中編
ディルク様。
それは公爵家の嫡男にしてアルベルト様の従兄弟。
そして、前世の私の最愛の「推し」である。
そんなディルク様の原作漫画における役回りは、ヒロイン・ミアに想いを寄せながら恋破れる、いわゆる当て馬だ。
ディルクもアルベルトと同じく、学園でミアと出会い、次第に惹かれるようになる。
他の生徒達(というか主にアデリナ)の嫌がらせからさりげなくミアを助け、アルベルトの不在時にミアがピンチに陥ったときには駆けつけて救い出す。
従兄弟であるアルベルトとも親友と呼べるほど仲の良いディルクは、二人が想い合っていることに気づき、自分の想いを封印して二人の恋を後押しする。
当て馬というより第二のヒーローと呼ぶべき存在である。
煌びやかな金の髪のアルベルトと、艶やかな漆黒の髪のディルク。
常に自信に満ち溢れ情熱的なアルベルトと、知的でクールなディルク。
太陽と月。陽と陰。
対照的な二人は原作漫画における二大イケメンであり、漫画内世界はもちろん、読者の間でも人気を二分していた。
そして私は強火のディルク推しだった。
何が素敵って、まず顔がいいのは言うに及ばず。さらさらストレートの黒髪に青色の瞳。はい好みど真ん中、かわいい。普段はクールで無表情でいながらミアの前でだけ見せる柔らかな微笑みも良い。かわいい。すら~っと背が高くて足が長いのもかわいい。でも言うまでもなくディルクの魅力は容姿だけではない。容姿ももちろんたいへん麗しくて素晴らしいのだけど、何よりもその性格! 自身もミアに強く惹かれながら、親友と想い人の幸せを願って静かに身を引くその情というか健気さに撃ち抜かれてしまったのだ。自分だってミアのことが好きだったのにさ、ていうか先にミアのことを好きになったのはディルクの方だったのにさ、ほ~~~んと健気すぎんか!? ディルクがミアへの恋心を自覚したコミックス三巻二十四ページ! 「恋なんて、もうするつもりはなかったのに……」とミアの後ろ姿を見送りながらぽつりと呟いたときのあの美しくも切ない表情といったらもうもうもう! 何度も繰り返し見たおかげで、何もしなくてもそのページで開くようになっちゃったよね! アデリナの策略で人気のない倉庫に閉じ込められてしまったミアを助けに来たときは盛り上がった! 普段のディルクが決して見せない必死な顔がま〜〜〜たまらんかったですよね! ミアもかなりキュンとしてたし私も超キュンとした!
こんな超絶スーパー最高に素敵なディルクなのに、ミアはなーぜーかアルベルトを選ぶのだ。いやほんとなんで? そりゃもちろんアルベルトも素敵かもしれんが、序盤でぶつかったりするアルベルトと違って、ディルクは終始ミアに寄り添ってたじゃん? ミアも最初はディルクにドキッとしたりしてたじゃん? 確かに、アルベルトと違って奥ゆかしいディルクは最後までミアに自分の想いを告げなかったけど、そんなもん、あれだけ甲斐甲斐しく気にかけられたら言わなくてもわかるじゃん!? なのになーんーでーーー!?!?!?
ほんっとに納得いかなかった。
納得いかなすぎて、ディルクとミアがくっつくIF設定の二次小説を書いたりもした。
そんな私だったから、悪役令嬢アデリナに転生していることに気づいたときは喜びに震えた。
これはチャンスだ。
ディルクとミアをくっつける。
私が!
私の力で!!
推しを幸せにしてみせる!!!
推しの幸せのために私ができること。
それは、私自身の婚約破棄を回避することである。
はっきり言って私一人だけのことなら、婚約破棄されたって別に構わないのだ。
アルベルト様のことは好きか嫌いかで言ったらまぁ好きだけど、恋焦がれていたわけではないし。
それにこの漫画は苛烈な「ざまぁ」とかなくて、断罪されても婚約破棄だけで済む。処刑されたり国外追放されたり修道院送りになったりするわけではない。
まぁ次の婚約者を見つけるのは難しくなるかもしれないけど……最低限の衣食住さえ確保できるなら、お一人様には慣れっこなので……おほほ……。
私が婚約破棄を回避したいのは、ひとえに推しの幸せのためである。
原作ではミアは、ディルクともいい雰囲気になっていた。
というか、先に親しくなったのはアルベルトではなくてディルクの方だった。
と、いうことはだ。私がアルベルト様との婚約をがっちりキープしておけば、ミアは自然とディルクとくっつくはずじゃないかと、そう考えたわけだ。
自然とくっつくはず……とは思ったものの、後押しはあればあるだけいいに違いない。
私は婚約破棄を回避するために行動する傍ら、ディルク様とミア、二人の恋のキューピッドを演じることにした。
いつの間にか友達になってしまったミアを誘い、何度も二人きりのお茶会を開催した。
もちろん虐めるためではない。
ディルク様の素晴らしさをミアに気付かせ、ミアの目をディルク様に向けさせるためである。
私は立て板に水のごとく、ディルク様がいかに素敵かを語って聞かせた。
ツイッターなんぞ存在しないこの世界、推しへの愛を語ることに飢えていた私は、ここぞとばかりに喋り倒した。
ミアも最初はポカーンとしていたけれど、そのうちに目を輝かせて「素敵です!」と言い始めたので、効果は上々だったと言うべきだろう。
ミアがもじもじしながら、「わたし、憧れている方がいて……。陰ながらお力になりたいんですけど、わたしなんてしがない男爵家の庶子ですし……」と打ち明けてくれたときには、内心で「よっしゃぁぁぁ!」と快哉を叫んだものだ。
私はすかさず、「身分など気にすることはなくてよ。あなたには自分の気持ちに正直に行動してほしいの。友人としての、わたくしからのお願いよ」と、優しく力強くミアを励ました。
そう、ディルク様との身分差など気にする必要はない。なんたって原作漫画では、ミアは王子と婚約するのである。公爵令息とだって結ばれないはずがない。
私の言葉に、ミアは可愛らしく頬を染めて、しっかりとうなずいてくれた。
ミアがディルク様に気持ちを傾け始めた頃から、私はディルク様に対する働きかけも開始した。
ディルク様にミアの魅力をプレゼンする……というわけではない。
放っておいてもディルク様はミアに惹かれる運命なので、私のお節介など不要である。
私がディルク様に接触したのは、ディルク様の弱点克服の手助けをするためだった。
原作のディルク様の敗因、それはズバリ、従兄弟であり親友であるアルベルト様への遠慮である。
ディルク様がミアと結ばれるためには、そこを乗り越える必要がある。
私は学園内でディルク様が一人でいるところを狙って話しかけるようになった。
二人きりではあるが、学園の庭園内のガゼボとか、オープンな場所でほんの短時間のみである。
他の人に変な誤解を与えるわけにはいかない。
初めて話しかけたとき、つまりディルク様を間近に見たとき、そのあまりの麗しさに変な声が出そうになった。
いや正直に言うとちょっと出た。なんとか取り繕えていたとは思うけど……。
対するディルク様はずいぶんと驚き、戸惑った顔をしていた。
まともに話をするのは久しぶりだったのだから無理もない。
原作漫画で描かれていた記憶はないのだけど、実はアデリナは、アルベルト様だけでなくディルク様とも幼馴染の関係だったのだ。
幼い頃は王宮などで、よく三人で遊んでいた。
けれど五年前にアデリナがアルベルト様の婚約者に選ばれた頃から、ディルク様とはなんとなく疎遠になってしまった。というか、ディルク様がアデリナを避けるようになった……のだと思う。
まぁアデリナは一歩間違えば(というか原作どおりなら)嫉妬に狂ってミアを虐め倒すような人間なので……ディルク様はいち早くアデリナの捻くれた本性を見抜いて距離を取ったのだろう。
推しに嫌われていると思うと泣きたくなってくる……が、泣いてる場合ではない。
推しが私をどう思っているかなど些細な問題だ。
私の使命は!
推しに好かれることではなく!!
推しを幸せにすることなので!!!!
そんな使命感に燃える私は、度々ディルク様を捕まえて話をした。
ディルク様がアルベルト様への遠慮を乗り越えるためには、自信をつけることが大切!
私はディルク様本人に向かって、ディルク様がいかに素敵な人であるかを滔々と説いた。
ディルク様語りをさせたらこの世界で私の右に出る者はいないという自負がある。
ディルク様本人ですら自覚していないであろう美点もあまさず伝えた。
最初は戸惑った様子だったディルク様も次第に表情をゆるめ、自信に満ちた表情に変わっていったので効果は抜群だったと思う。
自信がつきすぎて、ヒロイン・ミアの前でしか見せないはずの柔らかな微笑を浮かべたときには心臓が止まるかと思った。ていうかたぶん一瞬止まってた。
推しが!
私の目の前で!!
原作漫画でもわずか三回しか登場しない幻の微笑を!!!!
尊すぎて死ぬ。いや寿命が延びる? うん、なんかもうよくわからん。
……と、少々バグりながらも、
「ディルク様……そのようなお顔は本当に大切に想う女性の前だけになさるべきですわ」
と釘を刺した私は褒められていいと思う。
そう言った私にディルク様は、涼やかな青い瞳をわずかに見開き、「わかったよ」と答えてくれたけど……言いながらまたあの微笑を浮かべて私の心臓を止めにきたので、ちゃんとわかっているのか、こればっかりは少し自信がない。
そんなディルク様がついにアルベルト様への遠慮を乗り越える決意をのぞかせ、「僕はアルベルトを裏切ることになるかもしれない……」と苦悩を打ち明けてくれたとき、私は心の中で盛大にガッツポーズを繰り返した。
ここぞとばかりに私は畳みかけた。
「裏切りなどではありませんわ。アルベルト様にはアルベルト様の幸せがあるのですから(意訳:アルベルト様は私とまぁぼちぼち平穏な夫婦関係を築いていく予定なのでご心配なく)」
私がそう言うと、ディルク様はハッとした表情になった。
しばし思案する顔になり、それからしっかりと頷いてくれた。どうやら私の言いたいことは伝わったらしい。よし、もう一押し。
トドメとばかりに、私はディルク様の目を見つめて訴えた。
「ディルク様はディルク様の想いを貫くべきです。たとえ相手がアルベルト様であったとしても。それが本当に譲れないものならば」
毅然として言えば、ディルク様は小さく目を瞠った。
そして、またもや例の微笑で私の心臓を止めにきた。
「あなたはいつもそうやって僕を試すようなことを……。でもおかげで決心がついたよ」
その瞬間、全私がスタンディングオベーションである。
ついに、ついにディルク様が、アルベルト様に遠慮せずミアを選ぶことを決意してくれた!!
感極まりながら私は言った。
「わたくしはいつでも、ディルク様の幸せを願っておりますわ」
私の心からの言葉に、ディルク様はまたもや私の心臓を止めようとしてくる。
でももうここまできたら心臓止まってもいいかも……などと、私は勝利を確信しながら思ったのだった。
……それが、ほんの一週間前の話である。
わずか一週間の間に、私のあずかり知らぬところでいったい何が起きたというのか。
ミアはディルク様を選び、ディルク様もミアを選び取る決心を固めたのではなかったの……?
恨めしい気持ちでミアを見つめると、ミアは焦った様子で隣のアルベルト様に顔を向けた。