33 見捨てるの?見捨てないの?
「23 光の下で」大幅に付け足しました。
会社に行く前の朝、尚香は小さな仏間の小さな仏壇に手を合わせた。
この仏壇は尚香の両親が入っている。
その隅に置いてある、古くて、でも少々高級な腕時計。横には小さな閉じた額もあった。尚香は額を開いて中の写真を見る。
そこには少し地味なくらいの、普通の夫婦と赤ちゃんが写っていた。四角い眼鏡を掛けた真面目で優しそうな緊張した男性と、それよりは背が高く意志の強そうな女性。母親の方が7歳若いだけだったのに、父親が老け顔だったので時々親子に見られたらしい。
その間で抱かれる、乳幼児の自分。
「………………」
尚香は章の事を思う。
上手くやっていけそうな気もするし、忙しさですれ違う気もする。そして、少し特別な立場の人間。結婚するとしても、恋愛結婚とは違う気もする。けれどきっと、みんなもそんなものだろうとも思う。
同時に、現実的じゃないと尚香の中の何かが言う。
時々会うだけだから、楽しいと思えるのかもしれない。今は章が自分の機嫌を取ってくれているけれど、元々は寡黙で黙り込む性格だろう。
ふと自分の周りの華やかな現実に気が付いて、尚香の知らないスポットの中に消えて行ってしまうかもしれない。尚香だって20代の前半なんて、まだ世界を広く見渡すのではなく、懸命に情報を吸収する側の人間だった。
せめて、東京でなければよかったのに。
いや、大都市の方が人に紛れるにはちょうどいいのだろうか。郊外のショッピングモールの方が洋子はひどく目立っていた。
写真の中の人たちが本当に親ならば、何と言うだろうか。
この写真を見ると、なんだか現実感のない世界に見える。
この写真はどこで撮ったのだろう。実家?
家族で住んでいた家?不思議な雰囲気の写真だ。
抱かれているのは本当に自分?
章以上に、自分がふわふわして見える。どこにも着地点がないようで。
「…………………」
よく、育ての親によく育てられたなら、生みの親に会おうとするなと言う人もいる。でも、尚香は探してしまう気持ちが分かる。自分がふわふわしているのだ。自分の中の変えられない部分が。その正体が分からなくて。
お父さんとお母さんの家に来れてこんなにも幸せな自分なのに。これまでの日々を思うと目頭が熱くなるほどの感謝で包まれているのに。
この写真のどこにも自分の存在感がなくて。
もっとはっきり親の存在を知っていたらそうは思わなかったかもしれない。どうして自分は、親戚に嫌われていたのだろう。せめて親が、『死んでいる』とはっきり分かっていたら違ったのだろうか。あきらめもついたかもしれない。
この写真に、ひどい哀愁や、不安を覚える。
だって、尚香の知らない風景だから。
この写真が撮られた場所はどこ?
自分の根本は何?根源は?
自分はどこにいて、どこに生きているのだろう。
どんな未来を選んだらいいのか分からない。
章はそんな自分の下で、安心を感じてくれるのだろうか。
けれど、そうして悩む自分を許してくれているこの家の両親にも感謝している。
***
ほぼ身内しかいない、夜7時のイットシー。
いつもの椅子で丸まっている功が、SNSでこの前のエナドリコンサート後の反応を見ながら与根の邪魔をする。
「ねえ、やっぱ『高音歌うな』って書かれてる。俺、予言者?」
「はいはい、すごいすごい。」
アンチの話だ。
「音が高いところにも抑え入れたんだけどな。」
「すごいな功。kpop嫌いなのに、わざわざ見に来てくれてるってことだろ。お前の力だ、喜べ。」
伊那も褒めてくれている、多分。
「『聴きたくないのにアルゴニズム勝手に出すな。不快』『AI、はよ次の時代に進化しろ』とかあるけど?俺じゃなくてAIのアンチになればいいのにね。今度、渋い曲にしよ。高音はだめだよ。」
アンチに流される功に、この人は容赦しない。
「よし、次の曲、もっと高いの入れておこう。」
と伊那が一曲、その場でノリだけの曲を作ってしまう。
「そういえば与根、この前尚香さんがソンジはかっこいいと言っていた。」
ソンジとは、昔所属していたグループのメンバーだ。
「ふーん。かっこいいんだろ。俺も思う。男の俺から見ても。」
「日本の男は濃い顔好きだからね……。」
「ソンジは濃くないだろ。中間だ。」
「……お前の方がカッコいいって言ってくれないの?」
しつこい功に与根が嫌そうだ。
「……俺に言ってもらいたいの?言ってどうするの?」
「…………ビジュ担になりたい…………」
と、また椅子に丸まる。
「ソンジはビジュ担だけでなく、オールラウンダーだから歌とダンス以外並べなくない?」
「……………なんで真面目に答えるの……。うそでも褒めて。」
功が与根に嫌な顔をしてから、自分のリュックを漁る。
「仕方ない。…………与根にこれをやろう。」
と言ってムクッと起き上がり、出したのは柴犬のキーホルダー。与根が柴犬が好きで好きで好き過ぎるからと、道を迎えに行った日に尚香から貰って来たのだ。
仕方なく与根が受け取って見ると、エナドリのロゴが入っている。
「……………」
また寒い目で与根は功を見た。犬は大好きだが、与根は既にハスキーキーホルダーをもらっている。尚香の話から始めたところを見ると、碌なことを考えていないだろう。奪ってきたのか。
「尚香さん、大学のゼミ生みたいな普通男子が好きなんだって。ゼミって何かよく知らんけど。」
そして、やはり碌でもないことを言う。
「ナオさん、俺のも作ってよ。このワンワン。」
「……ぬいぐるみとか高いから。売れ残ったらマイナスだし。」
予算以前に面倒なことは論外である。パンクもしているバンドなのだ。ぬいぐるみがほしい層などわずかであろう。
「俺を売り込む気もないの?」
「エナドリのパクリだって言われるよ。」
「コラボしてもらって堂々とパクろうよ。」
「自分で作って自分で営業しろ。誰が買うんだ。」
「えー、ひどい。なら50個くらい作って。それくらいならいけそう。」
スタッフ一同、見方がいない。
「アンチ煽るな。高音より煽ってる。」
「規模が違うのに対抗すんなよ。」
「しかもお前、何犬のつもり?」
「ゴールデンレッドリバー。」
「…………」
今度はみんなに寒い目で見られた。
「ああ?ちょっと茶髪だし、似てるだろ?」
「お前、チャウチャウかペキニーズだろ。」
「俺、キャンキャンはしないけど?」
「背だけ考慮すれば、アフガン・バウンドじゃね?」
みんな犬種を調べて真面目に語る。
「いや、ゴールデンレッドリバーって言ってんだけど。」
「まり、自分の作るならジャーマンシェパードがいいな。」
ツアーさえなければ、真理なら都内マンションでも飼えそうで恐ろしい。
「何?真理ちゃん。自分より頭のいい犬飼ったらだめだよ。」
「功、文鳥よりおバカさんなのに?」
ちなみに、ソンジは茶色い大型犬ブロホルマー。「ソンジ」という言葉が牛の血の料理も指すし、穏やかで優しいので色が牛に似ている茶色の大型犬だ。
そこに登場、ラナ・スンである。
「なにソレ、かわいい!」
と与根から柴犬を取り上げる。
「いらないなら私にちょうだい!」
「与根にあげたから嫌だ。」
「与根いらなそうだし。」
「その前にそれ、尚香さんからかっぱらってきたんだって。」
「……………」
伊那が説明すると、功はみんなにもっと冷ややかに見られた。
「じゃあ、まりにちょうだい!尚香ちゃんに返す!!」
年末からのラナの不満が表に出てしまう。
「ねえ、だから何?そのコウカさんって!」
「ラナ、去年見ただろ。」
「チラッと見ただけだし。何なの?ちょっと会わせてほしいんだけど!」
みんなと仲がいいのに写真すらない。
「しかもびっくりしたんだけど、功より10歳も上なの?無理じゃない?」
「9歳差だけど。許容範囲なんだけど!」
真理が怒る。
「無理だって!あの人のどこがいいわけ?すっごい普通だし。」
「普通で何が悪いの?」
「功、どうなの?あの人となんなわけ?どこがいいの???」
「………尚香さんは俺を見捨てない………。」
遠い目で言う。
「私だって道さんがいる限り、功を見捨てないけど?」
「……それに尚香さんには……気を遣わない…………」
「私にだって気、遣ってないでしょ!何?気い遣わないって女版与根??だったらさっさと付き合ったら?」
「………嫌だ……。それを言ったら尚香さんは絶対に、距離を置くし離れていく………」
「はあ?どっちなの!見捨てるの?見捨てないの?」
「…………」
「はぁ………。去年から尚香さんに気ぃ遣い過ぎて疲れた………」
「だからどっち?!気い遣うの?遣わないの?!」
その時功の電話が鳴った。
「え!?」
受け取った功が一瞬驚いている。
「!!」
誰?っとみんな注目してしまう。
「………え?お久!」
尚香か。今年に入ってから尚香からの電話は一度もないらしい。
「は~い。え?マジ?大好き!」
いや、……親戚か。ああいうことを言うのはだいたいお気に入りの親類か、数少ない仲間に媚を売る時だ。
「はーい。行く!分かった~!!また後でー!」
功がご機嫌である。
「………誰?尚香ちゃん?」
「兄ちゃん。」
なんだ……とみんなため息だ。
「帰って来たの?」
「みたい。ナオさん、飯食って来ていい?」
「んー、ダンスの方入ってほしいけど今日はもういいよ。たまにしか会えないし、お兄さんによくしてあげてね。」
「は~い!お疲れ様でーす!」
と、章は元気に出て行った。
ビジュ担……グループのビジュアル担当。基本、かっこいい人。




