61 動き出す春
「大和君、もしかして尚香さんがいつもオフィススタイルできれいにしていて、心も超純粋キラキラな人だと思ってる?」
「は?」
「見た感じだけだと、尚香さんって世の中そのままに素直に生きてそうだもんね。守ってあげないととか。」
「っ!!」
分かりやすく赤くなる。
「そうじゃなくて、取り敢えず章さんからはどうにかしたいから!ウチの親も尚香さんの将来を心配してるし!!」
安定収入の素敵な社会人ではなく、黒マスクをするこんな茶髪イカレ系では、大和の両親も卒倒するであろう。
「普通じゃないって言われません?!」
「何を言う。俺の方が常識人だしな。畳のへりは踏まない。尚香さんは鈍いから踏みまくってる。」
「そういう話じゃなくて!」
「安心していい。尚香さんの方が俺や大和君よりずっと世間を斜めに見て生きてるから。」
男の話をしただけで、「浮気してそう」と言う女性である。
「俺より対人間に強い。」
「はあ?」
「それに、めっちゃズボラだ。一見慎ましやかな都内会社員のように見えて、帽子を被れば近所のコンビニやスーパーに行く時は眉毛を描かなくてもいいと思っている。帽子と服が合ってなくてダサいし。」
「?」
「…なに、大和。世の中の女性は最初からあの眉毛をしているとでも思ってるの?」
「いや、そういうわけじゃ……」
女兄弟が2人もいるので知ってはいる。
「前髪作ったら近所は眉毛描かなくていいかな?とか聞いてくるから、無謀なチャレンジはやめた方がいいと言っておいた。」
「…………」
「俺は尚香さんに既に幻滅されて、俺も尚香さんに幻滅しているので女性に高見を望みはしない。えー、近所だからこそきれいにしてようよ、とは言わない。よって、結婚相手へのハードルは低い!」
「だから?」
「僕と結婚するなら、気張らなくていいよってこと。相手も楽でしょ?俺も高い要求はされたくないし。されてもできないし。」
「…………」
この男は何を言っているのか。そもそも一生付き合っていく女性に、一つや二つ要求ぐらいさせてやれと思う。
「ごめんねー。」
やっと尚香が来て、いつもの如く章を机から追い出し資料を見せた。もうこたつはしまってある。
進学するかしないも、何も決まっていない大和。ただ、緑川はほとんどが大学か専門に行く。
尚香が大和の関心や成績を見ながら、知っている大学や分野の説明をしていくという話だ。
そして気が付く。
「……あれ、大和君。成績いい?」
得意そうに笑う。
「この前の試験、緑川の中でも上位10位内に入りました。」
「へー!!すごいね!!前より大分上がってるね。」
章はこのすごいねが、いつものどうでもいいような褒め言葉と違うとすぐ察知した。
「え?大和が?でも緑川の中ではだろ?」
緑川はお坊ちゃま学校と聞いていたので、茶地を入れる。
「章君は静かにね。でも、これなら……。私たちの時代と違って今、山皆がいいって聞いてるし行けるかもよ。」
「山皆………。」
「ただ、このラインより上だと今から全部勉強に切り替えないとダメかも。何も決まってないなら、三橋とかもある。」
「ほどほどでいいかな。」
「どうしようね。外語大って手もあるし。東京以外ならハードル低いところもある。」
「進学のために大学行くんか?やりたいことのために大学行くんだろ!」
「章君は静かにして。」
大和は考える。
「地方だよね……。俺、なんか、今はせっかくなら首都圏にいたいな………。」
最近急に自分の周りが変わりだした。もう少しこの空気を味わいたい気がする。
「山皆も三橋も自然が多いし、大学少ないから地域に良くしてもらえるし、いい環境だと思うけどな……」
「若いなら出てけ。冒険しろっ。甘えるな。」
「章君は黙ってて!!」
「っ!なんで怒るの~?応援してるだけなのに。」
「………」
この二人は何なんだと思ってしまう大和。この男、まじ、なんなん?親戚の家に……親戚じゃなかったけれど人の家に入り浸ってアウトだろと。
「章さん、子供ですか?」
「子供は大和だろ。姉に頼るな!」
「俺は用事があるだけだし。」
「自分の脳で考えろ!そんで大学行ってなんかできるんか?」
「普通に就職します。」
「ならそこらの大学でも行っとけ!」
そして、自分もこの家に入り浸っていることに気が付いていない大和であった。
***
友人と会うので、大和は章の車に乗って帰りは渋谷駅で降ろしてもらった。
駅中の通路を歩きながら、あんな人が世の中に本当にいるんだと改めて驚く。章のことだ。こんな何でもありの東京だからやっていけるのだろう。
いったいどうやって生きて来たのだ。劇場を首にならないのか。
ただ、章のスタイルがいいのは認める。大和の好みの体型ではないが、足は長いし、落ち着きもなくあんなテキトウに生きていそうなのに立つと姿勢がきれいだ。役者でなく荷物運びなのがもったいないぐらいだが、この男は台本も覚えられないだろう。
そして横顔がキレイだ。女は好きそうである。大和の姉も男性俳優の横顔が好きらしい。本当にモデルでもすればいいのにと思う。あの落ち着きのなさゆえに、仕事一つこなせないのか。
渋谷の喧騒。
人々が行き交う、まだ早い夜。
慣れない人には迷路のような渋谷駅。
そこに電話が掛かって来た。
「LUSH?」
『うん、この前学校に来てて、生歌がすっごいよかったて言うからさ、ライブ行こうよ。』
「……ライブ?スマホで聴いてればいいし。」
同級生の結花だ。大和はコンサートとか興味がない。誘われて友人の小さなライブハウスに行くくらいだ。
「あんなん、どうせ遠目でしか見れないし。」
『雰囲気を味わうんだよ。もう春も夏もチケットは完売だって。作戦練ろうよ!』
「めんどい……」
そして電話を切った向こう側。
「ねえ、利帆。大和全然興味ないよ?」
「そう?」
結花ともう一人の友達。その友人が功が校内を歩いていたのを見てライブに行きたいと言うので、利帆が「大和に聞いてみたらいいかも」と言ってしまったのだ。
でも、大和は何も関心がないらしい。本当にLUSHを知らないのだろうか、でも確実に関係者だったよね?と、利帆は春迎祭を思い起こす。尚香さんに聞いてみるべき?それとも、身内でこういうことを言い出す人がいるから隠しているのだろうか。
知り合いならコンサートにも何度か行ってるのか、チケットの取り方とかコツがあるのかなと聞きたかったのだ。周りにコンサートガチ勢がいなくて、チケットの取り方が分からない。直近の物は全て完売。夏前半も完売。10月からはまだ始まっていない。
「ファンクラブとか入ったら取りやすいのかなあ。」
ファンクラブに入るほどでもないし、でも一度見てみたいという感じだ。
「こういう音楽祭みたいなはどう?」
「それも全部完売。」
「そうなの?そんなに行けないもんなの??」
驚きである。
「他の出演者も濃いからね~。」
利帆たちでも知っている歌手が数人いる。
「フェスは?ほら大きいの。」
「そっちのはライブ初心者には向かないって聞いた。会場が分かれてるし、予定通り進まないこともあるし、雨降ったら普通の人にはもう意味が分からないって。」
「……………」
「まずは普通のコンサートだよね。」
「今年受験なのにヤバいよね。」
そんなに大変な人たちが、緑川にふらっと訪れたのかと、それこそ意味が分からない。
結花からの電話を切り、何だったんだ?と思いながら、渋谷駅を進む大和。
そして、
騒めく渋谷の人ごみの中、横に出で立つ何かに気が付き、思わず振り向く。
「!」
それは、渋谷の喧騒とは真逆の人のいないどこかの荒野。
朝焼けか夕日か。
闇に消えて行くのか、光を迎えるのか。
「……………」
知らない光景なのに、胸をくすぐる、不思議な既視感。
赤か、黒か、紫か。それとも何かのフィルターか。
荒野で男がさらにどこか遠くを強く眺めている、
その横顔。
LUSH+のコンサートと同時ライブ放送の告知大判ポスターだった。
「……………」
戸惑う大和。
これは………?




