連れ込んでどうするの?
「はぁっはぁっはぁはぁぁはぁはぁはぁ……」
荒い息が止まらない。
人生で、ここまで好戦的な生き物なんて殺したことがないから、どれくらいで死ぬかなんて分からないし、かといって中途半端に刺してから反撃されるかもしれないと思うと、どうしても途中で止めることができなかった。
おかげで心身ボロボロだ。
心臓とか急所を刺して、キッチリ止めることが出来たらいいけど、心臓とかそういう機能がゴブリンにあるのかも分からないわけで、とにかく数をこなすしか思いつかなかった。
「はぁはぁ……あぁ、これ、酷いな……」
レジ側のリュックのところまで戻った俺は、自分の格好を見やる。
手や服は青い血でドロドロ。
汗も酷くて、べったりと血まみれインナーが肌に張り付いている。
ここまで汚れると、洗って落ちるとかまるで考えられない有様になっていた。
なんとなくスーツじゃないだけマシか? とか思ってしまったが、すぐにもうスーツなんて当分着ることは当分無いだろうと思い直し、なのに、それはそれとして普通だった日常に戻るのがいつになるのか先行きが見えない事が思い浮かんでしまい、ズーンと気持ちが落ち込んでしまった。
「だ、大丈夫、ですか?」
そんな俺を気遣う泥棒店員さん。
彼もまた青い血に塗れており、それこそ着ていたスーツがぐしゃぐしゃになっている。
出勤時に出くわしてそのまま着たって言ってたしな。
彼的にも、きっとスーツを汚してしまってウンザリしている面があるはずだ。
そりゃ今更意味がないのは分かっているのだけど、やっぱりスーツがダメになったのを見ると、なんとも言えない不憫さを感じてしまうのが、日本のサラリーマンと言えよう。うむ。
「俺は、大丈夫です。ありがとうございました。押さえ付けてくれて、本当すごく助かりました」
「いやいやいやそれはこっちのセリフです! あなたのおかげで命を拾いました! それに……殺すのまでお任せしてしまって、本当に……」
本当に、申し訳ない。という言葉が隠れているのだろう。
と言っても、俺が勝手に先走って戦った結果なので、謝罪を促すつもりも受け入れるつもりも全くない。
俺からすれば、ゴブリン殺しの片棒を担いでくれたのだ。
感謝こそすれ不満に思うことなどあり得ない。
汚れている手のひらを振って、俺を立ててくれる泥棒店……いや、流石にこんな呼称は失礼か。
ここまで、ゴブリン退治の共同作業に従事した人を、関係ない扱いするのは違う気がした。
「今更ですが、俺、鏡 渉って言います。 良ければお名前伺っても?」
「え? 今? あぁいやはい。僕は篠原道夫です。まぁ、ここの店員やってます……いや、ました」
道夫、ミッチーだな。
顔も、うん。ミッチーだ。
ちょい羨ましい。
自己紹介が今更かつタイミング外してるのは理解してるけど、しないよりはマシだろう。
それと、泥棒してたのを気に病む必要はないと思います。
害悪だったゴブリン1匹から、スーパーを守り抜いたわけだし。
「はぁぁ……、でも、本当、疲れました……」
「ですね、僕もです……鏡さんほどじゃないですが」
2人して、野菜コーナーにあるゴブリンの死骸に目を向ける。
ぐちゃぐちゃになった肉塊は、仮面以外真っ青だ。
血を見て倒れるとか、そういうのがなくて良かったけど、やっぱり物凄く気持ち悪い。
ついでに、手にも、肉や骨の感触も生理的嫌悪感が残っていて、これがよく言われる残った感触ってやつなんだ、とかって変に納得してしまっていた。
初めての経験というのは、いつも新鮮だ。
「……でも、さっきのあれ、魔法、でしたよね?」
気を紛らわせるためもあるだろう。
ミッチーは生き物殺しの次に引っかかっていた事柄を持ち出してくる。
余談だが、ここで、モンスターを倒しましたねすごい素晴らしいと言わない辺り、ちゃんとした大人だと思った。
ゴブリンが害獣であることに異論はないが、生き物を殺すというのは、人間としては間違っている。
人間に認められているとすれば、精々今回と同様、止む終えず、というフレーズがある場合に限るだろう。
少なくとも、俺はそう思っている。
それはさておき、仰る通り魔法の件だ。
使われたのがサイコキネシスなので、魔法か超能力か、という議論が起こりそうだが、まぁ、使ったのがゴブリンだし、ファンタジー扱いってことで、魔法とした方が自然かと思う。
ESPだと、SFというか近代的な印象が付き纏うし、そもそも魔法だと超能力だのの呼び方を統一しました、なんてことは無いのだから、各々好きに呼べばいいのだ。
「直接触れずに物を浮かばせてましたからね……ったく、ゴブリンの癖に生意気な」
「あはは、えっと、ゴブリンシャーマン、でしたっけ。やっぱり上位種なのでしょうか?」
あ、そういえば、ゴブリンシャーマンってのも適当に呼んでたな。
魔法使いなら、ゴブリンメイジの方がいいのだろうか?
……いや、格好がシャーマンだし、こいつはゴブリンシャーマンでいいや。
「進化なのか成長なのかは分からないですけど、上位種ってことでいいでしょうね。あ、多分、エントランスのドアを解錠してのもコイツですよ」
「え? あー、なるほど。確かにここの鍵って、見たら鍵かかってるの丸分かりですしね。構造を理解すれば、魔法でアンロックもできますか」
む、アンロック魔法か……
本当ゴブリンの癖に生意気だ。
竜探しRPGでのアンロック魔法なんて、終盤の終盤にしか覚えらんないのに、ゴブリン如きが使えるなどと。
しかも、物を観察して、構造を分析、対策を実行できるなんて、上位種だからって一気に有能になり過ぎだろう。
事によっては、人間よりも優秀になってしまうかもしれないじゃないか。
ゴブリンは、馬鹿だが間抜けじゃない。の教訓が時間を経るごとに身に染みてしまう。
「あ、鏡さん、これ取って見てもいいですか? 僕、ゴブリンの顔見てないんで、確認しときたいんです。 死体、ですけど……」
ミッチーは、顔を覆っている骨の仮面を指差しながら、控えめに俺に問うてくる。
あー、そりゃ死体の確認だしね。
普通は忌避される事柄だろう。
でも、この期に及んでは気にしていられない。
情報は少しでも多い方がいいに決まっている。
自分のため家族のためなら、汚れ仕事だってやるべきだ。
でも、これが生き物大事にしよう団体とかだったら大非難なのかね。
ま、ここにいるのはサブカル系に明るい2人。
比較的忌避感は薄いっぽいから気にするだけ余分か。
「やっぱダメです?」
「いや、確認しときましょうよ。俺もゴブリンシャーマンが、どんな面してるのか見ときたいですし」
お互いに、死体確認に同意したところで、ミッチーはおっかなびっくり骨仮面を剥ぎ取る。
そこには、泡と血を吐いて、白目……いや黄色目? を剥いている気持ち悪い死に顔があった。
この辺りの嫌悪感は、人間もゴブリンも、ほかの動物の死骸であっても変わらないのだろう。
顔貌としては、マンションで見たゴブリンの顔と比べて、やや細身で不健康そうな感じ。
だが、まんまゴブリンという面をしていて……
「……ん?」
そこで、俺は、その顔に妙な違和感を感じてしまう。
何故なら、そのゴブリンの鼻が、どこかで見たような赤っ鼻だったからだ。
この特徴は、俺が最初に突き落としたゴブリンと同じものである。
偶然か?
にしては、あの時見た赤鼻とすごい似てるし、顔貌もそれっぽい。
ゴブリン全部が赤鼻ではなかったし……
「えっと? あれ? いやいやいやそんなことまでは……」
その赤鼻ゴブリンを見た俺は、頭の中にとても、本当にとても嫌な想像が駆け巡ってしまっていた。
自分でも、考え過ぎとか馬鹿げてるとか信じられないとかいう思いはある。
でも、もしも思い描いた通りなら、早い段階でみんなに、足○区全域に早急に知らせる必要がある事柄ですらある。
じゃなきゃ、本当あっという間に足○区民全滅もあり得る。
だから出来れば、今、ここで、確認してしまいたい。
俺の心の平穏のために。
「鏡さん? どうかされました? 何か気になることでも?」
急に考え事を始めた俺を、ミッチーは訝しげにみてくる。
いきなりぼそぼそ独り言呟いたら、そりゃ不審か。
でも、どうしよう。
流石に、これ以上付き合ってもらうのも心苦しい。
家族のところへ早く帰った方がいいに決まっている。
というか、ぶっちゃけそろそろ人と話すのにも疲れてきたし。
「篠原さん、早く帰ってあげた方がいいです。ご家族のこと心配でしょう?」
「え? はい、それはもちろん。 というか、僕、家族いるなんて話しましたっけ?」
「いえ、カートの食べ物の量からして、そうだろうなと。小さい子の食べそうなお菓子もありましたし、まぁ半分適当に言ってますけど」
「あー、なるほど」
疑問が解消され、納得した様子のミッチー。
ゴブリンの顔も確認したので、彼としては俺が投げてしまったペットボトルを回収すれば、ここでやる事は終わりになる。
俺がこれからやろうとしといる事は、正直気持ちのいいことではないし、帰れる場所があるなら、とっとと帰った方がいいはずだ。
お互いのために。
「あ、鏡さん、良ければ、僕の家に来ませんか? その、勝手で申し訳ないのですが、この事態で、正直人手が欲しいのがありまして……」
なのに、俺の考えとは裏腹に、ミッチーはお家へのご招待を持ちかけてくる。
中々意欲的な発想だな、おい。
出会って間もない人を家に招き入れるなんて、俺では絶対あり得ない。
むしろ騙す気たかる気ありありだろう、と警戒する。
しかも、すごく正直素直に言い分述べてるし。
「あー、すみません。お気持ちは本当有難いのですが、ちょっとやらないといけないことがあってですね?」
「やる事? だったら手伝います。 こう言っては何ですか、こんなモンスターがいる中で、自分ら家族だけじゃ本当不安で……だから、鏡さんみたく的に立ち向かえる人がいると心強いなって思いまして」
だから素直か!
その素直さはゴブリン並なのか!
もうちょっと遠回しに言ってくれた方が、俺は助かるんだけど!
「いやー、えっとですねー」
「お願いします! 助けると思って!」
ダメだ、ミッチーは多分、何としても俺を自宅に連れて行きたいらしい。
子供もいる親として、彼は自分の味方を増やして安定させたい気持ちがあるのだろう。
それは悪いことじゃないし、人を増やして事に対抗するのは自然なこと。
そこに、丁度よく俺の会えて、しかも戦力足り得るかもしれない相手であったから使えるものは猫でも使いたい……と言ったところだろうか。
となると、俺が有り体なことを言っても引いてはくれまい。
目的は、達成してこそ意味がある。
なら、俺は俺でゴブリンになるしかないか……
「篠原さん、本当すみません。俺、今からこのゴブリンを解剖したいんです」
「は? 解剖? なんで? ていうか、僕の話は……?」
そうだよね。
それが普通の反応だよね。
話の途中で、ぶった切られてるし、話聞いてなかったの?ってなるよね。
まして、返された内容が解剖だし。
医者やら生物系専門の人であれば、納得しようものだけど、俺サラリーマンだし、わざわざ解剖して何が分かるの? って自分でも思うし。
「そのですね。俺、このゴブリン知ってるかもしれなくて……ゴブリン突き落としたのは、さっき話しましたよね? で、一番最初に倒したゴブリンって、丁度このゴブリンシャーマンみたく変な赤鼻だったんです」
「赤い鼻、ですか。僕は他のゴブリンを見てないのですが、違う個体はそうじゃなかった、ってことですよね?」
「ええ、他のは肌の緑と同じもので、こいつみたいに団子っ鼻でもなかったです」
「ええっと〜、つまりどういうことです? 同じ赤鼻のゴブリンがいて、何で解剖なんて手間のかかるの事をするなんて答えに?」
急いでる時に、そんな悠長な検分をしてる場合じゃないのは、俺も分かってる。
ミッチーとすれば、早く俺と一緒に自宅に帰るのがマストなわけだしね。
けど、今後どれくらいモンスターと付き合っていくのか不明な以上、俺としては早い段階で敵のことをより詳しく知っておきたいのだ。
「要は、俺はモンスターは殺しただけじゃ、足りないって考えてます」
「足りない?」
「はい、こいつらは、もしかして生き返るんじゃないかと」