12 契約条件すり合わせます
解答と解説の時間です。アタシはすこぶる機嫌が悪い。インク壺の破片は辺りに飛び散っているし、豪奢な執務机からはまだインクが滴っているし、絨毯はめくれてディオの反吐が残ってるし。部屋の中は惨憺たるありさまだ。そのエリトゥラ商会執務室に残ったのは、商会頭のエーギル、エーギルの護衛で大人のゲリオス、リビュート、そしてアタシ。ディオは父さんと母さんと一緒に帰した。別れ際耳元で囁いて「必ず会いに行く。暫くそっちは頼んだよ」抱きしめた。頬に涙の筋が残ったディオがハッとしてアタシを見返そうとしたのに背を向けてこうしている。
「アタシに用があるなら、最初からそう言えばいいじゃないか」
リビュートと二人、尻を長椅子に移してぶすくれたまま。もう5才の振りする気ないっス。
アタシら家族がここへ連れ込まれたのは、アタシの確保が目的だったのだ。
アタシが知らなかった部分。エーギルとリビュートがごく近しい関係であることが最後のピースだった。
「で、お二人はどんな関係なの?」
「また従兄弟だ。うちの船が沈んで家が傾いて以来、疎遠だったけどな」
これは後であちこちから耳にした話を継ぎ合わせたものだ。リビュートとエーギルは幼い頃からお互いの家を行き来する間柄だった。齢は離れているが、リビュートは実の兄よりもエーギルに懐いているほどだったと言う。その関係が変わったのはエリトゥラ商会の大規模船団が遠洋で消息を絶った時から。当時の経営状態もあり、莫大な負債を抱えることになったそうだ。その時、二人の縁は切れた。寧ろ自分の立場を顧みずに支援を続けようとしたリビュートをエーギルは突き放した。
「私は何度も会おうとしたじゃないですか!援助だって……」
「リビュートのために距離をとったって訳ぇ?」
リビュートの方は言うまでもない。だって兄さん呼びだぜ?そんなものに巻き込まれたのかと嫌味の一つも言いたくなる。いちゃつきやがって。
そこからエーギルは一艘だけ残った船で危険を顧みない海上輸送と賭場や娼館でエリトゥラ商会を再興した。貴族といっても可笑しくない境遇からどん底へ。マイナスから再び。おーおー、壮大な物語があるじゃねえの。ってか、アタシに関係ないんですけどね。
距離はとったもののエーギルはリビュートの動向を追ってはいたのだろう。心に掛けている者が怪し気な袖なしと関わっている。大事な弟分だ。相手を確かめずにはおられない。それが、アタシ。
「この際だから今言おう。クロノ、私の父か兄の養子にならないか?」
こんな事態になった発端はリビユートがアタシに興味を持ったこと。リビュートが街道市の改革案でアタシを評価しているのは分かっていた。アタシ自身がそうなるように仕向けた訳だし、年齢不相応というのも認める。そりゃそうだ。前世込みなら三〇代。ただアイギースのように加護持ちかと誤解してくれればと思った。アタシはその度合いを少々読み違えたのだ。平民どころか袖なしを雇い入れるだけでもハードルが高いのに養子にってそれは無い。その為の根回しをリビュートがし始めたところで、エーギルが気付いた。
「俺はお前にそういう趣味があるのかと思ったぞ」
「違います!」
どんな娘かと調べさせてみれば街道市で小遣い稼ぎをしている袖なし。竜車の御者の娘である。しかも父親には借金があるときた。養子などと不穏な手段をとらずとも、先に確保しておいて処分するなり、手放せないなら密かに囲って悪評にならぬようにと。一方、リビュートはディオが衛士の詰め所に飛び込んでエリトゥラ商会の名を出した時点でアタシが連れて行かれた目的に気付いたって訳。
「賭け事でアタシの父さんハメたね?」
父さんの借金の大半は直前の賭け事で作られたらしい。要するにアタシを連れて来させるために父さんをハメたのだ。あんな父さんだから、アタシも借金そのものまでは疑っていなかった。ここの身内に無礼を働いたとか、女に手を出したとか、調子くれて借金バックレようとしたとかはあるかもと思っていたけどね。エーギルは声をあげて笑った。
「こりゃ、確かにあの夫婦にゃ勿体ねえ。だが借金は借金だ」
「兄さん……」
ですよね。元よりアタシの借金じゃないけど。
「勘違いしてるようだけど、アタシに加護は無いよ」
養子だ何だ、そもそもそんな価値はアタシに無い。
「今、年齢不相応ってだけで大人になったら人並みだろ」
神童とか思っているのかもしれないが二十過ぎればただの人だ。リビュートが言った。
「この子は塔に行く可能性だってあるんです」
え?塔?黒髪兄妹から聞いた高度文明鎖国都市って話の塔?何でそれ?
「無くはねえけどな……」
エーギルまでもそれは認めるので首を傾げるアタシにリビュートは言った。
「加護がなくとも優秀な者は国から塔に派遣されるのだよ。これから教育を施せば十分に可能性はある」
あー、国費留学生って訳か。塔には行きたいけれども、それアタシの能力じゃないし。前世の記憶があるだけなんだけど。
「塔って良い所らしいね。いつかアタシも行けると良いと思ってるよ」
憧れの上下水道だ。
「塔で得た知識や技が国や家門の力になるから養子は珍しくないのだよ」
え?知識や技術のためって帰って来ちゃアタシ的に意味ないでしょ。親から逃げるのに最適とか思ってましたわ。で、どうするって話よ。むーん…。エーギルを見た。
「安心していい。貴族の養子はないね」
リビュートが国の発展を真に願っているのか、政治的な力を得たいのか分からないが、柵が増えるのはごめんだ。アタシが国費留学生のような目立って稼げる存在になったなら、親がどうするか想像に易い。国の監視付きで一生搾取されるってことよ。リビュートは分かりやすく肩を落としている。
「そいつはアタシの親が黙ってねえ。そういう意味じゃないよ。一生涯金蔓にされるって話だ」
貴族の養子に貰われたなんて事になったら、毎月のように「生活が苦しいの」金をせびりに来るだろう。あーやだやだ。理解できていないリビュートに対してエーギルは言った。こっちは子を売る親なんか山ほど見てる。リビュートが来る前の有様も記憶に新しい。
「処理してもいい」
「そういう話が出てくるから貴族は嫌なんだよ」
その提案も却下しておく。
「だが、借金はどうする?お前が身売りするのか?」
「私の父や兄ならその位払ってやれる。働くなら市政官邸でもいい筈だ」
え?市政官ってマジで?民政のトップじゃないか。「前」で言うなら一〇万都市の市長よ?アイギースが貴族だって言うのは聞いたけど、それは今聞いたぞ、おい。それは兎も角。
腕を組む。考えろ、アタシ。そうして確認しながらゆっくりと言った。
「親の借金は親が返す。それとは別に自分の身柄は自分で引き出すつもりだ」
二人が眉根を寄せる。理解できないと言う顔も当然だ。
「別にって……倍額返済すると言うのか?」
リビュートが問う。正確には倍ではない。アタシは「前」からそれを考えて来た。家族は運命経済共同体。思い遣りあう異体同心、財布は一つ。なんて思うから間違うし、そこで錯誤に嵌る。貸し手にとっては金が戻ればいいだけで、取れるところから取るだけだが、借金は借りた本人のものだ。
「アタシはまだ身売りして親の借金を返済するって言ってないぞ」
身売りする訳ねーだろ。アタシが贅沢したくて借金した訳じゃない。売るなら本人を叩き売れ。理由は兎も角、賭博にハメられたとかバッカじゃねえの。だが、未成年は親が好きに出来る権利がある。つまり資産。
「父さんと母さんの資産であるアタシは、借金のカタにここに置いてゆかれた質草。あくまで質草だ。で、現在アタシの保有権利はエリトゥラ商会が持っている」
ここまではOK?怪訝そうに頷くリビュートとエーギル。
「身売りしていないのだから借金は無くなっていない。親は借金を返済しなければアタシを、質草を取り返せない」
多分、二親はそんな気はなくて、借金が無くなったとか思ってそうだけど。
「無くなっていないのだから、親に返済を迫るのはアリだ」
返済が終わっていないその間、父さんと母さんはアタシを取り返しには来ない。ここが肝。が、エーギルが言った。
「飯食う質草なんてのは無え。ここに居る限り働いてもらうぞ」
「兄さん……」
働くって、ここ娼館じゃないスか。んー。
「下働きでどうスかね?」
生活費分としてここで下働きをする。
「下働きで金返そうとすれば四、五〇年ってところだな」
それ一生奴隷だろ。だがな、そうじゃないんだ。
「だから、親の借金は返さないんだって。寧ろ借りた金は責任をもって本人に返させろ」
「「?」」
「で、アタシはエリトゥラ商会が保有している資産を買う。質草が流れるなんて良くある話だろ?」
保有している資産、即ちアタシ。アタシは自らの保有権を金で買う。
「エリトゥラ商会には質草の代金は確実に戻る」
エーギルに損はない。が、なぜ自分が不利になるような事提案をするのかと言えば、のんで欲しい条件が二つ三つあるからだ。そもそもイカサマ賭博にハメた事もあるから、ここで手を打つに違いない。
「親が追い借りするのは勝手だが、そいつはアタシの借金じゃねえ。アタシの値段は現在の借金総額。生活費は下働き分で。利子も値上げも無し。その内容で割証文が欲しい」
そして一見不利に見えるが、アタシが払う金額は同じなのだ。そこも家族の財布は一つだと言う錯誤だわな。アタシが身売りして父さんの借金をチャラにするのか、父さんの借金は無くならないが代金を払うからアタシは自由、この二つは大いに違う。エーギルとリビュートは黙った。
「あと行動の自由だな。1日の全てを下働きで過ごすのでは困る。今アタシが手掛けている商売が幾つかあるんだよ。5才児がやるしょぼい商売だ。後はリビュートが手を貸して欲しい案件に協力するのも吝かではない。有料で」
要するに金策の道を残す。勿論今手掛けている以外の金策も考えねばならぬだろう。自分を買う。出来るか?いや、やらなければ身売りコースだ。
「奴隷にはならない」
「面白い」
エーギルは割証文を認めた。
かくしてアタシは借金奴隷にはなることなく、住まいを確保した。子供には不適当な歓楽街だけどね。図らずもアタシが抱える親の問題は保留になったのだ。保留なだけで、無くなった訳じゃねえけどな。実のところ家に帰れなくもなかったのだが、帰る訳ねえだろよ。速攻別口で金にされちゃうって。時間が自由になる午後、久しぶりに街道市へ出向いた。お使い業も難民支援も突然放り出したままだもんね。ディオにはリビュートが無事を伝えてくれたから、そこまで心配はしていないと思うけど。
「黒目黒髪~」
お。居た居た。遠目からでも分かる。ちゃんとやっているではないか。少し離れて赤髪。ディオだ。アタシが頼んだ通りに指導を続けてくれている。アタシ達の後継だと街道市の人達に知られれば商売しやすくなるはずだ。そのまま離れて見守る。うむ。アタシが紹介した常連の青物屋から依頼を受けている。あのオッチャンは串焼き肉を頼むぞ。そのまま距離をとって後をつける。黒髪兄妹は中央橋のすぐ北に店を出していた串焼き屋で買物をしていた。よしよし、値段も味も良い店だ。届け終わってお使い完了。こちらはもう保護者目線だよね。終わった所で黒髪妹が振り返りディオに飛びつく。満面の笑み。「できた!」ってところかな。うんうん。ディオも嬉しそうにその頭を撫でた。へえ、黒髪妹には優しいじゃないか。理由は分からなくもないけれど。近付いて声をかけた。
「ちゃんとやれているじゃない。良かったよ」
「クロノ!」
ディオが叫びに近い声をあげる。
「この間はありがとう。リビュートを連れて来てくれたのディオだろ?」
ディオは驚き過ぎて動けないまま泣き笑いの表情だ。あれが今生の別れと思ってた?会いに来るって言ったじゃないか。ディオの表情にあてられてこっちまでこみ上げそうで苦笑い。が、そこでディオは自分の胸に抱きついている黒髪妹にぎくり。
「い、いや、こっ、これは違うっ!はっ離れろ!」
別に構わんよ、アタシは。この年齢の距離感ってすげえと思うけど。黒髪妹「えー?何でー?」理解できてないし。
「仲良くていいじゃん。黒髪兄の許可も出てるみたいだし。言う事ないよ」
「違うううう」
違う意味で半泣きのディオを放って黒髪兄を向く。
「売り上げはどうよ?」
やはり子供の駄賃仕事の範疇だが、空腹に苛まれる事は無くなったか。「く、クロノっ!」なんかBGMありだね。
「まだ野営してるの?」
一番心配だったアイギースは西都には居ると言う。アタシの金預けたままだからね。「違うからなっ、なっクロノ!」
「西都じゃなくて隣村に工場を作る話をしてた」
小さめの漁港である隣村は馬車なら半日かからない。竜車なら一刻。なるほど。材料の仕入れの関係とこいつらの家族の関係かな。西都には入れなくても城壁のない隣村なら家屋や工場を建てることが出来る。移動もその程度なら可能だろう。あとは請負契約がどうなったかだな。現状は試作改良を繰り返すヘスティアの元にアイギースが通っている所らしい。ほうほう。
「了解。その内そっちにも顔出すって伝えておいて」
「クロノォオオオ!」




