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森の住人達と、ニンゲン

【人間が立ち入らぬ、森の奥深く。

 大変愛らしい容姿の妖精が住んでいた。絶え間なく光が満ち溢れている森林に、一人きり。何処を探しても、自分と同じ妖精は見つからない。どのようにして産まれたのか記憶はなく、それでも寂しい思いをせずに暮らしていた。

 それは、多くの動物たちや植物がいてくれたからだった。 

 彼らが気づいた時には、あたかも最初から森林の一部であったかのように彼女は溶け込んでいた。老木ですら、記憶にない。

 その妖精の名前は、アニス。

 豊かな新緑色の柔らかく艶やかな髪に、温かみのある光を帯びた大きな瞳、軽く頬を桃色に染めて、熟れたさくらんぼの様な唇を持つ。まるで少女たちの夢物語、御伽噺の中のお姫様のような愛くるしい顔立ちは、見る者全てを魅了してしまうと言っても過言ではなかった。

 人間が見かけたら、幻だと思う程に。】


挿絵(By みてみん)

 森の住人たちは、揃ってこの妖精を愛していた。

 悪戯好きなリス、元気に駆け回る小鹿、歌が好きな鳥、昼寝の好きな熊や、気高い狼達はもちろんのこと、小さくとも誇らしげに咲く花、風に葉を揺らしながらどっしりと構える大樹。動植物、森に住まう全ての命に愛されていた。

 アニスは、森林の中を友達と駆け回るのが大好きだった。

 背に生えたその虹色に輝く薄い羽根で鳥達と空中を散歩し、木の枝に時折腰掛け歌を奏で、狼たちの中で包まり眠りにつく。

 幸福で、満ち足りた日々を過ごしていた。

 一番好きな場所はその森で最も大きなコナラの木の下で、惹かれるようにこの大樹へと足を運んでしまう。その森で最年長であろう老樹のもとに、絶えず動物たちもやって来て根元で眠りについた。

 そこは、安息の地だった。

 動物たちは雨を凌ぐために、暑さから逃げるために、そして老樹と対話するためにやって来て、ゆったりとくつろぐ。

 何故かその一角だけは自然の理が意味をなさず、弱肉強食もなく多種多様の動物たちがその場で過ごしていた。その場所では捕食が行われないという、人間から見れば奇怪な“聖域”だ。

 まさに、楽園。

 太い根が幾重にも重なって突き出し、入り組んだ洞窟のようになったその場所。青々とした柔らかな苔が生え、小さな黄色い花が咲き乱れ、一筋の光が空から降り注ぐ。豊かな緑の葉は風に靡き心地よい音を出し続け、眠りの世界へと動物たちを誘う。

 それはまるで、子守唄のような葉の合唱。


 ある日のこと。

 妖精アニスはいつものように椋鳥の兄弟と空中散歩を楽しんだ後、疲れたので川で水遊びをしていた。

 それは有り触れた日常だったが、この日は様子がおかしかった。


「聞いて、アニス。この間大人たちが話していたのだけど、そのうちここに人間が来るんだって」

「ニンゲン? それは誰? 新しいお友達のこと?」


 アニスの興味深そうな声に、椋鳥の兄弟は同時に小さな溜息を漏らし水の中で羽根をばたつかせる。

 煌く水飛沫がアニスのほんのりと桃色に染まっている頬にかかると、肩を軽く窄め小さく笑った。冷たさが心地良く、くすぐったい。

 だが、愉快そうなアニスとは裏腹に、椋鳥たちは焦って彼女を叱咤した。


「違うよ、アニス。人間っていうのは凶暴で凶悪な生き物なんだ。産まれ持っての邪心で、食料としてボクたちを獲るのは……まぁ、百歩譲って仕方ないにしても、森を焼き払い、木々をなぎ倒し、草を引き抜き川の形を変え、食べないのに平気でボクらを殺すんだって」

「……そうなの?」


 不安げに眉を寄せたアニスを見て、椋鳥たちは人間の危険さを分かってもらえた、と胸を撫で下ろした。

 今、動物たちの中で流れている恐怖の話。

 それは、人間。

 山鳩らが先日興味本位で森林を出て、外の世界を観に行った。風の噂で人間の存在は聞いていたが、その旅で偶然人間に遭遇した。


「アニスみたいな感じらしいよ、外見はね。まぁ、アニスみたく綺麗じゃないけど。二本足で歩くんだよ、で、空は飛べないんだって」

「あんなのとアニスを一緒にしないでよ、純粋で無垢で綺麗なんだから。人間とは違うよ」

「愚図だと思うでしょ? でもね、手先が器用なんだって。だから、色々持ってるんだって」


 妖精アニスは、見た目は十五歳程度の少女と似たような大きさだった。しかし、その背に羽があるので全く別の個体だ。 

 アニスに人間の恐怖を徹底して植え付ける為、椋鳥は話を続けた。怖がらせるように声を落とす。


「山鳩は、夜になったから各々木の枝にとまり、下にいる人間たちを観ていたらしいよ」


 焚き火を起こし、人間たちは輪になって踊る。酒を飲み騒ぎ立てる男らに、甲高い笑い声を上げて踊り狂う女。

 山鳩らは、人間は“騒々しく品がなくて煩い生き物”と理解したという。

 酔いが回り、人間たちは更に失態を晒した。

 騒音に呆れ返った山鳩たちだが、今更寝木を変更できず眠りにつく。

 その人間たちは、新天地を求め旅をしていた。

 新しい街を作ろうと、地方から集まってきた夢を見る旅人たち。家族全員で参加している者もいれば、単独で参加し、後で家族を呼び寄せる予定の者もいる。

 一体、どのくらい彷徨っていたのだろう。

 彼らの行く手を塞ぐのは、天候と大河だった。

 危険な動物は火を焚き、騒いでいれば近寄って来ない。騒々しいなりの理由があったのだ。

 運良くその一行は、命の危険に関わる天災に遭遇しないまま順調に進んできた。

 指導者は、平民から鉱山で一山当てた強運の持ち主。元より人望も厚く、権力を振り翳さない為に人が人を呼び、大人数で旅を始める事が出来た。彼の前では諍いも少なく、皆安心し身を預けている。

 今も中心で酒を飽きることなく飲み続け、恍惚とした表情で夢を語っていた。


「そうだな……近くの森は広大で、様々な木の実が採れる。街の中には水路を張り巡らせ、それとは別に魚が溢れる河も引かねばな。……ハハハ、夢が膨らむ! 最高の街を造ろうじゃないか! 商人を大勢呼び、旅の中心都市にしよう」

「薬屋なら任せてくれ。豊かな森なら、材料も豊富だろう」

 

 人間たちは、好い気保養だと更に酒を煽る。

 

「そろそろ定住してもよい頃合い。森林と河、この二つが揃う肥沃な土地に出会えたならば決めてしまおう」


 ようやく彼らが寝静まる頃、曇った銀のような薄白い明るみが薄く広がっていた。


 翌朝、人間たちは再び歩き出す。

 その様子を山鳩たちが静かに見つめ、啼いた。自慢の声で朝を知らせる山鳩の声は、辺りにこだまし響き渡る。

 人間の少年がその方向へと耳を傾け、木の枝に止まっている山鳩を発見した。少年たちは何か閃いたかのように、徐に手ごろな石を地面から拾い上げる。

 掌の中で石を二、三度遊ばせていたが、急に山鳩目掛け投げつけ始めた。

 驚いた鳩たちは間一髪で避けたものの、気が動転し騒ぎ立てる。


「おまえら退けよ、石じゃ無理だ。弓矢で狙わなきゃ」

「トカミエル! 頑張れ」


 子供であれど、胸の辺りから笑いの漣がこみ上げてくる狩りの感覚は知っている。

 トカミエルと呼ばれた紫銀の髪と紫水晶の様に光を放つ濃紺に近い瞳の少年は、酷薄な笑みとともに弓をしならせた。

 矢は、乾いた響きをたて空気を裂いた。

 初めて遭遇した『弓矢』というものに一羽の鳩は胴体を射抜かれ、抗う術もなく地面へと落下する。

 大声で鳴く山鳩たちは騒然とし、羽音を立てて舞う。これ以上の犠牲を出さない為、一目散で森林へと引き返すことにした。射抜かれ地に落ちた仲間を一瞬見つめるも、鳩たちは全速力で舞い戻る。

 森林へ戻り、『人間』の野蛮さを皆へ知らせる為に。


「やったぁ! 命中だよトカミエル、すっげーっ!」


 地に落下した鳩を矢ごと拾い上げながら、少年たちは弓を持ったトカミエルを羨望の眼差しで見つめた。

 威風堂々、整った顔立ちに均整のとれた身体、同姓からも尊敬の眼差しを向けられるトカミエルは鼻で嗤う。

挿絵(By みてみん)

「ふん、思ったよりトロい生き物だったから。大したことないよ」


 自慢げに言ったトカミエルは、射抜いた鳩には見向きもしないで大人たちの列に加わった。

 遠くから見ていた少女たちが黄色い声を上げ、トカミエルに寄り添う。目立つ容姿に加え弓矢の腕前も素晴らしく、凛々しくも無邪気に笑うあどけない表情が異性を虜にしている。

 彼は、子供たちの中心人物だった。


「トカミエル、なんてことするんだよ! 可哀想じゃないか、食べもしないのに射るなんて!」


 少年少女を侍らしているトカミエルの元へ、憤慨した二人の少年が駆け寄ってきた。

 弓矢をトカミエルが構えた時点で止めるべきだった、と後悔の念で表情が曇っている黒髪の少年。悲痛そうに、射抜かれた鳩を見やる。

 もう一人はトカミエルと同じ髪と瞳の持ち主で、何処となく雰囲気も似ていた。長髪を後ろで一つに束ね、幼さの残るトカミエルとは反対に大人びた印象だ。その切れ長の瞳に宿す冷たい光で微笑まれたならば、少女は心を軽く鷲掴みにされてしまうだろう。彼はトカミエルの双子の弟で、トリアといった。


「大丈夫だよ、リュン。鳥ってのはたくさん存在するから、一羽くらいどうってことない。こうして淘汰するべきものだよ」


 髪をかきあげ苦笑いし、トカミエルはリュンの頭部を荒々しく撫でた。

その子供扱いする手を跳ね除け、怒りと悲しみを露わにしたリュンが叫ぶ。


「でもっ! 可哀想だよ、痛いんだよ!? ……死んでしまったんだよ」

「トカミエル、はしゃぎ過ぎだ。子供っぽいし、煩い。弓の腕を見せびらかしたいのなら、もっと役に立つことをしろ。他にあるだろ、その空っぽな頭で考えろ。リュン、行くぞ」


 トリアは憤慨しているリュンの腕を宥めるように掴んだ。そしてトカミエルを一瞥すると、振り返ることなく歩き出す。


「なっ……! 待てよ、トリア! 今の言い方訂正しろよ、本当にいつもムカつく奴だなっ。オレはお前の兄だぞ」


 動物たちは息を潜め、一部始終を見ていた。


 椋鳥から話を聞き、アニスは瞳を伏せる。

 森林にも死は存在する。

 生きる為に捕食しなければいけないのだから、誰かの死は避けられない。ただ、その死は大概他のものを生かすことになると知っていた。

 数時間前共に遊んでいた兎が消えてしまった事など日常茶飯事だ。兎を食べたのは、昨夜共に眠っていた狼だということも解っている。

 兎が草を食べて育つように、狼は兎を食べて生きる。これは変えられない自然の摂理だ。

 死は、生を産む。

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 しかし、人間は生きる為ではなく他の命を奪ってしまうものらしい。その場にいた人間の気分で山鳩は殺されたという。それは、逸楽の時なのか。

 痛苦に満ちた顔で胸を押さえたアニスを、気まずそうに椋鳥たちは見た。出来るならば話をしたくなかった、だが、アニスに人間の恐怖を覚えさせねばならない。

 この恵み豊かな森林付近に、騒々しい街を造るかもしれない。そして、侵入してくるかもしれない。

 そうなった時、好奇心旺盛なアニスは人間を観に行くだろう。

 アニスを人間たちに見られたら、その物珍しさに捕らえられるのは目に見えていた。捕らえられれば見世物小屋に閉じ込められるに違いない、妖精というだけで人は集まる。また、人間の目から見れば稀な美少女の風貌だ、買い手も出て高額で売り捌かれるかもしれない。

 人間は狡猾で貪欲な生き物だ。


「だからお願い、人間には近づかないと約束して、アニス」

「……うん。でもね」


 アニスは当惑し頷いた。

 椋鳥たちは話を聞いて貰えた事を喜んで、宙を華麗に舞うと可愛らしく鳴く。

 打ち消された自分の言葉を告げようか、アニスは迷った。


「ホントに、悪いものなのかな? 話し合えば、分かってもらえると思うの……」


 アニスは水鏡に映る自分を見つめる、その表情は暗い。

 後方で椋鳥たちが可愛らしく合唱しているのを聴くと、少し罪悪感を憶えた。


 やがて人間は動物たちの予想通り、森林付近に街の建設を始めた。

 肥沃な大地に歓声を上げ、次々とテントを張ると河で水浴びをし、今までの汚れを流し落とす。魚を生け捕り、森林で兎や鹿を狩り、木の実に茸、山菜を採って夕飯の準備をする。

 初日は想像以上の土地を確保出来た事に感謝し、盛大な宴を開いて皆で労った。

 ついに自分達の街が出来る、長年の夢が叶う。達成感に満ち溢れていた、辛い旅が報われた。これからも大変だが、やる気が膨れ上がる。


「見たか? あの河、大物が住んでいるぞ!」

「栄養が豊富なんだろう、森林の茸も立派だった。薬となる植物も多そうで期待が持てる」


 火を焚き深夜まで大騒ぎする人間を遠目に見ながら、動物たちは言い知れぬ不安に身を寄せ合った。

 炎の煙が空気の重さと競うように、空に勢いよく舞い上がる。

 動物は、火など使わない。煙は禍々しく全てを覆い尽くして消し去る、不気味で得体の知れない人間たちの象徴のようだと思った。

 宝石箱を引っくり返したような星空に、その煙が吸い込まれていった。 


 翌朝、人間は張り切って森林の木々を伐採した。

 街の見取り図は大方旅の最中で決めてあり、段取りも済ませている。その為、大きな揉め事もなく作業は進む。子供も大人を手伝い、不平を言うことなく朝から晩まで働いた。

 ただ、人間が森林の奥地へ足を踏み入れることはなかった。入り口だけでも立派な食材が手に入ったので、今のところ行く必要はない。

 それでも、夜だというのに火の煌々とした明かりが森林にも忍び寄る。

 動物たちは遠くから警戒心を剥き出しにして様子を見つめていた。次第に、揃って土地を離れる一族も出てきた。

 しかし、多くは住み慣れたこの森に滞在する姿勢をとった。何処まで出来るか分からないが、人間との共存を試みる。

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