11 ○○掃除はどこででも
それは下街でも海よりの北門近く、港の倉庫街に隣接する一画で、アタシ達子供は近付いてはならないとされる地域だ。港では陽も登り切らぬうちから人も荷も動くのに、西都の内では一番朝が遅く来る。路地裏には元より働き口のない者や、昨夜羽目を外し過ぎた者が身包み剥がされて転がっているような場所。通称、富める者の通り。富める者とは死者の国の神の謂いだから、要するにあの世への直通路。言い得て妙だわな。酒場に食事処に娼館、質屋。その中に食料品や港・船関係の真っ当な店も点在している雑多な街だ。クロノです。借金取りに連行されたあの日から親元を離れてここで暮らすことになりました。本当に身一つの移動です。5才だし、困らないんですけどね。ホームシック?なる訳ねえだろ。
倉庫を改装したその建物は一階が酒場と賭場。天井が高いだけでオシャレな奴ではないが、客入りの良い繁盛店だ。この酒場兼賭場を運営するのはエリトゥラ商会という。本業は海運業の西都では中堅どころの商会。船が出ていない時期には船乗りが仕事をしていたりするらしい。酒場と賭場と船乗りと言えばもう一つのお約束、「前」世でも最古の職業と言われたアレ。ここの二階は娼婦が客をとる部屋になっている。西都では酒場で娼婦が給仕と酌をするのがスタンダードなんだとか。三階は下働きと家を持たない商会の若い衆が住んでいる。アタシが部屋を貰ったのはここ。
あちこちから売られてきた娘はまず娼女の小女になる。侍女とか小間使いのようなものね。それぞれの娼女の部屋の隣に部屋を貰い、その世話をしながら仕事を学ぶのだ。で、何でアタシは三階なのかって?流石に5才じゃ役に立たないから。湯を運ぶのも髪を結ったり着替えを手伝う事も出来ない。子供ってさ、ヘンタイ専用以外、見習いが出来る一〇才位でないとそもそも売り物にならないのだ。そう考えると借金のかたにアタシをここに置いて行った父さんと母さんが近所に何と言っているのか、興味がない事もない。性格悪いな、アタシ。ふふん。
そんな訳でアタシに出来る仕事は限られている。はい。また便壺洗いからですわ。人生ゲームのマス目には振出しに戻るの表示が出ている。朝起きたらまず二・三階の便壺を回収。二階の姐さんたちはまだ寝ている時間だ。これがスペアも使い切っている程の量があるのでかなりの重労働になる。階段の上り下りもあるしね。そこで壺を運ぶ便利道具2号も作りました。今回はこういう物が欲しいと言ったところ船道具の修理をする人を紹介して貰えた。材料と製作費も持ってもらえたので中々のものが出来たんですよ。木箱に車輪も四つの押し車。壺も一度に六つ運べる。で、街区溝との間を往復する訳。今度は雁木で壺洗いを邪魔されることもないので安心は安心だが、お給料はあ・り・ま・せ・ん。
こいつを全部やっつけると、今度は酒場と賭場の床掃除。テーブルと椅子を動かすことが出来ないので、床に落ちている物を拾い集めるまでしかできない。相変わらず非力でやんす。ここも客の質が今一、というよりはそういう社会なので毎朝床は惨憺たる有様だ。喰っている時に出た肉の骨、魚の尻尾や貝の殻、食べ残しのパン、零れた酒や割れたカップに椀。酷い時にはゲロそのまま。喰えるものは分けておいて外で待っている犬と物乞いに下げ渡す。黒髪兄妹が現れない事に胸をなでおろす毎日だ。黒髪兄妹ともヘスティアやアイギースともあれきりなので本当に口だけ出した形になってしまったのは心苦しい限り。いや、アタシも他人の事を心配している場合じゃないんですけどね。で、これを片付けて、後は水拭きすれば良いだけにするのが今のアタシの仕事。
「アンタがそこまで働いたら若い子の仕事が楽になりすぎる気もするんだけどね」
終わる頃にはフリュ姉が起きてくるので朝食兼昼食を頂く。フリュ姉ことフリューネさんは酒場を任されているセクシーダイナマイツ。トンデモナイ美人で、永遠の二五才だ。フリュ姉の言うように元々朝の便壺洗いは下働きの小女達の仕事だし、酒場や賭場の床掃除はエリトゥラ商会の若い衆の仕事。が、小女達も若い衆も業種柄夜が遅い。そこでアタシが朝の分だけをやる事になったのだ。それにも経緯があるんだけどね。
実のところここでのアタシの立場は微妙なのだ。会頭の「こいつの面倒見てやれ」の言葉で当初は他の小女同様に営業時間中にも雑多な仕事をしていた。働く以上準成人の扱いだから腰布もつける。が、貰った小女用の腰布でさえ大きすぎて折って胸の下で縛る始末。これでは大人ごっこ中にしか見えないのよ。5才の身体はは働くには幼すぎるのだ。さらにはちょこちょこヤバい系の交渉が入った。
「幾らだ?」
何処の世界でもヘンタイっているんだわ。ところが会頭の「預かり物だから客取らせるな」の言があるので、
「あれはまだ商品じゃないんで……」
「いや……ちょっと訳アリなんで…」
若い衆は対応に困るし、姐さんたちには営業妨害。確かに訳アリ、ではあるのだ。会頭の縁者らしいとか、衛士に目をつけられているとか、一方で借金のかたに連れて来られたのを見ている者も居るので情報は錯綜。直接聞かれてもアタシは「ん?」5才のふりをするので真実は闇。結局、
「ガキは早く寝ろ」
営業時間中の酒場と賭場への出禁を喰った。助かったぜい。
「ほら。時間があるなら何か買ってお食べ」
フリュ姉が銅貨をくれた。この人はアタシが給料をもらっていない事を知っている。多分、そのほかの事情も。やはりイイ女は違うね。首から下げた小袋に小銭を入れる。チャリンチャリーン。
「ありがと」
アタシが無一文で富める者の通りの住人になった始まりはあの日。倉庫を改装した酒場の隣、エリトゥラ商会の事務所からだ。借金のかたに連れて来られたあの晩、石積みの建物の内は夜を楽しむ酔客が行き来する通りとも、賑わい始めたばかりの隣の酒場とも無縁の空気が漂っていた。
「借りたもんは返すのが道理ってもんだろが」
アタシ達が着いた時点で既に父さんは跪いており、執務机の向こうからは部屋の主が眺めていた。トパーズ色の瞳に黒髪、貴族の格好をした男だ。「今」のクロノは見た事は無い、立ち襟の上着に飾りシャツは軍服風で儀礼装を思わせる。アタシら袖なしには縁のない話だが、いきなり立体裁断のあのデザインが出てくる筈もないから、絶対にアタシ以外の転生者がいたに違いない。ついでにそいつは神の加護もあったに違いないよ!いや、脱線した。
で、この男よ。エリトゥラ商会の会頭であると知らされたこの男は父さんよりも少し上にしか見えないが、身体つきも眼光も剣呑で如何にもこの界隈で長を張る風貌。執務机の前には小卓と布張りの長椅子が二つ並んでいて、長椅子に一人、扉脇にアタシ達を連れて来た二人。会頭の斜め後ろに尋常じゃなくデカい護衛らしい一人。「前」世のコンプラ重視の時代には闇金すらこれはしないと言う光景があった。借金も借りる相手は選べよ、まったく。
「嫁と子供が来たぜ」
長椅子の男が言う。こちらも立ち襟のシャツに背布、陣羽織に似たベスト風のそれなりの格好だが、どういう訳か品は無い。父さんが床の敷物に額を擦り付ける。妻子に見せたい姿ではないのは確かだね。弟を抱きしめたまま母さんが父さんの横に跪く。アタシはその後ろに立った。
「泣かねえな」
不機嫌そうな部屋の主がアタシを見た。泣き疲れて寝ている弟は兎も角、両親は嗚咽を漏らしているのだからアタシの事だろう。アタシだって怖くない訳じゃない。が、深く息を吸って空っぽの胃の底辺りに溜める。アタシには「前」世の記憶がある。だから何が起こるか分からない不安、それだけは押さえ込むことが出来る。きっとそれだけは。そうして泣かずに笑って見せた。
「で、お父さん、借金どうするの?」
いつ豹変するか分からない危うい穏やかさで長椅子の男は言う。ここへ来るまでに母さんに投げつけられた「一年飲まず食わずで働きゃ何とかなるでしょ」との言に、借金は一般的な成人の年収位だという事は想像がついている。その時のざらりとした違和感に付いてアタシは考えていた。
「お前が奴隷になるのか、女働かせるかって話でしょ」
(借金奴隷ね……)
2才の弟は除外で父さんと母さんとアタシ。奴隷としては労働力になる成人男性が一番高い。女は業種によって値段が変わる。農奴など単純な労働力なら成人男性よりは劣る程度。就労年齢に達していないアタシは生活費がかかるだけなので通常ならば値はつかない。跪いたまま母さんが訴える。
「夫をとられては食べていけなくなります」
「じゃ、アンタかい」
「子供が居るんです。まだ小さいのに母親が居なくなっては死んでしまう」
おいおい。父さんは駄目で、自分は困る。捻たアタシは思う。それってアタシなら良いって話じゃね?会頭の男は言い募る母さんではなく、アタシを見ていた。
「ガキ売るか」
両親は揃って目を伏せる。アタシは考えていた。だってさ、成人の年収程度なら父さんが一、二年出稼ぎに出れば払える額なんだわ。金持ちの親戚がいる可能性も皆無ではない。まずは返せるかどうかが先じゃない?
(……………)
クロノの記憶に家まで借金取りが来た事は無い。貸した金を取り立てたいのなら返済を急かす追い込みぐらいはするだろう。「前」世の経験でいうならばオニ電、職場連絡、学校待ち伏せ、居住地嫌がらせ。社会生活を送れないようにして返済を急がせるのだ。より多く毟るなら利子を返済させ続けるリボにハメる方がいい。脅しでも拉致は最後。埋めたり沈めたりは手間がかかるし金が戻らない。
(あ……れ?)
そして、この建物に入る前に見た光景。この賭場の客は平民、そもそも貴族や富豪はこんな場末には来ないだろうが、上町に住む程度の者も多くは無かった。つまり、父さんが作る程度の借金で家族を売り飛ばしていたら、この店は客が居なくなる。
(もしかして……)
この状況は借金そのものが理由ではないのではないか?
そう思った。ならばそれは――――
アタシを現実に引き戻したのは部屋の主の声だ。
「嬢ちゃん、どうだ?家族を助けてやりたいかい?」
戻ってしまった現実は永遠に逃避したいくらい最低。いつの間にか途切れている嗚咽がそれを物語っている。父さんと母さんは「それ」が可能だと気付いてしまったのだ。そして、世の中のあらゆるものには順番がある。中身が5才ではないアタシはそれを知っていた。ため息。想定内ではあるけれど、忌々しいもんだわな。空っぽの腹に溜めるのは夢でも希望でもない。「んー?」アタシは何も解っていない5才の振りをしながら
「そっちでお話してもいいかな?」
会頭が顎をしゃくるのを見て長椅子と執務机をぐるりと回った。機嫌良さ気に可愛らしさをアピールしてみたけれど、やっぱり似非幼女パワーは通用しないね。アタシに自分を売ることを選ばせるような趣味の悪い男だもの。1m程の距離で対峙する。脇の護衛は並ではない大男で、多分亜人の大人ではなかろうか。アタシなんか蠅のように潰されそう。ではここでこの会頭の男に先程の思い付きで交渉を……なんてのはウソ。二親の期待のこもった眼差しを正面から受けるのに耐えられなかっただけ。バカなんだ、アタシ。いつでも勝手に期待して、裏切られた気分に打ちのめされる。どうしようか?どうする?アタシ。
ノックの音に扉前の一人が扉を開け、首を突き出して外とやり取りを始めた。と、いきなり扉が引き開けられる。怒号と一緒に衛士の格好のままのリビュートが入って来た。
「エーギル兄さん!」
はあ?何でリビュート?……って、待てよ?
唐突に目の前がスローモーションに切り替わった。
つらつらとこれまで考えていた状況がシャッフルされて脳内に蘇る。今の呼びかけ、ディオ、商会頭の貴族風の装い、リビュートとアタシ、関係ない筈の街道市、お使い業の一コマ、高速で流れて。
(!)
……そういう事かよ。紙の辞書のページをダララっと流して止めたその箇所が、ズバリ目当ての項だった、そんな感覚。ピースが全て収まれば、パズルの出来上がりが見えてくる。
そこに遅れて飛び込んできたのは
「クロノ!」
ディオ?え?リビュートを連れて来たのはディオか!家の前で騒いでいた時に商会名も言っていた記憶があるが、それだけで?いや、百歩譲ってリビュートは良いとしても、何でお前が付いてきてるんだよ!アタシの事情に巻き込む気だけは微塵もなかったのに。「ここを何処だと思ってるんだ!」「衛士風情が何してくれとんじゃ!」手下の皆さんがアタシの心情を叫んでリビュートに掴みかかる。アタシに駆け寄ろうとしたディオが蹴り飛ばされた。
「ディオッ!」
床にべたっと落ちたディオは起き上がれずに歯を食いしばったまま泣いていた。大泣きしたってかまわないのに。「畜生……」呻いて、再びアタシに手を伸ばす。そこでアタシも
キレた。
答えはもう出ていたから。
執務机の上のインク壺を掻っ攫うとその勢いのままに叩きつけた。小壺が破裂して飛び散る音に全員が振り返る。後ろの護衛がアタシの頭を握り潰す直前にそれを止めたのは、その主の右手の一振り。アタシは見開いたままの眼を一瞬も黒髪の男から離さずにいる。ふざけるな。そんな理由でディオはあんな目に遭ったのか。世界に喧嘩売る覚悟で下から男にメンチを切る。
「これ、アンタとリビュートで話付ける問題だよな」
先程までとは打って変わった、5才にあるまじきドスの効き具合と太々しい顔に全員唖然。ずっと違和感は感じていたのだ。リビュートが飛び込んできたあの時に答えが出た。
「続きは関係無ぇその三人とそっちの子供帰した後だ」
アタシたち家族がここに並べられているのは、父さんの借金が理由ではない。
初めて面白そうな顔をした商会頭が言った。リビュートに顎をしゃくって
「それは身内だ。こいつには」
アタシに視線を絡めたまま。
「興味がある」
リビュートとアタシを残して叩き出せと。手下の皆さんが「はあ?」困惑を漏らす。アタシの予測が正解だったんだろうね。




