙な顔つきをしたトリアがそう訊いてきたので、店主は目を大きく開いた。想定外で、喉から出て来た声は裏返っている。


「女の子ぉ!? トリアが!? こりゃ一大事だな、街に嵐が起こるぞ! 相手は誰だ!? トリアを狙うお嬢さん方は多いからなぁ、流血沙汰にならなきゃいいが」

「御託はいいから、何か見せてくれ」


 微かに苛立ちの意味合いを含め、トリアは眉を顰める。


「へへ、悪いなぁ」


 頭を掻きながら店主は屈み、足元の木箱を持ち上げた。


「ほれ、髪飾りに首飾り。どうだ?」


 簡易な蓋を開けると、煌びやかな装飾品が所狭しと並んでいた。大した金額ではないのだろう、作りは粗悪に見える。しかし、見た目は愛らしいので年頃の娘が手軽に買えそうな品々だ。

 意外だった、この粗野な店主の店にこのような物があるとは。トリアは知らず笑みを零すと、箱の中を指差す。


「これを、一つ」


 淡水色の石が涙型に加工してある代物で、透き通った色合いをしている。小ぶりだが美しく、花に落ちた雫に似ていた。


「まいどあり! 在庫処分でお代はいらねぇや」

「そういうわけにはいかない、これで足りるか?」


 トリアは懐から硬貨を数枚取り出し、木箱に入れた。店主は苦笑し、肩を竦める。


「律儀な奴め。トカミエルなら大喜びで貰うだろうに」

「贈り物は、自分の金で買う」


 唇を尖らせ、トリアはクレシダと去っていった。

 後姿を見送りながら、店主は大きく腕組みし神妙な顔つきになる。


「相手が誰か知らんが……こりゃぁ、娘どもに一波乱起こるぞ。アイツの心を射止めた娘は誰だ?」


 トカミエルが目立っているものの、トリアに想いを寄せる娘らも多い。店主の心配事を他所に、トリアは菓子屋に立ち寄ると焼き菓子が入った小袋を購入した。

 それを大事に懐に抱えマントを羽織り直し、クレシダの背に跨る。


「雨の中すまないが……昨日彼女に出逢った、あの場所へ」


 そう告げられたクレシダは、雨を気にせず森へと向かう。

 トリアは、アニスへの贈り物を選んでいた。

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