30 それも章君だから
「………尚香さん。」
フードを着て汗をかいた章が、尚香を見る。
「……章君…………」
お兄さんたちとの話が弾んで章がいることに気が付かなかった尚香と、二人の間で、ん?となってしまう、お兄さんたち。
「……来たんだ。」
「………うん。」
周りはTシャツなのに一人だけ顔を隠している。
「フード着てて暑くないの?」
「大丈夫。」
そこで、一人のお兄さんが興味深そうに間に入った。
「功、親戚なんだって?」
功がコクンと頷くと、別のお兄さんも反応する。
「え?お姉さん今独り身?功、紹介してよ。」
「っ?!」
「!!」
これには、尚香も功も驚く。
なにせ尚香、フードに眼鏡にマスクで、マスク美人にもなっていない。軽いノリにしてもちょっとおかしい。
「食事行きましょうよ!功のことも聞けそうだし。」
一人積極的だ。
「ひとまず今日は出会いの場ってことで!」
「えっ、ないない!尚香さんだよ。」
「え?本当、ありえない!」
尚香ですら思う。スタイル以前に、顔も見えないのにそれはなんだ。こんな頭まで着込んだ初対面の人、尚香でもご飯に誘わない。
「いやいやいやいや、全然ありっしょ。お話ししてて楽しいし。功のお姉さんって分かってるし。」
「だめだめ!絶対ない!」
章ですら、最初尚香さんは脇役どころか背景1であった。
「功、お姉さん下げること言うなよ。」
「あー?お姉さん子っか?つうか、功、そんなに話すタイプだったのか?」
「………」
「ねえ、お姉さん、すぐそこに焼き鳥屋あるんすけど!」
「功君と飲みに行くのはちょっと……」
しかも、この世界の人もグラマーでタイトなお姉さんが好きそうだ。裏でネタにされた上、バカにしていそうなパターンである。経験上。疑い過ぎ?
「………」
そこで気が付いた受付のお兄さん。ボコっと、うるさい横の男を叩く。
「……お前、察すれ。」
お兄さんには分かってしまった。もしかして、少し前にネットニュースになっていた女性ではないか。会社員、セミロングの女性、ボーカルとは見た目のバランスがちぐはぐしていると書かれていた。年齢差もある。
この子ではないか。
結局もうジムが閉店の時間なので、近所の焼鳥屋とコンビニでいくつか買い込んで、メインフロア以外の場所で食事をすることに。酒はだめだと言われてみんなでノンアルだ。
「カンパーイ!」
「こいつ、ホント、最初ここに来た時人殺しそうな目つきで、でもまだこんなんでかわいくて!」
と、手で背を示す真似をする。
「………」
酒も入っていないのに絡まれて、功は何も言わずにサイダーを飲んでいる。
聞くところによると、功は入会費も月謝も満額は払えないけれど、後でバイトで返すからとやって来たらしい。親の承諾もない未成年。高校生は大人料金だったので最初は断ったが、おもしろそうな子が来たと、代表が身内と遊ばせたのだ。
代表は功が持っているケースが楽器関係だとすぐ察した。目が隠れるほどの伸びた前髪、骨格はしっかりしていそうなのに細い肉付き。格好をつけたいガキかと。
プロを目指す訳でもない、返せる保証もない子供を特別扱いできないと言うと、突っかかてくる。子供の遊びには付き合えないが、最近あまり見ない飢えたような目つき。それで慣れた高校生と手合わせさせたのだ。メットとグローブをさせて。
すると他の格闘技もボクシングも手慣らし程度にしかしたことないというのに、構えが既にできている。噛みついてきそうな目。
「?」
「!?」
「……?」
見ていた大人たちが騒めく。
そして……、その気迫に押された高校生は、功が動いたのにビクつき、きれいにストレートを入れてしまったのだ。
ダンっと倒れ、周りがざわつく。大丈夫か?!と、大人が焦った時に、功がザッと起き上がってまた構えた。
「!!」
その高校生も、大人もまた驚いてしまう。普通、素人がこんなふうに飛ばされたら起き上がれない。少なくとも、また向かって行こうとはしない。
その後、練習に混ざらせてもらえることに。
言いにくそうに『歌手だったから、周りに身元がバレないようにしてほしい』と生意気なことを言うので、問い詰めたら元アイドルとな。
『誰も知らねーよ。気にすんな』
『世に、何億人アイドルの卵がいると思ってんだ』
『テレビ出てるアイドルも知らんしな』
と、みんな笑っていたのだが、その時に既に、大元グループは有名なSNSでフォロワー400万人を超える規模になっていた。
同学年と比べると小さく、踊ったら倒れそうな雰囲気なので後で動画を見て、今との違いにみんな驚いてしまった。構えができたのは様々な格闘技やキックボクシングの動画で覚えたらしい。なにせ、ダンスや運動の基礎はあるし一度で振り付けを覚える男である。そして小学生の時、教会のジムに通う人に遊びで少し習っていた。
「でさっ、うちの娘は知っていたわけ!」
エナドリのことだ。後でこの輪に加わった代表が笑っている。落ち着いた感じの人なのに、娘の話だけは熱くなるようだ。
その後、功君は坊主にしてしまい、あれよあれよと一気に背が伸びる。
「お前、つっまんない道、選んだな~。こっち来いよ~!」
と、酒も入っていないのに、他のお兄さんが絡んでいた。
「功が来たら、違う層取り込めるだろ。」
「今からこっち来るのもありだぞ!」
功は無言だ。
「すみれちゃん、絶対に気があったよな……」
すみれちゃんとは代表の娘だ。初めはエナドリを知っていても興味があるわけではなかったが、時々見にくるうちに気にはなってたらしい。それはそうである。一番成長をした高校生の時に、その成長を間近で見て来たのだ。恋心なのか、親心なのか誰でも気にはなってしまうであろう。尚香どころか、久保木ですら気になるのだから。
「でも、まさかバイオリンまでしてたとはなー!」
「バイオリン??」
「今はバンドじゃないんか?バンドで?」
驚く人がいる。怪我と隣り合わせのスポーツ。
「いいんか?!」
業界は違っても、同じプロ。体は資本である。
「………いい。」
功はそれしか言わない。
「功君はなんで、キックボクシングにしたの?」
尚香が聞いてみる。
「…………スッキリしたかったから………」
「スッキリ?」
ボソッと言うと、お兄さんがしみじみ肩を叩いてくれる。
「まあ、エネルギー、有り余ってたんだな!」
やはりそういう理由らしい。
「あとあれだ。なめられないようにってのもあるだろ。芸能界なんてヤバいし。」
「………。」
何も言わないので聞いてみた。
「いろいろ大変だった?」
「………」
代わりに他の人が答えてくれる。
「目つき悪いし、少し売れると変なの寄って来るだろ?」
「こういうのってな、女より男がヤバいんだよ。」
「有名人を餌にしようとか言うのも多いし、まともじゃない奴からは、ものすごい嫉妬ぶつけられるから。」
言わないが、尚香もそれは分かる。女性関係は自分が主体で気を付けていればいいが、男性は力技で来る。権威や力でこちらが主体を握れない。
「あまり有名なジムに行くと、既にそういう関係者と繋がってたりすることもあるから、自分のペースで出来るここに来たんだよな。」
と、代表も言う。ここは、大御所のジムよりは小さい中堅だ。
「……………」
「頑張って来たんだね……」
と、尚香が思わず言ってしまう。言葉では簡単だけれど、きっと大変だったのだろう。いい人たちに出会えてよかったと思う。
「LUSHも完璧にできてないのに、いろいろ手出ししてて呆れた?」
功が聞くので、尚香は少し考える。イットシー興田の思いも分かる。スタッフの中には、もっとバリバリLUSHを打ち出したい人たちもいるのだ。けれどLUSHは、一番売れているのにマイペースだ。
「…………どうだろ。出来ることを探ってる段階なんだよ。まだ功君二十歳でしょ?やりたいことが決まっていないどころかない人も多いから、そういうのもありだし。」
そんな尚香をあからさまに見ている功に、みんな注目してしまう。
「でも、それも功君だからね……。だからこそ今の形があるし……」
「………」
功が少し赤くなり、
そして笑った。
***
「……キックボクシング……?」
うちに来た道が驚いた顔で尚香を見ている。
「……はぁ。尚香ちゃんも知っちゃたんだね……」
「禁止事項とか?」
「契約にはっきりとは表記していないけど、まあ、難しいところだよね。」
だから道も見ないふりをしたのだ。当時未払いのお金を払うと言ったのだが、ジムが受け取らなかった。功にさせればいいと。
「あの頃ね、章、本当に生き急いでるみたいな生き方してたから……」
「警察もそれで?」
「……!」
「洋子さんが言ってたんです。」
ケンカしたのだろうか。
「……1回は絡まれてやり返して………」
指を折られそうになった時だ。
「でもね、2回目は洋子さんも本当の理由を知らないから。」
道はテーブルで考えて、尚香にならいいかと話すことにした。むしろ、この家に出入りする男がしでかしたこと。言っておいた方がいい。暴力は振るったのだが、その是非の判断はその人次第だ。
「章が中学校に入ってからなんだけど………洋子さんがね……」
――――
洋子が独りだった頃、周りはとにかく洋子のパートナーを見つけようとして、それを洋子に言い詰めていた。
洋子ちゃんは一人では生きられない。
洋子は、誰かに面倒を見てもらった方がいい。
あの見た目ゆえに、東京で街に出ればスカウトされる。
そして、洋子の性格を知ってコントロールできると知った人との間で問題が起こることも数回あった。そんな時、洋子はいつも家で一人泣いていた。
脱げと言われたと、泣いて離婚した親戚先に頼ってきたこともある。再婚先で覚えた口汚い言葉で罵って逃げて来たそうだが、洋子もひどいことをたくさん言われた。だからといって、自分を追い詰めて追い出したような形で出た元婚家の親戚に誰が頼ろうとするだろうか。
でも、それほど洋子には何もなかったのだ。
正一が死んでから、洋子の世話は山名瀬家の女性たちも時々見ていた。
実は、正一の死は山名瀬家にも結構な衝撃だったのだ。1年もないあっという間の闘病期間。隣にいた道は整理ができたが、親戚たちの方があっという間にいなくなってしまった正一の事を呑み込めないでいた。
本当は正一が、建築会社に戻りたがっていたことを知っている人間もいた。叔母の富子がずっとそう言っていたからだ。
小さい頃から彼を見ている人は、人を統率する仕事よりも、正ちゃんは机や物に向かって作り上げていく仕事の方が好きだったと知っている。
そんな正一の人生を縛ったばかりに、よほどストレスだったのかと。離婚の原因も自分たちにあったとどこかで理解していた親戚の一部が、心の負債から洋子をこっそり助けていた。
けれど、大人同士。いつも見守るには限界がある。
それでまた、洋子にパートナーができたらいいと思ってしまっていたのだ。




