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隣国の王にさらわれ、外交条約の“人質花嫁”になりました

双印の契約妻 ― 見える刃、見えない刃【前編】


 婚約破棄の席で、彼は言った。

「――では、私が娶ろう」


 石造りの謁見の間に、雨の匂いが漂っていた。断罪の机上に並ぶのは、偽造の帳簿と取り繕った証言、そして私の名。

 王――カディルは、静かに壇から降り、私の正面で立ち止まる。黒い外套の裾が、青い敷石を軽く払った。


「ただし契約婚だ。六か月。公開で。互いの命令が国と臣民に背かない限り従う。六か月後、離縁自由――拒まねば、そのとき初めて婚姻とする」


 ざわめきが走る。笑い、嘲り、賛同、警戒。

 私は膝を折り、答えた。


「――承知します。ただし四条目を加えさせてください。健康の遵守。夜の仕事は一刻まで」


 笑いが散ったが、王は目尻でだけ笑った。

「いい目だ。名は」


「リゼット。監査官見習い……いえ、本日からは監視者です、陛下」


 王はうなずき、私に朱と蝋、そして二つの印を示した。狼の印――王印。羽の印――監視印。

 契約文の末尾に並べ、同時に押す。双印。

 朱は朝の光で白まず、蝋は八対二の配合できれいに鳴った。

 ――契約は成立した。恋は、その外に置いたまま。



 最初の仕事は倉庫だった。

 扉の札には昨夜の記録――小麦二千袋、湿度安定、虫害なし。

 数字は綺麗だ。綺麗な数字ほど、嘘をつく。


「三十袋、無作為に抜きます」

 秤に載せる。針は基準より三百重く出る。袋口の粉は不自然に少ない。底の縫い糸は二色。

 私は倉庫番バルソに紙を差し出し、手の粉を採った。灰ではない白。昨夜、どこかで詰め直した粉の色。


「私帳を」

 渋る男の腰袋から、油染みの綴り本。中には麦穂の絵印、×印、夜に書かれた借の記し。

 ――砂糖樽の二重底。そこから小麦へ。


「月に二十袋。祭は三十……」

 男は崩れる。

 私は責めない。構造が、人に悪い工夫を教える。


「サイード」

 王が呼ぶ。財務卿は即答した。「秤の校正は半年前、誤差**+三百**」


「重く出る秤は、罪を隠す最良の道具です」

 私は頷く。「今日から公開板を立てます。入出庫・残量・湿度を広場に刻印。誰でも見られるように」


 バルソは処され……更迭された。

 「今日からは監視だ」王は言った。「お前の手順と嗅覚で、ズルを嗅ぎ分けろ」

 男は泣き、頭を下げた。罪を続けないと誓った声は、数字より重い。


 昼、広場で虚偽日報の修正を読み上げる。

 “修正理由:秤誤差+袋抜き取り発覚。以後校正記録を添付”

 誰かが問う。「なぜ嘘が起きた?」

 私は答えた。「見えないから。だから見える場所へ」


 その影で、白薔薇の香りが笑った。

 ネーラ――宮廷第一妃候補。「公開板はよろしいけれど、印章がなければ効力はないわ?」

 私は頷く。「だから、双印。王印と監視印、二つが揃わぬ通達は無効に」

 ――次の刃は、印章だ。



 夜。印章は夜に泣く。

 机に並べたのは、印影の重ね写し、蜜蝋の匂い瓶、職人印の照合表。

 標準配合は蜜蝋八・松脂二。夜の差し替え蝋は六・四で硬い音を立てる。

 封朱には、鉛白が混じれば朝日に白く濁る。


「オルモ工房、今月四件の“縁欠け”修繕」

 サイードが名簿を示す。

 私は頷き、夜の再押印室で列の匂いを嗅いだ。甘さに混じる鉄の薄い匂い。

 差し替え班。指の腹に沈む白濁の朱。――オルモの配合。


 南門の裏、香辛路の細い扉。

 磨かれた石台、鏨、砂箱、朱の鉢。良い職人は、悪い仕事も上手い。


「二重印影を隠す手伝いをした。ライセンスを」

 私の言葉に、オルモは自ら印面を鏨で割った。

 「弟子は、正しい方へ」

 工房印は抹消、修繕履歴は公開。

 朝、広場で公開削印。二重印の文書は無効、再押印は双印で。


 ネーラは遠くで見ている。

 「双印は重い。王の時間もあなたの時間も」

 彼女は囁き、唇に微笑を載せた。「けれど、美しい重さは、民が支えるの」



 次は水。

 堰の水尺は、去年より二目低いのに、帳には「平年並」。

 堰室の図面は線一本がずらされ、村ひとつ分の水が消えていた。

 エルド・フェルナ――堰監。私用水路の許可歴、多。


「導水路Aは公共水路。最小流量の条項を」

 麻紙に書く。日中〇・八/夜間〇・五。違反時は砂糖税上乗せ、開度封印、公開掲示。

 なぜ砂糖か? 民の口から奪わぬ罰が必要だから。砂糖は嗜好、水は生存。


 上流のファルン伯が扇を鳴らす。「砂糖は国庫の金」

 サイードが抑える。「利益を得る者が費用を払う。夜間巡回も砂糖商が出す」

 王が静かに言い渡す。「四条に同意せよ」

 伯は渋り、結論は――半年の移行で同意。堰輪の鉛封、水尺の基準線、井戸税凍結、浴堂一刻無償。

 夕べ、井戸端で公開謝罪。子どもの腕の細さに、伯は目を落とした。



 トルグを開く。休戦で許された共同市は、夜明けの湯気でできている。

 立てる板は三つ――計量/価格/治安。

 一斤五百匁、升枡には双印焼き。夜の徴収と袖銭と関所ごっこは禁止、違反は三倍返し+公開謝罪+市壁清掃三日。

 「やむなき値上げは申請で」

 口実の闇徴収は、今日で終わり。


 昼下がり、私は従商に化け、罠銭を握った。銅に柿渋と煤をすり込み、触れた指に黒を残す。

 西口の影で「保護」を売る袖が伸びる。私はわざと銭を擦り、男の指先を黒く染めた。

 すぐに治安隊、サイードが淡々と告げる。「一段目違反」

 袖の三重縫い、縫い付け銭袋、現行。隊長は更迭、男は三倍返し。

 王は一歩前に出、「王の道で、王以外が銭を取るな」とだけ言った。

 ざまぁは罵倒ではなく規範の尾になった。笑いはすぐ静かに変わる。



 その夜、市憲章(仮)を掲げた。

 一、計量は七日ごと校正。

 二、価格は公開。やむなき変更は申請。

 三、夜の徴収を禁ず。違反は三倍返し+公開謝罪+清掃。

 四、苦情は市の耳へ。二日以内に返答。

 五、双印なき通達は無効。

 王印と監視印が並び、灯に白まず光った。


「――よく、通した」

 背でカディルが言う。

「民が押してくれました。退出幕みたいに、逃げ道がある板は人が読みます」

 彼は目で笑い、指で一刻の輪を作った。「守れよ」

「もちろん。条文ですから」

 恋は、条文の外に置いたまま。



 六日後――祖国の使者が白旗を掲げてやって来る。

 アラン・レイダー。宰相補佐、かつての婚約者。温顔はそのままに、目だけが冷えていた。


「救出に来た」

「公開対面でどうぞ」

 広場に通達台を設け、私は三つの板を置く。①誘拐性/②契約の妥当/③停戦条項違反性。

 使節の通達は片印、封朱は朝に白む。夜の朱は朝日に弱い。

 私は監視者任命状を掲げ、双印を示し、議事録を読み上げる。「本人の同意により契約婚」

 サイードが条項を補強する。「共同監視の付帯議定書は双方の監視印を認める」

 民意が円を囲み、倉庫番も浴堂の女も短く証言する。

 アランは扇を閉じ、「――認める。定期面会と健康視察、公開で」

 白旗は風でめくれ、石畳に影が溶けた。



 その翌日、婚礼演習――見せ式を行う。

 式次第は三つ。公開宣言(双印)/民の誓い(市憲章朗読)/健康の遵守(退出権)。

 短い言葉は覚えられ、退出幕は人の目を柔らげる。

 舞台に双印台を据え、同時に印を下ろす。朱は濁らない。

 その時、供物台の影で紙が擦る音。片印の巻紙、封蝋の縁に工房の細砂。

 私は太陽に透かして言う。「偽装です。双印の横に置くための片印」

 黒衣の一人が連れ出され、公開処分は三倍返し+公開謝罪+清掃で締まる。

 ざまぁは続けない。儀礼は綺麗に終わり、笑いはすぐ静まる。


 降壇の階で、王が囁いた。「よく通した」

「民が押してくれました」

 裳裾の羽に、王の狼の爪先が一筋重なる。布の上の偶然に、胸の奥がわずかに鳴る。

 私はいつもの言葉を置く。「恋は、条文の外に」


 ――そして、まだ終わっていないものが一つだけある。

 教会掌印立会いの公開面会。歌と論で場をさらう準備だ。

 ネーラが笑って言う。「迎え歌を。配分は、わたくしが」

 私は頷き、紙に二行だけ書く。

 “双印は二つで一つ/恋は外に残して並ぶ”


 紙は、今日も味方だ。



双印の契約妻 ― 見える刃、見えない刃【後編】


一 公開面会


 鐘が三つ、王都中央の広場に落ちた。

 教会掌印が掲げられ、白い衣の書司が壇に上がる。

 通達台の左右に双印台と教会印箱。

 **王印(狼)と監視印(羽)**が並び、教会掌印はその下に置かれた。


「アルメリア使節入場」

 サイードの声に、銀縁の白旗が揺れる。

 先頭はアラン・レイダー――宰相補佐、かつての婚約者。

 温顔のまま、目だけがよく見ていた。


 舞台の前に、読み手が立つ。

 迎え歌は二行だけ、約束どおり。


双印は二つで一つ

恋は外に残して並ぶ


 人々が口々に追い歌を返す。

 市で鍛えた節回しは、論よりも早く空気の重さを均す。


「始めよう」

 王――カディルが一歩、前に出る。

 護衛最小。恐れない姿勢は、今日も変わらない。


 教会書司が開式を告げ、査問三題が掲げられた。

 ①誘拐性の有無/②契約の妥当/③停戦条項違反性。


「①誘拐の有無」

 私は板を叩き、議事録板を示す。

 会談夜の速記、双印、公開。

 “本人の同意により六か月の契約婚を締結。健康の遵守を第四条に追加”――

 読み手が短く唱え、人々が繰り返す。

 条文は、歌に乗せると速い。


 アランが軽く口元を緩めた。

 彼は扇を開く仕草だけで、穏やかに切り返す。


「同意は、時に圧の中で作られる。王の場で、民が拒むことは難しい」


「だから公開で行ったのです」

 私は即答する。「拒否できる退出幕を設け、一刻を超えれば誰でも去れる。

 あなたは昔、『儀礼は逃げ道から決めろ』と教えてくれた」


 アランの睫毛が、わずかに揺れる。

 ――昔の授業を、今わたしが使っている。


「②契約の妥当」

 私は双印台に二つの印を置き、教会書司に頷く。

 教会掌印が静かに告げた。


「契約婚は、教会法第七十八条により有効。

 強制の痕跡は、公開手続により薄い。

 離縁自由条と健康の遵守条が、同意の継続を担保する」


 広場のざわめきは短く、すぐに沈む。

 理を、公開が支えた音だ。


「③停戦条項違反性」

 サイードが一歩、前へ。「共同監視議定書第二項。双方の監視印を認める。

 監視者の独立性は任務の構成要素。

 返還拒否は違反に当たらず」


 アランは、扇を閉じた。

 視線は人の円を一巡し、物語と条文が結ばれていることを確認した顔だった。


「……認める。ただし定期面会と健康視察。

 公開で、六日ごと」


「双印で刻みます」

 私は板に新しい一行を書いた。

 ――定期面会/公開/六日ごと。


 書司が掌印を押そうとした、その時だ。

 紙の擦る音が、舞台下から異なる調子で響いた。

 蝋ではない。砂だ。細かすぎる粒の摩擦音。


「止めて」

 私は掌印の手をそっと押さえ、供物台の陰に身を滑らせる。

 白い巻紙。封蝋の縁に工房砂。

 片印、しかも夜の朱――白く濁る。


「偽装通達」

 私は太陽に透かし、広場に向けて短く言う。

 「双印の直前に片印を紛れ込ませ、後から『受理された』と言う手」


 治安隊が輪を固め、黒衣の一人を連れ出した。

 袖は三重縫い、指に薄い黒。

 袖銭のやり方と同じ縫い目。

 王が一歩前へ。


「市の憲章、第三条」

 低い声が広場を渡る。「夜の徴収と同じだ。三倍返し+公開謝罪+清掃三日」

 笑いが弾けて、すぐ静寂に戻る。

 ざまぁは今日も、規範の尾だった。


 教会掌印が改めて印を下ろす。

 王印、監視印、掌印。

 朱は白まず、蝋は八・二で低く鳴る。

 紙が国の言葉になった。


二 歌と論


 面会の後半は、歌だった。

 ネーラが言っていたとおり、祖国の使者は歌で来る。

 アランは扇を畳み、ひと息に七行を詠んだ。

 懐郷の節、家名の誇り、古い盟約の響き。

 広場の空気が、ゆっくりと祖国の色に染まりかける。


 読み手が、肩で息を吸った。

 私は手を挙げ、迎え歌を分割する。

 七行を、三行+二行+二行に割り、追い歌を人に配る。


井戸は朝に二桶まで

市は夜に袖を出さず

秤は七日に一度だけ


双印は二つで一つ

恋は外に残して並ぶ


 条文が生活に落ちるリズムで、懐郷の高音を切る。

 歌は場のものだ。場にある板を歌えば、場は場を守る。


 アランは、短く笑った。

 負けを認める笑いではない。理解の笑いだ。

 ――この人は、昔から負けより理解を重んじる。


「君は紙と場を味方に付ける」

 アランは言う。「論を、歌で割り、歌を論で支える」


「あなたが教えた」

 私は返す。「場は逃げ道から作れ、と」


 王がわずかに目を細めた。

 横顔に、愉快の気配。

 恋は、条文の外。

 けれど今だけ、条文の内に笑いがある。


三 見えない刃


 面会が一刻に差しかかる頃、鐘が一つ鳴った。

 私は退出幕を自ら開き、誰でも立てるよう示す。

 実際に数人が下がり、場の空気が柔らかくなる。


 そのとき、紙とは違う小さな音。

 金属の擦れ。

 舞台の裏の柱の影、細い針が石に触れた。


「毒針」

 サイードが小さく言い、近侍が二手に分かれる。

 私は香を一筋焚いた。胡桃と灰汁。

 汗に触れると黒に変わる罠香だ。

 針を握った手が、苛立って汗をこぼし、黒が指に移る。


「工房砂+毒針。歌だけでは帰らない派閥ですね」

 私は柱の陰から引き出された影を見て言う。

 マントの裾に銀糸――外相代理ミルヴァの派の縫い取り。

 アランの横顔が硬くなった。

 彼の派ではない。


「公開処分に付す」

 王の声が降り、治安板の第六行目に新条が刻まれる。

 ――毒具持ち込み禁止/没収焼却/告知。


 見える刃で、見えない刃を止める。

 公開の場所では、秘密は長く息ができない。


四 選択


 教会掌印が面会の閉式を宣言し、人々がほどける。

 壇の上に残ったのは、王と私、そしてアランのみ。


「処理を」

 アランが静かに言う。「婚約の控えは受理されている。私事は、公務から切り離した」


「ありがとう」

 私は短く頭を下げた。

 彼は扇を胸に当て、昔より深い角度で礼をした。


「六日ごとに来る。歌でなく記録を持って」

 彼はそう言って、白旗の列へ戻っていった。

 救出の仮面は剥がれ、回収の手は退いた。


 広場が静かになったとき、王が言った。


「六か月の契約を、六年の制度に変えよう。

 双印は、王と監視者だけのものではない。

 市、井戸、倉庫、堰、婚礼――すべてに二つの目を」


「条文の方が、恋より長持ちします」

 私は笑う。「恋は、条文の外で」


「では、選べ」

 王の声は静かだった。「条文の外で、私を。

 六か月後に離縁する権は、そのままに」


 風が一度、広場を撫でた。

 紙は静かで、心が少しだけ音を立てる。


「――選びます」

 私は言った。「外に置いたまま、あなたを」


 王は目で笑い、一歩も近づかなかった。

 距離を守ることが、今の肯定だった。


五 片付けの日々


 翌日からの六日間は、細かい片付けの連続だった。


倉庫


 校正印の記録を公開板に統合。誤差履歴を折れ線で掲示し、子どもにも分かるよう麦穂の絵で刻む。

 二重底は、音と重さで抜き打ち。

 ――バルソは監視役として働き、罪を続けないを証明してみせた。


印章


 オルモの弟子たちは監視側に入り、朱と蝋の検査日誌を付けた。

 白む朱を朝に晒すための窓、八・二が狂った時に鳴る小さな鐘。

 夜に泣く印を、昼に黙らせる道具が、王都に常設された。



 最小流量の板は、季節で調整する付記を増やした。

 夜間巡回の経路は砂糖商が費用負担。

 ファルン伯は公開謝罪のあと、夜の見回りに自ら顔を出した。

 ――顔を出すのは罰であると同時に、回復でもある。



 市憲章に第六条――毒具持込禁止が加わり、双印で刻まれた。

市の耳は投函が増え、書けない人の声を書く人が書いた。

 申請の札は、値上げだけでなく病気や葬儀にも使われ、救いの手段になっていく。


 六日目の夕刻、教会掌印の立会いで、第一回の定期面会が滞りなく終わる。

 アランは記録を置いて行き、歌を置いては行かなかった。

 歌は、場のものだと、彼が一番よく知っている。


六 最終条


 六か月は、思っていたより短い。

 退出幕を毎度開け、一刻で区切り、双印を重ねるほど、時間は整って過ぎていく。


 六か月の最終日。

 広場ではなく、井戸の前に小さな台を置いた。

 第一条から第六条までを読み、双印を押し、朱の白まなさを皆で確かめる。

 子どもが最後に指印を、羽の隣にぺたんと押した。


「契約婚、本日をもって満了」

 教会掌印が宣言する。


 王が私を見る。

 いつもの距離、いつもの声。


「条文の外で、選ぶか」


 私は頷く。

 ――はい。


 形式は、条文で切り、選択は、条文の外で結ぶ。

 離縁自由の条は、選択の自由として残す。

 婚姻は、一条ではなく、習慣として積み上げる。


 ネーラが白薔薇の香りを残して近づき、裳裾の羽を整えた。

 「配分は、今日も半分ずつ。

 視線は、民へ半分、互いへ半分」


「助かります」

 私は彼女に小さく礼をする。

 敵対は利害に変わり、利害は協力になった。

 ――政治は、配分だ。


終章 エピローグ:双印の国


 一年後。

 双印は、王都の道具になっていた。


 貨幣の端に小さな羽が刻まれ、税札の裏に狼の影。

 校正印の鐘は七日に一度、麻紙の目録は誰でも読めるひらがな行が添えられる。

 浴堂の一刻無償は、砂糖の高騰日に延長され、

 堰の最小流量は渇水季に逆算条で守られた。


 オルモは工房を監査工房と改め、弟子とともに白む朱を朝に晒す人になった。

 バルソは倉庫の公開板で子どもに数字を教え、

 ファルン伯は夜間巡回に供出する灯の費用を自ら掲示した。

 市の耳には、字の書けない人の声が毎日入る。

 それを書く人が書き、読む人が読み、決める人が板に刻む。


 祖国の使者は、六日ごとに来て、歌でなく記録を置いていく。

 白旗は、今は挨拶の布だ。


 王は、相変わらず護衛最小で、恐れない姿勢のまま歩く。

 私は、相変わらず条文を抱え、退出幕を自分で開ける。

 健康の遵守――夜更かしは一刻まで。

 それを守らせるのは、今日も私だ。


 恋は、条文の外にある。

 外にあるから、傷に触れない。

外に置いたまま、並んで働く。

 布の上では、羽の一筋に狼の爪先が重なり、

 紙の上では、王印と監視印が同時に鳴る。


 ざまぁは、続けない。

 見える刃で止め、見えない刃は朝に晒す。

 公開は、罰の道具であり、救いの道具だ。


 ――双印は二つで一つ。

 ――恋は外に残して並ぶ。


 それが、わたしたちの国になった。


(完)

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