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序、 ミサンガル大監獄にて

アーガンド王国が誇る悠久不滅の大監獄"ミサンガル"に、賊が単身で乗り込みました。

大監獄への侵入者などここ三十年は無く、二百余名を超える看守や警備兵たち、そしてそれを知った囚人たちは蜂の巣を突いたような大騒ぎです。

押し入った賊はまだ十八にも満たぬ少年剣士でありながらかなりの手練れであり、

既に警備兵を何十人も斬り捨てて大監獄の深部にまで潜入していました。

しかしやはり多勢に無勢、少年の持つ剣は激闘の中で全て折れ、左肩には大きな刀傷を負ったのでした。


思いもよらぬ警備兵たちの追撃に賊の少年は迷路のような監獄内を縦横無尽に逃げ惑い、

遂にはどことも知れぬ暗い袋小路に辿り着いたのでした。

しかしこの入り組んだ通路の先であればそうそう追っ手も来れまいとわずかに安堵し、少年は石床にどかりと腰を下ろし一息突きました。

そして腰にくくり付けた巾着から針と糸を取り出すと、おもむろに左肩に受けた刀傷を自分で縫い初めたのでした。


震える右手で肩に二針程縫い進めた所で、少年のすぐ横の耳元で声がしました。


「ほう、これは深くやられたのう」


その声に仰天した少年は稲妻のように素早くそちらに身を向け、声の主の首元に仕込みの短刀を突き付けました。

その刀身がギラリと鈍く光ります。


「ヒッ」


声の主は少年の身の速さに一瞬たじろぎましたが、直ぐにニヤリと笑みを浮かべました。


「なんだ、思ったより優しいではないか。ふえっ、ふえっ、ふえっ」


少年は声の主の首を一気に掻き斬るつもりでしたが、それが武器を持たぬ齢八十程の大した老人だと分かると寸でで刃を止めたのです。

その少年の一瞬の判断を、老人は感じ取っていたのでした。


「騒ぐと殺す」

「ふん、騒いで応援を呼ぶ位ならとっくに呼んでおるわ」


老人はそう言って狼のような少年の鋭く冷たい目を真っすぐと見据えました。

少年も老人のしわがれたまぶたの奥の目を反らさず見返します。

通路の向こうの方から、看守や警備兵たちの騒ぐ様子が聞こえてきました。


「医者を呼んでくれ!早く!」

「こっちもだ!負傷者が多い!」

「賊めどこへ逃げ込んだ!なかなかの手練れだぞ!」


そんな声が微かにこちらに漏れ伝わっています。


「珍しく賊が押し入ったというからどんな様子かと来てみたが……お前さん、たいぶ若いようだが派手にやっているのう」

「……俺の邪魔をするからだ。俺の行く手を遮る者は全て斬る!悪いか?」


そう言って少年は更に強く老人の首に短刀を押し当てました。

しかし老人は全く臆しません。


「悪くはないな。警備兵は"警備"が務めだ。たったひとりの賊に押し入られ、バサバサと斬られる方が悪い。普段から稽古を怠っている証拠だ」


そう吐き捨てるように言い放ったのです。

そして老人は自身に刃を突き付ける少年の右肩を見やりました。

縫い始めた途端に動いたものですから、血がしたたり落ちて肉の見える深い切り傷の端から、プラプラと糸と針が垂れ下がっています。


「その傷、縫ってやろうか?利き腕ではない方で縫うのはしんどかろう」

「ふん、信用できるか」

「この老人が若者に掛ける情けが信じられないのか?まったく悲しいのう。よよよ」

と、ふざけてわざとらしく寂しい顔つきをする老人。

しかし少年はなぜ右手が利き腕でない事を見抜かれたのか、まったく分からないのでした。この老人には油断ならぬようです。


「……縫えるのか?」

「こう見えて、かつてはこの大監獄の警備兵長であったのだぞ。まあ五十年も前の話であるがな」


嘘か誠か分からぬ話を飄々とする老人に、少年は更に圧を掛けるように言いました。


「……爺さん、あんたはどっちの味方だ?」

「どっち?どちらでもありはしない、わしは"剣士"の味方だよ。ふえっ、ふえっ、ふえっ」


そう不気味に笑う老人の手の平にふと目をやると、その皺だらけの指の根本に幾つもの古い"剣だこ"があるのが見えました。


「何者だ?」

「わしか?わしはここミサンガル大監獄に六十年ほど仕えてえている、ただの"世話役"の爺ィよ。名をダイラーという」


ーーーー


少年は石床に座ってもろ肌を脱ぎ、左肩を老人・ダイラーに差し出していました。

まだ線の細い少年らしい身体付きではありますが、よく鍛えらえたしなやかで強靭な筋力をその肩や腕、首元や腹部に持っています。

老人は手慣れた手つきで少年の刀傷をチクチクと縫い進めていました。


「上手いものだろう?昔はよくこうして仲間の傷を縫ったものさ」

「……」

「しかしお前さんはこの大監獄に何をしに来た?監獄長に勝負を挑みにか?あいにく監獄長殿は今は留守だ、数日は戻らんぞ」

「……逆だ。監獄長が留守だからこそ来た」

「ほう」

「先日、俺の双子の妹がここミサンガルに投獄された。それを救いに来たのだ」

「そうか、お主が兄妹盗賊"マゼルとミゼル"の兄マゼルか!」

ダイラーが目を丸くしました。


「俺を知っているのか?」

「知っているさ、特級のお尋ね者だ。こないだ珍しく若い娘の囚人が入ったと聞いたが、それが妹のミゼルか」

「それだ!妹は今何処にいる!?」

「まだ縫っている途中だ、動くな。後で教えよう」

「ミゼルを早く助け出さなくてはならない。"刑"が執行されてしまう前にな」

「妹も相当な悪事を働いたからここに連れて来られたんだろう。これまでの報いでないのかね?」

「ふん、人間の本質はすべからく"悪人"だ。誰も彼もな。その"悪"が人間の作った法に当てはまるか否か、それでしかない」


面白いことを言う子供だと、老人は思いました。

そして、かつて同じように人とは異なる思考や身体を持つために波乱の人生を送ることになった"ある少年剣士"のことを思い浮かべたのでした。


「さあ縫い終わったぞ。手製のよく効く傷軟膏も塗ってやった」

「ふん、そうか」

「……礼はないのか?」


不愛想に立ち上がり、上着を羽織り直すマゼルがダイラーの方を一瞥して言いました。


「世話ついでに頼みたいのだが」

「なんだ?」

「"剣"が欲しい。俺の持ってきた剣は全て折れてしまった、もうまともに使えない」


そう言ってマゼルは腰に下げた鞘から剣を抜きました。その刀身は根本からぽっきりと折れており先が無いのでした。

これでは到底、闘うことは出来ません。


「あれあれ。しかしあれだけの人数とやり合えば無理もないな」

「ここに剣はないのか」

「……」

「……だろうな」


黙るダイラーを見て、マゼルは大きなため息をつきました。

この王国中の名だたる悪人が集められるミサンガル大監獄に、"剣"などという危険な物をあえて余分に置くはずもなく、警備兵の剣もそれぞれ厳重に管理されているに違いないのでした。

だいたい剣とはそういうものです。

諦めて踵を返そうとした刹那、ダイラーが言いました。


「あるぞ、剣。それも沢山な」

「なんだって?」

「着いてこい」


そう言ってダイラーは袋小路の先の石壁の一か所をグイと押すと、壁の一部がゴリゴリと半転し、その裏に上へと続く階段が表れたのでした。

そしてその壁の中に入ってヨチヨチと階段を上がっていきました。


「どうした早く来い」


突然の隠し扉に思わず身構えたマゼルでしたが、ダイラーに促されてその後を急いで着いて行きました。

考えるいとまはありません、敵地真っただ中の"剣を持たぬ剣士"にはそれしか道がないのです。


隠し扉の先の階段は細く長く、いつまでもいつまでも上へと続きました。

ダイラーはゆっくりですが確実に歩みを進めます。

その登り階段はあまりに長く、この大監獄の天井に着いてしまうのではないかと思えた程です。


「……この階段はどこに向かっているのだ?」

「いいから黙って着いてこい」

「俺は妹を早く奪還しなければならないのだ。監獄長に戻られたら更に面倒だからな」

「安心せい、監獄長殿を呼び戻しはせんよ」

「なぜだ?なぜ分かる」

「今の看守や警備兵は面目だけを重んじるような奴らの集まりだ。賊に単独で押し入られて何十人も斬られてまだ捕まえておりません等と伝令を出すことは出来まい。報告するなら賊を捕らえた後だ。つまりおぬしがここに居るうちはまだ監獄長は戻らないから安心しろ」


そうしてまたふぇっ、ふえっと笑いました。


「たいそうな言いようだな」

「わしは元々、先代の監獄長に仕えていた身でね。だから今の監獄長とその配下たちとは反りが合わないのさ」


そんな事を話しながら二人が階段を登りきると、その先には施錠された鉄の頑丈な扉がありました。

ダイラーは慣れた手つきで隠しからジャラジャラとした鍵の束を取り出すと、その一つを扉の鍵穴に差し込みガチャリと回しました。

そしてその重い扉をギッと体重をかけて押し開けようとしました。

老人の力仕事にマゼルが手を貸そうとしましたが、ダイラーはそれを制して自分ひとりで扉を開けます。


扉の中は吹き抜けの広くて明るい部屋となっており、天井は摺り硝子で太陽の光が眩しく差し込んでいます。

そして何という事でしょう、部屋の四面の石壁には数え切れないほどの刀剣が整然と飾り立てるように、一つ一つ丁寧に天井高くまで並んで掛けられているのでした。

その数、軽く数百はあるでしょうか。

そしてその刀剣たちは全て、ひと目見て"業物わざもの"であることが分かる程立派で威厳のある物ばかり、まるで刀剣の博物館のようです。

この景色に、これまで冷静沈着に振舞ってきたマゼルが思わず「わあ!」と感嘆の声を上げました。


「どうだ、凄いだろう」

「これは一体!?」

「これはな、先代の監獄長が蒐集した品だ」

「先代?」

「そうだ。先代殿はまたいろいろと変わった方でな。自身も剣士であったが、剣の蒐集が何よりも好きだった。ミサンガルの監獄長になる以前から古今東西の銘品をかき集めて、その全てをここに所蔵していたのだ」

「先代が退いたのはずっと前だろう?その割には全て極上の状態を保っているが」

「先代殿の時代から今日こんにちまで、全てわしが手入れをしているからな。毎日のようにここへ来て、順にほこりを落として一つ一つ磨いておる。この為に刀鍛冶に弟子入りに行ったりもしたぞ」


そう言って部屋の片隅にある刷毛や砥石、磨き布などの道具類が入った木箱を指したのでした。

その奥には天井まで届くほどの高い木製の梯子があり、これを使って石壁の上の方の剣にも届いているのです。


「……しかしここを知る者もかつては多くいたが、今はわしひとりとなってしもうたわ」


そうダイラーが昔を懐かしむような寂しいような顔つきをしました。

一方マゼルは先ほどまでの冷たい剣士の目とは事なり、新しい玩具を与えられた少年のような輝かしい目をしています。

そして


「これは悪名高いカンガ王国で無垢の民千人の首を刎ねたという斬首刀だ」

「こちらは百年前に滅んだテンリン地方の王族に伝わる宝剣だ」

「凄い、伝説の刀匠・ペンリー氏の初期作が全種揃っているぞ!」


などとと見て回りながら言うものですから、ダイラーがまるで驚いてしまいました。


「マゼル、おぬし剣が分かるのか?おぬしの生まれる遥か前の剣だぞ!?」

「ああ、俺は昔から"剣の声"が聞こえるんだ。剣の話す出自やいきさつをな。そういう特別な力を持っている」

「何と、"残像思念サイコメトリー"というやつか。もしやおぬしは"超人サイコ族"か?」

「サイコゾク?」

「……いや、知らぬならいい。ここにある全ての剣の声が聞こえるか?」

「ああだいたい分かる。どの剣も話も凄すぎてな」


そう言ってキラキラとした輝いた目で剣たちを次々と見つめるのでした。


「先代殿は刀剣を蒐集するばかりでその"名"や"言われ"を全く残さずに亡くなってしまってな。わしも何が何なのか、分からぬまま何十年も手入れをしていたわ。ふえっ、ふえっ」


ダイラーはそう自虐的に乾いた笑いを上げました。

そしてにわかに神妙な顔付きになり、


「……わしがこの刀剣たちを手入れし続けたのは、おぬしが来るのを待っていたから、かもしれないな」

「何だって?」

「何でもない。マゼル、ここにある剣を好きに持って行くがよい」

「いいのか!?」

「いいも何も、おぬしは大盗賊だろう?欲しい物は無理にでも奪って行くのが仕事だろう」

「見損なうな。何を盗ってもいいが、人の剣を盗む奴だけは本物の外道だ」

「盗人でもあくまで"剣士"か、ご立派なものだ」

「しかし、俺が一度に"扱える"剣は七本までだ」

「七本?七本も?」

「ああ。まあいい、妹のミゼルを無事に奪還したら、また改めて“盗り“に来るさ」

「そうしてくれ。わしがまだ達者なうちにな。ふえっ、ふえっ、ふえっ」


老人がまた軽口でそう返しました。

すると


「ダイラー殿、か」

「急になんだ、わしの名を」

「先代の監獄長の事を教えてくれるか?このままただ貰うのは忍びなく、どんな剣士であったか知りたい」


石壁に無数にかけられら剣を見まわしながら、マゼルはそう言いました。

その言葉に、ダイラーは彼の"剣士としての矜持"を感じたのでした。


「よかろう。しかし全く先代殿のことを知らぬのか。"不死人アンデッド族の剣士"として広く名が知られていたのだがな」

「ん、不死人アンデッド族出身の剣士の話なら聞いたことがある」

「ほう」

「とんでもない悪人だったんだろう?」

「悪人、か。まあ確かにな」

「悪人は俺たちの間ではたいした誉め言葉だ」

「まあそうかもしれんがな」

「教えてくれ、どんな人であった?これだけの剣を蒐集するのは、ただ事ではなかったはずだ。それに……」

「それに?」

不死人アンデッドなら、何があっても死なぬはず。でも亡くなったと」

「ああ、それもいろいろあった……」

「聞かせてくれ」

「話せば、少し長くなるぞ?」

「いい。俺が剣を選んでいる間だ」

「分かった、よかろう」


そう言ってダイラーは先代の監獄長・"不死人アンデッドのレイロウ"が遺したこの"剣の間"を見まわし、そして改めてゆっくりと口を開きました。


「これは今から七十年近くも前の話になるがーー」



【つづく】

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