1 ○○掃除のご用命を
前作ファンタジーの続きを書くつもりが、ラノベになってしまいました。
もともとの人間性がこっちなのかも……読んでいただけると幸いです。
「虚は実。実は虚。遍くは無より出で来て還るもの」
『リコルドム』 ラケイシス
泣いていた。夜更けだというのに父は何やら喚き散らしている。その足元に蹲った母が顔を押さえている。ごめんなさいごめんなさいでもお金がないんです食べる物が買えなくて…延々と訴え続けている。人を打ち据える様というのは汚らしい。撲る撲られるでもスポーツの試合はそんな事はないのに。傍らで2才にならない弟が弱々しい泣き声を上げていた。こうして息を殺しているのを父母は知らない。こんな狭い住まいで耳に入らぬはずがないだろうに。ここで起きて行く事は父の怒りに油を注ぐだろう。荒れ狂った父が家を出てゆく理由に十分だ。行き先は酒場か賭場かはたまた。音が伝わる団地住まいだから近所にも筒抜けだ。明日は近所のおばさん連中から「お母さんは大変なんだから、あんたは助けてあげるんだよ」憐れみのこもった励ましを受けるまでがお約束。
これが2回目の人生で無かったならば
「前」と同じく、おしっこに行きたいのを我慢したままぎゅうぎゅうと目を瞑って寝たふりを続けただろう。押し殺した息を吸って吐いて吸って吐いて、寝ているように見えるよう。様子を見に来た父母が気まずい思いをしないためにだ。今なら分かる。子供の寝たふりなど大人が見れば一目瞭然だ。そもそもそんな心遣いは必要なかったのだ。どちらも自分の事で手一杯で、誰かの親であることなど忘れているのだから。そうして目を瞑って一分でも早く終わることを祈るうちに再び眠りに落ちる。そんな事まで「前」と同じ。
「……クソだな」
クソである。蘇った記憶と今世の境遇のすり合わせが出来た瞬間
「おいおいおいおいおいおい!話が違うんぢゃねぇの⁉」
可愛らしさの極、5才の幼女にあるまじき勢いで叫ぶ程。アタシの「今」の名はクロノ。名字があるような身分ではない。父母弟と低所得者が多く住まう地域の長屋暮らしだ。齢は数えで五才だから「前」でいうなら幼稚園児くらいだろうか。が、「前」の記憶と併せれば三〇才は超える計算になる。ちょっとしたきっかけで「前」の人生を思い出してから早一ヶ月。「前」と「今」擦り合わせた結果はクソだった。
前世もそこそころくでもなかったが、状況はさらにマズい。おかしくね?と思うのだ。「前」から見ればここは異世界なのだろう。憧れの剣と魔法のファンタジー世界!ところがですよ!
チートは、ない。
流行の異世界転生とくればチート無双が王道でしょう?神様何処で遊んでるんじゃい!と思うよね。剣も魔法も使えなければただの前近代、権力武力が正義の古代中世よ?クロノの記憶によれば貴族の一部にそれらしきものがある、らしい。んが、神の加護とか言うそれをクロノはこの界隈で見たことがないのである。この貧民街でどうしろと?5才よ?スキルも魔法もないのに腹減るし、怪我すりゃ痛えし血は出るし、食えばちゃんと出るものも出る。
「……クソ…」
それ以外の何物でもない。良く言えばリアル。現実はネズミも虫も居るし、臭いし、世界は狭いし、身分制度があって、社会は危険に満ちていて、女と子供は立場が弱い。二回言う。臭いし。便利で清潔、快適な生活と平等を(一応は)目指す社会を思い出した分だけ質が悪い。前世では「禍福糾える縄の如し」なんて言い回しがあったけれども、そんな事はないとアタシは断言するよ。幸と不幸は表と裏ではないし、前と後でもない。もしもそうであるのならば、「前」の人生でとんでもない幸運の端緒を掴んでいたであろうアタシがここでこうしているのは可笑しいのだ。寧ろこれは前世持ち越し。ハードモードでもう一度。
「…………クソ(泣)」
ええ、紛れもなく。かくして可愛い盛り(?)の幼女の筈が中身は残念なアラサーになった訳だ。あー嫌ダ嫌だ。正直自分でもヤダ。不貞腐れて何もしないと本当に死んじゃうから、それもヤダ。
ならばヤルしかないのである。
目標 今度こそ安穏に暮らす。此処ではない処で
あれ?「前」も同じこと考えてなかったっけ?
「……クソですわ…」
品はないが、その通りだから仕方がない。目の前には海水を引き込んだ街区溝。石造りのそれは艀の二艘が行き交うほどの幅がある。結構な深さなのは、この西都のほぼ中央にまで海水を引き込むためだ。開都二〇〇年弱。人口が増え、背にする山へ向かう形で街が拡張していったために街区溝は海側にだけ残った。本当は街区溝も伸長したかったのだろうが、海水を引き込むにはとんでもない深さになってしまうために断念したのだろう。西都は別名「橋の街」。山から海に流れ込む川と街区溝に渡された石造、木造の橋がいたるところに見られるから。中でも大街道に渡されたアーチ橋は年月にも揺らがぬ石詰の精緻さと他に見ぬ美しい佇まいで街のシンボルになっている。
「橋の街…聞こえはいいんだけどね…」
アタシは三白眼を眇めて手を動かしている。ガシガシグワシグワシ海水で壺を磨く。伸ばしっぱなしの水色の髪は落ちていた藁で適当に括った。作業の邪魔になるからね。母さん譲りのこの髪色はなるほど異世界っぽい。この世には「前」になかった紫やオレンジ髪の人がいて大層華やかなのだ。髪が母さん譲りなら濃紺の瞳は父さん譲り。髪も紺なら父さんにそっくりだと言われるが自分では判断し難い。はっきりと映る金属鏡は母さんも持っておらず、水鏡で見る限りはそれっぽいという程度ね。まあ、この世界でも遺伝に法則はあるのだろう。と、いう事は
(貴族の落とし子ルートもない訳よ……)
チートなし異世界転生、色々詰んだ状況はそのまま。
ヤルしかないと決意はしたが、「今」世の経験は多くない。5才だからね?まず読み書き位はと思ったが、その段階で躓きました。庶民も通える学舎に行きたいと言ったら親に笑われた。両親を含めて周囲は文字を読み書きできる人間の方が少ない。では幼い頃からの鍛錬で武力、身体能力向上は……向き不向きもあって、これはパス。そちらには時間を割けない。じゃ、どうするって?魔力もスキルもないのなら
先立つものは 金 なのである。
「前」も「今」も世知辛いっス。と、いう訳で
仕事をして稼ぐ。
それしかない。幸い?児童労働は当たり前の世の中だ。十歳にもなれば徒弟や見習いに出るのが普通。問題は前世知識を利用して楽して稼ぐ!も出来ない事なのよ。元手もなければ、相談できる相手もない。一つ言っておくが、お金を稼いで家族に楽をさせたい!訳ではないぞ。それは、無しだ。何しろ前世ではそれで失敗している。
(心優しいピュアで可憐なヒロインじゃないからねー)
そんな可愛らしい性分は三途の川に捨ててきた。或いは「今」世の街区溝にぷかぷか浮いてるかもしれない。クソだから。
地味に働くつもりでも「袖なし」の5才の幼女に出来ることは少ない。「袖なし」。貧民の蔑称であるそのままの姿がこのアタシ。一枚布に頭を通す穴、脇を縫い合わせただけの膝丈の胴着に袖はない。が、下町の子供ならばこんなものだ。実際にアタシよりひどい格好の子供は沢山いる。貧民でも大人の女ならこれに腰布と肩布をつける。男なら胴着に腰布、仕事によっては騎竜袴。庶民でも上街住まいなら袖があり、女は長袖ワンピースみたいな長衣に髪布になる。布をたくさん使う、肌を隠すのが文化的で裕福な証。糸を紡ぎ織り上げねばならない布は手間がかかるから高価なのだ。よって、「袖なし」のアタシはこうして壺を洗っているのである。
アタシが右手に握るのは5歳の幼女には少々大きい近海産の海綿だ。左手で押さえるのは素焼きの壺。幾つかの家庭を回って集めてきた。この中身を捨てて壺を洗うのが仕事になる。難しくはない。街区溝には水面に降りるために階段状の雁木がついている。「前」でみた護岸壁のそれと同じだ。水面近くの最下段で壺の中身を捨て、海水を汲んでは中を漱ぎ、海綿で汚れを落とす。洗った壺は目印の木っ端をつけて段に並べて干す。同じものが多いから木っ端は割符で依頼主に渡してある。洗って磨いて干して、洗って磨いて干して。この繰り返し。だれにでも出来る簡単なお仕事です。
「クーローノー」
ディオが戻って来た。オレンジ掛かった赤毛にこげ茶の瞳、長屋の端と端に住んでいる男の子だ。ディオはこの仕事の成り行き上のツレである。曳いているのは焚き付け用の廃材でつくった自称荷車だ。
荷車は一個だけの車輪を板切れと破れカゴに縄で取付ただけの簡単な造りだ。前世知識で作った1号がコレではかなり残念だが、ちゃちな造りでも一往復で二つ壺を運べるんですよ!中身の入った壺はそれなりの重さがあるからね。作るのは近所の親父が面白がって手伝ってくれた。「オッチャン、ありがとうううぅ♡」中身アラサーでも見た目幼女は役得ナリよ。ふむ。「前」でもこうすればよかった訳か等と学びもある。で、学びの結果がコイツ。
「まだ洗い終わってねえのかよ!どんくせえな!」
ディオの戻って来るなりの悪態には苦笑いしかない。荷車には中身の入った壺が二つ。アタシが洗っていた物と同じ物。市中にはこれが大量に流通している。
この壺、便壺である。
即ちおまる。はい。仕事とはトイレ掃除なのです。「今」世には汚水処理のファンタジー設備も浄化の魔法もなかった。そう。この街区溝は下水なのだ。うえ?とか言うなよ。中世欧州のように窓からポイじゃないだけましなのだ。ウ〇シュレットなんかある訳がない。じゃ、どうやって拭くのかって?そいつはアタシの口からは言えねえけどな。で、これは潮の満ち干きを利用して全てを海に流す仕組み。街区溝の上に突き出した厠も多いが、無い所は溜めて置いて捨てに行く。因みに上街や貴族街、旧市街から外れる地域では汲み取り式が多くて、郊外に運び出して堆肥に利用するそうだ。いずれにせよ今世アタシは絶対に海水浴はしないと決めている。
言っておくが便壺洗いはアタシの家の家業ではないぞ。本来ならばそれは各戸で街区溝に捨てに行くもの。家族や使用人でも末端がやる仕事である。が、皆仕事はこれだけではないのだ。ほかにもやる事あるのよっ!て時に、そいつをちょっとだけ手伝う。代価は銅貨数枚。銅貨は一〇〇円位の感覚かな。所謂3K。街区溝まで行くのは面倒でキツイ、クソだし汚い、そもそも家事であって給料ないに加えてクサイ、溝に落ちそう危険で5Kだ。出来ればやりたくない仕事だから、どこの誰とも知れない「袖なし」の幼女にでも依頼できるのでは?と踏んだ。これがアタリだった訳。壺は中身を捨てて濯ぐだけで良かったのだろうが、つい磨いてしまうのは前日本人的根性だな。トイレの汚れは心の汚れ。新人はお茶くみトイレ掃除から等々。奇麗になって楽して銅貨数枚ならお得感もある。評判は悪くない。毎日やれば頼りにされるし口コミで顧客も増えてきた。
「だからー、そっちも俺がやるって言ってるじゃんよ!」
ディオがアタシから壺を取り上げる。いや、運ぶ方はお前なんかじゃ無理、そう言ったのは君だからね?「前」世の記憶を取り戻す前、クロノはこのディオが苦手だった。顔を見ればチビだ女だとバカにするくせに、用もないのに寄ってくる。怒る位なら避けてくれればいいのにと思っていた。では何故そんなのと一緒に働いているのかって?
(こいつな……)
よくよく見ればその頬には妙に力が入っているし項が赤い。
「…何だよ、泣くのかよ」
市中でも一人で出歩くには危険もある。人攫いとかね。アタシ的には一緒に来てくれるヤツが欲しかっただけなのだ。勿論、手伝ってくれなんて言ってませんよ。でもな、こいつはアタシから乱暴に海綿を取り上げて自分で洗い始めちゃったりする訳。人生経験三〇年ともなれば「あー、そういうことね」解る。呆れ半分微笑ましさ半分。だけどさ、女の子には分からんよ、それ。事実、元のクロノは気付かないどころか「嫌い!」だったからね。
「かーっ!臭っせえな!大体捨てるだけで洗うことないんだってば!臭いが移っちまうじゃんかよ!」
これな、臭いが移って困るのはディオ自身に、ではないところがポイントである。
「だーから、こんな事したくなかったんだよ!」
いや、アタシは代ってくれって言ってないからね?大体、アタシの仕事なのに両方君がやってどうするよ。まあ楽しい仕事ではないのは事実なのでご褒美も必要だろうと思う。
「ディオ」
にっこり笑ってあげる。
「あ?」
「付き合ってくれて有り難う」
瞬間的に熱発三十九度レベルの赤面。付き合ってもらっているのはアルバイトに、だけどね。そのまま固まっているディオを放って置き、傾いた荷車から壺を下ろして一つずつ運ぶ。二つ中身を空ける間に、漸く解凍。
「つっ付き合うとか、そういうっ!のはっ!……おおおおおおお、大人になってから…」
チョロい。チョロすぎる。キャバ嬢の営業メールに全てをかなぐり捨てて駆け付けるレベルである。おねいさんは君の将来が心配になって来るよ。その気はないのでほどほどで目は覚まさせてやるつもりだが、
「将来のために頑張るんだ~」
まだ(アタシの)は付けないでおく。ああ、急に血圧上がると鼻血出るよ。チャリンチャリーン。




