48 言ってしまう
『尚香さん!』
ある夜、怒って電話をかけて来たのは章である。
「何、章君?最近仕事してるの?」
『仕事?してるけど?そうじゃなくて、ソンジとレイン交換してたんだって?』
「……ソンジ……?ああ、エナドリのね。今度こそ飲みましょうって。それに、韓国に来たらお店紹介しますって。」
『は?行くの??』
「行かないよ。こんな年度末に。向こうもどうせ予定が合わないよ。すっごい忙しい人でしょ。」
何百人といる知り合いの中の、さらに名前だけしか登録されていない忘れられた一人物であろう。自分も『章君の友人2』とだけ記録し後は忘れていた。1は政木である。前回の件でお世話になった時から『政木社長』に変えたが。
『俺も忙しいんだけど?』
「ふうん。」
だからなんなのだ。世の中忙しい人はたくさんいるであろう。
『なんで、俺とは数か月電話交換もしてくれなかったのに、ソンジとはその場でするわけ?』
章がうるさい。
「私だって、何の状況も揃ってなかったら交換しないよ。」
既に知っている人たちの知り合いで、どうせ雲の上の人だ。章や道に何かあったら知らせてほしいと言われたのだ。報告事項など何もないが。
『それに尚香さん忙しいとか嘘だし。』
「…………」
『ちょっと尚香さん聴いてる?』
「……聞いてます。」
座って手の届く範囲の掃除をしながら流し聞きをしている。
尚香の会社は新卒は取らないが、春は取引先が忙しくなる。
『そんでもって、高校生と打ち上げしたってなんなわけ?』
「…………」
なぜ章が知っているのだ。
児童施設でのひな祭りパーティーが終了。反省会も含めて大和の家でチキンなど買って打ち上げをしただけである。最終的に学生参加者13人と、お母さん3人になりその日は盛り上がった。仕事ではないので、お父さんにも内容を報告したので、お父さんが話したのか。
なお、相変わらず大和は反抗期で、思春期や反抗期の子にみんなの前でかわいいと言ってはいけないと、お父さんに叱られてしまった。
『それに何?おじいちゃんたちと旅行行くの?』
「…………」
やっとお兄さんたちが来るので、今度他の親族数人とみんなで温泉に行くのだ。道が旅行の介助付き添いをするか聞いてくれたが、人数が多いので大丈夫とのこと。中国から来る叔父叔母たちが多少の介助ができるらしい。男性部屋の一つは内風呂も付けるので、もし大浴場がダメでもお父さんもお風呂に入れるとのこと。
『俺も行きたいんだけど?』
「……何言ってるの。」
親戚の旅行である。しかも絶対浮くであろう。
『通訳、通訳。』
「大丈夫です。お兄さん家族と叔父さん一家の半分が日本語ができます。」
「………それにね、章君。別件なんだけどね。
私、お付き合いしませんかって言われた。」
『……………』
「普通に。会社員の人に。」
『………。』
電話の向こうの人が止まっている。
でも、言ってしまった方がいい。それで、関係が変わるならそれまでだ。
「あのね、なんというか、章君との未来よりなんか現実的で……初めてでちょっと浮かれちゃった。」
返事がない。
「章君……みたいに関係が中途半端な存在がいるって言ったんだけど、何かに決まるまで様子を見ましょうって。」
『……………』
「章君?」
「…………私みたいな人に、そんなことがあるって、からかわれているだけだと思う?」
『………別に………』
「彼の本心は分からないけど、そうやって言われたんだよ。」
と言いながら、尚香はとにかくモコモコをモコモコに着込んで電子レンジ湯たんぽまでお腹に入れて、だらしない格好で布団に寝っ転がって。
こんな自分で、久保木との関係も実は現実的でないのかと思ってしまう。
久保木はどんな生活をしているのだろう。
お金はあるだろうから、いい感じの賃貸に住んでいるのか。起毛のズボンに起毛の腹巻までして、寝る前までモコモコの靴下みたいな物の上に、さらにモコモコのフットカバーを履いている女性など、これまで付き合ったこともなさそうな顔をしている。いや、彼の住む家なら床暖か暖房完備か。断熱材を入れてもこの家は寒い。
「……………」
何か、久保木との関係も現実的でない気がしてきた。今度は尚香が黙ってしまう。
しかし尚香は知らない。
久保木はいろんな国で、時には低所得層の労働者家庭にも出入りしている。コーラを水代わりにしている国や、免許ないだろうという人もバイクを乗り回している国。お尻からTバックが見てえている女性が普通にいたり、日本ではなかなか見ないほど太っている男女が構わずタンクトップで歩いているような国。シャワーすらなく水溜めで体を洗う家、台所が家の外にあるような家にも。物乞いが腕を引っ張ってくるような地域の家にも行っている。
久保木自身も若い時は、お湯どころか水すら止まるような家に住んでいたこともある。よく壊れるのでトイレの水もバケツで流す。そして、そんなトイレを汚す友人の大の後始末までしている生活もしたことがある。
自分の家族になるかは別としても、いろんなものを見過ぎてちっとやそっとでは驚かないのである。
一方、章は思う。
初めて?
告白みたいなことはしていないが、なぜ自分が付き合おうと言ったことがカウントされていないのだ。尚香の脳内では、自分はどう処理されているのか。
『…………分かった。尚香さん。俺、もう寝るね』
「うん、章君も家にいるなら早く休んでね。」
『尚香さんこそ、お腹出して寝ないでよ。おばあちゃんが心配してたよ。いつも、仕事のまま寝落ちしてるって。おばあちゃん2階に行くの大変なんだからさ。』
「分かった……」
『おやすみ。』
「お休みなさい。」
そうしてその日の会話は途切れた。
***
章はその夜。
東京の住宅地を見渡せる高台までまた走っていく。
もう暦は春半ばだ。
夜も底冷えはしない。章にはちょうどいいくらいの季節である。
その上まで行って、しばらく空を眺めていた。
***
会社の昼休み。尚香は思わず顔をしかめた。
『お姉さん、ごはん食べましたか~?お元気ですか~?』
『ライブ詰めすぎているようですが、KOUは死んでないですか~』
……………なぜ?
「章君の友人2」ことエナドリのソンジから数回レインが入っていたのだ。
『大丈夫だと思いますよ。ヨネ君に聞いてください。』と返しておく。彼のアカウントは休眠扱いにするつもりだったのに、何の嫌がらせだ。
しかも恐ろしいことに、数秒後に『お姉さんだ~!』と来て、犬が尻尾を振っているエナドリキャラのスタンプらしきものも連投されるで、こっちももずく君で『お体お大事に』と『バイバイ!』をと返しておいた。
すると、30秒も数えていないくらいに、購入したのかもずく君のスタンプで返してきた上、『これ、何の生き物ですか?苔?藻?』とくるので、『もずくです。私はこれから仕事です。』&『バイバイ~』スタンプをし、本当はまだ20分くらいは休憩だが無理に打ち切った。
こわっ。本人??また秒で『バイバイ』と返信が来る。
「ねえ、川田さん。外国人って電話やメッセージの返信速いの?」
「……世代と、お国柄じゃないですかね?あと若さ!」
「……若さ?」
「若いと早いよね。」
「………そうなんだ…………」
尚香は仕事にはすぐ対処するが、個人メッセージは家の連絡事項や急用以外だいたい鈍い。
「誰ですか?若い子?」
「親戚………」
「尚香さんって親戚多いですね………」
もう全部親戚である。説明しにくすぎる。
実際、最近一気に増えたのだが。
***
そんな尚香が女子みんなで飲み会をしたのはその週末。
柚木川田と尚香の三人。
川田の家は広くはないが超カッコよかった。趣味の物で埋め尽くされ、様々なレコードやCDが飾ってある。ドリンクメーカーとヒーローコラボの大人なフィギアや家電も置いてあり、スニーカーやブーツの棚が室内にもあった。家で靴を飾るという発想のなかった尚香、驚くしかない。靴屋か。
尚香の部屋にも観葉植物が一つ置いてあるが、あの部屋だとただ置いてあるだけなのに、ここでは正にインテリアだ。
「川ちゃんってこういう人だったんだ………。よくコンサルなんて入ったね……」
普通OL柚木がビビっている。見た目普通人しかいない会社なのに。
「尚香さん、どうしたんですか?入って下さい。」
「オシャレすぎて……汚したら怖いから入れない………」
下に引いてあるカーペットがフサフサだ。そんなフサフサを避ける尚香。
「高いもんじゃないし気にしないで下さい。二人が来るから掃除しただけで普段はもっと物で溢れています。それ洗えるしボロボロになったら模様替えするので。」
そうして、オフィススタイルから着替えた川田に二人はドキンとしてしまう。何か色っぽい。
「うちの会社にこんな隠れキャラがいたとは!!吉祥寺女子??」
柚木よりギャルである。しかし尚香、吉祥寺は小さい飲食店や手芸屋さんくらいしか知らないので、なぜこのキャラで吉祥寺なのか分からない。吉祥寺はバンドや漫画家のメッカのような地域だ。
「お二人もよかったら部屋着貸しますよ。」
尚香はそのまま、柚木は泊まる気なので着替えさせてもらう。柚木もかわいい。会社では川田の方がビビりキャラなのに、ここでは川田がお姉様だ。
「カンパーイ!!」
三人で一先ず缶チューハイを開ける。
イカ焼きに軟骨の唐揚げ。焼き鳥に紫蘇巻きつくね、サラダ。
「まさか会社の人と家飲みする日がやってくるとは!」
外では時々飲んでいたが、誰かの家は初めてだ。美香やソナは学生の時の知り合いだが、二人は会社からの知り合い。しかもこんな流動の激しい外資の会社で。
そして、しばらく雑談した後に川田の直球が入る。
「尚香さん、本部長と付き合ってます?」
「!!」
そんなわけないと否定るも、柚木もグイグイ来る。
「なら何か言われました?」
「……………」
答えられない尚香。
「庁舎君は、都庁に婚姻届けを持って行って、ここじゃないですよと断られるくだりすらできないんですね………。」
しみじみ語る川田。言葉は丁寧でも片膝を立て、態度はオッサンである。
「………??」
なぜ分かってしまったのか、分からなくて尚香は気が動転する。自分、よっぽど浮かれていたのか。
吉祥寺……きちじょうじ。東京のローカルな街。昔からの大きな手芸屋さんがあり、かわいい店が多い。バンドや漫画家も多く住んでいると言われている。駅前は昔よりきれいになっている。




