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(エリュガードの回想)

そこは、白かった。壁も、床も、天井も。そして、そこにいる研究者たちの着る白衣も。全てが感情のない、無機質な白で塗り潰されていた。鼻をつくのは、消毒液の冷たい匂い。俺は、物心ついた時から、その白い世界にいた。

名前はなかった。「被検体7号」。それが、俺の全てだった。

『素晴らしいぞ、7号。お前の魔女因子は、歴代の被検体の中でも最高純度だ。いずれ、お前は偉大なる"魔女"様の後継者となり、この腐った世界を救済するのだ』

大人たちは、そう言って俺の頭を撫でた。だが、その目に温かみはなかった。彼らは俺を、人間として見てはいなかった。ただの、貴重な実験材料。あるいは、崇拝する神への生贄。

そんな中で、俺には兄さんと呼べる存在がいた。「被検体3号」。彼は、俺より少し年上で、いつも俺を庇ってくれた。

『泣くな、7号。俺たちが、こんな場所で終わるはずがない』

兄さんは、いつもそう言って、外の世界の話をしてくれた。青い空、緑の森、そして、家族という温かい繋がり。

研究所には、もう一人、俺にとって特別な存在がいた。アレス・ランダウ。彼は、"失敗作"と呼ばれていた。魔女因子がうまく定着せず、身体が弱かったからだ。いつも書庫の隅で、静かに本を読んでいた。だが、彼の瞳には、誰よりも強い光が宿っていた。

『ねえ、7号。君は、どうしてそんなに強いんだい?』 ある日、アレスが尋ねてきた。

『強くなんかない。俺は、ただ…』

『違うよ。君は強い。君の瞳は、諦めていない者の瞳だ。いつか、ここから出て、誰かを守りたいと願っている者の瞳だ』

アレスの言葉は、俺の心の奥深くに突き刺さった。そうだ、俺は、兄さんを守りたかった。そして、いつか、温かい世界で生きてみたかった。

しかし、その願いは、無残に打ち砕かれた。

ある夜、研究所で大規模な"調整"が行われた。不要になった被検体を"処分"する、ただの殺戮だった。警報が鳴り響き、廊下は悲鳴と血の匂いで満たされた。研究者たちが、笑いながら仲間たちを殺していく。俺は、アレスの細い首が、音を立てて折られるのを、隠れて見ていることしかできなかった。

『逃げろ、7号!』

兄さんが、俺の手を引いて、必死に走った。

『兄さん! 一緒に!』

『馬鹿野郎! 俺はもうダメだ! お前だけでも、生きろ! そして、外の世界で、本当に守りたいものを見つけろ!』

兄さんは、俺を研究施設の地下ダクトに突き飛ばすと、追っ手を引きつけるために、逆方向へと走っていった。それが、俺が見た兄さんの最後の姿だった。

何日もダクトの中を彷徨い、奇跡的に外の世界へと脱出した俺を救ってくれたのが、ケインさんと、その妻の、エリーさんだった。そして、太陽のように明るい笑顔の女の子、シャーナ。ロビンソン家での日々は、俺が夢にまで見た、温かいものだった。今度こそ、この手で守り抜くのだ、と誓った。

「…俺は」長い回想から戻ったエリュガードは、絞り出すように言った。「俺は、あんたたちに救われたんだ。…だから、感謝してる。本当に」

エリュガードは、ゆっくりとケインの方を向いた。その瞳には、涙が滲んでいた。

「シャーナだけは…あいつだけは、二度と失いたくない。この命に代えても。…でも、俺にその資格があるのか、分からねえ。俺のこの身体には、あの忌々しい研究所で植え付けられた、魔女の血が流れてる。いつか、俺が、あいつらを傷つけることになるんじゃないかって…それが、怖いんだ」

全てを打ち明けたエリュガードの肩を、ケインは力強く、しかし優しく叩いた。

「…そうか。お前も、ずっと一人で戦ってきたんだな」ケインの目には、深い慈愛が浮かんでいた。「エリュガード。資格なんてものは、誰かが与えるものじゃない。お前自身が決めることだ」

ケインは立ち上がると、ドアの方へ向かった。「後は、シャーナの気持ち次第だな。…ありがとう、エリュガード。お前がいてくれて、助かった。…娘を、頼んだからな」

その言葉を残し、ケインは部屋から出て行った。


*****

そして、運命の十六日目の朝が来た。

その日の朝食は、妙に静かだった。エリュガードは、何か吹っ切れたような、穏やかな顔をしていた。そんな重い空気を破ったのは、エミールだった。

「シャーナさん。少し、二人だけで話せませんか?」

私達は、家の裏手にある、小さな森へと向かった。私はその途中で村長たちも心配そうに私達の安否を確認しに来たようで、色々話した。


そして、それから十数分後。事は、動く。

「シャーナさん」エミールは、森の中で立ち止まると、まっすぐに私の目を見て言った。「僕は、ずっと、あなたに嘘をついていました。僕の名前は、エミールではありません。…本当の名は、アレス。アレス・ランダウです」

「え…?」アレス。エリュガードの悪夢に出てきた名前。そして、私の記憶の奥底にある、初めての友達の名前。

「そんな…だって、アレスは病気で死んだはず…」

「研究所によって、別の肉体が用意され、こうして生き永らえたのです」アレスは、悲しそうに微笑んだ。そして、懐から古びた、滑らかな丸い石を取り出した。「覚えて、いますか? 柳の木の下で、僕にくれた…」

その石を見た瞬間、私の記憶が鮮やかに蘇った。病弱な銀髪の少年。二人だけの秘密の城。いつか一緒に海を見に行こうという、果たされなかった約束。

「アレス…本当に、アレスなのね…!」

「僕は、ずっとあなたを探していました。シャーナ。あの白い地獄から抜け出して、僕が生きる意味は、ただ一つでした。もう一度、あなたに会うこと。そして、今度こそ、あの日の約束を…」

彼の瞳は、長年の孤独と、私への一途な想いで潤んでいた。

「伝えたかった。…僕は、幼い頃からずっと、あなたのことが好きでした」

突然の告白に、私の頭は真っ白になった。アレスが生きていた。その喜びと、彼の長年の想い。私の心は激しく揺さぶられた。でも…。

「ごめんなさい、アレス」私は、震える声で言った。「あなたの気持ちは、とても嬉しい。でも…私には、エリュガードがいるの。私、彼のことが…好きなの」

失意に沈むアレス。彼の肩が、小さく震えている。

その時だった。アレスが、激しく頭を抱えて呻き始めた。

「う…ああ…やめろ…出てくるな…!」

「アレス!?」

「逃げて…シャーナさん…! そいつが、僕の中に…!」

アレスの身体が痙攣し、その銀色の髪が、まるで墨を流したように黒く染まっていく。その瞳が、憎悪と狂気に満ちた、血のような赤色に変わっていく。

「そこまでだ」

冷たい声と共に、私達の前に、父さんが姿を現した。その手には、先端に禍々しい紫色の魔石が埋め込まれた、黒檀の杖が握られていた。

「お父さん…!?」

「シャーナ、そいつから離れろ」父さんの声は、氷のように冷たかった。「これまでの調査で、全て分かった。…お前がこの連続殺人事件の犯人だな? アレス・ランダウの身体に巣食う、もう一つの魂よ」


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