19 情報収集(隠密)いたします
陽が傾きかけた施療院の周囲は人であふれていた。施療院は薬園と二階建て三棟の建物から成る。門柱に医神と薬神のレリーフ。これは神の標ではなくデザインだ。施療院の門は確かに槍を持った兵士に閉ざされているが、その外側をさらに人々に囲まれていた。施療院には治療を終えていない人が入院できるようになっている。人垣は入院患者や職員の家族だ。兵が施療院を囲んでいると聞きおよび、様子を見に来たに違いない。口々に喋るその内容に耳を傾ける。「父が居るのよ」「うちは姉が」「人牛の呪いだって話だ」「本当か?」「あの人牛恐ろしい姿をして」「腕を食いちぎったのを見た」「人牛の呪いって」「体の中に魔物が巣食うんだそうだ」「恐ろしさで一晩で髪が白髪に」良く分からないのが混ざってるな。魔物が巣食うって言うのは腹水が溜まる症状だろう。
アタシが施療院に足を運んだのは確認すべきことがあったから。エリトゥラを出てから考えて来た。市中の不安も辺境の病に関わる隔離も、まずは「辺境の病」がどのような病で、伝染するのかしないのかが明確でないから起こっている。明確にすることを放棄して処理してしまえいうのが現状だ。「辺境の病」を解明できれば、せめてその糸口でも掴めればほかに対処のしようもある、筈。そう思った。
では「辺境の病」とは何なのか。辺境の病は個人に起こりうる偶発的な疾病ではない。まず「辺境領開拓地」という特定地域での発症。近隣ではそこが「呪われた土地」だと言われていたことからも、その場に大元の原因が存在するのは確か。
次にこれがヒトからヒトへ伝染するのかという問題。「前」世のコロナ流行時のニュースで得た一般常識程度だが、ウィルスや細菌ならば空気感染に飛沫感染、接触感染がある。開拓地の患者に子供が含まれることや、「今」世、治療に輸血や輸液を使う事はないから体液感染は除外していい。これが難民の患者家族も、帰還兵患者と同じ船で起き伏ししてきた船乗り達にも問題がないのだから、ウィルスでも細菌であったとしても感染力は非常に弱いという事になる。ここまではエーギルにも説明した。
ならば辺境領主邸から出た患者は何なのだと言う話よね。辺境の病が伝染しないのなら、何故、辺境領開拓地に行った事がない西都民が同じ症状を呈する?勿論、ウィルス自体が高感染力を持つ形に進化した可能性は捨てきれないけれども、別の可能性を一つ。
病の原因の方が西都に持ち込まれたのではないか。
(感染者が運び手になるウイルスとかじゃなくて……)
持ち込めるもの。それは人牛ではない。人牛は辺境領主邸に入っていない。港から宮城へと輸送されたのはアタシも見ていた。そうして思いついた内でも一部辺境でも言われていたように、
毒、なのではないか、とアタシは思った。
人体に有害な物は自然界に幾らでもある。生物が持つ毒は蛇にフグ、蜘蛛、植物毒だって幾つも上げることが出来る。重金属もそうだ。重金属が人体に有害なのは歴史の時間に公害病として習った。金属精錬の場で出るような物質は人体にとって有害なのだ。採掘の場でなくとも金属鉱床の露頭とか。ただそれは長く原因を探って来た辺境開拓民には判別がつかないもの。それが金属ではなくても、臓器に影響を与える有毒な何か。つまり、伝染ではなく暴露ではないのかと。
だがそこには難点もある。ヘスティアは言っていた。解毒を期待して西都にやって来たが治癒師には治せなかったのだと。辺境の病は治癒の加護が及ばない、この理由がクリアできない限りはその可能性はボツだ。アタシは思った。そもそも神の加護による解毒って何?それは「今」世では有毒だと認識されていないものでも可能なのか。そこは確認しておきたい。ならば施療院という事になる。
施療院の人垣は増えたり減ったりしながらも無くなることはない。建物から人が出て来て兵士と話をはじめた。治癒師か。取り囲む人の中から篭を持った女がそれに近づく。篭の中身は差し入れだろう。他にも差し入れや、中の様子の説明を求める者いて、その対応に幾らか人が出てきていた。流れに乗ってアタシも距離を詰める。
「兵士のオッチャン」
「こら、近付くな。ここは駄目だ」
「治癒師の人とお話しできる?父さんが怪我してるんだ。ここに来たらダメで、治癒師は外に出られないんでしょう?」
半分嘘で半分本当。アタシに応対してくれたのは母さん位の年齢の女で、忙しい中付き合ってもらうのにちょっとだけ申し訳なくなる。女はアタシにかがみこんで聞いた。
「お父様が怪我をされているとか?」
「うん。竜車に撥ねられた。血がいっぱい出た」
5才っぽいのも板についてきた。
「打撲と裂傷ね……骨は折れているのかしら…」
アタシにその違いは判らないが、女は治癒師ではなく薬師で薬を分けてくれると言う。嘘ついてごめん。女は連れの下働きにそれを伝える。彼女が建物に向い、薬師が次の者に対応しようと身体を起こそうとした瞬間、袖をつかんだ。そのまま畳みかける。
「解毒ってのはどう治療する?辺境の病は毒なんじゃないのか?」
言葉遣いと雰囲気が豹変したアタシの勢いに気おされて、治癒師は思わず応えてしまう。
「……辺境の病が毒ではないのは明らかです」
毒、ではないのか?
「未知の有毒物質である可能性は?重金属の類とか」
多分、何?この子って思われている。が、眼を瞬きながらも薬師は言った。
「薬師には見えますから」
その答えに虚を突かれる。見える?
「薬師は人が毒に侵されているのも薬が体に効くのも見えるのですよ。未知であろうとも神の加護によって」
「毒じゃない……?」
アタシの予想は外れた。アタシはこの古代中世的な社会をナメていたのだ。未知の有毒物質であるから解毒できなかったのではないかって。科学的思考も医学的知識もないのだから「前」より優れている筈がないって。
が、此処には神の加護がある。
「ええ、毒になる成分ならば体外に排出させることが出来ます。メイディアの書には薬毒同一とあるのですよ」
愕然とするアタシに薬師は告げる。メイディアは薬を司る薬神。
(では………?)
薬師はアタシの後ろにいた者を向く。
「怪我の薬はそこで待っていてくださいね。次の方――」
その加護で薬師は身体を侵す原因物質を特定し、中和或いは取り除くことが出来るのだ。有毒物質も含めて。薬師の加護は「鑑定」と「抽出」に近い。アタシの想定は間違っていた。ここに来て間違いとは。ではほかの可能性は無いのか。考えろ、アタシ。怪我の薬が届くまでが猶予。
いや、全部が間違っていた訳ではないだろう。あの輸送船で西都に来て、辺境領主邸に入ったもの、それが原因だという点は。いつだかのヘスティアの言葉が蘇る。
「何だか変だった」
(そ…っち?)
持ち込めそうにはないから除外していたけれど。
(……それもアリ、か…)
そしてアタシにはその方法に心当たりがあった。いや、思い込みでまた回り道をしてはいけない。一つずつだ。顔を上げる。
「……治癒の加護って元々ある人間の治癒力や免疫力を高めるので間違っていないか?だから失われた腕や足が生える事はないし、耳が聞こえずに生まれた者が聞こえる様になったりはしない」
ぎょっとした顔で薬師がアタシを振り返る。確かに5才の発言じゃない。
「え、ええ…そうですけど…」
「ちょっと!」今まさに薬師と話していた者が抗議の声をあげるが、構わない。薬師が薬毒の「鑑定」や抽出ならば治癒師は「回復」だ。元に戻す、それ。問いを重ねる。
「治癒の加護というのは特定の部位や対象に掛けるのではなく、一定の範囲にかかるんだね?」
例えばガン。ガンは異常細胞だがこれが治癒の加護によって活性化、増殖するなら、病は治るのではなく進行する。薬師は次の対応中にもちらちらとアタシに目を向ける。気になっているから、
「……そうですけど」
答えてはくれる。
「ならば寄生虫にも効かない?」
寄生虫。
これが前には却下した病原の候補。だって持ち込めるなんて思わないじゃんね。そして治癒師の加護が一定範囲を回復させてしまうのならば、その効果は寄生虫にも及ぶという事。
「寄生虫には虫下しを使うのですよ」
虫下しは薬。薬で排出を促すのだ。うん。治癒師が「回復」ならそうなるよな。つまり治癒の加護では治らない。よし、齟齬は無い。ついに薬師の女は再びアタシに向き合った。正面から尋ねる。
「辺境の病が疑われている患者は周期的な高熱の症状はあるか?」
「瘧を疑っているの?いいえ。あれは瘧ではないわ」
周期的な高熱は「前」世でいうマラリアの特徴。回復後の震えの症状から古くは瘧と呼ばれていた。マラリアは蚊が媒介する寄生虫。
「血液中に住む寄生虫は瘧だけじゃない。虫下しは効かないぞ」
「え?瘧は寄生虫だと言うの?まさか辺境の病も?」
「え?治癒師も薬師も瘧が寄生虫だってわからないのか?」
見つめ合う。順番待ちの列から不平の声が上がった。神の加護がどのような物であるか分からないアタシと科学的基盤のない薬師。駄目だ。かみ合わない。そこへ下働きがアタシに用意してくれた薬を持ってきた。仕方がない。時間切れだ。
「……有り難う。腹水が溜まるのは内臓疾患だろうけど、水を抜いてやれば少しは楽になるよ。そういうの加護で出来るといいけれど」
可能なのかは分からないが言っておく。薬師がアタシを呼び止めようと手を伸ばす。その手を避けた。
「そうそう、白髪になったのって辺境領主邸の人だけで帰還兵はなっていないよね?」
さっき人垣の中で耳にしたそれ。
「その通りだけど…あ、貴方ちょっと、まさか医神の加護が…」
会話の途中から彼女はアタシのそれを疑っていたのだろう。5才児が医療的なあの問いかけって相当可笑しいからね。神の加護。そう、加護。そういう事か。だが、それが判ってこれからどうすれば良い?西都混乱の終息へどう道筋を付けましょうね。いい案はすぐには浮かびそうもない。アタシはまた誤解を広げそうなのでそのまま人ごみに紛れた。
「クロノ!」
ディオと合流。黒髪兄妹は上手く送り届けてくれたらしい。アタシの手には打撲と裂傷の薬。うーん…。娼館には戻れないし、黒髪兄妹を回収するにはまだ陽が残っている。…………一度家に戻るか。
「クロノ!」
家に戻ったアタシの姿を見て母さんが声をあげる。横になっていた父も身を起こした。
「帰ってきても良いって?」
それではまだ借金の返済が有るのか無いのかの方が重要に聞こえる。そういや、借金取りに連行されてからの初顔合わせじゃない?ホームシックにならなかったアタシが言うのもなんだけど、感動の再会はねえのかよ。
「違うよ。父さんが怪我したって聞いた。これ渡したら娼館に戻るし」
今、戻るつもりはないがそう言った。娼館の言葉に二親は言葉を飲み込む。が、娼館で娘が何をされたのか何をしていたのかは聞きはしない。施療院で貰った薬を母さんに渡す。父さんの様子を見るに治癒師に願うほどの怪我ではないらしいからこれで十分だろう。母さんの次の言葉は
「あの、クロノ…お金をいくらか持ってないかしら?」
だった。ため息。西都の事態は兎も角も、これがアタシの現実。
「アタシ質草だから給料とか貰えないんだけど」
質を引き出しに来るどころか。
「でも、ほら、お客さんからお小遣いを貰ったりするでしょう?革袋を首から下げてるって事はお金を持っているのよね。ありがたいわ」
ありがたいわって、もう貰う前提なのか。
扉をたたく音がする。施療院からの道すがら出歩いている人に兵士が帰宅を促していた。「家に帰れ」「扉を閉ざせ」それと同時に人数を使って各戸を訪ねて回っているのを見た。感染者が隔離箇所以外に居ないかどうかだろう。怖いのは感染疑いどころか黒髪かどうかで判断される事。「今」世の公衆衛生の知識レベルなら十分ありうる。もうここにも兵士が来たのか。来ても父さんが黒髪ではないのは近所の人も知っているから、大丈夫だろうけど。気を取られながらも言った。
「あのさ、お客さんって何のお客さんだよ。父さんはあそこが酒場と賭場だけじゃないって知ってるんだよね?」
父さんがアタシから目を逸らす。が、その程度では光属性は揺るがなかった。
「でも、父さんがこんな怪我をして働けなくなれば、食べる物も住むところもどうなるか……。あなたはごはんの心配をしなくてもいいのでしょう」
家族はこんなに困っているの。あなたは恵まれているのよ。確かにアタシは食べる事には困っていない。また扉をたたく音。しつこい。
「クロノ、勤め先でお金を借りてくれないかしら」
家族は助け合うものだから。勤め先なんかではないのを知っていて言う。母さんの物言いは卑しくなったりはしない。
「ね、クロノ」
光属性の微笑み。ぱあっと光がさすように顔が明るくなる。良かったぁ、これでもう大丈夫。喜びに溢れた声はアタシの幻聴か。いや、それは「前」世の母の言った事かも。産んであげたのよ。そう。育ててあげたの。そうね。ご飯を食べて来たでしょう。そうだ。雨風を凌げる家にも住めた。その通り。撲ったり蹴られたりしている訳じゃない。罵倒され蔑まれている訳でもない。ただ家畜のようだっただけ。「おいしいね」って頷きあい、くだらない事で笑い合った時間も間違いなく在りはしたのだ。
アタシは卑しい。
本当は…と思いたくなる。捻くれたアタシが悪いように考えているだけなのではないかって。
そして確かにアタシは今金を持っている。
エーギルが逃走資金によこした大金貨。首から下がったそれが急に重くなった。胴着の上からそれを握る。抵抗するアタシは性格が悪い。何度も何度も言われてきたように我儘で自分勝手、根性が捻ん曲がっているのだ。
家族なんだから力を合わせて困難を乗り切らなくっちゃ。
カランと音がして扉から閂が落ちた。我に返る。安長屋だから閂とはいっても形だけの木っ端で金属でも重さのある板でもない。扉が開く。
「あんたらいい加減にしろよ」
アイギースだった。
ぽっかーん。何で?アイギースに続いてディオが入ってくる。あ、またお前か!ディオの手には練習用の木剣。木剣を建付けの悪い扉の隙間に差し込んで閂を跳ね上げたのだ。扉に隙間があるのも、閂が木っ端程度なのもディオなら知っている。
「話は外まで聞こえていたぞ。幼い娘に金をたかって恥は無いのか」
はははっ、5才で良かったよ。幼く無ければたかられて当然ってか?アタシは斜めを向いたまま思う。
「恥なんてあんまりだわ!」
母さんは上手い。不当な事を言われ、貶められた体だ。言葉尻を捉えては本来のやり取りから話を逸らす。父さんは何時も何度でもそれに嵌る。
「出ていけ!亜人が勝手に入って来るんじゃねえ!」
父さんは下手だった。それではいつものように母さんを殴って話にけりをつける悪役にしか見えない。
「家族の事に口出してるんじゃねえよ!」
そのどちらにもアイギースは惑わされなかった。
「この子が何処で働かされているのか知っていて追い借りさせるのか」
アタシは「前」でいつか王子様がって漫画を沢山読んだ。主人公は光属性でその人柄で、能力で、美しさでどん底から救われる。ある訳ねーって笑いながら、アタシは光属性じゃない癖に沢山、沢山読んだ。たくさん。アタシはアイギースを眺めていた。ただ眺めていた。
「金が必要なら自分がそこで働いたらどうだ?あそこには男娼もいるぞ」
「ひどい!どうしてそんな酷い事が言えるの!」
「ふざけるな!」
被害者である光属性はその非道な物言いに震える。
「自分が股を開くのは嫌だからお前がやれ、追い借りしろって言うのはそういう事だ。その何処が酷くないんだ?」
アイギースは彼ら自身の言葉を解説してやっていた。
「この人は怪我をしているのよ!乳児を抱えてどうしろって!」
「子供を抱えた娼女も居るし、怪我をしていようが娼婦は仕事に出る。紹介は必要はないな。家族の勤め先だ」
アイギースは母さんの理由を一つづつ切り捨てる。残った理由は
だって自分はそれが嫌だから。
「家族なら助け合うんじゃないのかい?」
「…………」
うん。知ってた。アタシは卑しい家畜。飢えているから毒でも喰らう。ずっと一言が言えなかった。
(アタシは家畜……じゃない)
たった一人の味方が居るだけで、光の魔法は解けていた。たったそれだけで。母さんはまた何も考えていなかったのだ。それを求めるのはアタシにとってどういう事か。魔法は解けて、ただの愚かな女がそこに居た。そう、アタシはバカだから。ため息を一つ。
「……アイギース、ありがとう」
その腰に抱きついた。父さんが息をのむ。アイギースの竜騎兵のような体躯は5才のアタシには大きすぎてちょっと泣ける。
「父さん、母さん。アタシは金は出さないよ」
顔を上げて言った。
「アタシはここの家族じゃないから」
家畜ではないから。
「家族よ!」
「恩知らずな!」
アタシを庇おうとしたアイギースの前に立つ。
「今、アタシは質草でエリトゥラの子だ」
アタシの値段はたったそれだけ。
「父さんと母さんが借金を返さないのだから」
それを選択したのはあんた達だ。
「行こう」
手を引いてくれたのはディオだ。朱と蒼の二月が共に昇っていた。表にはディオの父ちゃんと母ちゃんが居てアタシ達を見ていた。連れ出してくれたディオは俯いている。
「アイギースに抱きついた事、怒ってるの?」
「……違ぇーよ」
「ちゃんとディオにもありがとうって思ってるからね?」
フォローはしておいた方がいいかなと思ったが、ディオはきっとアタシを睨みつけて目を逸らす。
「違ぇーよ!…………俺は……俺は何もしてない」
そりゃそうだ。5才だぜ。その時のアタシを助けてくれる誰かを連れて来るというだけでもいい仕事だ。リビュートの時も、今も。
「本当は俺が……」
あー、成程。俺がクロノを助ける予定だったのに、か?そうか。ディオは悔しかったか。練習用の木剣なんか持ち出しちゃって、アタシを助ける気だったのか。うふふ。もう可愛いなコイツ。そう思ったのはアイギースも同じだったらしい。
「だったらそういう大人になればいい」
赤髪を撫でようとしたアイギースの手をディオが振り払う。そう言う所もな。
さて、この後は黒髪兄妹を回収するとして何処に身を寄せようかと考えていた所でアイギースがここに現れた理由が判明した。
「ヘスティアの行方が分からない。何か知らないか?」




