6 家事手伝いも通常に
面倒事が順番待ちの列を作っているようなアタシの人生だけど、商売は順調ナリよ。1日のルーティンが定まって来た。朝は水道枡から水を汲んでくるのが家でのアタシの仕事。どの家の子供も役割があるのですよ。一見井戸に見える水道枡は上水であるポータヌ川から地下の樋を通って水が送られてくる。そのまま井戸を掘ったのでは潮が混ざる海辺の町の工夫だ。水道枡から水桶三杯を運べば一日何とかなるのだが、アタシは水を満たした桶一つを運ぶことが出来ない。非力でやんす。仕方がないので水は半分だけ桶に汲んで六往復。これを済ませている内に起きてくる父さんと一緒に朝食の麦粥。
クロノの父さんは竜車の御者だ。濃紺の髪に紺の瞳。御者らしい身体つきに騎竜袴。袴は竜の鱗や鞍に擦れても破れぬ丈夫な布で、腿周りに余裕がある。裾が纏わりつかぬようサンダルの長紐で脛を絞める。クロノは母さんを怒鳴りつけ、時に手を挙げる父さんを恐れていた。自分から近付くような事はしなかったんじゃないかな。父さんの方もクロノから嫌われているのを知っていたと思う。だけど父さんは何故クロノが嫌っているのかは分かってはいなかった。単純に母さんの味方だからと思っているに違いないね。アタシには「前」世の記憶がある。「前」のアタシと同年代の男を思い浮かべれば、まあ普通の男なのだと思う。揉めて激高する癖に結局金を融通してるのとかね。暴力はクズだけどな。
その父さんと一緒に家を出る。名目は将来の職業を決めるために色々見て回る、である。「水汲みも出来ないのに働くにはまだ早いんじゃないのか?」という父さんに「そうでもないよ」へへと笑ってその手を握る。父さんはちょっと驚いたようだけど、そのままアタシ達は歩いた。貸竜車屋のある中央の大路へ向かう父さんと別れて街道市へ。
街道市では南北の橋の間に並ぶ出店をチェックする。大路にはみ出す形になってしまう出店に要注意だ。あ、今日はファガ村の荷車が南大路にはじき出されているじゃないか。酒の味は分からないのだが、あそこの蒸留酒ならまず文句は出ない。そうこうしながらリビュートを見つけて木札を預かり、一働き。実はこの衛士をアイギースの後釜に据えようかとアタシは画策しているのだ。金に関しては為人をよくよく観察してからな。
そのアイギースはまだ西都で店を出している。国使様の滞在期間がまだあるのだそう。随行商人も優雅なもんだね。お蔭でアタシもそこへ赴き字の練習。基本二九文字や数字、単語の幾つかはすぐに覚えたから、今は商用書付の文言を覚えている所だ。この先もあるから市場の物品名だけでは勝手が悪い。「文章例とか欲しいよね。ラブレターとかでもいいよ」アイギースに頼んだら「ある訳ねえだろ」と言いつつ貴重な羊皮紙の商用書類を見せて貰ったりしている。そこに出てくる地名から地理も少々。なかなか勉強になる。そうするうちに昼になるから、ディオがやってくると言う訳。一緒に文字を習うかとディオにも声をかけたが「名前書ければいいし」断られた。ディオは家の手伝いの後、近所の男の子達とつるんでいるらしい。多分常に人気の竜騎士ごっこだね。貯めた金で「練習用の木剣を買うんだ」と言っているが、んー。止めはしないよ、アタシは。そんな調子で、アタシは全く気付いていなかったのだ。よそ見をしていた間に現実が追いついてくるのを。
アタシが迂闊だった。アタシとディオはずっと一緒に行動している訳ではない。
「あのさ、さっきクロノの母ちゃんにお前が家に入れる分の金を代わりに渡しておいたんだけど、5日分」
いつものようにアイギースのところで待ち合わせた昼前、会うなりのディオの言葉に世界の時間が停止した。アタシ達の儲けはいつも半分にしていた.。ディオはその大半を家に入れているようだった。が、買い食いをしてもディオはそれなりの金額を持っていただろう。そのディオに母さんが声をかけた。
状況が目に見えるようだった。
「困ったわ。クロノから貰うお金で支払うものがあったのだけど。もう遊びに行ってしまったのね。どうしましょう……」
アタシは便壺洗いの稼ぎを持って行かれて以来家に金は入れていない。母さんの貧民街には珍しい髪布に穏やかな物腰。普通に暮らしていればそんな大人が言う事を疑いはしないだろう。きっとディオは自分から言ったのだ。
「俺の分から渡しておいてもいいよ?この後クロノと会う時に返してもらうから」
金額は大銅貨一〇枚。アタシ達には5日分の稼ぎで、大人なら凡そ1日分の収入。ディオがそれ程の金を持っているのを知って母さんは喜んだに違いない。
市場で鉢合わせて以来、母さんからアタシの小遣い稼ぎに付いて何も言われなかった。アタシは思い込んでいた。就労にはまだ早い年齢であるから、家に金を入れるよう言うのは憚られているのではないか、アタシが顔をあわせるタイミングをずらしているのが上手く行っているのではないかって。甘かった。
「何かまずかった?」
戸惑ったこ焦げ茶の瞳。家に稼ぎを入れるのは当たり前の事だ。ここは家族が協力し合って暮らしている社会だから稼ぎのない子供だって家の手伝いはする。恩はあるのだ。雨風を凌げる住まい、着る物も食うものも。赤子の頃から乳を含ませ尻を拭きして貰って生かされている。寧ろ稼ぎがあるのに家に入れないアタシの方が異質。自分勝手で我儘なことなのだろう。だが、
気持ち悪い。
全身の血が濁るような気持ちの悪さ。自分の顔色が変わっているのがわかる。落ち着け、アタシ。まずはアイギースから預けてあった銅貨を出してもらい、ディオに返さねばならない。金を預ける理由をちらと話した事のあるアイギースはこの状況をどう解釈すべきか迷っているようだ。「いいのか?」難しい顔をしながらも銀貨を一枚出してくれた。ディオの掌にそれを乗せる前に言った。
「…あのさ、アタシは家に金を入れる気は無いんだ。今までもしていない」
ディオはきょとんとアタシを見返す。アタシが言っていることが事実ならば、アタシの母さんがディオに噓を突いたことになる。「え?あれって嘘だったのか?」それが理解できなくて混乱しているのだ。母さんは嘘をついたのではない。アタシの母さんにとっては。だから、
気持ち悪い。
「……だけど、クロノの母ちゃん、親父に殴られて可哀相だし」
生活が苦しいのなら少しでも手助けすべきだとディオは言う。寧ろその為に働いていたとディオは思い違いをしていた。
これが二度目で無かったら、
アタシだってそう思ったかもしれない。家族が困らないくらい十分にアタシに稼ぎがあれば母さんは殴られなくなるって。それは多分違う。何故困窮しているのか、アタシはそこをまず考えるべきだったのだ。「前」も「今」も。
「前」世の母は言っていた。
「家族にちゃんとした暮らしをさせてあげたいの」
「節約しなくっちゃ」の言とは裏腹に、数は少なくても「これは物が良いのよ」値段を吟味しない食料品に衣料品、毎月の美容院に化粧品。そして人付き合い。一見、慎ましく暮らしているように見える。ただし、母の言う「ちゃんとした暮らし」は収入の範囲内では賄えなかった。そして母は足りない時に「ちゃんとした暮らし」の何かを削るのではなく、足りない分は誰かに貰えばいい、そう考える人だった。
「家族だから困っているときは助け合うべきよ」
そんな綺麗な言葉で、自分は生活の水準を落とさずに、自分の事を収入の範囲でやっている人から持ってくる。「今」も「前」と同じなのだとアタシは気付いてしまった。
同じ稼ぎを持ってゆかれるのでも実子ではない等の理由でいたぶられているのなら理解できる。憎んだり蔑んでいるのなら解るのだ。悪意なく奪う事が当たり前の相手、それは家畜だ。アタシは家畜。だから気持ちが悪い。そして本当に気持ちが悪いのは「前」で絶望して死んだのに「心の奥底ではそんな事は無いんじゃないか」まだ期待をしてしまうアタシ。
「前」でもいい人ほどちゃんとした人ほど、アタシが言う事を信じなかった。大人だった「前」でさえ人に説明できなかったそれを、アタシはディオに伝えることが出来るだろうか。アイギースの屋台の裏に座り込み、焦げ茶の瞳を覗き込む。
「……あのさ、ディオがアタシのこと好きなのは周りの子と比べて身綺麗にしてるからだよな」
ディオはアタシと同じ貧民街に住んでいて、口が悪くて、女の子と仲良くする方法を知らない普通の男の子だ。
「え?違っ…いや、違わな…すっ好き?いや…」
苦笑い。上街なら十人並みでも、手に届く範囲では小奇麗。近くで見たい。話をしてみたい。一緒に遊んでみようか。そんな珍しい虫を捕まえておきたいと思う様な好意がきっかけだったろう。ディオは真っ赤になりながら「そんな事だけじゃねえけど……」ぼそぼそと呟く。
「それは、ほぼ毎日公衆浴場に行ってるからだ」
ディオには理解できないかもしれない。
「このお使い稼業、上手く行ってるのはアタシが屋台メシの値段を覚えてるからなのはディオにも判るだろ?」
きっと理解はできないだろうけど。
「それはね、毎日のように屋台でメシを買っているから覚えたんだ」
何故クロノが街道市の品の値に詳しいのか。それは毎日のように母さんが食事を買うからだ。西都には税である労役でやってきた者も多く居る。独り身の者ならばそれでやっていけるのだろう。だが、家族単位でそれは無理だ。出来上がったものを購うという事は安い食材を選び煮炊きするよりも費用が掛かる。ディオの家ではそんな事は無い筈だ。貧民の常食は麦粥。子供にとっては自分が基準だから他所の家庭がどのように暮らしているのかなんて分からない。アタシだって二度目だから気付いた。自らやりくりした経験のない子供にはその良し悪しすら判断することが出来ないのだ。そして気付いたとしても、子供に親の金の使い方を云々する事は出来ない。
「そういう暮らしを止めるのではなく、アタシの稼ぎを持ってゆく方を選ぶのがアタシの親だ」
就労可能な年齢になったらアタシを働かせればいい、そう考えるのがアタシの親。給与を親が受け取る形の徒弟だろうか。それとも最初から借金奴隷か。追い借りをされれば、死ぬまで働き詰めになる。
「家族はずっと家族なの」
この気持ちの悪さから逃れてアタシがアタシ自身の人生を送る事は無い。撲られても蹴られても髪布をとろうとはしない母さんは今日も神の標を廻って過ごす。いつか加護が得られると信じて。
「前」では自分が稼いで家族を食べさせるようになって漸く分かった。「お金をください」に、父と同じ怒りにまみれて気付いた。稼ぐには限界がある。自分が幾ら切りつめても、人から貰うのが当然と思っている人間がいる限り共倒れだ。そしてアタシの稼ぎ全てでも足りないとなればどうなるか。クロノの記憶、これまでの母さんの言動から推測できることがある。
「アタシはさ、遠からず売られる」
「は?そ、そんな事、親がする訳な……」
ここの社会は前ほど豊かではないから、全くない話ではない筈だ。でも、それが普通の感性だろうな。
「自分を買い戻す金を貯めているんだよ、アタシは」
「前」世ではアタシが返済しなければならない形での借金だったな。アタシは持てる全てを失って、それでも足りずにそのまま死んだ。
「そんな筈ない!親はそんなことしない!」
ディオは赤い髪が逆立つ程に腹を立てた。ディオの家ではそうなのだろう。ほかの多くの家でも。良かったな、ディオ。それって幸運な事なんだぞ。だから、ディオには解らないよなぁ、やっぱり。
唐突にアイギースの大きな掌がアタシの頭を包んだ。背中を向けていたけれど店番しながらずっと聞いていやがったな。
「水上都市に来てもいいんだぜ」
水掻きのある掌のその温かさに息苦しくなる。そう出来たらいいのだけどね。だけどさ、収入源を逃がしたままにしておきはしないだろう。元手をかけて育てた家畜。どこに居るのかばれた時点で元の木阿弥。未成年であるという事は親の所有物なのだ。へらっと笑う。
「家畜は逃げたままにはしておかねえよ」
ディオにはその比喩がわからない。アイギースには分かったのだ。




