ドガンゲガンドガンゲガンガン!!
ニュースのテロップは、『ゴブリンと思って殺した』
本日午前8時、マンション8階から幼児2人を続け様に突き落としたとして、足○区に住む会社員の鏡 渉容疑者が、殺人容疑で警察に現行犯逮捕されました。
鏡容疑者は、玄関を開けたらゴブリンがいたので、死にたくなくて8階の廊下から突き落とした、などと意味不明な供述をしており、警察では、慎重に取り調べを行なっています。
殺害された芳賀 真綾ちゃん6歳と菜畑 暉仁くん7歳の両親は、突然過ぎて今が理解できない。今さっきまで元気に笑っていたのに、と涙ながらに心の内を語っていました。
また、近所の人によれば
『あんまり印象にないな。挨拶とかもしない人だったし』
『普通の人でしたよ? でも、まさかこんな酷いことするなんて……』
と話しており……
「……とか、あるんじゃない?」
ゴブリンを落としてから、またも部屋に戻った俺は、不意に思いついてしまった考えに、1人思い悩んでいた。
つまり、俺が殺したのはゴブリンなどではなく、同じくらいの体格の子供だったのではないか、という仮定だ。
「だって、ゴブリンなんているわけないじゃん」
そりゃそうだ、と思わなくもないが、少なくとも俺の目には、ゴブリンが玄関の外にいた、と映っていた。
しかし、普通に考えて、この現代日本においてゴブリンなんて確認されていないし、そもそもゴブリンというのは空想の産物。
サブカルチャーの中くらいにしかいないモンスターでしかない。
であれば、おかしいのは世界ではなく、むしろ俺がおかしくなっている、と考える方が、よほど理性的であろう。
となれば、必然さっき突き落としたのは、このマンションに住んでいる子供などの住人ということになる。
実際持ち上げてみて、子供くらいの体重だったし、簡単に棍棒を奪い取れた辺りから、筋力も子供程度。
その棍棒は、今確かに俺の横にドカンと鎮座しているのだが、よく出来ているとはいえ、これ自体がゴブリンの存在を証明するものではない。
いや、ワンルームマンションだから、子供がいるとは考え難いのは分かっているのだけど、一度思いついてしまった最悪の想像は、確証を得られるまで払拭することはできなかった。
だったら、1階に降りて、さっきのゴブリンの死体を確認すればいいのだけど、またも玄関エンカウントするかもしれないと思うと、つい二の足を踏んでいた。
「おち、落ち着け俺」
とにかく、有りの侭に現状を把握しよう。
俺にはゴブリンが見えている。
あれらが幻覚である可能性は否定できないが、明確に俺に対して害意を向けて玄関をボコボコにしてきた存在がいたのは、当の玄関のボコボコさ加減ではっきりしている。
だから、本当にゴブリンはいるはずなのだ。
むしろ今となっては、現実にいてほしい。
いっそモンスター蔓延る世界になってくれた方がいい。
モンスターワールド万歳だ。
それくらい、俺は子供殺しの殺人犯になんてなりたくない。
幾ら孤独最高とか思っていても、子供を殺したいなんてこれっぽっちも思っていないし考えたこともないのだ。
そこまで、俺の心は病んでいないはずだ。
「そ、そうだ。テレビだよテレビ!」
この日本にゴブリンが現れたのだ。
だったら、そんな奇想天外ニュースが流れているはず。
今日はエイプリルフールではないし、わざわざ批判を覚悟してフェイクニュースで視聴者を釣るはずもない。
メディアの情報把握なのだから、俺よりよっぽど早くて正確であるのが当然だ。
むしろ、こんな時くらい俺の役に立てって話だ。
俺は、唾を飲みながらリモコンを手に取り、若干恐る恐る電源ボタンを押した。
「あ、あれ? 付かない?」
なのに、何度もリモコンのボタンを押してみるが、一向にテレビは反応してくれない。
コンセント抜けたのか? と思って確認するも、ちゃんと嵌っていておかしいところも見えない。
だったらもしかして停電か? と思い、さっき消していた照明を点けようとすると、これまた反応なし。
ならばと水道とガスを使おうとしても、やはりうんともすんとも言わなくなっていた。
「ライフライン、全滅?」
さっきまで間違いなく使えていたのが、ものの数分で全く使えなくなっている。
ゴブリンが出てからすぐは大丈夫だったのに、どうして急に……
「ならスマホは!」
俺は慌ててスマホを手にしてみるが、残念ながら画面に映る電波状況には圏外のふた文字
一応通話してみようとするが、やはり通じず、110番も119番にも繋がることはなくなっていた。
「で、ネットもダメか……」
このマンションにもWi-fiは付いているのだが、それにも反応はなく、インターネットもネット通話も使えない。
何というか、分かりやすく異常事態だった。
世のスマホ依存者であれば、さぞや苦悩の淵に沈み込んでいたことだろう。
「ふぅ……」
そんな状況を前にして、俺はベッドに横になって、ため息を1つ。
そして、力を抜いて目を瞑ると、騒ついていた気持ちも少し落ち着いてきていた。
「うん、これはゴブリン、いるな?」
内心めっちゃ安堵である。
異常事態で緊急度合いは相当ヤバイはずだが、今の俺にあるのは、多分ゴブリンは本当にいて、俺は子供を殺してなんていない、という何とも言えない脱力感だった。
我ながら、人とズレていると思わなくもない。
「いや、一応ゴブリンが敵性生物なのか確認しないといけないな」
随分余裕は出来たが、一般的な思考をすれば、やっぱりゴブリンはいないのが普通。
インフラ全部がアウトになっていても、まだ空想生物が存在するよりは現実的と言える。
逆に、もし仮にゴブリンが実在したとして、人間に対して害意を持っているのかは分からないし、俺を殺そうと襲ってこなかったら、やっぱり誰かがイタズラか何か仕掛けようとしているだけの、ゴブリンの幻覚を俺が見ているだけなのかもしれない。
いやもう色々考えすぎなのは自分でも分かっている。
だとしても、平穏を手に入れるためなら、幾らでも考えて考えて無駄に終わってしまった方がマシというものだ。
自己の安定こそ正義だろう。
俺は、意を決して外を確認しようと、今度はベランダにまで出てみる。
そして、しっかり目を凝らして、近所を様子を伺ってみた。
ついでに言えば、俺と同じようなことをしている人もちらほら視認できており、皆この異常事態が何なのかを計りかねているようだった。
同じことをしている人が、他にもいると安心は高まる。
孤独を愛する俺だが、ここに至ってはひと時の安らぎさえ感じられた。
えーと、ひのふのみのよのいつむんななやー。
うむうむ、最低でも8人は同じことをしているな。
みんなして状況を理解していなさそうだ。
何より何より。
「……だから、現実逃避してる場合じゃない」
でも、それも無理からぬこと。
だって、ベランダに出た瞬間から分かっていたのだ。
もう本当に真剣に異常事態。
少なくとも、地球における科学技術で絶対あり得ないものが、俺の視線の先にはあったのだから。
「壁、だな」
それは、紛れもなく壁だった。
完璧の璧じゃなく塗り壁の壁。
しかし、単なる壁ではない。
壁と言って良いのかも正直悩む程にどこまでも壁。
これくらい壁という文字を使っても足りないくらいの壁だった。
というのも……
「でかい……なんだこれ……」
俺の視線の先にあるのは、とにかくまぁ壁だ。
しかし、その高さがあり得ない。
見上げれば雲より高くそびえ立っており、左右を見れば、ベランダの端から端全ての先に続いている。
どうやら立っている場所としては、多分足○区と他区との境くらい。
俺の住むマンションから隣の区まではすぐ側なはずだから、恐らく間違いないだろう。
これは、逆側も見といた方がいいかもしれない。
「あ、ゴブリン」
そんな唖然とする中で、近くの道路にゴブリンを発見した。
遠目に見流その姿は、間違いなくゴブリン。
さっきの2匹のゴブリンと同じく、ドラ○エ的な、柄だけが細く殴る部分だけが太い棍棒を所持していた。
「ん? 動いた?」
その1匹のゴブリンは、何かに気づいたかのように、一直線に走り出す。
ゴブリンの向かう先を見てみると、そこには自転車に乗った男性の姿があった。
スーツっぽい感じからして、状況に気付いていない出勤中のサラリーマンなのだろう。
どうやらゴブリンは、彼を獲物と認識したらしい。
「お、スーツがゴブリンに気づいたな」
言葉の通り、スーツ男性は目の前に走ってくる何かが異形のものと分かり、くるっと方向転換。
全速力でゴブリンから逃げていた。
速度も十分。
問題なく逃げられそうだ。
で、一方のゴブリンはと言えば……
「もしかしなくても、疲れてるな……」
やや遠目なので、微妙に判然としないのだが、見える限りにおいて、ゴブリンは両膝に手をついて、ぜはーぜはーと息を荒くしているように見えなくもない。
棍棒も地面に放り出しているし、よほど体力を消耗したのだろう。
50mも走ってない気がするが……
「……思った以上に、ゴブリンが貧弱だな」
さっきの2匹といい、道路のゴブリンといい、あれじゃ誰も仕留められないんじゃなかろうか。
力も弱いし、振り解くのも難しくないように思える。
あんなんじゃ獲物の1匹も捕まえられないだろうに。
「んー、いや。ゴブリンと言えば集団か」
よくあるイメージでは、ゴブリンは巣穴で集団生活を営んでいる。
自分らの住処に於いては無類の強さを発揮して、捕まえてきた女だのエルフだのを犯しまくるわけだ。
ゴブリンという種として、オスメスいる場合もあるだろうが、何であれゴブリンといえば害獣。
このイメージに間違いはなさそうだった。
となると、ゴブリンの住処が、この辺りにあったりするのだろうか。
というか、俺の部屋の前にいたとこをみると、このマンションから物凄く近いのではないだろうか。
てか、8階の俺の部屋にも、続けて簡単に来れるくらいの場所に。
とはいえ、ウチってオートロックのマンションだし…………いや、カメラなりを気にせずに侵入しようと思えば、幾らでも出入りできるか。
「……あれ? 何か嫌な予感」
これをフラグというのだろうか。
俺の人生において、そんな分かりやすく因果が結んだことなんて、努力した分だけ結果が付いてきたくらいしかないのだが……
ドガンゲガンドガンゲガンガン!!
何となく玄関の方に目を向けると、一応突然に、自分的にはタイミング良く、俺の部屋のドアから轟音が響いた。
それはもう超連打。
ピンポンダッシュもかくや、というくらいの無作法な打撃音だった。
これもう絶対棍棒か何かでドアをぶち破ろうとしている一歩前にしか思えない。
俺は、すぐさま持ち運びできるものだけを持ち合わせて、ゴブリン共の侵入に備えようとしていた。