20 高価買取いたします
ヘスティアの行方が分からない。
「門外に出ていないのか?」
「その門外から戻ってきたんだ」
工場の稼働に向けて隣村と行き来する生活をしていたアイギースが野営地に戻った時にはすでに兵に囲まれていたらしい。辺境の病の患者が含まれているためか兵らは距離を取っていたと言う。病人でも関係なく引き据えられてはいたが、野営地を病人ごと焼き払う命令が出ているのなら既に事は終わっていただろう。それはまだだ。あの集団で桃色頭は目立つから遠目にヘスティアの不在を確認してアイギースは西都の内に戻った。際どいがまだ時間は残されていると思った。だが、ヘスティアはアイギースの滞在先にも戻っていないと言う。
「部屋に畳んだ屋台だけが戻っている」
おいいー。天を仰ぐ。黒髪兄妹を迎えに行ってどこかに匿わなきゃならないし、エリトゥラは囲まれたままだし、隔離のための兵士は何しでかすか分からんし、その上ヘスティアも探せって……あー、思い至った。
「…多分、お姉さんの所だ」
ヘスティアの姉は辺境領民の特徴、黒目黒髪だ。姿絵を描く時にアタシも一度顔をあわせた。ヘスティアは迫害が迫っていると聞いてそこへ向かったに違いない。クッソ。だから光属性イヤなんだよ。なんでも綺麗事で押し通せると思っていやがる。
「娼館。女神の花籠亭だ」
今にも駆けだそうとするアイギースを止める。
「アイギース。娼女を買うには金がいるんだよ。連れ出すなら身請けしなきゃ」
大人なら判る道理を敢えて言う。娼女は給金の前払いの形で娼館に借金がある。ヘスティア姉もそれだ。その借金に店の取り分を含めた額を支払って初めて自由になる。彼女の場合、身売りから間もないから利子はでかくなっちゃいないだろうが。
「俺が出す」
おいいぃ!そこまでヘスティアに入れあげてるのかよ!だったらこんな事態になる前に何とかしろよ……あー、たった今自分の気持ちを自覚した、と?目が泳ぐ位こっ恥ずかしいぞ、それ。でもな、金に不自由しない身分なのは結構だが、今度は別の問題があるでしょうよ。
「もともと姉妹だけど、ヘスティアはどうするんだよ」
「なっ、何教わってきてるんだ!」
そいつはどうやら「前」世と同じ表現をするらしい。娼館では教わってないけどなー。アイギースの珍しく狼狽えた姿にディオきょとん。だが、イタさないつもりの相手に何処までできる?聞いた。
「幾らまでなら出す?」
「相場がわからん」
財布であろう巾着ごと寄こした。持ち重りのする中をのぞいて唖然。大小の真珠がみっしり。あーあー、どいつもこいつも。
「アタシに任せな」
ここまでされちゃあ、しょうがない。アタシも女みせてやろうじゃないの。
ディオとアイギースにそれぞれ指示を出して向かった女神の花籠亭。オーナーはとある中流の貴族で、元娼婦が雇われママをやっている人気店だ。案の定、そこにヘスティアが居た。こんな晩に客なんか来ない。娼女達が客席に座って駄弁る珍しい光景が広がっている。肴はヘスティアだ。隠れてろって言ったでしょうよ。
「ヘスティア、何やってるんだよ」
「クロノちゃん!」
この状況で「ちゃん」……、もうそれだけでがっかりよ。これってアタシの偏見の所為なのかどうか判断に苦しむ。そのヘスティアに対峙しているのは雇われママのババア。二昔くらい前には西都の女神は彼女の二つ名だったらしい。面影?微塵もねえス。このババアとは姿絵を描く時にバッチバチにやり合ったが、収益が上がるようになった途端に掌を返しやがった一人だ。そう、元女神は今ではゴリゴリの守銭奴。どう育っても女神には成れないアタシと同じ臭いのする愛すべき因業ババアである。
「おや、あんたエリトゥラの」
新たな登場人物に観客の娼女達も興味津々。家族が娼女を請け出しにくるなんてないからね。しかも金も持たずになんていうのはいい見世物だ。おろおろと見守るのはヘスティア姉。
「あー、バアチャン、どうせヘスティアが娼女渡せとか言ってるんだろ?」
「そうだよ。金払えば好きにしろって言ってるんだけどね。金は無いって、馬鹿にしてるのかい」
「ここに居たら危険なのに!」
それでもいなきゃいけないのが奴隷で身売りでしょうよ。どう聞いてもババアの方が真っ当な事を言っている。だけどな、アタシもアイギースの財布を預かってきてますからね。
「今、西都じゃ黒目黒髪の人間が捕まえられてるのは知ってるよな?エリトゥラ商会が囲まれてるのも同じ理由だ」
この場の誰もが承知しているそれを敢えて言う。
「槍もった兵士が踏み込んで好き放題するぞ。案内所の宣伝文句が黒目黒髪の娼女は当分客なんかつかねえ」
「髪なんざ染めればいい」
「その前に兵士に持っていかれりゃ丸損だ。元手とこれまでの経費で手を打つ方がお得だと思うぞ。財布預かって来た」
娼女を買うと宣言した。ヘスティアが息をのむ。誰の財布か分かったらしい。それが分かる位なら、姉を連れ出そうとしてくれるなよ。ババアが思案するのを待たずにアイギースの財布から大粒の真珠を一つ取り出して卓に置く。様子を見守る女達から感嘆の声が上がった。これだけでもかなりの額だ。
「もっと出せそうだね」
「んー、そうでもない。これだけ」
ひっくり返した財布からは小粒の真珠が二つ出て来て終わり。元々入っていた分は別にしておくに決まってる。
「じゃあ、これにあと大銀貨7枚だ」
「そんな……」
「今」世人間は安い。最上級の特大真珠だけでも相当だから娼女一人の借金には足りる程。プラスの大銀貨は一枚で一〇万円位の感覚かな。が、ヘスティアはアイギースが財布ごと寄こしたのを知らない。ババアはヘスティアの絶望を楽しんでいる。さあ、駆け引きはここからよ。
「大銀貨7はねえよ。テクも無え、ただの新人だろ?大4と銀貨5」
「バカお言い。まだスレちゃいないのがいいんだ。大6、銀貨8」
「水揚げで結構儲けたの知ってるぞ。大4と銀貨8」
「水揚げは一回こっきりじゃないか。大6、銀貨3」
水揚げは未通娘が初めて客をとる事。初めては何度もないので価値が高い。それなりの値になる。ヘスティアが解っているのか知らないが、ここで姉を連れ帰ることが出来たとしても失われたものが戻る訳ではないのだ。世の中はそういうもの。御伽噺ではない。
「花籠亭の姿絵を目立つところに配置しようか?大5」
娼女達から歓声が上がる。ちらとそれを見てババア。
「大6」
それでもまだ大銀貨1枚の差。
「じゃあ、バアチャンの美人画を案内所の中央に掲げるのも追加で。大5銀貨5」
その昔このババアを女神の位置から降ろしたのはフリュ姉だったと聞いたことがある。って、何時の話だよ。
「フリューネの上かい?」
「それは……アリだな」
思案しながら答えた。暫し視線を絡める。ヘスティアの握りしめた手が白い。姉はもう涙目。ババアが手を打った。
「それで決まりだ。大銀貨5と銀貨5に美人画。これ以上まからないよ」
ババアがニヤリと笑って真珠を納める。
「ただしツケはなしだ。今ここで払いな」
ヘスティアが呻く。真珠の入った財布を空にしたのは皆が見ている。だが、ババアもあれで全部だとは思っていない。ババアはアタシが隠しておいた真珠で払おうとするか、それを預けてツケにすると踏んだのだろう。真珠に加えて大銀貨まで預かってくる理由は無いから。最初から金を持っていなかったヘスティアも、袖なしのアタシも大銀貨を持ち歩いている筈がない。そう読んでのババアの言葉。値切られたままじゃ面子に関わるってか?アタシは首から下げた革袋から一枚取り出す。
「釣りがないのはそっちの都合だぜ。無いならツケだ」
卓から上がる小気味のいい音は大金貨。
「なっ!」
初めて見た者もいただろう。娼女達が嬌声をあげる。まあ、アタシもこいつを崩したくはないからね。アイギースには早めにツケを払ってもらわねえと。
「ヘスティア、急いで準備させろ!」
大金貨からの釣りなどある訳がない。遣手が仕切っているような娼館は金を店に置きっぱなしにはしない。従業員による窃盗を恐れて売上は毎日オーナーの元に運ぶのだ。ヘスティアと姉が身を翻す。
「美人画、力入れさせてもらいますんで!フリュ姉の姿絵が霞むような奴仕上げまさぁ!」
そうそう、霞んでどっか行っちゃうの。フリュ姉の姿絵はムサ爺にあげる約束してますからね。ババアが笑い出す。
「うまい事逃げるんだね。絵は楽しみにしてるよ」
第一任務完了!
ヘスティア姉にしっかりと髪を隠させて裏から店を出る。雲が月を隠していた。が、上空にも風があるのか月影は濃い薄いを繰り返している。富める者の通りは兵士がパラと行き交うばかりで住民は息を潜めているようだ。物陰に隠れながら裏から裏を抜ける。
「こっち」
二人を先導しながらさらに北の倉庫街へ。
「待て!」
通りの先から声が掛かった。ちらつく灯。こんな晩に出歩くなど、怪しい奴だと言っているようなものだ。そこで辺境領民だと知られれば連行されること請け合い。
「走って!」
三人で塊になって走り抜ける。不意に視界が開ける。港に出た。もう隠れる場所もない。
「!」
前方からも異変に気付いた兵士が声をあげる。幾つもの灯。アタシ達は行き止まりなのを分かっているのに桟橋に駆け込んでしまう。「髪布をとれ!」兵が怒鳴る。ついに桟橋の先端まで追い詰められてしまう。風が出ていた。髪布を攫われぬよう三人とも手で押さえたままだ。が、それも危うい。はためく髪布から髪が漏れる。天を仰いだ。薄くなった雲の先に蒼の月。朱もすぐに。二人に言った。
「飛び込め」
ぎょっとした二人が視線を寄こす。水面はもう底の知れない暗さ。西都の街区溝直結の海だ。要するに下水垂れ流し。言った本人だが、アタシには無理です。イヤに決まってるだろうが、クソがぁあ!だが、これしかない。雲が、きれる。
「アイギースを信じて飛び込め!」
最初に覚悟を決めたのはヘスティアだ。愛だろ!愛!クッソ、爆発しろ!次いで姉。
「待てっ!」
兵との距離が一気に縮まる。水音が上がり兵士が駆け込んでくる。朱と蒼の月が同時に射した。瞬間、真紅の髪布を取り払う。海風に舞う真紅が解き放ったのは月影に白銀と見紛う水の流れ。腹に力を籠める。目を見開いて
「こーわーいーーー!!!」
叫んだ。
「追いかけて来たら怖いじゃーーーーん!!!」
泣いてやった。兵らはアタシを通り越して海に目を遣る。明らかに黒髪ではないアタシは後回しだ。辛うじて浮かんでいる二人。ヘスティアの髪は桃色。髪布が濡れて下がったもう一人は―――
「だから青紺だって言ったのにぃー!!怖いから落ちちゃったああああ!」
飛び込ませたんだけどね。疑いをかけられたのが恐ろしくて逃げていた体だ。月明りだけ。汚れた海水に濡れた暗い色の髪は色の判別などつかない。兵らは顔を見合わせる。黒髪ではないのか。魅力的な女に尋問が過ぎるのは良くある話。女が逃げる事も想像に易い。
「落―ちーちゃったぁぁああああああああ!」
金属の胸当て兜を付けた兵らが女を追って飛び込むことはない。汚水だからね。
「おーい!どうしましたー?」
と、やや沖に艀が二艘。一艘はロープで繋がっただけの無人。港湾関係者らしい。翌朝の作業のために北の小型船の止場から南の止場へ艀を戻すところだ。
「おいお前!女が落ちた!助けろ!」
「そりゃ大変!」
艀の男は器用に楷を操って浮いている二人に向かう。
「おい!女の髪色はー」
「は?人が落ちてるのに何言ってんだ!桃色と紺だがなー?」
二人が艀に引き上げられる。髪が黒ではないのなら、女が海に落ちたのは誰の所為?女達は艀の上で身を寄せ合って震えていた。艀からでは桟橋に上がれない。船頭が何やら声をかけ宥めているようだったが、やがて艀は南へ向かう。兵らは顔を見合わせた。
「だから言ったのにぃぃぃいい!」
おわー。鼻まで垂らして泣いた。
泣き声をあげている内に本当に涙が出てくる。あー、そう言えばアタシ、随分泣いてなかった。随分「前」からずっと。粗雑な扱いにはそんなものだろうと諦めて来た。慮って貰えぬ事には不機嫌さで応えた。どうせ誰も気付きやしないと撥ねつけて、そうして「ほらね」って鼻で笑った。忘れることが出来ないでいた幾つもの情景。「前」も「今」も。一つも報われなければ苦しいし、ただの一人にさえ気遣って貰えねば傷つきはする。そうか――――アタシは泣きたかったんだ。
それが解ると涙は後から後から湧いてきて
「……うぅっ……ふぐぅう………」
もう止まらなくなった。あの時も。ああ、あの時も。自分を憐れんでやる事も許されなかったアタシに。どれだけ溜め込んできたんだろうな。艀は南側で停泊中の中型船の影に隠れた。そのまま隣村まで行くのは魚人のアイギースには造作もない事だろう。少々臭くてすぐに抱き合えねえのはアタシからのはなむけだ。
ため息を一つ。泣いて終わりではいられないのがアタシの人生。ちょっくらスッキリしたところで次行ってみよう!次!ターゲットロックオン。アタシが泣き声あげた瞬間、眉毛が困った形になった奴。髭面の親父だ。両手を挙げる。
「ん!」
まだひぐひぐ言ってる口はへの字。涙の筋が頬に残る幼女。泣き止みかけてはいるが、いつまた泣き声をあげるか分からない。またも兵士らが顔を見合わせる。
「ん!!」
メッチャ走らせやがって、すぐには許してやらねえからなー。「だ、抱っこだってさ…」「お、おう」抱き上げて貰った上で
「おウチに帰るぅううううう!」
えぐえぐ啜り上げてやる。さあ、存分に困るがいい。
「……ウチはどこだ?」
ニヤリ。
「市政官邸」




