21 ご挨拶(営業)にあがります
辺境領主邸から火の手が上がったのは、所謂辺境の病の患者の隔離が始まってから中一日たっただけの朝だった。日の出から幾らも経たぬ刻限、敷地内の各所に積み上げられた薪の山に最初の火が点じられた。登る陽を焦がすように炎の柱が幾つも上がるまで僅か。生き物のようにのたくった炎が縦横に走る。炎があり得ぬ動きで燃え移るのは八方に一人ずつ配された火の加護持ちの技。炎を操る彼らによって、手入れのされた季節の庭も、竜車の屋根も蔵の数々も瞬く間に燃え上がる。生木にさえも燃え移り、焼かれた石が熱で爆ぜる。睡蓮の咲く池が沸いて泥の臭いのする水蒸気が満ちた。領兵が訓練に汗を流した練兵場も、その主が愛した木立も、集った者の笑い声があがった空までも全てが炎に包まれた。予め始末してあった騎竜の死骸に火が付くと暴力的なその臭いが辺りを支配する。食欲をそそる肉の焼ける臭いに、顛末を見守った宮城の兵等は寧ろ吐き気を覚えた。
これ程の大火に周囲の邸々が騒然とならぬのはやはり八方に配された風の加護を持つ者たちの技だった。火の粉一つも漏らさぬよう、辺境領邸の敷地に沿って上方へ向かう風が壁を作る。黒煙が上がり始めたのは館に火が移ったからだろう。ぎりぎりまで粘って運び出そうとした多くは、問題がないとされていたにも拘らず買い叩かれ、忌避された。書類や宝飾類、現金の僅かな物を除いて持ち出しきれなかった調度品、部屋部屋にさし渡された布、絵画に彫刻、屋敷を彩っていた品々が、蔵に収められていた今年の麦も、危険は無い筈のそれらがただ炭にされたのは、この騒動の発端となった懲罰の意味もあったろう。炎は陽が中天にかかるまで辺境領主邸を焼き続け、その後も三日くすぶり続けた。
「辺境の病は彼の地から西都に持ち込まれた食材によって広がった」
辺境領主邸を焼き尽くすことで市中を騒がせた疫痢の終息は宣言され、あらゆる隔離は解除された。
篝火が焚かれた市政官邸の正門は夜更けというのに開け放たれ、伝令だろうか人の出入りが絶えない。門衛はそれぞれの顔を確認してから槍を下げている。
「本当に正門でいいんだろうな?」
アタシを抱き上げたまま連れて来てくれた港湾警邏の親父兵が声を潜める。送りは裏ではなく瀟洒な正門を指定した。親父はアタシの身形から親が市政官邸の使用人だと思い込んでいる。が、正門。もしも幼女の親がこの邸の主のお気に入りであれば、無関係の者を追い回した事を告げ口をされるのではないか、そう思ってビビり散らかしているのだ。んー、状況はもうちょっと悪いと思ってくれたまえ。親父がひけた腰で門番に声をかけようとしたところで、「おーりーるー」身を捩ってその腕から飛び降りる。予め涙と鼻は親父の肩で拭いておいたぞ。着ている胴着の裾で拭いたらノーパンの中身が丸見えだからな。両者の前で膝をつく。声は朗と。
「ご当家三男リビュート様の手なるクロノ。当晩市中を騒がせております件で至急の報告有りて候。家令ベルティナス様にお取次ぎを願いたく」
多分リビュートはここには居ない。今晩はそれどころではない筈だ。代わりに告げたのは前に聞いた「何かあれば訪ねておいで」市政官邸の家令の名。話は通して置くとの事だった。左膝を立て左の手はその膝に、地に着いた右膝の前に軽く握った拳をつく。本来は剣や槍を平置きして行う宮城の礼。先日、宮城で見てきたものだ。5才の袖なしの幼女に有り得ない口上と振舞いに門番もアタシを送ってきた兵も共に固まった。「おっ、お前…」使用人の子供どころか幼女の身にして雇われ本人だという事実とその豹変ぶりに慄く。悪いね。
訝しみながらもおふざけではないアタシの様子と宮城兵の護衛付に伝令が屋敷内へと向かう。何でも人力ってそういう事。インターホンなんかないから伝令が複数待機して行き来するスタイルね。戻ってきた伝令がアタシに付いてくるよう示す。それに続く前に一度振り返り、礼の代わりに親父に向って唇に人差し指を一本あてて見せる。黙っててね♡或いは黙っててあげる♡そのまま投げキッス。送り、ご苦労。狐に抓まれたってああいう顔なんだろうね。こっちでなんて言うのか知らないけど。
開け放たれているのは正面玄関も同じで「ここで待て」玄関ホールは兵や使用人が慌ただしく行き来していた。そこに彼が通りかかったのは僥倖だった。場にそぐわぬアタシの姿に2階から目を止めたのは濃い緑の髪に緑の目。リビュートに似ている。膝をつく。その間に一階の奥から現れた壮年がアタシに歩み寄って言った。
「クロノ、だな。市中で何かあったのだろうが、今宵はとてもそのような話を聞いていられぬのだ。後日…」
ベルティナスか。生地を幾重にも重ねた豪奢な衣装はとても使用人には見えない。これが市政官邸の家令かと怖じかける。頑張れ、アタシ。無い筈の自信を腹に込めて
「その件ではございません。只今市中を騒がせております事態を動かすべく参上しました」
この声が二階まで届くよう。通りかかった使用人が振り返る。
「疫病やもと恐れられている辺境の病は寄生虫が原因です」
敢えて断言した。目を伏せた床に影がかかる。
「ヘクトル様…」
いつの間にか二階から降りて来ていた男はやはりリビュートの兄ヘクトル。リビュートからこの人の養子に入るよう勧められた。加護は無くとも合理的で優秀な人だと聞いている。そのヘクトルが何故アタシの話を取りあおうとしたのかは分からない。リビュートがアタシの事を盛って伝えてくれたのかもしれないな。加護持ちの可能性がある、とか。この機会を逃すな。勝手に面を上げた。
「寄生虫だとすると辺境の病はヒトからヒトへは容易には伝染らない。只今の宮城の対応には過誤がございます」
無礼にも次期市政官ヘクトルを正面から見る。ベルティナスがアタシを止めようと手を伸ばす。今この瞬間、兵に囲まれたエリトゥラの皆は、アタシだけを逃がしたフリュ姉はどうしているだろうか。身を潜めた黒髪兄妹は、ヘスティアとアイギースは、野営地の皆は。以「前」はどこの誰とも繋がらず、寧ろ切り捨てようとしたそれ。その皆のためにどうすれば良いのかをアタシは、
「ただ、アタシはそれを知っていても、どうすれば良いのか分からない」
神の加護などなく、5才で袖なしのアタシでは。そうして「前」では一度もしなかった事をした。
「どうかこの事態を収束させるお知恵とお力を」
首を垂れる。アタシは傲慢だった。簡単に光に惑わされる幸福な人達には解りっこないって口を閉ざした。「民事不介入って知ってる?身内の事は身内でやってくれないと」警察も「一緒に暮らしてきた家族でしょう?」役所も一度断られて諦めた。だから自分で何でもしなきゃって。本当はアタシの知らない手段や方策はあの時だってあったかもしれない。自分が知っている事だけで応じようとするのは、それは傲慢。自分でそれが出来ずとも、それを知る誰かに知恵を請え。ディオが教えてくれた。
返って来たのは「証拠もない戯言」でも「過誤とは不敬」でもなかった。
「で?」
ヘクトルは無表情なままアタシの身元の確認もなく、話の続きを求めた。え?何故それを知ってるとかその年齢でとかないの?あー、合理的ってそういう?「前」にも居たわ。使えるかどうか以外の基準が異常に薄いのな。ならば話は早い。神の加護ではないが、装わず素のままのアタシで良い。再び顔を上げた。
「病の原因が寄生虫であることを誰の目にも明らかになるよう証明したいのです」
「寄生虫とは条虫や回虫といったものだろうか?」
それなりの大きさがあるので「今」世でも知られている寄生虫だ。
「目に見えぬ程の大きさの寄生虫も居るのですよ。血液中や肝臓に寄生するものも。肝臓や脾臓に負担がかかれば、最終的に腹水、腹に水が溜まる症状、巷では魔物が巣食うと言われている症状が出ます」
ヘクトルが興味を持ってくれたのが、眼の動きで分かった。険しかったベルティナスの目も変わる。この幼子の語彙は明らかに不自然。何を知っているのか、何者か。もしや…。
種を明かせば何のことは無い。アタシはそれを「前」から知っていたのだ。ヒトに寄生する寄生虫はいくつもあるが、中間宿主を要するそれについて調べた事があった。「前」世で友人をキレさせた時に、その理由を。中間宿主とは寄生虫が幼生期に寄生する宿主の事。成虫が侵入寄生する終宿主とは別種になる。つまりそのライフサイクルのなかで生息、寄生する場を移してゆくのだ。犬猫を飼っている人は知っているかもしれないが、寄生虫は結構な頻度で存在する。未加熱の中間宿主を食して寄生されることもあるし、肌に触れることで取り込まれるものもある。有毒物以外で不特定多数の同一症状ならこれだと踏んだ。
「それを証明して市中の騒動を納めろと?」
「それに限りません。病原が明確でない以上、隔離のための人員が感染源に接触する可能性が高い。つまり患者がまだ増える。主に辺境領主邸を囲んでいる兵が」
ベルティナスが息をのむ。
「これら疾病に対して対応すべきは3点」
指を折りながら続けた。
「まずこの病の原因を明らかにする。その感染経路を明らかにし、新たな患者が出ることを防ぐ。現在の患者から治療法を確立する。」
現状、宮城が行っているのは2点目の半ば、隔離のみ。それも病原が寄生虫ならば隔離の対象を間違えている。
「付いてまいれ」
大丈夫、アタシは5才じゃないのだから。
市内の隔離政策を実行しているのは宮城の兵であり、指揮所や指揮官も宮城に違いない。が、市政官邸は誰がどこに住んでいるのかや衛生管理も管轄統括している。蚊帳の外に置かれている訳もなく伝令が行き来して状況を把握のだろう。文官数人が執務机についている場に通される。文官でも立ち襟のシャツに長い上着で貴族然とした格好だ。袖なしの幼女の姿に眉を顰めるが何も言わない。市政官殿らしい姿がないのは宮城の方に行っているからか。
座るように言われた革張りの長椅子は正面にヘクトル。アタシの斜め後ろにベルティナス。アタシがまた非礼を働かぬようにだ。
まず寄生虫が事実かどうかの確認。木札とペンを要求し、寄生虫の生活環、ライフサイクルを図示しながら説明。それだけで部屋の空気が変わった。残念ながら神の加護じゃないのよ。だからアタシは「前」世の記憶を浚う。
「神の加護で確認できない物ですかね。一定範囲内の生物を特定するような」
寄生虫の有無はまずは検便。患者の便の中に寄生虫の卵が含まれていないかを確認したい。採取は簡単だ。アタシに馴染み深い便壺を持って来ればいい。ただし、今世まだ顕微鏡がないのは分かっている。一般家庭に鏡がない程なのだから。そこをチートな神の加護で何とかならぬのかというのが最初の相談。どんな加護が存在して、何に使えるのか。アタシには5才の常識しかない。
「広範囲な索敵などを行うものが居るが…」
レーダー?索敵って木や虫や小動物を除いた一定の大きさの生体をマークできるって事だよね。いや、そんなマクロな話じゃなくてですね。アタシがイメージしているのは顕微鏡とかなんだけど。
「いえ、微細なものを大きく見せるとか感じるとか…」
レーダーの加護持ちがそういったことが出来るのかどうか。「確認を取ろう」伝令が出てゆく。で、その彼が顕微鏡の役割を果たせたとして……片顔を手で覆って思考を巡らす。
「うーん…その範囲を人体に限定して生命反応をー無理か。人体の中の生命体なんて数え切れない。では、形状は幼生になるけど中間宿主の方で……それも同じか……」
アタシが想定しているのはヒトに限らず哺乳類に寄生する住血吸虫。「前」でいうなら日本から中国、東南アジア、一部アフリカにも生息する寄生虫だ。本州九州では駆除が進んで記憶が薄れた、それ。「前」で得た知識では、中間宿主は水棲の貝だった。
ここでは多分、陸貝。
中間宿主から終宿主へ移る時に水を介する。水場に潜んで終宿主を待つのだ。それこそ草露ほどの水であっても。
「……水」
ああ、だから使用人もなのだ。
「患者の便と陸貝、辺境領主邸の水を調べてください」
中間宿主から寄生虫が離脱したところを捕捉すればいい。アタシが口にする思い付きをヘクトルが書き取り優先順位をつけてその方法を検討。文官が精査して宮城であろう対策本部へ伝令が飛ぶ。
「最終的に患者に死亡者が出た場合に解剖、腑分けを医師にお願いして病変した肝臓を……」
腑分けの言葉に室内がざわめく。遺体損壊はここではタブーか。幼気な幼女どころか異常者か罰当たり、極悪人じゃん、アタシ。
「腑分けは難しかろう」
「では確認でき次第、辺境領主邸への立ち入りを禁じてください。立入禁止が先でもいい。水なんかどこにでもある。誰が触れても可笑しくない」
蓄積されねば問題ないが、下手したら飲んでるだろうし。寄生虫であることがはっきりすれば罹患を防ぐ方法も確立できる。
「発症者は一ヶ所に集めて看護。施療院の一部を専用にするとか」
伝染らないのなら隔離の必要はないが、これは当座周囲の悪意から患者を守るためでもある。また伝令が出てゆく。
「市中に正確な情報を流して不要な隔離を停止」
実のところ「辺境の病は伝染らないらしい」その噂は既に流れ始めている。ディオに頼んでおいた。まずは長屋の周辺から明日には街道市でも。
「それから――」
辺境の病の病原が寄生虫であったことは朝が来る前に確認された、らしい。アタシじゃない神の加護持ちの皆さんが頑張ってくれたお陰。まあ、アタシはアレを見てるから自信はあったんだけど、今度は正解でよかったっス。そういった全てが実現したのはリビュートの兄、ヘクトルの手腕だ。やるべきことは無数にあるのに、アタシに出来ることは一つもなかった。が、独りではないという事、誰かがアタシの言う事を信じてくれる事、たったそれだけの事がこれほど頼もしいとは。アタシがその詳細を知らないのは、更に対策を講じる間に意識がもたなくなったから。5才児時間切れでした。




