15 現場からお伝えします
今日は朝からエーギルに「面白いもん見せてやろうか」とか言われてついて行ったけど、全然余興じゃなかった。アタシも人牛見ちゃったよ。いやー。キショいわ。牛に人間の頭付いてるんだよ?しかもまともな表情じゃないし。目が覚めたら首から下が野生の魔牛だった件とか並の精神ではもたないだろうけどね。普通の5才児なら泣くぞ、あれ。ファンタジーと言ってもあれは無理。転生勇者じゃなくて良かったです。会頭に可愛がられているとか言われてるけど、あれは嫌がらせだ。自由になりたければ早く金払えのプレッシャーだろ。そんな娯楽?にかまけてはいられない。アタシ忙しいんで。
まだ陽が高いのに姐さん達が降りてきているのは船が着いたから。エリトゥラ商会の船に彼氏が乗っている姐さんも居る。船が着けばそれだけで嬉しいのがこの西都。富も人も港から上がって来る。まだ荷下ろしも続いているから男達が戻っている訳ではないが、華やかな空気が漂っている。「お土産あるかしら?」「辺境からの戻りよ?土産は俺だとか言いそう」笑い燦ざめく。注文など待たずに料理が次々に運ばれ、アタシも手伝いに動き回っている。男等が戻ればすぐにも酒宴が始まるだろう。
エリトゥラ商会のこの娼館や賭場だのは船が出られない時期のために経営されているらしい。他所の海運業では船に乗っている間だけの雇用契約が普通。それもあって商会内での身内意識が強いのかもしれない。アタシもこの界隈は居心地悪くはない。聞かなくても皆似たような境遇なのは分かる。でもさ、この先どうするのかって話をエーギルとしたばかりなんだよね。多分、アタシが居心地良く感じられるのは客を取らずに済む年齢の間だけ。それなりの年齢までにここを出る算段を付けねばならない。アイギースに雇ってもらう事も真剣に考えようかな。
なんて考えていた所だった。
トラックが衝突した、
一瞬、錯覚するような轟音と地響きがして屋内に居た者たちは顔を見合わせた。「前」ではないのだ。トラックの筈もなく、そこまで大きな音がすることもないのに。何事か。砂埃が部屋の空気に交じって皆で外へ出た。「前」と違って耐震設計ではない。石積みの建物は崩れれば大惨事なのだ。表には他の建物からも人が出てきており、皆同じ、宮城を向いて口々に喋っていた。つられて頸を巡らせば蒼天に土煙が上がっているではないか。「何?」「宮城かい?」いや、あの距離なら貴族区画か。勿論見えはしない。高い所へ登ればみえるかも。口々に言い合ううちに風に乗って切れ切れの悲鳴と怒号が聞こえた。
「え?」
かと思えば、また衝突音と地響き。石積みの建物が揺れる。最初のものより明らかに近い。「何?」「近付いてきてない?」困惑の表情を浮かべる。騒ぎがこちらに向かってきている?地響きは既に音だけではなく体に感じられて……。街道側からぱらぱらと人が走ってくる。その幾人かが振り返り振り返りしているのが見えた。おいおいおいおいおいおい、これヤバいって。
「逃げろ!」
誰が叫んだのか。悲鳴が上がり周囲の人々が走り始める。が、逃げろと言っても何処へ?多くは騒ぎとは逆の港へ向かって走り出す。ぐわっという音でまたもどこかで石壁が壊れたと知れる。多分、ここ富める者の通りよりも何本か南側。その方角から、或いは港へ向けてとばらばら駆けて行く人を避けてアタシは建物の壁にとりついた。アタシの大きさでは混乱に巻き込まれる方が怖い。揺れる石壁から粉が舞う。ここも拙い。
と、宮城の方角から騎竜が向かってくるのが遠目に見えた。兵士も走ってゆく。街中とは思えぬ速さで左へ折れる。事態に対処しようとしているのだ。騒ぎはあっちだ。下街の中央辺り。何が起こってる?アタシは何をどう判断すべきか。きょろきょろと見渡して、
「は?」
上街の中空に意味の分からない物を視界にとらえて思考が停止した。長大な蛇が空を走っていた。三階建ての建物の屋根を超える高さ。陽光に鱗を煌めかせる透明の姿態。どう見てもあれは水の塊。
「水が……」
見ているものが信じられない。物理法則に反するそれを脳が拒絶している。もしや、
(……あれが加護)
水の加護なのか。初めて見るそれに唾をのむ。科学的思考で三〇年近く生きていたのだ。どうなってるの、あれ?ファンタジーの一言で片づけられる脳をしていない。自分のおかれた状況も忘れる衝撃。その水の蛇が南へ、アタシの居る方へ向かって滑ってくる。ハッとした。水の蛇も騒ぎの方向を目指しているのだ。またも悲鳴と衝突音。最早ちらつかせた舌の形まで見える水蛇が鎌首をもたげ、大地へ向けて飛び掛かった。悲鳴と怒号。今度は長い。息を詰めていた。どれほど経ったろうか。悲鳴はもう聞こえてこない。通りの先を窺う。地面を這う様な感嘆の騒めきが耳に届く。終わったのか?
「クロノ」
いつの間にかエーギルがゲリオスを連れて出て来ていた。
「朝、港から運ばれた人牛が宮城で暴れ出したらしい」
あの人牛が?宮城内で捕縛に手間取っている間に知らせが走ったのだろうが、情報の早さに呆れる。恐らく宮城や貴族区画内で人牛を仕留めることが出来なかったのだ。人牛は建物に衝突し、人を跳ね飛ばしながら平民区に駆け込んだ。
「水が…」
南を指す。声で自分が震えていることが知れた。エーギルも見ていたのだろう。
「ウィルサ領の水神殿だな。水の加護をお持ちの御方だ」
あれが水の加護。やはり。ややも落ち着いてくると懸念も一つ。
「……人牛が暴れ出したから輸送費貰えなくなるって事は無いですよね?」
「港での引渡しまでが契約だからその心配はないが、厄介な事にはなるかもしれん」
このままエーギルは街の様子を見に行くらしい。危険はないとの判断だろうか。ならばアタシも、あの加護。水の加護が何だったのか見てみたい。連れて行ってくれるよう見上げると。ゲリオスが肩にアタシを座らせてくれた。
二区画ほど先に人だかりができている。兵士も多数。宙を舞っていた水の蛇は居ない。ただ、波に洗われたように一面水浸しになっていた。水たまりの中に立ち尽くしている人々の向こうに黒い、小山のように大きな物が横たわっているのが見えた。人牛だ。朝に見たあれ。矢が何本も立って槍傷もある。そしてそれもずぶ濡れだった。人の頭の濡れ髪が体に汚らしく張り付いている。もう死んでいるのかひくりともしない。水の蛇という事は人牛を溺死させたのではないかと思った。
(呪文詠唱とかあるのかな……)
正装の壮年が騎竜の手綱を曳いて場を後にしようとしている。集まっていた人々が割れて道を作った。「散れ散れ」遠巻きにする人々を兵らが追い立てる。人牛は宮城に回収されるのだろう。エリトゥラの仕事は、費用と時間と労力をかけての辺境から生かしたままの輸送は意味が無かったことになる。
そのままエーギルは人牛が暴れ通った道を逆に辿った。街道へ出る。街道も中央大路も惨憺たる有様だった。街道にはまだ座り込んでいる人が多い。大破した屋台を脇に寄せ、散乱した商品を拾い集める。逃げ走る時に落としたのだろう。買ったばかりの品々にサンダル、踏み千切れた髪布。石畳がめくれてしまっている。砂埃が舞う中、怪我をした腕を庇いながら誰かの名を呼ぶ人。巻き込まれたのではないかと家族友人を探す人が何人もいる。言葉もない。被害は中央大路から宮城の方角へと続いていた。倒壊した建物をひっくり返して兵士と衛士が生存者を探している。怪我人もかなり出ているようだ。こんな中でお使い稼業など出来る筈がない。無事ならばディオは長屋に帰っただろうか。
「ディオ!ディオ!」
今まさに想っていた名を呼ぶ声に振り返る。
「ディオの母ちゃん……」
血相を変えたディオの母ちゃんが居た。長屋か職場から走ってきたのだろう。
「クロノ!ディオを知らない?」
ディオは長屋に戻っていないのだ。
「アタシは一緒じゃなかったから……」
アタシの答えに落胆の色が浮かぶ。
「……アンタも無事だったんだね。アンタのお母さんはあれから寝付いてしまったんだよ。顔を見せておあげよ」
言われて初めてアタシは親の事を思い出した。アタシ薄情なんだ。ディオの事はすぐに思い出したのにな。とは言え、寝付いているのなら無事なのは間違いない。
「ディオの母ちゃん、アタシは自由に行動する権利はないよ」
実家に顔出す気もねえけどな。ディオの母ちゃんはアタシと共にいるエーギルとゲリオスを見て、主に従っているところなのだと気付いた。
「賭け事なんかで……」
呟いた彼女にアタシはがっかりした。ディオの母ちゃんはアタシの母さんとは近所の女仲間だ。穏やかで朗らかな母さんとは仲良くしている。まあ、そんなもんだよな。エーギルがせせら笑う。
「金を返せばいいだけだ」
「そりゃ、あんた達が!」
あーあー。目が眩めば物事は見えなくなる。本当はディオの母ちゃんだって気付いてたんじゃないのか。平民なんだから神様にお願いするんじゃなくて髪布取って働けばいいだけなんだ。5才のアタシでもできる。父さんが賭け事に手を出すのは賭け事が好きなのもあるけど、それで母さんに金を渡してるからだ。二人はアタシが家族のために自分から身売りしたとでも言ったのかい?アタシは言った。
「父さんと母さんが決めたんだよ」
自分で借り、使った借金なのに、アタシの代わりにはなろうとしない事を。ディオの母ちゃんはもうアタシと目を合わせようとはしなかった。
「アタシもディオを見つけたら、探してたって伝えるよ」
アタシがそういうと彼女は本来の目的を思い出して、あたふたと背を向けた。あーあ、もう。
「ここで小遣い稼ぎをしてたんだったな」
エーギルの問いかけに頷く。ディオは上手いこと避難できたのだろうか。でも避難ってどこへ?ディオは黒髪兄妹と一緒に居る筈だ。あ、そうか。気付いた。今は門外の方がむしろ安全なのではないか。アンタたちの所為で、と言われたエーギルが言った。
「ゲリオスをつけてやる。暗くなる前に戻れ」
本当の事って奴は知っている者の方が少ないのだ。
アタシが小中学生の頃はまだ、学校で予防接種をすることがあった。問診票が配られて、当日に持参する。母は弟の分と2枚もそれを記入するのを嫌がって、アタシは自分の分を自分で記入していた。予防接種の問診票には接種歴を記入する項目がある。乳幼児の頃に受けた予防接種の経歴と経過を記し、副反応に備えるのだ。乳幼児期の記録というのは母親の妊娠中の記録と併せて母子手帳に記されるものだ。病歴や成長歴も記す母子手帳が大事なものだという事は大人になってから知った。アタシの母子手帳は物心ついたころには既に無かったから。
問診票が書けなくてアタシは困った。
「そんなの覚えてないわ」
明るく朗らかに母は弟の母子手帳を見て書くように言った。アタシは母に尋ねた。
「どうしてアタシの母子手帳は無いの?」
「どこかに行っちゃたのよ」
母がにこやかに答えたのを覚えている。それが嘘だと大人になって気付いた。父と母はデキ婚だった。アタシが母のお腹に宿り、堕胎できない時期になって結婚した。つまり、妊娠初期の記録がない。デキ婚など当時は珍しかったろう。見栄っ張りな母はそれを恥ずかしく思ったに違いない。隠しこんで人の目に触れぬようにしている内に紛失したのか、どこかの時点で捨てたのか。結局、接種年や月を適当にずらして書いたそれは一度も咎められることは無かった。
アタシの母の人生は楽なものではなかったろう。婚前交渉でアタシを身籠り、堕胎できなくなって父と結婚した。付き合っていた父だけでなく両の親族全てから堕胎を迫られたのだと言う。残念ながら手遅れだったけど。籍を入れた父には既に借金があった。独身の頃のように自由に金を使えなくなって、「お金をください」とやっては殴られていた母。それでも母は朗らかだった。貧しく、辛く、理不尽な目に遭っても笑顔を絶やさない。その健気さに周囲は心打たれ、彼女が報われない事に同情した。「素晴らしいお母様ね」こちらの方が元気を貰えると。
そんな太陽のように周囲を照らす母のエピソードを思い出す。軽いコミュニケーションツールとして使う血液型性格診断。ABO式の血液型で性格を言い当てたり相性の良い悪いを判ずるものだ。今でいうMBTIのようなもの。友達同士で「当たってる!」きゃあきゃあ楽しんだ、それ。アタシはA型で真面目な性格ね等と言われた物だ。
アタシは小学生の頃に大きな怪我をした。額を十三針も縫う怪我でかなり出血もした。救急車に乗っても意識はあったから、怪我の状況などを自分で説明したものだ。病院に着いて看護師さんに聞かれた。
「血液型は何かしら?」
「A型です」
それは万が一、輸血が必要になった場合の質問で、「確認しておきましょうね」当然、子供の申告のままではなく、検査をしておくことになった。アタシの血液型はO型だった。
病院から帰ったアタシは母に尋ねた。
「アタシの血液型はA型じゃなかった。どうして嘘を教えたの?」
「だってお父さんがO型なら俺の子じゃないんだろうって言うんだもの」
にこやかに母は答えた。
父の血液型はB型で、母はA型。実のところA型とB型の親からO型の子は生まれる。血液型遺伝の法則は中学で習う。理系の大学卒だった父がそれを知らない筈がない。要するに父は事実ではない事を嫌がらせに使うクズであり、母はそれを真に受ける馬鹿だったという事だ。
アタシはそれまで楽しんでいた血液型性格診断を一切根拠のない心理お遊びだと軽蔑するようになった。A型だと言っていた時に
「そんな感じ!真面目なA型ね」
と言われてていたのに、
「やっぱり?明るいO型だと思ったの」
アタシ自身が何も変わらないのに性格や相性が変わる事はない。
あの時、思った。
もしも、もしもだ。アタシの自己申告で或いは親の虚偽申告で検査をせずに輸血をするような事があったならどうなっていたか。アタシは拒絶反応で死んでいた。母はそれで良いと思って嘘を教えたのだろうか。いいや、違う。それを尋ねたら、きっと母は言うだろう。
「だって、そんな事になるって思わなかったんだもの」
明るく、朗らかに、失敗しちゃったテヘペロくらいの調子で。
母という言葉は単純には女性の親でしかない。しかしそこには自動的に慈愛や献身、そして光属性のイメージが含まれる。アタシの母は光属性なのだろう。だがしかし光属性と言っても一様ではない。困難な中でも希望を失わずに足掻き努力する中で発露する朗らかさがある。一方で、自分は何もしなくても、或いは何をしても必ず良い結果が待っていると言う、一切根拠がないポジティブさでも明るく朗らかに振舞うことが出来る。一見どちらも同じ朗らかさ、明るさ。見た目で判別はつかない。その行いも目指すところがあってのものか、その場凌ぎなのか、人目には判らない。
光属性の母はたまに
「お前さえ生まれて来なければ、皆幸せになったのにね」
そう言って朗らかに笑った。アタシが命を授かる事が無かったら、殴るような男と結婚はしなかっただろう。父だって条件の合う相手と結ばれて満足のいく結婚生活を送れたに違いない。弟も家庭的な父親がいて幸福な子供時代を送れただろうと。あはは。明るく正しい母にアタシを痛めつける意図はない。それは単なる事実で、その発言がアタシにとってどのような意味を持つのか考えなかっただけだ。
光は目を眩ませる。光は影をつくる。




