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殺すことも愛の証

 トリアの耳に水琴窟のような音が聞こえた。

 儚くも涼しげなその声に聞き覚えがある、だがそれは今にも途切れてしまいそうに弱々しい。


『助けて、トリア』


 確かに聞こえた、聞き間違いである筈がない。苦しそうな声の主は、一人しかいないと直感した。彼女の声を聞いたことはない、けれども絶対的な確信がある。


「クレシダーッ!」


 焦燥感に駆られ、相棒の馬の名を叫ぶ。()()妖精が助けを求めている、考えるより先に身体が動いた。全身の血が逆流するように身体中がざわめき、頬が引き攣り鳥肌が立つ。

 家の裏庭で悠々と水を飲んでいたクレシダは、その声が聞こえるや否や柵を飛び越し全速力で忠実に主の元へ疾走する。

 ベトニーが空から舞い降りてきた不可思議な淡い発光体に気づいた。人の拳ほどあるそれを、瞳を細めて見やる。

 その上を、一羽の鷹が旋回していた。

挿絵(By みてみん)

 駆けつけたクレシダにトリアは飛び乗り、怒涛の勢いでベトニーの横をすり抜けリュンへと手を差し伸べる。


「来い! 話は後だっ」

「う、うん!」


 弾かれたように手を掴んだリュンを拾い上げ、そのまま駆け抜けた。

 父親が何か喚いていたが、それどころではない。砂埃を上げ、逃げ惑う人々にも脇目をふらず街を飛び出す。


「トリア! あぁんっ、やっと逢えましたっ」


 ミーアと擦れ違ったが、無視した。何か叫んでいたが知った事ではない。


「トリア、大変よ! 魔女が出たのっ」


 前方から鬼のような形相で向かってきたオルヴィスが喚いていたが、それも無視した。

 力強く地面を蹴る馬の蹄は、二頭分。隣には同じ様に馬を操っているベトニーがいる。


「見えるか、あの発光体。そして、鷹。……私たちを誘っている」


 ちらりと上空を盗み見たベトニーに促され、リュンが手を翳して見上げる。二つを確認すると、トリアに「彼の言う通りだ」と耳打ちした。


「場所は分かる、黙って着いて来いっ」


 リュンの言葉を聞き終え怒鳴ったトリアに、ベトニーは微かに頷いた。言われなくとも大人しくついていくつもりだった、意見することなく馬を走らせる。


「嫌な予感しかないっ」


 毎日通っていた場所なのに、二倍も三倍も遠い気がした。駆け抜ける風景は同じに見え、道を間違えてしまったのではと不安に思った程だ。

 確かに、この時すでに森の空気は変貌していた。

 トリアやリュンがよく知る森ではなく、おどろおどろしい生温かな空気が流れ出ている。それは、全てを飲み込もうと這いずり回っているようだった。


「一体、何がっ」


 焦慮を感じ、トリアの背中を冷や汗が伝う。

 そんな苛立つ彼を見ながら、ベトニーは瞳を細めた。言い知れぬ不安が胸を過るが、この先を自分は知っている気がして吐き気がする。幾度か夢で見たのは、緑の髪と瞳の娘。彼女は物言いたげにこちらを見ていた。その周囲に男が三人いたのだが、今日気づいた。


「夢で見たのは君たちだ」


 引き攣った笑みを浮かべ、ベトニーは後に続く。

 鷹と発光体は、トリアの思い描く場所へと降りていった。

 そこは間違いなく花畑であり、最初にリュンがアニスを見た場所。そして、トリアがアニスに逢う為に通っていた場所でもある。水色の花が川のように列をなして咲き誇っているが、大半は白詰草が埋め尽くしていた。

 子供たちの憩いの場だった。

 三人を重苦しい空気が包み込み、手綱を握る手に汗が吹き出て幾度も手放しそうになった。

 導かれるように向かうが、前方からの異臭に大きく顔を歪める。普段は芳醇な香りが風に乗って漂ってくるが、今日は全く香らない。


「なに、このすえた臭い」


 リュンが咳き込み、口を押えた。嘔吐しそうなほどにひどい悪臭は、近づくにつれて強くなる。

 幾つかベトニーに聞きたいことがあったトリアだが、もうどうでもよかった。

 一刻を争う時だと、三人は思った。間に合って欲しいと、三人は願った。

 発光体が静かに三人を誘う、それは急かすように震えている。

 昼前だというのに霧が立ち込め、侵入を阻んでいるようにも見えた。街を出た時は晴天であったはずなのに、分厚い雲が森に集まってきたようで道は暗い。

 緊張気味にベトニーが顎を引く、違和感は恐れとなる。

 一瞬雲間が晴れ、ようやく太陽の光が前方の花畑を曝け出した。時折降り注いでいた雨が、雫となって木の葉や草花から滴り落ちる。風は、緩やかにその場を吹き抜けた。

 三人は、眼下に広がった光景に絶句した。


「こ、これは……!?」


 地獄絵図が目に飛び込んできた。

 花畑は踏み躙られ、見る影もない。無数の惨殺された動物の死骸が転がっており、周囲を朱色に染めている。鼻が捥げそうだったのは、この血肉の臭いだと知った。

 この場に生きているものなどいないのではないかと思った。死の香りが充満しており、窒息しそうになる。


「酷い有様だ」


 地底から這い出た禍々しい瘴気が蠢き、足を踏み入れたモノの命を奪ったような。

 目を凝らすと腰を抜かして地面に倒れこんでいる見知った少年たちを見つけたので、慌てて駆け寄り抱き起した。


「しっかりしろ! 何があったんだ!」


 息がある、まだ、生きている。だが、よほど恐ろしいものでも見たのだろうか、瞳の焦点があっておらず魂が抜けているように思えた。

 リュンが焦って名を呼んでも、彼らは無反応だ。まるで、人形のように。

 生きている動物もいた。熊や猪など、物騒な動物も剥製のようにその場にいる。しかし、人間を襲おうという気などなく、放心している。


「トカミエル!?」


 トリアは、双子の兄の名を呼んだ。

 異様な光景の中、全身血塗れのトカミエルが中央に立っていた。

 髪から血を滴らせ引き攣った笑みを浮かべている幼馴染の姿に、リュンは胃の中のものを吐き出した。トリアに背中を擦られ、よろめいたその身体を支えてくれたのでどうにか正気を保つ。


「あぁ、……トリア」


 トカミエルは弟の名を乾いた声で呼んだ。駆けつけた三人を、油が切れた機械仕掛けの人形のように首を動かして見やる。


「お前っ、い、一体何を」


 トリアは、震える声で問う。血ではないと思いたいが、あれは血だ。今朝、トカミエルは麻の衣服を身に纏っていたが、別の服を着ているかのように真っ赤に染まっている。一体どれだけの血を浴びたらあぁも変色するのだろう。

 なるべく動物の死骸を踏まずに辿り着こうと試みたが、無理な話だった。歩く度に、ポキリ、と骨が折れる嫌な音がする。何度か足を止めて引き返したくなかったが、進まなければならない。


「う……うぅ」


 リュンは、泣きながらトリアに縋って進む。

 グチャリ、パキン、ボキン……。聞き慣れぬ音に怖気がした。もう、この場所は花畑ではない。

 死骸畑だ。

 

「ははっ、あははははっ、はは……」


 不気味に低く笑うトカミエルの傍にようやく近づいた三人は、悲鳴すら出せなかった。ただ、地面に目を落とす。そして、すぐに名状しがたい不快感が心を抑えつけた。

 地面には、綺麗な薄い虹色の羽根が落ちていた。

 幼い頃、無邪気に引き千切った蝉や蝶の羽根を連想させる。しかし、その羽根は昆虫よりも大きい。美しかろうその羽根は、血液を含んで重そうに沈んでいる。捥ぎ取られたその羽根の傍らで、緑の髪の少女が仰向けになり倒れていた。

 まるで、捨てられたボロ雑巾のように。

 

「どういう、ことだ?」


 掠れた声を出し痛々しい視線を向けたトリアは、全身を大きく引きつらせたトカミエルの胸ぐらを掴んだ。白けたように瞳を泳がせる兄に苛立ち、身体を乱暴に揺すり正面から再度問う。


「これは一体どういうことだ! 彼女に何をしたっ」

「こ、これは、その」


 薄ら笑いを浮かべるだけで話さないトカミエルの頬を、全力で殴る。

 二人を他所にベトニーは素早くアニスを抱き起こすと、その胸に手をそえ口元に耳をあてがった。まだ、若干息がある。

 首元には不自然な痕があり、指で絞めたことは明白だ。ベトニーは唇を強く噛み締め、拳を震わせた。懸命に怒りを抑え込み、額に汗を浮かばせ右手をアニスの頬にそえると瞳を閉じる。


「巡るは宵闇。淡く輝りし月光の、その静かなる力を我の元へと。願うは再生、生命に宿りし根源の魂に祝福を」


 唇から滑り落ちた言葉に、皆が一斉に振り返った。固唾を飲んで皆が見守る中、ベトニーの放った治癒の魔法はアニスを淡い光で包み込む。

 しかし、一向に動かない。


「トカミエル、答えろ。彼女に何をしたっ!」


 鬼の様な形相で怒りに身体を震わせながら尋問するトリアに、トカミエルは咳き込む。骨が軋むほど身体を曲げると、痛みで我に返った。数回瞬きし、信じられないとばかりに瞳を大きく開くと周囲を見渡す。

 惨劇を、今更確認しているように見えた。

 その口から漏れた言葉は。


「お前らがいるから……そうなったんだよ」


 無気力な声の、無責任な言葉だった。

 トリアが青筋を浮かべつつも、冷静さを保とうとする。本音は、今にも殴り倒したい。

 

「何だと?」

()()()お前らがオレから奪い去っていくからっ、だからそうなったんだよっ! オレは何もしていない、オレは何も悪くない」


 双子の兄が口にしたことは支離滅裂だ。

 この惨状を引き起こしたのは、間違いなくトカミエルだろう。しかしその原因は、トリアたちにあると責任転嫁をしてきた。


「ふざけるなっ! ここで何があったのか、一から順に話せ!」

「だから、オレは何もしていないっ。気がついたらこうなってただけだ!」

「馬鹿を言え、この血みどろの花畑はなんだっ、どうやったらこうなるんだっ」

「だからっ、オレはっ!」

「あぁっ、クソッ」


 アニスの事を追求したかったが、口にすると怒りで我を忘れそうだった。以前見た姿とはあまりにもかけ離れており、傷と痣だらけの身体は見るのも痛々しい。

 言い争いを始めた双子に苛立ちを覚えたベトニーは、制裁するかのように叫んだ。これは、何の得もない事だ。


「こちらが先だ! 力を貸せっ」


 震えていたリュンが弾かれたようにベトニーの掌に自身の掌を重ね、瞳を閉じる。


「どうかこの子を治してください」


 叫びながら懸命に祈り始めた。

 ベトニーの言うことは最もだ。トリアは舌打ちしトカミエルを突き飛ばすと駆け寄り、同じように掌を重ねる。

 項垂れたトカミエルは、のそりと起き上がり近寄ろうと足を踏み出す。

 しかし。


「お前は要らない。来るな」


 ベトニーに一喝された。

 身体を竦め硬直すると、トカミエルは情けなく涙を零す。頭を押さえ低く呻き、全身が痙攣するのを止められず幾度も舌を噛んだ。自身の血塗られた両手を見て、嗚咽を漏らす。


「あ、あ、あ、あ、あ」


 瞳に、光が戻った。

 怖々と周囲を見渡して、恐れおののき歯を鳴らす。何処を見ても、目を擦っても血液が瞳に飛び込んで来る。それは、自分が犯した罪の証拠。


「あ、ああ、うわああああああああっ!」


 盛大な悲鳴を喉の奥から吐き出した。それが自分の声と解らず、トカミエルは喉が潰れるほど叫び続ける。

 正気に戻った、しかし後の祭り。

 瞼から滴った微量の血が瞳に入り込み、色彩が朱に変わる。そんな中で、瞳の端に三人が映った。彼らは死にもの狂いで、大事な存在を救うべく四苦八苦している。


「お、おかしいな。どうしてオレ、ここにいるんだろう」


 両手を見つめ、茫然と言葉を吐く。自分は何も出来ない。

 

「オレ、……何をしてたんだっけ?」


 この惨劇を引き起こしたのは自分だと思い出し、愕然とした。

 死体の山を唖然と見つめると、激しく湧き上がった吐き気と頭痛に襲われ倒れ込む。口内でジャリジャリと砂が不快な音をたてた。

 何をしたのか、鮮明に思い出した。だが、出来れば思い出したくなかった。

 

「首を、絞めたんだ。ぎゅ、って」


 羽根を斬り落とし空へ逃げられないようにしてから、左腕で愛しく抱き締め、か細い首に吸い込まれるように右手を添えた。

 首に指を絡めると、脈打っている鼓動が速まった。

 そのまま自然に、力を込めた。

 全て、思い出した。あの感触も甦る、異常に興奮していた自分を思い出し蒼褪める。あの時、確かに絶頂を迎えたような快楽を得ていた。

 イノチを奪う瞬間、その妖精は自分のモノになるのだから。


【小鳥は羽根を切られ、暫くすると腕の中で息絶えた】


 右手の指を動かそうとしても、動かない。恐怖からか、指に伝達がいかない。


「違う」


 咽返る血の臭いが染みついた大地に崩れ落ち、茫然と呟いた。


「殺したかったわけじゃない。見るのが嫌だった、トリアの名を呼ぶ姿を見るのが辛くて苦しくて、それで、止めようと思ったんだ。オレの名前を呼んで欲しかったんだよ。それだけなんだ、なのにっ」


 狼狽しつつ、情けなく弁明をした。


「気づいたら、腕の中で妖精は動かなくなっていた」


 一瞬だけ、妖精が涙を零しながら何かを訴えようとしたのを見た気がしたが、その時にはもう首から指を外せなかった。狂気に呑まれた自分は愉悦に浸り、苦しむ顔を眺めていた。少女らがよってたかって彼女を囲み暴行していた時も、見つめていた。

 非力で愛らしい存在だと、そう思っていた。至高の芸術品に見えたのだ、恐怖に怯える彼女の顔が。

 助けに入らなかった自分に、身の毛がよだつ。


「さっさと彼女を助けろよ! お前らなら出来るんだろ!? オレにその子を返せよ!」


 トカミエルが地面に手を打ちつけながら絶叫するのを尻目に、三人は願い続ける。ベトニーに誘導され、自身の生命力をアニスへと送り込む。


「クソッ、どうしたら」

「集中しろ、正念場だ」


 三人の力は、確かにアニスに送られていた。それは、前世の記憶が起こした奇跡。

 いつしか傍に来ていた発光体が、ゆっくりとアニスへと近寄った。心配し覗き込んで、様子を見ているように思える。

 その存在に気づいていたが余所見など出来ない三人は、原型を留めていない元花冠が宙に浮いていることを知らなかった。

 花冠をアニスに返そうとするように、発光体は揺れる。人の拳ほどだった発光体は、薄く半透明になりながら大きく成長していく。

 光の粒子が降り注ぐと、いよいよ三人もその存在に気づかされる。

 広げられた大きな布のように、発光体が覆い被さった。三人の身体をすり抜け、アニスを包み込んだかと思えば。

 途端に消えた。


「なっ!?」


 支えていた腕から急に重みが無くなったことに、ベトニーは驚愕した。

 目の前で忽然と姿を消したアニスに、三人は息を呑む。

 刹那、森の奥から突風にも似た衝撃波がその場にいた全てを襲った。動物は大きく鳴いて倒れ込み、少年らは吹き飛ばされ地面を転がる。

 そんな中、四人は追い立てられるように衝撃波が来た方向へと進んだ。彼らを導くように、一本の道が出来ている。

 今まで足を踏み入れる事がなかった、森の最深部。

 それは、老樹の根元への路。

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