7 夜風の先に届くもの
「……相手の自殺未遂ばかり出て来るけど、これ、下手したら尚香さんが危なくないですか……?」
中にははっきりと、「○ね」と書かれたものや、一見丁寧に、でも読み進めると穏やかに追い詰めた書き込みもあった。擁護やきちんと経緯を追った記事もあるが、問題は一つのニュースだけ見てあれこれ書き込んでいる人が多いことや、擁護記事も見出しは面白おかしく最後の最後に結果を書いている。本当に関心のある層以外は、全部は読まないであろう。
今まで見てきた尚香から、全くそんな空気を感じられなかったので、みんなぞっとする。
「そいう人間だから、功みたいなのを取り込めるんだろ?」
と、そこに来たのは興田。
「は?」
ナオたちが、何言ってるの?という顔をする。
「頭の回転が速くて、誰にでも気が回せて気が強いから他業種の人間とも次々仲良くやれるんだよ。気にするな。」
「はあ?今それを言う?」
「うちのバンドに、ニートとか習い事どうこうとか言える精神。どうかしてるだろ。」
「功だって、尚香さんのこと地味扱いして七五三扱いしたんですよ?嫌味で。それがなんだって言うんですか!功には事実だし。」
ニートではないが、尚香も成人式でも七五三でもない。
「全員おかしいだろ?そのコウカさんに振り回されて!」
「………」
一瞬しんとする。
「………おかしい?」
「今回の件以外、マイナスになってること、ないじゃないですか。」
「そう思ってること自体がおかしいんだよ!だいたいそのマイナスがデカすぎるだろ!!今、マイナスだろ!」
「………やめろ。」
そこに政木が入って来た。
「興田、言い過ぎだ。」
「でも……」
「この件で、尚香さんも仕事を外されている。」
「っ?」
自分が仕事人である興田が、少し動揺した。
「今は1件だけらしいが、来た話に対応できる準備はしていくそうだ。」
「え?退社ってことですか?」
「今のところ、内勤に切り替えるくらいらしいが。」
みんなが戸惑っているが、興田は言う。
「いいじゃないですか。コウカさんみたいな女性は、他でいくらでも働けますよ。」
「興田、いい加減にしろ。」
とそこに、政木とここに来て後ろで聞いていた功が言った。
「あの………。」
「………尚香さん、気が弱いのか強いのかは知らないけど、自殺未遂してますよ。多分。
未遂って言うのかも分からないけど。」
「?!」
「は?」
みんな功に注目する。
「うそっ?!」
「いつっ??」
「未遂?え?今、病院??」
みんな立ち上がる。
「違うよ。その事件のがあった頃。」
「………」
「……最初にそう言え……。心臓に悪い………」
ホッとするもホッとしていいのか。
「尚香さんの知り合いから聞いたんです。
一人で夜に山や海に行って、ものすごく顔色が悪い状態で見つかって、当時本人は自覚がなかったみたいなんですけど、大変だったみたいです。なんで自分が病院に直行して、入院させられたか分からなかったみたいで。」
陽にあの話を聴いてから、美香にも少し聞いていた。
「律儀だから、わざわざ次の日からのアルバイトのシフト、全部断ってから、山に行ったみたいなんです。」
と淡々と話す。
「なのに、みんなには死んだりはしないとか言って。少しどこかに行きたかっただけだって。山に行ったからって死なないって。」
「夜の山?キャンプ場は分かんないですけど、山によっては死にますよね?」
「その頃、痩せてて髪の毛も数か所ごっそり抜けて、残った髪で隠してちょっと変な髪型だったみたいです。でも、その日は隠してもなかったって。」
「……………」
興田は言葉がなくなる。
「……お前なんでそういう話を先にしないんだ………」
政木も青ざめた。
「だって、これ、プライベートなことだから、あれこれ人に言っちゃダメでしょ。みんなもここだけの話にしてね。本当は、言うなって言われてたから言わないつもりだったんだけど。」
「…………」
確かに人にする話ではない。しかも不特定多数に。今、功以外でここにいるのは、ナオと和歌、真理宅の飲み会に来ていたスタッフ、政木と興田の5人だ。
「ただ、興田さん、尚香さんになら何言ってもいいと思っていそうだったから………」
「……………」
「……その勢いで、いろいろ言わない方がいいかなって………」
「功ひどい……。そんな尚香さんに髪の毛の指摘をしたなんて……」
和歌がお見合い話を思い出して、無表情でこんな話をする功に非難の目を向ける。
「だって、あの時は知らなかったし。」
「知らなくても言っていい事じゃないし…」
「でも、顔にご飯粒ついてる人には、付いてるよって言うし?」
「………ちょっと違うくない?ちゃんとセットはしてたんでしょ?」
「…………」
興田も顔色が少し悪くなってきて、目の前にあった椅子にドサッと座った。
ナオは、ジノンシーを少し調べたので尚香が個人でも勝ち抜けた理由がなんとなく分かる。
お互い傷が重すぎて、勝ったと言えるのかは分からないが。
この支店長は、見誤ったのだ。立場のない会社員だと。
目の前の女性たちの人格を全く見ずに。
けれど、尚香には強靭なバックがいた。
ジノンシーは日本では後進組なのでトップでなくとも、海外では各国の大企業に入っているコンサルだ。そして、有名大や大手を通過した人材も多いし、事務以外はインターン経験のない新人はまず取らない。ブランクがありながらもジノンシーを紹介されるということ自体、既に尚香には強い経験や伝手があるということだ。
彼らは海外経験者も多いので日本の常識やコネに囚われない。と、同時に卒業大学のOBや経済クラブなどに関わっている可能性がある。東京の有名大。そこには、財閥や大手の重役だった人間やその親戚も多い。
政木と三浦、ナオは少し美香と話し、どういう人間が尚香を助けてくれたのかは聞いていた。そういう、大学の先輩や同志たちが動いてくれたのだ。
際沢もよっぽど根まで腐っていない限り、もっと幹部クラスが動いていたならなら、ここまで話を拗らせなかったであろう。重役の一人でもまともならば。
初め隠蔽に動いてしまったし、動きが遅かったことが騒ぎを大きくしたのだ。ネットの書き込みのアルバイトを使い、風評が自動で盛り上がるまで火を点け、そういう内容を利用したい人間たちが、双方の味方にも敵にもなったのだ。
際沢は尚香の大学OBとの繋がりはなかったので、当時助けてくれた人たちが際沢に掛け合い、将来的な方向性として加害を認めて改善に乗り出した方が得だと説得した。
時代が変わりつつあるからと。数年叩かれたとしても、早く改善に乗り出した方がいい。
ここまで来ると、業界人以外はほとんど関心のなくなる領域なので一般に周知はされていないが、現在際沢に大手コンサルが入り、責任を問われるべき一部幹部が入れ替わり、当時とは大分違う社内になっている。
***
その日の夜、今年に入って初めて尚香の元に章から着信が入った。
少し悩んで……尚香は電話を受ける。
『もしもし、尚香さん。』
「………うん……。章君?」
『あけましておめでとう。』
「……あけましておめでとう。」
『元気?』
「……どうだろ。」
『死んでない?』
「…………。
死んでないよ。」
『………死なないでね。』
「……死なないよ。」
『…………』
「…………」
東京の一部を見渡せる高台から、章は夜の街を見渡す。
寒い風が吹くも、走って来たのでその風が気持ちがいい。
「尚香さん、ごめんね。」
『……別に、こっちこそ。』
そしてまた少し、沈黙する。
「……………俺、役立たずでごめんね。」
『………役立たず?』
「なんもできないし。」
『……ああ、いいよ。知ってるから。』
むしろ、何もしない方がいいだろう。
「俺はスパダリじゃなかった。」
章、期待すらされていないことに気が付くも仕方ない。
『?』
「伊那や山本さんが言ってたんだ。スパダリって知ってる?」
『オールマイティーのスーパーダーリン?』
「知ってるんだ……。こういう時はスパダリ彼氏が現われて、危機を助けてくれるのが定番らしいんだけど、お前の場合は大人しくしているのが一番の策だってみんな言ってた。尚香さんスパダリ好き?」
『私じゃなくて、川田さんが好きだけど。』
「そうなの?女子はスパダリが好きだって聞いたけど。」
『……はは。私にとっては、お父さんやお母さんに優しくしてくれる人がスパダリかな。もう、この事は………自分で乗り切るしかないし。』
「…………」
「……尚香さん、強いんだね………」
『強くはないよ。でも、………なんか思ったんだ。何を言われようが、自分の人生は自分だしね……。いろいろ言う大半の人が、実際、私に起こったことなんてどうでもいいんだと思う。だから、そういう言葉に振り回されなくてもいいのかなって………』
「……なんでそう思えたの?急に?」
『だって、少し前に見出しに載りまくってたニュースがもう、他のニュースに埋もれてる……。』
功の話は、芸能記事の中でもトップニュースだったわけではない。
『………また蒸し返されそうで……
でも、私は生きてて………、前と違う人たちに囲まれて、数年前だけど違う時代に生きている気がして………、違う答えや違う未来があるんじゃないかとも思ったから。』
もう幻覚のように思えるけれど、あの山を生き残った。
それは一つの山を、生きて越えたんだと自分の中で思おう。
「…………そっか……」
『…………うん。』
「尚香さん!あと1か月さ、待ってみてよ。」
『1ヶ月?』
「うん。俺、祈ってるから。道さんも祈ってるって。それまで、真面目に死なずに生きてね。」
『……?』
「道さんが言ってたんだ。時間が解決することもあるし。その間、誠実に時を過ごすんだって。」
『…………。』
「別に悪いことしてきたわけじゃないし、世の中だって人だって、数年前と同じじゃないよ。ネットに振り回される人ばかりじゃないし。今、時代がどんどん早く回っているから。」
『………』
尚香、その言葉に少しだけ熱くなる。
人も世の中も………数年前と同じではない…………。
目の前にいない章に、少しだけ会いたい。
笑っている感じがする。
「大丈夫。強運な道さんがこっちにいるから。」
『ははは……。』
「俺のファンも、俺のアンチも頭いいし。」
『そうなの?』
「そうだよ。」
「尚香さん、取り敢えずまた、1カ月後くらいに連絡するから。それまで耐えようね。」
『…………うん。』
「あ、でも、気が向いたらメールくらい入れて。」
『………うん……』
「じゃあ元気でね。」
『…………』
「もう一度言うけど、死なないでね。」
『……うん………。章君こそ外?風邪ひくから早く帰ってね。』
「……分かった。バイバイ。」
『バイバイ。』
そう言って、電話を切った。
章はそのスマホを持ってしゃがんだまま、夜の風に章はしばらく祈る。
息が少し白い。
祈りは広がる。
街中から見る夜景とは少し違う、落ち着いた住宅の光。
この東京の夜に、優しい気持ちが届くように。