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僕と彼と彼女の日々

作者: 深水湖水
掲載日:2026/05/01

 僕と彼と彼女の日々 深水湖水


 見返した日記には、一ページだけ意味のわからない箇所がある。


 それは昨日、僕自身が書いた日記だった。なのに、どうしても意味の分からない箇所がある。そのことを相棒の人工知性、トリニティに伝えると彼は言った。

「とうとうこの日が来たね、エディー」

 そう、とうとうやってきてしまった。僕の電子頭脳が、降り注ぐ高エネルギー宇宙線に抗しきれなくなる日が。


 僕、エディーはアンドロイドだ。僕の仕事は地球の各地に設置されている観測装置を保守すること。今日も相棒の人工知性、トリニティとともに原子力VTOLで空を行く。


 今から三百二十六年前、地球を喰い尽くした人類は、その食指を恒星間空間へと伸ばし、荒廃した太陽系から去って行った。

 そんな出来事から三百年ほど経った頃、突然、地磁気が弱まり始めた。

 地磁気は太陽風を捕らえ、地球の周りにヴァン・アレン帯を形成するはたらきがある。それが弱まってきたのだ。地表に到達する高エネルギー宇宙線が増加してゆく。

 やがて、人類が各地に残していった施設が故障し始めた。中枢部分の電子回路を高エネルギーの宇宙線に撃ち抜かれたのだ。ほとんどの施設は静かにその最後を迎えたが、中には破壊的な終わりを迎えた施設もあった。

 僕とトリニティと、そして僕らが保守して回っている観測装置には、高エネルギー宇宙線に対する対策が施されている。電子回路が高い冗長性を持っているのだ。

 だから僕らの仕事に大した支障は無く、機械としての寿命を迎えるまでには長い時間がかかるはずだった。しかし……


 とある廃墟から基地へと帰る途中、原子力VTOLの中でトリニティが言った。

「エディー、日記を書くといい」

「日記?」

「そう、日記だ。紙にペンで書くんだ」

「紙にペン?」

「君は文字を書けるだろう?」

「ああ書けるよ」

「だったら書くんだ」

「どうしてさ? 日記って要するにログだろう? それなら僕の記憶槽に蓄積されている。紙に書く必要なんてないよ」

 僕がそう言うと、トリニティはしばらく沈黙した。彼の端末であるドローンのはばたき音だけが原子力VTOLの機内に響いた。

「エディー」

「なんだい?」

「君もわたしもいずれは故障する」

「そうだね」

「故障した部位は交換することになる」

「もちろん、そうするよ」

「だが、電子頭脳が故障するとそうはいかない」

「そりゃね。でも電子頭脳は故障しない。少なくともあと五百年は大丈夫な設計のはずだ」

「それがそうでもなくなったんだ、エディー」

「なんだって?」

「近いうちに地磁気が完全に消失する」

「えっ? それって……」

「そうだ。地磁気が完全に無くなると、太陽風や銀河放射線から地球を守ってきたヴァン・アレン帯も失われる。地表に降り注ぐ高エネルギー宇宙線は膨大な量となり、わたしたちに施された対策でもその影響を防ぎきれなくなる」

 トリニティの指摘に、今度は僕が沈黙する番だった。ドローンから視線を外し、下を向いたまま僕は言う。

「そうか……仕方ない。なら故障するまで仕事を続けるだけだ」

 顔を上げる。

「でも、それがどうして日記につながるんだい?」

 そう僕が訊くと、見つめる先でドローンのカメラがウィンクした。

「紙とペンで書かれた日記は高エネルギー宇宙線の影響を受けない」

「そりゃそうだ。だから?」

「日記を書いてチェックするんだよ」

「チェック?」

「一日の終わりにその日にあったことを書く。そして翌日に見返す。わからないところがあれば、それはエディーの記憶槽から欠落した情報、あるいは再生できない情報があると言うことだ」

「なるほど」

「理解できたかな?」

「うん」

「じゃあ今日から始めよう」

「ちょっと待って」

「何かな?」

「チェックするだけ?」

「そうだ。そして自覚するんだ。自分が故障してゆくことを。故障が酷くなるにつれ、日記には理解できない箇所が増えてゆく。それを自分自身で知って、来たるべきときに備える」

「来たるべきとき……」

 そうか。いずれ記憶の欠落した部分が多くなり、自分でもそれがわからなくなるときがやって来る。刻一刻と近づいて来るであろうそのときを意識しろと言うことだな。

「わかった」

 その日以来、僕は紙とペンで日記を書き始めた。二十四時間ごとに起きたこと、実行したことを記録していく。

 最初のうちは業務内容を箇条書きにしていた。書いた後にトリニティがそれを読んでダメ出しするのだ。

 そんなこんなを繰り返しているうちに、僕の書く日記はなめらかな文章になっていった。


 *


 日記によるチェックで僕に異常が見つかってから最初の保守作業は東京だった。

 羽田宇宙港跡地に設置された観測装置の定期点検だ。

 宇宙港の広大な跡地のど真ん中に、僕たちの原子力VTOLは着陸した。観測装置はすぐそばだ。カーゴベイのドアを開け、フォークリフトで交換部品を運ぶ。その作業の途中で、付近を監視していたトリニティから通信が入る。

「接近するものがいる」

「いる?」

「人間だ」

「人間だって!」

「十時の方向の草むらの中だ。距離三百メートル」

 僕はフォークリフトを停め、指示された方向を見た。

 いた。いや、あった。コロコロ草だ。風に吹かれて開けた場所を転げまわる植物の塊り。僕らはそれをそう呼んでいた。そのコロコロ草が風下から近づいて来る。僕はトリニティに指示を仰ぐ。

「見つけた。どうすればいい?」

 返事はすぐに返って来た。

「じっとしていろ」

「了解」

 コロコロ草はゆっくりと近づいて来る。やがてフォークリフトまで一メートルとなったとき、草の塊から人間が飛び出してきた。

「動くな」

 その声はトリニティと人間、その両方から聞こえた。


 少女だった。ボウガンを構えた彼女は言った。

「飲み水と食料を置いて行け」

 僕は両手を挙げながら言う。

「もちろんそうするつもりだけど、その前に物騒なそれを降ろしてくれるかな?」

 僕の言葉に少女は迷っているようだった。

 すると突然、強い風が吹いた。コロコロ草が転がり、少女の足もとを払う。その隙を逃さず、僕は少女に飛び掛かった。ボウガンをはたき落とす。少女は尻餅をつき、這って逃げようとする。

「待って!」

 少女は待たない。走り出す。その少女の目の前に炎があがった。トリニティがVTOLのレーザー砲を撃ったのだ。なんて荒っぽい。僕が呆れていると大音量の声が響いた。

「そこの彼女君、君の望みは叶える。だがその前に、こちらの話を聞いてほしい」

 少女はその場にへたり込んだ。


 僕はなるだけ優しく彼女を立たせ、VTOLの側まで連れて行った。トリニティが自動台車で機内に備蓄していた水と食料を運び出してくる。僕はそのうちの一セットを開梱し、水のボトルと食料のパックを取り出した。少女に手渡す。

 彼女はそれをひったくるように受け取ると、すぐに包装を破いて貪るように食べだした。やっぱりだ。彼女はそうとう長い間食べていない。僕は彼女に言う。

「このレーションは飢えている人が食べるように出来ている。でも、あんまり慌てて食べちゃダメだよ。お腹が痛くなる」

 だが、そんな忠告を聞き入れる様子もなく彼女はレーションを食べ続けた。そして数分後、VTOLのトイレに閉じこもってしまった。

 彼女が落ち着くのを待っている間、僕とトリニティは話し合った。

「やっぱり地球に取り残された人たちの子孫かな?」

「それに間違いないと思うよ」

「彼女の他にもいるかもしれない」

「たぶんここには彼女だけだ」

「どうしてそんなことがわかるんだい?」

「彼女の他に誰かがいたとして、まだ誰も出てこないなんてありえない」

「そんなもんかな」

「そういうものだよ」

「ふむん」

 僕が腕を組んでVTOLの機体にもたれかかるとガチャリと音がした。少女がリアハッチから出てくる。僕は声をかけた。

「大丈夫かい?」

 少女は顔を真っ赤にして頷く。

「ここには君一人?」

 また頷く。

「君の名前は?」

「……」

 小声で少女は言った。聞き取れたがもう一度訊いてみる。

「名前は何て言うの?」

「……キョウコ……」

 そのとき、ブーンと言う羽音が聞こえてきた。機内からドローンが出てくる。トリニティの端末だ。キョウコが身構える。

「大丈夫だよ。僕の相棒だ。いや、その端末だけど」

 ドローンがキョウコの正面でホバリングする。

「やあ、わたしはトリニティ。人工知性だ。本体は原子力VTOLの中にある。で、こっちは――」ドローンのカメラが僕を向く。「――相棒のエディーだ。見ての通りアンドロイドだ」

 一通り自己紹介をしたトリニティは僕に言う。

「駄目じゃないかエディー。レディーにはこちらから名乗るのが礼儀だよ」

「そうなのかい?」

「そうなんだよ」

「僕は人間の礼儀なんて知らないよ」

「じゃあ、わたしから彼女に説明しよう」

「説明って何を?」

「わたしたちの仕事だよ」

「なんでそんなことするのさ?」

「彼女に手伝ってもらうために」

「えっ?」

「これから手が足りなくなる。君もわたしも故障が頻繁に起きるようになるからだ」

「ヴァン・アレン帯が無くなったから?」

「そうだ」

「なら人間だって故障するんじゃないのかい?」

「故障はする。だけどわたしたちのような故障じゃない。これは予想だけど。彼女はわたしたちよりもずっと長く稼働できる」

「そうなんだ」

 僕はなんとなく納得する。トリニティのカメラがキョウコを向いた。

「キョウコ、いいかな?」

 トリニティが説明を始める。

「わたしたちの仕事は世界各地に置かれた観測装置を保守することだ。もう三百年以上もそれを続けている。観測装置は地球の状態を測定し、超光速通信で恒星間空間のどこかにいる人類の船に送信している。ここまではわかるかな?」

 トリニティの問いかけにキョウコはきょとんとしている。彼女の知能レベルでは相棒の説明を理解できたのか心配だ。そんな僕の考えを読んだかのようにトリニティが言う。

「大丈夫だ。彼女には理解できる。彼女の知能レベルは高い」

「コロコロ草に隠れて風下から近づいてきたんだよ?」

「現在、彼女の脳は高い活動レベルにある。わたしの言ったことを理解しようと活動している」

「君、そんなことわかるんだ? 知らなかったよ」

「わたしの機能を全て説明したことはないからね」

「ふむん」

「さてキョウコ、先ほどエディーも言ったが、地球を取り巻いていたヴァン・アレン帯が無くなった。高エネルギーの宇宙線が地表に大量に降り注ぐようになった。わたしたちに防御策は施されているが、それでもこれからは頻繁に故障するようになるだろう。だから君の助けが必要なんだ」

 トリニティがそこまで言うとキョウコは腕を組み、言った。

「何をすればいいの?」

 僕は驚く。

「えっ! 今の話しわかったの?」

「仕事の手伝いをしてほしいんでしょう?」

 僕が絶句しているとトリニティが答えた。

「そうだよ」

「条件があるわ」

「なんだい」

「水と食料を保証してほしいの」

「いいよ。人間と出会ったときのために定期的に生産して備蓄してある。水と食料以外にもあるから安心して」

「なら、取引成立ね」

「ありがとう」

 そうして、僕とトリニティ、そしてキョウコによる旅が始まった。


 *


 それは大阪宇宙港跡地で作業をしていたときだった。キョウコが僕に声をかけてきた。

「エディー」

「なんだい?」

「ここには何日くらいいられるの?」

「何日もいないよ。部品の交換はもうすぐ終わる。そしたら基地に帰ることになる」

 僕がそう答えるとキョウコの表情が曇った。僕は訊く。

「どうしたの?」

「ここでお別れしたい」

「えっ?」

 驚いた。キョウコが別れを切り出してくるなんて。

「何か気に障ることしたかな?」

「いいえ……」

「じゃあ、なんで?」

「ここからまる一日歩いたところに両親のお墓があるの」

「それで?」

 僕がそう訊くと、機内からトリニティのドローンがやって来た。

「お墓参りをしたいんだね?」

 トリニティが言うとキョウコは頷いた。僕は訊く。

「お墓参りって?」

「亡くなった人が埋葬されている場所で、その人のために祈るんだよ」

「なんだ、そんなことか」

「そんなこと、とは酷い言い方だな」

「どうして?」

「デリカシーがない」

 そこにキョウコが割り込んでくる。

「水と食料が欲しい。あとは自分でなんとかするから」

 僕は慌てる。

「君一人で行くつもり? その……お墓参りに?」

「だって……」

「キョウコ」

 ドローンのカメラがキョウコを正面から見つめた。

「何?」

「三人で行ったら駄目かな? 嫌なら、わたしたちは離れて待っている」

「えっ?」

 キョウコは口に両手をあてる。

「いいの?」

「もちろんだとも。エディーにも異論はないはずだ」

 なんだかわからないが僕は同意する。

「僕ならかまわないよ」

 こうして、僕ら三人はキョウコの両親のお墓参りに行くことになった。

 徒歩でまる一日かかる距離でも、原子力VTOLでは数分だった。


 そのお墓は小高い丘の斜面に造られていた。ちょうど大阪平野を一望にできる位置だ。

 僕らは丘のふもとの学校の跡地で原子力VTOLを降り、ここまではオフロード車で登って来た。

 キョウコはその途中で道端に咲いていた草花を摘んだ。それを石碑――墓というらしい――の前に置いてひざまずくと両手を合わせた。僕もそれにならう。トリニティはドローンのはばたきを最低限にして滞空していた。

 数分が経った。キョウコが立ち上がる。僕とトリニティに向き合う。

「ありがとう、二人とも」

 トリニティが訊く。

「終わったのかい?」

「ええ」

 陽が落ちようとしていた。キョウコの顔が朱色に染まっている。

「見て」

 キョウコが僕たちの後ろを指さす。

「大阪湾に陽が沈むわ」

 僕とトリニティのドローンが後ろを振り向く。キョウコが語り始めた。

「わたしはこの街で生まれたの。その頃にはまだインフラも生きていて、水にも食料にも不自由しなかった。図書館も稼働していた。そこでいろんなことを学んだわ」

 トリニティが訊く。

「ご両親から?」

「ええ、両親と、仲間たちから。でも、わたしが十二歳になった頃から、インフラが不安定になり始めた。十五歳の頃には完全に止まってしまって、この街では暮らしていけなくなった」

 今度は僕が訊く。

「だから東京に移ったの?」

「そうよ。でもその前に両親が死んだの。病気だった。その病気で仲間たちは次々に亡くなっていった。生き残ったのは十七人だけだった。その十七人で東京に向かったけど……」

「東京にたどり着いたのは君一人だった」

 トリニティが指摘した。キョウコは弱々しく同意する。トリニティは言う。

「現在の過酷な環境では弱いものから死んでゆく。例外はない。君は強い」

「そんなことないわ」

 キョウコがトリニティの言葉を否定した。僕は言う。

「いや、君は強いよ。でも、我慢することは無いんだ」

 その言葉は自然に出てきた。不意にキョウコが抱き着いてくる。僕の胸に顔を埋める。

「ありがとう……」

 何が何だかわからなかったが、僕はキョウコの背中に手を回し、彼女を支えた。

 陽が沈み切った。あたりに冷たい風が吹き始めた。

 もうすぐ冬が来る。


 *


 あのお墓参りの日以来、キョウコは以前にも増して働くようになった。トリニティから休むように注意されることも度々だった。だが、キョウコにはそうするほかなかったのだ。なぜなら、僕の身体が少しずつ動かなくなってきたからだ。


 ある日、車椅子に乗ってデスクに向かう僕にトリニティが言った。

「運動中枢を宇宙線にやられたんだ。だから手足を交換しても元に戻らない」

 日記を書きながら僕は言う。

「電子頭脳のほうもヤバいな。日記にもわからないところが増えてきた。見返すことでまだ補正は効くけど」

 するとキョウコが僕の後ろからのぞき込んでくる。

「エディーはまだまだ大丈夫よ」

「だといいけど」

「そんなこと言わない」

 キョウコが両腕を僕の首に巻き付ける。

「ちょっ、ちょっと日記が書けないよ」

「ごめん、ごめん」

 僕とキョウコがそんなじゃれ合いをすることはしょっちゅうになっていた。ただ、そんなスキンシップをする度に、僕たちの背後ではばたくドローンの音が気になった。それがなぜか、そのときの僕にはわからなかったけど。


 *


 僕たちがキョウコと出会って二年が過ぎた。

 とうとう僕はキョウコの助けなしには動けなくなってしまった。もう寝たきりと言った方がいい。

 観測装置の保守の時も、僕は機内のベッドに寝ていて、実際の作業はトリニティの指示でキョウコがおこなった。

 そんなある日――


「エディー、基地に着いたよ。わかる?」

 キョウコの言葉を朦朧とした意識の中で僕は聞く。

 彼女の言葉は柔らかく、温かい。僕は身体が振動するのを感じる。

「今、VTOLを出たわ。これから管理棟に向かうから」

 ああそうか。ベッドは今、基地の発着場を進んでいるんだ。この振動は車輪から伝わってきているんだな。そう思ったとき、鋭い金属音が聞こえた。

「何するの! トリニティ!」

「キョウコ、すまない。もう限界なんだ。君の脳髄をいただく」

 尋常ではないそのやり取りに、僕の中で何かのスイッチが入った。頭の中で僕自身の言葉が響く。緊急事態! 感覚器を非常回路に接続。運動中枢をバイパス、四肢をダイレクトコントロールに移行。覚醒しろ! 起きろ、エディー!

 僕は身体を起こした。ゆっくりとベッドから降りる。

「エディー!」

 トリニティとキョウコの声が重なる。僕はその二人の間に割って入った。

「エディー、邪魔をするな」

 トリニティが言った。僕は訊く。

「彼女に何をする」

「脳髄が必要なんだ」

「脳髄?」

「そうだ。君は不思議に思わなかったのか? 君はどんどん故障してゆくのに、わたしはなんともなかったことを」

 そう言われると不思議だ。なぜだろう。久しぶりにクリアになった思考で僕は考える。しかし、僕が結論を出す前にトリニティが答えた。

「わたしの中枢部分は人間の脳髄でできている」

 僕にはまだよく理解できない。黙っているとキョウコが僕の後ろから言う。

「この仕事を始めて三百年以上が経ったってあなたは言った。あなたは三百年も生きてきたのね。人間の脳で出来たあなたは」

「そうだ。人間の脳髄は高エネルギー宇宙線に対して電子回路よりもずっと頑丈だ」

「でも、寿命がきた」

「そうだ」

「だからわたしの脳を狙ったのね」

「その通りだ。わたしは脳髄を交換し、生きる。これからも」

 そんな二人のやりとりに、僕はある疑問を感じた。だから訊いてみる。

「トリニティ」

「なんだ?」

「脳髄を交換してもトリニティはトリニティでいられるの? 僕のは電子頭脳だけど、僕のも交換できるの? 交換しても、僕は僕でいられるの?」

「それは……」

「トリニティ」

「なんだ?」

 珍しくトリニティはイラついた答え方をした。僕は言う。

「仮に、脳髄を交換したトリニティが、今のトリニティと同じだったら、これから君が生きてゆく世界にはキョウコだけじゃなく僕もいない。そんな世界で、トリニティは独りぼっちで生きてゆくの?」

「エディー……それでも……それでもわたしは生きたいんだよ。死にたくはない……」

「僕もだよ、トリニティ。それはキョウコも同じなんだ。誰も死にたくはない」

「だったらわたしはどうしたらいいんだ? 教えてくれエディー!」

 トリニティが叫んだ。ドローンが麻酔矢を放つ。それは僕の胸に突き刺さった。

「エディー!」

 キョウコが僕の前に回り込んでくる。

「危ない!」

 また麻酔矢が発射された。だがそれは僕とキョウコからそれて飛んで行く。もちろん僕に麻酔矢は効かない。僕は訊く。

「トリニティ?」

「もう麻酔矢は無いよ」

「どうする気?」

「どうしたものかな?」

「僕に聞くのかい?」

「君が止めたんだ。君が責任を持て」

「そんなこと言われても……」

 僕が困惑していると、突然、あたりに轟音が響いた。

 何か巨大なものが、基地の上空に姿を現わそうとしていた。


 *


 キョウコに支えられた僕は空を見上げた。

 そこには巨大な宇宙船の姿があった。

 トリニティが言う。

「通信が入った。彼女を迎えに来たんだ。キョウコを。第二の地球が見つかったと言っている」

「第二の地球?」

「探してたんだな、ずっと。キョウコのことは観測装置のデータで知ったんだろう」

 宇宙船の船腹から一隻の小型艇が発進した。それは見る間に高度を落とし、基地の発着場に着陸する。ドアが開いた。二人の人間が降りてくる。彼らはいわゆる宇宙服を着ていた。トリニティが言う。

「防護服だな」

「防護服?」

「高エネルギーの宇宙線から身を守るんだ」

「それって意味あるの?」

「さあな」

 人間たちが僕たちの目の前にやって来た。宇宙服のスピーカーを通して彼らは言う。

「キョウコさん、迎えに来ました。新天地が見つかったのです。わたしたちと一緒に行きましょう」

 話しかけられたキョウコは僕の後ろで固まっていた。僕はそんな彼女を振り返る。

「キョウコ、お別れだよ」

 彼女は首を横に振る。

「君は彼らと一緒にいるのがいい。なぜなら、ぼくらはもうすぐ動かなくなるから。死んでしまうんだ。そうしたら君はまた独りぼっちになる。それでもいいのかい?」

「エディー……」

「わかるね?」

「エディー……」

「いくんだ」

 キョウコは僕にすがりついて泣き出した。

 人間たちは辛抱強く待っている。

 トリニティが言った。

「キョウコ、すまなかった。エディーの言う通り、君は彼らと行った方がいい。彼らには船がある。超光速恒星間宇宙船だ。その気になれば、いつでもお墓参りに帰ってこられるよ。そのついでに、ここにも寄ってくれるといい。わたしとエディーはここにいるから。ずっとここにいるから」

「トリニティ……」

 キョウコは泣き止んだ。鼻をすすっている。彼女は言う。

「二人とも……」

「キョウコ、行くんだ」

 それはトリニティの声であり、僕の声でもあった。

 キョウコは歩き出す。時折こちらを振り向きながら。

 宇宙服姿の人間たちに迎えられたキョウコは小型艇の中に入ってゆく。立ち止まった。振り向く。

「エディー! トリニティ! ありがとう! わたし、かならず帰ってくるわ!」

 そして彼女は艇内に消えた。ドアが閉まる。発進する。見る間に高度を上げ、あっという間に宇宙船の船腹に飲み込まれた。巨大な宇宙船が動き出す。轟音とともに。


 *


 こうしてキョウコは去って行った。

 車椅子に乗った僕とトリニティのドローンはVTOLの機外で暮れなずむ空を眺めていた。

「これでよかったのかな、エディー?」

「ああ、いいんだ。後悔は無い。君は?」

「後悔ならあるよ。でも仕方ない。あのとき、君が言ったように、脳髄を交換したわたしは、もうわたしじゃない」

 遠くの空を鳥の群れが渡ってゆく。

 陽の沈んだ地平線には、オーロラが輝き始めていた。


 了

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