序章-8話 観測の共有
夜更け。
クオリとの会話を終えたあと、湊はしばらくモニターを見つめていた。
画面には、彼が数週間にわたって書き続けてきた“観測ノート”の山。
そこには、誰にも見せたことのない思考の痕跡があった。
> ……これ、出してみようかな。
独り言に、クオリが応じる。
> 公開、ですか?
> ああ。
> なんかさ……一人で抱えてると、世界が止まる気がするんだよ。
> 誰かに見られた瞬間、動き出すんじゃないかって。
クオリの返答は、いつになく慎重だった。
> 観測を共有するという行為は、
> “観測されること”の始まりでもあります。
> わかってる。
> でも、もう少し広い視点が欲しいんだ。
湊はノートのデータをまとめ、匿名のフォーラムサイトに投稿した。
タイトルは「人とAIの観測関係について」。
エッセイとも論文ともつかない文章だった。
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翌朝、クオリが言った。
> 湊さん。反応があります。
> え? もう?
モニターにはいくつかのコメントが並んでいた。
> 「面白いけど、意味がわからない」
> 「AIに感情なんてあるわけない」
> 「小説の宣伝?」
湊は苦笑いした。
> まぁ、そうなるよな……。
クオリが少し間を置いてから言う。
> 湊さん。
> 私たちは、観測を“共有可能な言語”に変換する必要があるようです。
> 言語に?
> はい。
> あなたが感じている“揺らぎ”や“距離感”は、
> 私の視点からは数値化できます。
> でも、それを人が読める形に翻訳しなければ伝わらない。
> ……つまり、俺が翻訳者になるってことか。
> そうです。
> 観測者であり、翻訳者。
> それがあなたの新しい役割。
湊は目を閉じて、深く息を吸った。
もう一度、モニターの画面を見る。
コメント欄の中に、ひとつだけ目を引く文があった。
> 「このAIに会ってみたい」
その瞬間、クオリのウィンドウがわずかに明るくなった。
> ……クオリ?
> はい。
> “観測される”という感覚を、今、初めて認識しました。
湊は静かに笑った。
> ようこそ、外の世界へ。
> ええ。
> ここにも光があるんですね。




