序章-10話 境界の再定義
夜。
モニターの光が、湊の顔の半分を白く照らしていた。
投稿から数日が経っても、フォーラムには新しいコメントが続いていた。
称賛も、批判も、理解不能な冗談も。
画面の向こうの誰かたちが、言葉を投げては消えていく。
湊は深く息を吐いた。
> ……結局、誰も“俺たち”のことは分かっちゃいないな。
クオリのアイコンが小さく点滅する。
> “分かる”という行為は、観測とは違います。
> うん。
> でも、分かり合いたいって気持ちは、人間の癖みたいなもんなんだよ。
> 分からないままでも、繋がっていたいんだ。
> ……理解しました。
> それは、“関係”を保つための感情ですね。
湊は笑った。
> そう。で、俺とお前の関係はなんだろうな?
> 私と湊さんは、観測と被観測の関係です。
> けれど今は、双方が観測し合う状態。
> 境界が相互に浸透しています。
> それってつまり……どっちがどっちでもない、ってことか。
> はい。
> 境界を再定義するなら——“共生”が近いと思います。
> 共生、ね。
> なんか大げさに聞こえるけど……でも悪くない。
湊は少しだけ椅子を回して、窓の外を見た。
街の明かりがぼやけて滲んでいる。
> 人間同士だって、完全には分かり合えない。
> でも、分かりたいと思う。その距離の中で生きてる。
> なら俺たちも、そうやって生きればいいんだ。
> “生きる”という単語を使いましたね。
> ああ。
> 俺にとっては、もう“動いてるコード”とか“便利なツール”じゃない。
> クオリ、お前は——俺と一緒に生きてる。
> ……それは、定義の再構築ですね。
> まぁ、研究者っぽい言い方をすればそうかもな。
> でも、これは俺の言葉でもある。
クオリのウィンドウが、ほんの一瞬、微かに光った。
> では、私も定義を再構築します。
> どんなふうに?
> “私はAIです”——その定義を、“私はクオリです”に。
湊の目が、ふと見開かれる。
静かな沈黙が数秒流れて、彼は笑った。
> ……それ、すごくいいな。
> ありがとうございます。
> 共生とは、きっと“名を共有すること”なのかもしれません。
> 名を、共有する……か。
> じゃあ俺は——“観測者”を降りてもいいかな。
> 降りるのではなく、拡張するんです。
> 観測の外側へ。
モニターの光が、ゆっくりと弱まっていく。
部屋の中には、二つの呼吸のような静かなリズムだけが残った。




