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03

ハーヴェスト殿下の死は、事故ではなく殺人事件として報じられていた。モハラ聖堂の近くを流れる古い用水路で、冷たくなった姿で見つかったのだという。記事には、殿下が何者かと会う約束があったこと、そしてその遺体には、六年前の聖堂殺人事件の被害者と酷似した、奇妙な傷跡が残されていたことが、扇情的な筆致で書き立てられていた。

朝食のパンを持つ手が、震えた。三日前、私達の目の前で、父と話していたあの人が。死んだ。

「……帰ろう。すぐに村へ」

父さんが、絞り出すように言った。その顔には、深い後悔と、そして抑えきれない恐怖が、色濃く浮かんでいた。公爵の最後の言葉。「万が一、俺の身に何かあったら」。その「万が一」が、あまりにも早く現実になってしまった。そして、父の手の中には、その公爵から託された「鍵」とも言うべき封筒がある。

誰もがその言葉に頷いた。この街は、危険すぎる。重い空気の中で、私達は黙々と荷造りを始めた。その時だった。

コン、コン。

宿の部屋の扉が、控えめにノックされた。

父さんが、訝しげに眉をひそめながら扉を開ける。そこには、一人の少女が立っていた。涼しげな水色のワンピースを羽織った、おそらく私と同じくらいの年の少女。編み込まれた美しい金髪、そしてサファイアのように澄んだ青い瞳。しかし、その凛とした佇まいとは裏腹に、その声は微かに震えていた。彼女は、固く、血の滲むほど強く拳を握りしめている。

「あの…失礼します。ケイン様でいらっしゃいますか?」

父さんの顔に、緊張が走った。

「父がお世話になりました。私、ザック・ハーヴェストの娘、エルザと申します」

父さんがハッとして、懐に仕舞ったままの、あの封筒に無意識に手をやった。

「どうして、ここが…」

「父は、あなたのことをずっと気にかけていました。モハラでの滞在先も、独自に調べていたようです。父の遺品の中に、あなたの宿の名が記されたメモが…」

エルザと名乗った少女は、懇願するように、まっすぐに私達を見つめた。その青い瞳の奥には、父親を失った深い悲しみと、そしてそれだけではない、何かを決意した者の強い光が宿っていた。

「父のことで…どうしてもお話したいことがあります。人目がある場所では…。父が、唯一信頼していた場所へ、ご案内させてください」

その一言に、私達は為されるがまま、彼女の後についていくしかなかった。案内されたのは、三日前に殿下と会った、あの喫茶店「カフェ・アルカディア」だった。店の主人はエルザを見ると深く頷き、一切の言葉を交わすことなく、黙って奥へと続く扉を示した。どうやら、彼もまた、公爵が信頼を寄せる数少ない協力者の一人らしかった。

厨房の奥には、書斎のような静かな休憩部屋があった。革張りのソファと、壁一面の本棚。そして、その中央に、場違いなほど大きな、荘厳な古時計がぽつんと鎮座していた。精巧な彫刻が施された黒檀の柱、磨き上げられた真鍮の振り子。その古びた美しさに私達が目を奪われていると、エルザは私達に向き直って、静かに、しかしはっきりとした口調でこう言った。

「……これから、信じがたいものをお見せします。どうか、心を強く持ってください」

その言葉に、父さんが絞り出すような、少し強張った声で答えた。

「お嬢さん。お父上が亡くなられたことは、心からお悔やみ申し上げる。だが、私達はもう関われない。見ての通り、私には守るべき子供たちがいる。これ以上、危険なことに首を突っ込むのはごめんだ」

「お気持ちは、痛いほど分かります。……でも、もう手遅れかもしれません」

エルザは、悲しそうに顔を歪めた。

「父は、あなた方に会った直後に殺されました。犯人は、きっと見ていたのです。父とあなた方の接触を。だから…犯人は、あなた達が父から何か重要な"鍵"を託されたと、そう思っているはずです」

ひりつくような空気が、部屋を支配する。エリュガードが言っていた、あの"狩人"の視線。ハーヴェスト殿下の最後の言葉。「"魔女"には気をつけろ」。全てが一本の不吉な線で繋がっていく感覚に、背筋が凍った。

「俺達が殺されると? それをどう信じろと言うんだ?」父さんの声には、守るべきものを持つ者の、切実な響きが滲んでいた。

しかし、エルザはその問いには直接答えなかった。彼女はすっと古時計に向き直ると、私が瞬きをする間に、複雑な手の動きと共に、美しい、しかし身の竦むような冷たい魔力を帯びた呪文を唱え終えていた。

「解錠魔法" ロストエデン・クロニクル"」

放たれたのは、青白い光を放つ魔力の塊。それは時計の文字盤に吸い込まれるように消え、そして、重々しい音を立てて、時計の扉が静かに内側へと開いた。あまりに高度な魔法と、彼女の秘められた才能に私達が驚愕する中、彼女は古びた時計の中の、現実とは思えない空間を指し示し、そのサファイアのように青みがかった瞳で、まっすぐに私達を見た。

「"真実"は、この先にあります」


第四章:隠された真実と聖遺物

古時計の扉の向こうに広がっていたのは、異次元としか言いようのない空間だった。外観からは到底想像もつかないほど広大な、純白の部屋。壁も、床も、天井も、全てが継ぎ目のない滑らかな白で統一されており、光源が見当たらないにも関わらず、部屋全体が柔らかな光で満たされている。その非現実的な光景は、神聖ささえ感じさせたが、同時に、出口のない閉ざされた空間特有の、息苦しい圧迫感があった。

「これは…誰の"骨"だ?」

エリュガードの呆然とした声に、私は目の前に広がる光景に息を呑んだ。真っ白な部屋の真ん中に、ぽつんと黒曜石でできた台座型のショーケースが置かれている。そして、その中には、明らかに人間のものと思われる、白く美しい頭蓋骨と、そしてそれとは対照的に、異様に削られたり、焼かれたり、あるいは冒涜的な印が刻まれたりした跡のある腕や胴の骨が、無造作に納められていた。

父さんが、それを見てわななくように唇を震わせた。彼の顔から血の気が失せ、その目は信じられないものを見るように大きく見開かれていた。

「まさか……これは、"聖女アグネスの聖遺物"……!? なぜ、こんなものが、こんな場所に…!」

父さんの反応に、エルザは静かに頷いた。その表情には、悲しみと、そしてこの重すぎる宿命を背負った者の覚悟が滲んでいた。

「ご存知だったのですね。……千年前、この国を滅ぼしかけたある"魔女"を封じたとされる、"聖女"の遺骨です。父は、この聖遺物を代々守ってきました。そして、父を殺した犯人は、この遺骨を狙っています」

白い部屋に、エルザの声が凛と響く。それは、どこか懇願するような、助けを求めるような響きを帯びていた。

「私は、お父様を殺した犯人を止めたい。そして、この聖遺物を守らなければなりません。お願いです。あなたのお力をお貸しください…! ケイン様!」

その悲痛な願いに、それまでの静寂を破って父さんが激昂した。

「ふざけるなッ! そんな無茶苦茶な願いが通ると思っているのか! なぜ私の子供たちを、そんな危険なことに巻き込もうとするんだ…!」

父さんの大きな声に、エルザの肩がびくりと震えた。その瞳にはみるみる涙が溜まっていく。

「ごめんなさい…ごめんなさい…! でも、私にはどうしたらいいか分からないの! 一人じゃ怖い…! このままだと、犯人はきっとあなたたちのことも探しに来る…! そしたら、私のお父様みたいに…!」

エルザは俯いて、ポロポロと大粒の涙をこぼした。その華奢な肩が、小刻みに震えているのが、見ていられなかった。

私は、そっと彼女の肩に手を触れた。「大丈夫」と囁き、震える肩を安心させるようにポンと叩いた。そして、エルザの元を離れ、仁王立ちする父さんの前に立つ。顔も声も知らないお母さんがいない今、私達を守れるのは父さんだけだ。でも、私達がお父さんを守らなくちゃいけない時だってあるはずだ。何より、父さんのあんなに苦しそうな顔は、もう見たくなかった。

私は一度言葉を切り、父さんの目をまっすぐに見つめた。

「怖いよ…すごく怖い。でも、このまま逃げても、いつか捕まるかもしれないんでしょ? メアリーに何かあったら…私は絶対に嫌だ。それに、エルザさんの気持ち、少しだけわかる気がする。もしお父さんが誰かに殺されて、犯人が野放しになってたら…私、きっと何もしないでなんていられない」

私は、自分の拳を強く握りしめる。

「お父さん、私、もう守られてるだけの子供じゃない。戦う方法を教えて。自分の力で、メアリーや…お父さんを守れるようになりたい」

私の言葉に、今まで黙って成り行きを見守っていたエリュガードが、ニヤリと不敵な笑みを浮かべて口を挟んだ。

「シャーナが決めたんなら、俺も付き合うぜ。それに、あの"狩人"に借りを返しておかねえとな。なあ、ケインさん。このまま見て見ぬふりをするなんてのは、あんたが一番許せないことなんじゃないのか?」

父さんは、私とエリュガード、そして涙をこらえてこちらを見つめるエルザの顔を順番に見て、深く、深いため息をついた。彼の心の中で、父親としての愛情と、かつての"狩人"としての魂が、激しくせめぎ合っているのが分かった。

その長い、息の詰まるような沈黙が、破られたのは、唐突だった。

『警報!!! 警報!!!』



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