9 経糸 リビュート
昨夜、本邸にある父の執務室に呼ばれた。父ラオメドンは西都の市政官の長だ。徴税から設備維持、都内の保安まで平民に関するあらゆることを統括する立場にあり、国政にも関わることがある。
「これをお前が出したそうだな」
執務机の上にあったのは私が提出した街道市の改革提案だった。
私が衛士として関わるような街道市の日々の問題は貴族的には些細なことである。下賤の物事に改革など必要はない。これを視点を変えて書けと言ったのは下街の子供である。名はクロノ。
「プレゼンは相手によって魅力的に見えるようにするもんだわ」
下街語なのか意味不明な言葉も多いが、明らかに普通ではなかった。
クロノは街道市で使い走りをしている子供だ。齢を聞けば5才であったのがまた驚きである。兄ヘクトルのところには同じ年頃の子供がいる。教育を受けている筈のその子供と比してもクロノは違う。知識の神の加護でもあるのかと思った。が、
「他の人からも聞かれたんだけど、加護って世界との一体感とかそういうの感じるんでしょう?アタシはそんなの無いもの。あったらいいのになーって思うけどね」
今の状態がすでにおかしいとは思っていないらしい。
街道市での揉め事を減らすために、出店場所を籤で定める案は悪くない。そこまでならまだ分かるのだ。
「常設店舗って徴税はどうなっているの?」
西都では間口の広さに対して税がかかる。都門の内に入る税はあるが、街道市にはこれがない。だからこその市の賑わいだ。
「じゃあ儲かってる店も儲かってない店も広さが同じなら税金も同じって事だ。同じように籤のお代として街道市整備の経費分を一律徴収してもいいと思うんだよね、アタシは。勿論高額なのは駄目だよ。大銅貨1枚が限界。だけどさ、額が小さくても歳入項目を増やす、改革はその内で行う、これで上を説得すればいいんじゃないかな。勿論徴収だけで終わっちゃ意味ないよ」
常設店舗の徴税方法等市民の常識がない一方で、教育を受けたとしか思えない語彙。
業種ごとにまとめると言うゾーニングという手法も目新しかった。市で売買される物の中には木工や布、金属製品、塩など香辛料、組合が生産小売り仕切っている業種がある一方で、それがないものもある。生産者が直接余剰財を売買しにくる場合や、流れの商人が雑多なものを売る事もあるのだ。
「ゾーニングすることで出店と各専売組合に関わりをもたせる、或いは無いものはそのグループ内での長を定める。揉め事はグループ内で解消させるんだ。籤の収益の一部をその費用、報酬として分配する。組合に対しては組合費の代わりになるよ。街道衛士があれもこれもやる必要はない」
クロノは「目指すのは全員にとっての利益」と言う。そもそも国主の収入である税を富の再分配が目的と言い切る感性は一般的には不敬。その上でその使い道を論じ始めるのはもう異常としか言いようがない。
「組合の増収以外の形で利益を設けるのもいい。例えば飲食業なら食事スペースがあれば、そこを目的に来客がある。中央橋は出店は禁止されているけどベンチやテーブル出してもいいんじゃない?食材に関しては売れ残りが常にある。これを低価格でも買い取れば無駄にするよりはましなんだよ。持ち帰るまでに悪くなってしまう物は物乞いに下げ渡したりしてるんだ。それがゼロになると物乞いも困るから籤のお代を一部、貧民対策に使うとか。買い取ったものを再利用して製品化したり、その為の雇用を生み出したりって言うのはまた別の企画ね」
街道市の範疇を越えて、政にまで踏み込む。あの小さな頭の中にどれ程のものが詰まっているのか空恐ろしい。勿論その全てが検討に足る訳ではないが、余地は十分にある。
さらには実現化に向けた手順を指導されるありさまだ。
「まず上の許可ね。それから布告。何時から始めますよって周知する。字が読める人ばかりじゃないからね。都の門の前でもお知らせを流す。問合せ窓口になる街道担当の衛士は詳しくなっていなきゃならない。で、実施。籤引きもズルできないように工夫。引いたらすぐに開示。アタシが毎朝やってる記録のようなものを籤引いたその場で作る」
流れ出す提案を書き止めるだけでいっぱいになった。
「あ、アタシの収入源一つ無くなるじゃん、コレ」
見た目相応な所はその程度か。そこで気付いた。普段見かける幼気な振舞いはまさか演技なのか?この頭の回りようなら十分にあり得る……。
「面白いものが幾つかあった。項目ごとに精査して会議に掛けられるレベルまで仕上げよ」
父からこのような言葉を貰える者は中々ない。家族の内なら兄のヘクトル位なものだ。そのヘクトル兄にも神の加護は無い。が、幼い頃からとびぬけて優秀な兄は本来世襲ではない市政官の跡を継ぐのではないかとされている。クロノはそれに近い。5才でこれなら末は……。
「補佐官でも得たのか?」
流石に私自身だけでこれを作成したとは思われていなかった。手柄だけを貰い受けるのも無理がある。政を志す訳でもない私の補佐官に、のレベルではないのだ。下した決断は
あの幼女は有用。
明らかに異質なあの幼女は神の加護がなくても、だ。今しばらく有用性を確かめて、父に進言するべきか兄に雇い入れてもらうか……。
考えながらも衛士の詰め所に戻った所、来客を告げられた。
「クロノに付いて話を少々」
詰め所でする話ではないが、気取らぬ方が良いとの事で選んだのは庶民でも上街のそれなりの酒場である。この魚人の男が来ることを予想はしていた。水上都市、ヴァティカからの国使の一団に居た男だ。お互い素性は知れている。彼とは父の関係で国使を迎え入れる宴の末席に列した際に挨拶は交わしているのだ。男の名はアイギース・ヴァティカだったと記憶している。商人との触れ込みであったがヴァティカの王家に連なる名であることは瞭然。さらには護衛だか従者だかが一人ついている。本来一人で出歩く立場には無いのだろう。先日とは打って変わったその装いは、私が普段の衛士服だったならそれだけで下に付く様なものである。市政官邸から戻ったばかりであったことに安堵した。
その魚人と南橋で行き合って驚いたのは数日前だ。供も無く庶民の格好であのクロノに同行すると言う。相当親しげな様子であった。魚人は私と同じようにクロノと市で知り合ったに違いない。そして私があの幼女を神の加護持ちと疑ったように、この魚人もまたクロノの異質さに気付いたのだ。個室にまで伝わるざわめきと共に酒が運ばれてくる。肴は西都らしく近海のウニにイカ、イワシは香草ソースだ。
「ヴァティカには劣るやもしれませんが」
「いえ、美味しいですよ」
流石に魚人。ウニを扱う指先も洗練されている。杯も早々に魚人は言った。
「リビュート殿はあの娘を囲い込むおつもりではないかと思いまして」
やはり。この店は肴も美味いのだが、味わう余裕はなさそうだ。お互いを牽制する貴族的なやり取りは私には荷が重い。
通常神の加護を持った者は生まれの国に所属する。神の加護はそのままに国益だ。武力であり、経済力にもなる。現在この国の加護持ちは一〇〇人に満たない。その大半が貴族になるが、貴族でも加護持ちは三割程度。庶民なら凡そ五千人に一人。だから庶民に加護持ちがあれば国で、或いは貴族家で囲うのだ。神の加護はその能力以外に判別する方はないから、どうしても先に見つけた者勝ちになる。貴族間、国家間での加護持ちの引き抜きも揉め事になりがちだ。魚人と微笑みあう。
「……あの娘はまだ幼く家族もこの国の民ですしね。アイギース殿は水上都市へ誘っているのですか?」
撫でつけられた金の髪に装飾の襞も豊かな長衣、見事な珊瑚が埋め込まれた腕輪。相手が魚人なのに気圧されそうになる。
「私は断られましたよ。未成年の内に他国へ出る手続きをすれば親に露見すると」
てらわずに苦笑いする魚人の言葉取りに眉を顰めた。親に知られて拙いとは何か。そしてそれは成人したならば水上都市へ行っても構わないと言う意味なのか。
「だからリビュート殿の家門が手を打つ前にとお声かけさせて頂いたのです」
「問題でも?」
ヴァティカが食指を伸ばしているのならば、こちらだって動いて当然だ。
「親が手放したがらぬのですか?それならば名だけ貴族の養子でも構わないでしょう」
加護持ちを囲うのに養子縁組や結婚は良くある話なのだ。常ならば加護持ちはぞの家族ごと囲う。親兄弟、親しいものが居れば国や貴族家を離反する事はまずない。悪く言えば人質。加護にはそれだけの価値がある。勿論、名だけを貴族籍に連ねてそのまま暮らしても行ける。ところが魚人は違うのだと言った。
「あの娘はね、家族を人質に取られれば、これ幸いと塔へ逃げ込む恐れがあるのですよ」
家族はクロノの名で金を借りるような人間なのだと言った。国の官吏や貴族家に仕えれば、居所は把握される。未成年なら親が給金を差し押さえる事も出来る。つまりは奴隷と同じ。寧ろそのような境遇ならば国や貴族家は幸いとするだろう。親を取り込んで子の枷に使う。加護持ちを逃がさぬように。
「親は……」
あの異能にまだ気付いておらぬのだと言う。気付けばより高く値が付くところへ売り込むかもしれない。魚人は
「本人も親との関係を憂慮しているのでしょう。私個人としては塔へ送り出してやるのも良い気がするけれども」
と独り言ちる。お互いの立場としてそういう訳にも行くまいが。
「では加護ではないと本人が言い張るのはそれが理由で?」
「その可能性も捨てきれません」
この魚人は動くならクロノの不利にならぬよう願うために今宵訪ねて来たのだ。ではどうやってあの娘を取り込むか、だ。寧ろ縁を切らせて恩を売る方が良いのか。が、例え養子にしても過去には元庶民と冷遇され塔へ逃げ込んだ者もある。
「クロノは成人ぎりぎりまではこの西都に居るつもりだそうです。ですがその前に親に売られるかもしれない」
確かにあの年齢での小遣い稼ぎには驚かされたが、そこまでとは。
「……今宵の酒は少々酸いようで」
「リビュート殿をしばしば街道市でお見掛けしておりました。あなたならそう言うかと」
並みの貴族なら強引な手段に及ぶことも珍しくはないのに、どうやら甘いのはお互い様らしい。が、その魚人は最後に襟を正して明言した。
「ヴァティカはいつでもクロノを受け入れますよ。奴隷になってしまえばそれを買い上げるのは犯罪でも何でもない」
それが公式の立場。これは、こちらも早急に手はずを整えるべきだ。
「この度、ヴァティカはより一層のお取引を願って、西都に支店を設ける許可を頂きました。私めが駐在する事になりそうです」
その人選の一因にはあの娘の存在もある筈だ。水上都市に先を越されてはならない。




