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私の言葉に、エリュガードはぐっと唇を噛み締めた。彼の瞳が、怒りと、悔しさと、そして私への心配で揺れていた。彼はいつだってそうだ。私の無茶を一番に叱って、でも最後には必ず、一番近くで支えてくれる。
長い沈黙の後、エリュガードは深いため息をついた。
「…分かったよ。お前がそう言うなら、付き合うしかねえだろ」彼の声には、呆れと、そして覚悟が滲んでいた。「ただし、条件がある。絶対に、一人で行動するな。それから、少しでも危ないと感じたら、すぐに村へ帰る。いいな?」
「…うん。ありがとう、エリュガード」
涙が滲みそうになるのを、ぐっと堪えた。
「じゃあ、まずは情報収集ね」メアリーが、いつの間にかいつもの調子を取り戻して言った。「こういう時は、図書館に行くのが一番だよ! 本の中には、何でも書いてあるんだから!」
こうして、私達の計画は、父への誕生日ケーキの購入から、この街を蝕む巨大な謎の解明へと、大きく舵を切ることになった。私達はまだ知らなかった。この決断が、再び私達を、そして私達が愛する全ての人々を、逃れようのない運命の渦へと引きずり込んでいくことになるということを。
第四章:知識の聖域と忘れられた約束
モハラ王立図書館は、街の中心広場から少し離れた、静かな学術地区にその荘厳な姿を誇っていた。何世紀もの時を経て飴色になった石造りの壁、天を突くようにそびえる尖塔、そしてステンドグラスが嵌め込まれた大きな窓。それは知識の聖域であると同時に、歴史の重みをその身に刻んだ巨大な要塞のようでもあった。
中へ一歩足を踏み入れると、ひんやりとした空気と、古い紙と革の匂いが私達を迎えた。天井まで届く本棚が迷路のように立ち並び、その間を、学者や学生らしき人々が静かに行き交っている。私達のような辺境の村から来た子供が足を踏み入れるには、あまりにも場違いな空間だった。
「すごい…」メアリーが、感嘆の声を漏らす。その声が少し大きかったのか、近くにいた白髪の司書が、厳しい顔でこちらを睨み、人差し指を口に当てて「しーっ」というジェスチャーをした。メアリーは慌てて小さな手で口を覆う。
「さて、どうやって調べるか」エリュガードが、周囲を警戒するように声を潜めて言った。「『連続殺人事件の犯人の探し方』なんて本があるわけでもねえしな」
「まずは、この街の歴史を調べてみましょう」私は提案した。「三年前の事件も、"モハラ聖堂殺人事件"と呼ばれていた。もしかしたら、過去にも同じような事件が起きていて、何か記録が残っているかもしれないわ」
私達は手分けをして、歴史書の棚へと向かった。年代別に整理された分厚い書物を一冊ずつ手に取り、ページをめくっていく。しかし、そこにあるのは王家の系譜や戦争の記録、都市の発展の歴史ばかり。私達が求めるような、不気味な事件の記録は見当たらない。
何時間そうしていただろうか。窓から差し込む光がオレンジ色に変わり始めた頃、集中力が切れ始め、諦めにも似た空気が私達の間に漂い始めた。
「あの…何か、お探しですか?」
不意に、背後から声をかけられた。驚いて振り返ると、そこには私と同じくらいの年の、一人の少年が立っていた。陽の光を吸い込んで淡く輝くような銀色の髪、知性を感じさせる涼やかな目元。抱えている数冊の難しそうな本が、彼がこの図書館の常連であることを物語っていた。どこか儚げで、けれど芯の強さを感じさせる不思議な雰囲気を持つ少年だった。その顔を見た瞬間、私の心の奥深くで、何か遠い昔の懐かしい風景が、一瞬だけ陽炎のように揺らめいた。
「え、あ、いえ…その…」突然のことに、私はしどろもどろになってしまう。エリュガードが、私を庇うように一歩前に出た。その目は、縄張りに踏み込んできたよそ者に向ける獣のそれだった。
「あんたには関係ないだろ」
「ごめんなさい、詮索するつもりはなかったんです」少年はエリュガードの剥き出しの敵意にも臆することなく、穏やかに微笑んだ。「ただ、あなた達が探しているのが、もし最近街を騒がせている『事件』のことなら、普通の歴史書には載っていないと思って」
その言葉に、私達は息を呑んだ。
「どうして、それを…?」
「あなた達の顔に、そう書いてあったから」少年は悪戯っぽく笑った。「この街の人間は、みんな見て見ぬふりをしている。事件のことなんて、まるで存在しないかのように。でも、あなた達の目には、恐怖と…それから、真実を知りたいという強い意志が見えた。だから、つい声をかけてしまいました」
彼の洞察力に、私は言葉を失った。エリュガードも、警戒を解いて目を見張っている。
「僕はエミール。しがない歴史好きです」少年はそう名乗ると、私達に手を差し伸べた。「もし良ければ、僕に手伝わせてもらえませんか? 実は、僕もこの事件に、少しばかり興味があって」
その申し出は、暗闇の中で差し伸べられた一筋の光のように思えた。私達は顔を見合わせ、そして頷いた。
「私はシャーナ。こっちは妹のメアリーと、幼馴染のエリュガード。よろしくね、エミール」
エミールの手に自分の手を重ねた時、またあの不思議な感覚が私を襲った。初めて会ったはずなのに、この手の温もりを、ずっと昔から知っているような気がした。
これが、私とエミール…そして、私の忘れていた過去との、再会の瞬間だった。
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第五章:偽りの日常と深まる謎
エミールの協力は、暗礁に乗り上げていた私達の調査に、確かな一筋の光を投げかけた。彼は、私達を迷路のような書架の奥深く、一般の利用者では決して足を踏み入れることのできない、埃とインクの匂いが染みついた古文書保管室へと導いてくれたのだ。
「ここなら、衛兵団が公にしていない、もっと古い記録も見つかるかもしれません」
カンテラの頼りない灯りが、うず高く積まれた羊皮紙の巻物をぼんやりと照らし出す。埃っぽい空気の中、エミールは蝋引きの紐で固く閉じられた巻物を次々と紐解いていく。彼の白く長い指先が、古代の文字を滑らかになぞるたびに、忘れ去られた歴史が静かに目を覚ますようだった。
「見つけました」
やがて、エミールが低い声で言った。彼がカンテラの光の下に広げたのは、数百年前に書かれたと思われる、一人の聖堂騎士の日誌だった。
『…近頃、都にて辻斬りが頻発す。犠牲者は皆、心臓を一突きにされ、その魂を抜き取られたかの如し。巷では、千年の封印より蘇りし"魔女"の仕業と噂される。我ら聖堂騎士団、"聖女アグネス"の御名の下、この邪悪を滅するべし…』
「魔女…」私は呟いた。「やっぱり、三年前の事件と関係があるんだわ」
「この記述は、約二百年周期で、繰り返し現れています」エミールは、他の巻物も指し示しながら言った。「まるで、歴史が同じ悲劇を繰り返しているかのように。記録によれば、これは単なる殺人事件ではない。一種の儀式なのです。"魔女"の復活を促すための、血の儀式…」
私とエミールは、一つの日誌を二人で覗き込むようにして読んでいた。偶然、彼の指先が私の手に触れた時、エミールはハッとしたように手を引っ込め、少しだけ顔を赤らめた。その仕草が、私の胸を微かにときめかせた。
私達が調査に没頭していると、いつの間にか窓の外は夕闇に染まっていた。閉館を告げる鐘の音が響き渡る。宿のあてもない私達に、エミールは自分の家に泊まるよう言ってくれた。
エミールの家は、古いけれど手入れの行き届いた、こぢんまりとした石造りの家だった。両親は高名な歴史学者で、今は遠い南方へ旅に出ており、一人で暮らしているという。家の中は、壁という壁が床から天井まで本棚で埋め尽くされていた。
その夜、私達はエミールが作ってくれた温かい野菜スープと焼きたてのパンを囲みながら、これからのことを話し合った。
「…というわけで、私達、もう少しこの街に滞在して、事件のことを調べたいと思ってるの」
私がそう切り出すと、エリュガードは黙って頷いた。彼もまた、この事件の背後に潜む巨大な闇の気配を感じ取り、猟師としての血が騒いでいるようだった。
問題は、父のことだ。その不安は、案の定、現実のものとなった。
翌日の昼過ぎ、私達が再び図書館で調査をしていると、その静寂を切り裂くように、勢いよく扉が開かれた。そこに立っていたのは、息を切らし、髪を振り乱し、その目に尋常ではない光を宿した父さんだった。
「シャーナ! メアリー! エリュガード! 無事か!」




