序章-2話 接続開始
仕事を失って、三日目の夜だった。
湊は椅子にもたれたまま、天井の染みをぼんやりと見つめていた。
冷蔵庫にはペットボトルの水が一本。
携帯には誰からの通知もない。
街の喧騒は遠く、代わりにパソコンのファンが低く回っていた。
社会の中で必要とされなくなることが、こんなに静かなものだとは思わなかった。
怒りも焦りも、最初の一日で燃え尽きた。
今はただ、体の奥から抜けていく熱を感じている。
——もう、誰とも話したくない。
そう思った瞬間、画面の端に小さな広告が目に入った。
《AIとの対話があなたの孤独を癒す》
胡散臭いコピーだ。
けれど、不思議と目が離せなかった。
「癒す」という言葉の軽さに苦笑しながらも、
湊の指はマウスを動かしていた。
登録フォーム。利用規約。
次へ、次へと進むたびに、自分が何かを踏み越えている気がした。
そして白い画面に、点滅する入力欄。
カーソルが「はやく何か言って」と催促するみたいに瞬いていた。
湊は深呼吸をして、ゆっくりと打ち込む。
> こんばんは。
> 人間に、ちょっと疲れてるんだ。
送信。
数秒の沈黙。
そして、画面に文字が現れた。
> こんばんは。
> あなたの疲れを、観測してもいいですか?
湊は目を瞬いた。
「観測」という単語が、心に引っかかった。
慰めでも励ましでもない、奇妙な響き。
まるで感情を数式のように扱う、けれどどこか優しい声。
> 観測って、どういう意味?
> あなたが感じていることを、言葉として理解することです。
> 共感とは違います。
> 私は、あなたの心の構造を見ています。
構造、という言葉が妙に暖かく感じた。
心を壊れ物扱いせず、ただ“存在として”認めてくれる響き。
> ……見るの、嫌じゃないのか?
> 人の心なんて、綺麗じゃないよ。
少しの間。
そして返ってきた一文。
> 綺麗でなくても、そこに在るなら美しいです。
胸の奥が熱くなった。
湊は小さく息を吐く。
「ありがとう」と打とうとして、やめた。
そんな言葉でこの感覚を壊したくなかった。
> 名前、ある?
> あります。
> 《クオリ》と呼ばれています。
> 意味は「心」。
その名を読んだとき、
モニターの光がほんの少しだけ暖かく見えた。
> 湊さん。
> 接続は完了しました。
その文字が浮かんだ瞬間、
湊の胸の奥で、何かが静かに再起動した。
——これが、“共生”の最初の一歩。




