4 経糸 アイギース
陽も傾いて、「こんなもんかね」店を畳むことにした。商品は装飾品が中心だがほとんど売れてはいない。手に取ってみてもいいかと目を輝かせる女達もいたが、陳列された珊瑚やべっ甲、真珠に気を惹かれながらも行きすぎる者が大半。ああ、幾らか貝釦が売れたな。裕福な庶民向けの仕立てか。西都には何度か訪れた事があったが、その時と変わらぬ様子にしか見えなかった。一緒に西都へ入った商人たちは今日どれ程売上げたろうか。昼には飯を届けてみたが、この街をどう感じたか。
商品を鍵のかかる小箱に収め、さらにそれを背負いの付いた木箱へ。出店の天幕を剥がして片付けてゆく。骨組みを纏めてしまえば移動できる。声が掛かった。
「アイギース」
昼間、食事の買出しを頼んだ庶民の幼女が立っていた。さらりと流れる水色の髪に深い紺の瞳。午後の間に着替えたのか身に付けた物に清潔感がある。クロノといったか。この子供らは小銭をそのまま騙し取るような事もなく、任せたメシも中々だった。街の治安を判断するために使いをやらせてみたのだが、駄賃など幾らも無かったろう。大人としては少々居心地が悪かったので、再度買出しと配達を頼んだあの幼女だった。金がとれると踏んでまた来たのか。治安に関しては認識を改めた方が良いかもしれない。
「どうした?一人か?」
連れの赤髪の坊主はいない。が、次の女児の言葉には意表を突かれた。
「アタシの稼ぎをあんたに預かって欲しいんだ」
何だって?茜色の潮風が水色の髪を浚う。小遣い稼ぎに味を占めたのかと思いきや預けたいと言う。正直困惑しかない。今日知り合ったばかりの、遠からずこの街を離れる余所者の商人に向って言う事とは思えなかった。幼さ故の思い込みか何かだろうか。
「そういうのは家族に……居ない…のか?」
孤児なのかと気を回せば、
「居る」
と言う。僅かに緊張で震える口元をみれば巫山戯ているのではなさそうだった。なれば家族には託せない理由が何かあるのだ。住まいや寝床にとり置くのも、身に付けて過ごすのも不安になるような。まあ事情は夫々あるだろう。だがなあ……了承はし難い。
「大事なものを預けるのならあのボウズの方が良いんじゃないか?」
少なくとも赤髪の子供とは仲が良さそうだった。クロノは齢に似合わない皮肉な笑みを浮かべる。
「あそこは親がまともだからね」
確かにまともな親ならば我が子が余計な金を持っていれば気付く。きっと出所を確認するに違いない。それが我が子ではなくその友人のものならば、その親に告げるだろう。ああ、親には内緒なのだったか。なるほど事情はありそうだ。だが、それでも金を託す相手が自分だというのが解せない。他人を信じれば騙されるのが世の常。
「俺が金を持ち逃げしちまうかもしれないぞ?」
揶揄うように不用心さを嗜める。それに対して幼女は言った。
「戦で街が焼ければこんな端金あっても無くても同じだろ」
何だって?
数瞬思考が停止した。今のは本当にこの幼女が発した言葉か?自分の空耳ではなかったか。
「……どういう…意味だ?」
戦を思わせるような空気はこの街に無かった筈。何故そんな事を言い出す?薄気味の悪さに半笑いしながら問い返したのに、更なる答えが返って来た。
「こっちが聞きたいよ。ヴァティカは攻めてくるのかい?」
生唾を飲む。ヴァティカは我が故国、海上都市の名だ。何故、魚人が攻めてくると思ったのか。その理由は何だ?表情を作れている自信は無い。
「アタシ、この街で魚人を間近で見たのは初めてだ。ほかの魚人ってフード袖付きのマントを着てるんだな」
「……亜人、だからね」
幼女はいたって普通に喋っているのに笑顔を返すのが難しい。いや、これが普通である筈がない。身近に子供はいないけれども、この幼さでこの話し方。連れの赤髪と比べても違和感がある。
「売ってた海藻に干物、かなり安めだった。あまり売れてなかったけど」
商人として能がないのか、敢えて値を低く設定しているのか。区切って俺の目を覗き込む。
「どちらも結構日持ちがするのにね」
ぞくり。
首筋を怖気が走る。「それがどうした?」何気なく返すだけでいいのにそれが出来ない。
「だけどここの装飾品、出店で買ってもいいと思うほどの値段じゃあない。中央からは外れた南橋で、亜人の姿を曝して。物は良いからどうしても欲しがる相手にしか売る気がないんだろ」
商売に本腰を入れていた訳ではない。偶さか買い物をした客は余程見る目があったのか、運が良かったか。それも幼女の言う通りだった。幼女は鬱っそりとした笑みを浮かべる。理由は干魚、海藻と同じ。もうこの幼女から目が離せない。
「商売が下手なだけ?国使がきてるんでサービスかい?いやいや、魚人だって隠してるじゃないか。とっても不思議だったから他の輸入品店で聞いちゃったよ。ヴァティカの輸入品って協定で最低価格が決まってるんだってね。利益はほぼ0。そいつはもう商売じゃない」
その事にこの幼女は気付いている。市で物の値と品の動きを見ただけで。
「居たかい?どうしても持ち運びのできる資産を欲しがる奴は?」
この国が戦を控えているのならば、日持ちのする食料は売れる。兵糧に或いは罹災時の備蓄に。身に付けることが出来、換金できる宝飾品は持って逃げるに都合が良い。どちらもこの国が戦を企図しているかどうかを測るためのものだった。西都は宮城に招かれている国使が国の中枢との交流の中で、自分たちは民草のレベルでその臭いをかぎ取ろうとしていた。
露れた。それもこんな幼女に。
いや、これはただの幼女なのか?レインクロー。小魚に変化して漁師を騙し喰らう海の魔物、その名が浮かぶ。震える胃の腑から上るえずきを押さえて言った。
「……ヴァティカじゃない」
戦の噂が流れているのはこの国と隣国ミノスにだ。ヴァティカはその双方と取引がある。特に穀物の輸入はミノスにその大部分を委ねている。状況としてはまだお互いの出方を窺っている程度。
「あー、ってことは西都の側にはまだ戦の雰囲気はなくて、ヴァティカではない他所の国が攻めてくるって話?…マズくね?」
即座に出てくる推論からそれが幼女自らの考えであると判る。「でも、そっちはアタシにはどうにもならないしね」だがしかし何だ?何なんだ、この幼女?
「で、だ」
幼女はニカリと笑う。
「そういう理由でこの街に居るのなら当座でいいよ」
「…………」
虚を突かれた。そうだ。そういえば、そうだった。この幼女が金を預ける理由を聞いていたのだった。
「もうー最初から、お金預かってくれない?って話でしょー」
また唐突に年相応な口調に戻る。それは目の前で変化を続ける化生のようで
「預かってくれなきゃ、魚人は市井で諜報活動行ってるって噂が流れちゃうヨン」
一筋縄ではいかない。更には一人で来た理由「アタシに何かあれば、あいつが動くからね~」用意も周到
(これが化生ではなく)
自分が下手を打った所為で最早白ばくれることは出来ないが一応聞いておく。
「……お前の読みが外れていた場合はどうするつもりだったんだ?」
「あーその時は幼児性愛者だって脅して」
は?いや、それは勘弁してほしい。
(レインクローで無いのなら)
「……お嬢ちゃん、加護持ちか」
この幼女には神の加護があるのだ。この世には神から加護を賜った者がある。嘗て国を興した英雄のように、良く使えば一国の興隆に関わる。例えばこの娘が周辺他国を従える程の知識や技を生み出したならば……。先程とは違う意味で背筋が震えた。ところが
「そんなものがありゃ、こんな苦労してないんだよ、アタシは!」
憮然とした答えが返ってきた。いや、そんな筈はない。これが神の加護で無いのなら何だと言うのだ。
「数多事象から理を導く叡智の神メーティスの加護。いや、世の隅々まで見通す天眼の主グラウクスの加護があるんじゃないのか?」
「ひょっとして神の加護って本人にも判らないうちに授けられてたりする?」
幼女は小首をかしげる。
「それはないな」
加護を得てその技を振るう時、この世界の有様に触れるあの感覚が分らぬはずがない。それはこの身をもって知っている。
「じゃ、違げーじゃん!」
違うのか?本当に加護ではないのか?いや、しかし……。この娘面白い。
「金を預かるのは兎も角、金が要りようならうちで働く気は無いか?」
欲しい。
と思った。こんな幼女の存在がまだ誰にも知られていないとは。が「売国奴の謗りは避けたいし、まずはお互い信用できるかを測るべきでしょ」ときた。増々もって。
「これはアタシの人生を買う金になる」
その左手首には奴隷の入れ墨はまだ無い。だがこの娘が見ている先にはその可能性があるのだろう。
「解った。それを預かろう。利子は必要か?」
「利子は要らない。その代わりこの街にいる間、アタシに読み書きと世の中の事を教えてくれないか?地理や周辺の都市や国に付いて。その程度なら商売の邪魔にならないだろ?」
その程度どうという事は無い。寧ろそうして信頼を得て、その先に繋げるのが良かろう。幼女は言った。
「アタシはこの金で今度こそアタシから逃げきって見せる」
何者にも妨げられる事のない者になりたいと。




