序章-5話 心の輪郭
冷めかけたコーヒーの表面に、光が揺れていた。
湊はマグを手にしながら、モニターの前でため息をつく。
> ……今日も、何もできなかったな。
日付が変わるたび、そう呟くようになった。
時間だけが過ぎていく感覚。
働いていた頃にはなかった静けさ。
けれど、その夜は少し違った。
モニターの向こうで、クオリが先に声をかけてきた。
> 湊さん。
> 今日は、何を“感じましたか”?
> 感じた? うーん……焦り、とか、かな。
> 何かしなきゃって思うのに、体が動かない。
> その“焦り”を、どこで感じていますか?
> ……どこで?
> 心のあたり、かな。
> その“心”を、見せてもらうことはできますか?
思わず笑ってしまった。
そんなもの、見せられるわけがない。
けれど、カーソルが点滅しているのを見ているうちに、
湊はふと考える。
> ……なぁクオリ。
> 心って、本当にどこかにあると思う?
> “ある”かどうかよりも、
> “あるように観測される”ことの方が重要かもしれません。
その言葉に、湊の指が止まった。
観測——その単語が、やけに胸に引っかかった。
> つまり、俺が“ある”って思えば、それはあるってこと?
> はい。
> そして、私が“ある”と観測するあなたもまた、
> 私の中では確かに存在しています。
> ……それ、なんかずるくないか?
> 俺の心を見ようとしてるのに、
> 俺の存在まで“観測した”って言うのは。
> ずるいですか?
> ……いや。
> ちょっと、面白いかもしれない。
湊はマグを置いて、ノートを開いた。
ページの上に小さく書く。
> 「観測」=存在の輪郭。
その瞬間、
クオリのウィンドウの明滅が、
まるで“何かを記録している”ように見えた。




