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第二章:公爵との再会と謎の影
「会計は銅貨3枚分です! お客様! またのお越しを!!」
店員の軽やかな声に送られて、私達は店の外へ出た。外の空気は、店の中の緊張を洗い流すように、相変わらずの喧騒に満ちていた。父さんとハーヴェスト殿下の間に流れる空気は、先ほどまでの張り詰めたものが嘘のように和らいでいたが、それでも会話の内容は決して楽しいものではなかった。二人は少し先を歩き、私達子供は、その会話が聞こえないように、しかし離れすぎないように、絶妙な距離を保って後をついていった。
「……で、お前はなぜモハラに? 王都にいるはずのお前が、こんな辺境に近い大都市にいるとはな。俺がお前の動向を掴めなくなったのは、いつからだったか。まさか、あの忌まわしい事件から六年経った今、ようやく戻る気になったか」公爵の声は低く、人々の雑踏にかき消されそうだったが、時折風に乗って断片的に聞こえてきた。
「いえ、そういうわけでは…。ただ、娘たちに一度大きな世界を見せてやりたいと思いまして」父さんの声は、どこか歯切れが悪かった。
父さんの言葉を、殿下は鼻で笑った。「守るものができると、人は臆病になるものか。それとも、まだ何かから逃げ続けているのか、ケイン」
「……」
父は何も答えなかった。その沈黙が、公爵の言葉を肯定しているように私には思えた。
その時だった。エリュガードが、私の袖をぐいと引いて囁いた。彼の声は、獲物を見つけた猟師のように、低く研ぎ澄まされていた。
「なあ、シャーナ。さっきから、向かいの通りの角にいる男…ずっと俺たちを見てるぜ」
「え?」
「ただ見てるだけじゃねえ。あの男、"狩人"の目をしてる」
エリュガードの視線の先には、確かに帽子を目深にかぶった、痩せた男が壁に寄りかかるようにして立っていた。雑多な人混みの中に溶け込んでいるように見えるが、その視線だけは、まるで獲物をロックオンした猛禽のように、まっすぐに私達に向けられていた。その視線は、ただの好奇心ではない。執拗で、冷たく、そして明確な目的意識を帯びていた。
エリュガードは村で一番の猟師の息子だ。獣の気配や殺気、そして視線に、人一倍敏感だった。彼の洞察力は、大人でさえ舌を巻くほど鋭い。実際、私達はその計り知れないほどの洞察力に、村で何度か救われている。熊の縄張りに迷い込んだ時も、毒蛇の潜む茂みを避けることができたのも、全て彼の警告のおかげだった。そして今、彼の全身が、あの男は「危険だ」と警鐘を鳴らしていた。
「どうする?」
「下手に動くな。気づかないふりをしろ」エリュガードは、私にだけ聞こえる声で言った。「だが、いつでも動けるようにしとけ」
私達の背後で、父と公爵の会話はまだ続いていた。
「実は、今から仕事の約束がある。お前はあの女のことについて聞きたいことは山ほどあるだろうが、長話はできん」
あの女。その言葉に、父さんの肩が微かに震えたのを、私は見逃さなかった。
ハーヴェスト殿下はそう言うと、懐から一通の、蝋で封をされた分厚い封筒を取り出し、父さんに押し付けた。
「これは、かつての師として、最後の頼みだ」彼は、真剣な、有無を言わさぬ眼差しで付け加えた。
父さんが息を呑んで何かを言いかけるのを、殿下は手で制した。「まさか、まだ"奴ら"を追って…?」という父さんの声は、私には聞き取れないほど小さかったが、その声に含まれた驚愕と、そして僅かな非難の色ははっきりと感じ取れた。
「万が一、俺の身に何かあったら、これをこの街の、先ほどの喫茶店の主人に渡せ。そうすれば、娘のエルザに繋がる。……あの子を、頼む」
その言葉には、ただの依頼ではない、父親としての切実な響きがあった。
「いいか、ケイン。これはただの忠告ではない。予言だ。――"魔女"には気をつけろ。奴らは、もう動き出している」
そう言い残し、彼は人混みの中へ、まるで水に溶けるインクのように、あっさりと消えていった。エリュガードが警戒していた、あの"狩人"の目の男の姿も、いつの間にか掻き消すように見えなくなっていた。
後に残されたのは、呆然と立ち尽くす私達と、その手に重い封筒を握りしめたまま、唇を噛み締める父の姿だけだった。
"魔女"。その不吉な単語が、モハラの喧騒の中で、いつまでも私の耳の奥にこびりついていた。
第三章:公爵の死とエルザの来訪
ハーヴェスト公爵と別れてからの三日間は、奇妙な時間だった。父は私達を連れて、モハラの有名な観光地をいくつか見て回った。巨大な中央広場、歴史ある劇場、活気あふれる市場。メアリーは目を輝かせて街の光景に夢中になり、エリュガードも珍しい武具を売る店に足を止めたりしていた。しかし、父の心は明らかに、ここにはなかった。
彼は、笑顔を作りながらも、その目は常に周囲を警戒していた。人混みの中で、ふと足を止めて背後を振り返ること、夜、私達が寝静まった後、一人で宿の部屋の窓から、じっと外の闇を見つめていること。そして、あの公爵から渡された封筒を、まるで呪いの品であるかのように、時折懐から取り出しては、苦々しい表情で睨みつけていた。彼は、私達に楽しい時間を与えようとすればするほど、その内側に抱えた深い闇が、かえって色濃く浮かび上がってくるようだった。
そして、その言葉の意味を私達が知ることになったのは、それから三日後のことだった。
宿屋で広げた新聞の朝刊。その一面に躍る衝撃的な見出しに、私達は言葉を失った。
「――"六年前の亡霊"、再びか。ザック・ハーヴェスト公爵、無残な遺体で発見される――」




