3 傷の跡
すみません。アップする順番を間違えました。3が抜けていたので、前回を一旦削除して3話を入れます。
数日後のジノンシーの会議室。
「金本さん、もしかして今度は派手な業界ですか?」
「え?」
他部署との合同ミーティングの終了後、急にそんなことを言われた尚香は、何のことか分からず少し考える。
「…………。」
「今度音楽業界行くんですか?」
「?……営業ですか?新規開拓?」
ウチですることではないのにと思う。入って行くにしても、業界が今までと違い過ぎて体勢の変換が要りそうだ。それともイベント部の手伝いだろうか。でも先のミーティングでそんな話は出ていなかった。
その人は、不思議そうに尚香の顔を見てまた尋ねた。
「……もう、掘り起ししてるんじゃないんですか?」
「……?」
音楽業界と言われても今の自分に関わるのは、イットシーとあの小さなヴァイオリン部だけだ。仕事ではない。
「次の転職先、考えているんじゃなくて?」
「!」
自分の部署は、章と尚香に繋がりがあることは知っているだろう。これだけ人がいれば、話だって他部署に全く漏れないとは思っていない。そこからそう思われたのだろうか。
「………しませんよ?転職なんて…。」
「そうなんですか?金本さん、なんでも仕事にできちゃう人だから、そういうことかなと。」
「……?何でも?」
今、話を逸らされたのか、それとも嗾けられたのか。
あの時のイットシーのスタッフ、興田のように。
***
自分の部署まで戻る、光の当たる通路。
一人歩けば歩くほど、自分の意志と先の話との間に微妙な相違を感じる。
「…………」
湧き上がる不安。
尚香の胸が、またドクンと跳ね上がる。
通り過ぎる人は、私のことを何か言っているのではないか。
震える心臓で、誰もいない別階の端の休憩所に向かう。
スマホを出して、画面を見ながら何度も考えた。
「…………」
検索したら……何が出てくるのだろう。
してもいいのだろうか。するべきか、しないべきか。
心臓の音が聴こえそうなほど、胸がドッドッドッ……と波打つ。
脂汗がて来て、そっと液晶から指を外した。
「………はぁ……………」
大丈夫。もし何か出てきても、過去の物だけだ。過去の情報も、ハッキリ自分と特定できる物でもない。もう細かくワードを絞り込まないと自分の情報には届かない。そう考え、ディスクに戻る。
それからは、ただ、仕事に打ち込んだ。
***
そしてある日、部長に個室に呼ばれた。一人女性の社員を付けて。
「………そういうわけなんだ。金本さん、申し訳ない。」
「………」
非常に慎重に言葉を出した部長に、尚香は「分かりました」と言うしかなかった。
尚香が立ち上げに関わった企画から、しばらく抜けてほしいという話であった。あの記事を見た人から、ジノンシーの金本ではないかと話が出たのだ。そして、詳細を検索されて当人と行き着いた。過去のことであっても、今、掘り起こされている。
「申し訳ない、先方からの希望なんだ。」
「………」
「こちらもいろいろ説明したし、相手も全部信じている訳じゃないんだ。すぐに体制を変えるわけではない。でも一旦様子見をしてほしい。本部長も今いないからな。」
外部に打ち出していく企画だ。尚香の存在は表に出ないが、この時代、企業も不安になる要素は可能な限り避けたい。それ自体は仕方のないことだ。
事実なんて関係ない。ネットに書かれたことが事実だから。
「金本さん、大丈夫ですか?」
「……あ、はい。」
女性社員に言われてハッと顔を上げる。
さらに詳しい話をされてから、希望なら午後から休んでもいいし、明日も休みを取っていいと言われた。
また、通路を歩き、
緩みそうだった目を、口許を、ギュッと引き締める。
泣いたらダメだ。ここで泣いたら、また言われる。
そして刻まれる。世の中にまで。
「これだから女は」とか「泣けば済むと思ってるのか」とか、「男を絆そうとしているのか」と。
毅然としていると、「生意気だ」とか「女のくせにかわいげがない」と言われる。
小さく駆け出す。
『あの時』のように。
今、誰も追いかけてこないのに、肩や、髪を掴まれたあの時のように。
誰もいないのに、人がたくさんいたオフィスを走り抜けた時のように、全力で、でも小走りをする。
誰も追いつけないように。
そして、気が付いたらイベント部の美香に電話を掛けていた。
「美香?今日、社内?」
「……尚香?社内だよ?外行くはずだったけど、明日になったから。」
「3階にいるんだけど、会える?」
4階がコンサル、訪問者の多い3階がイベント事業部だ。
「待って、入口?そこで待ってて。」
声がおかしい尚香に配慮して、美香が急いで外に出て来た。
「どうしたの?」
「美香、知ってた?」
「……何かあったの?」
「章君のニュース?」
「………ニュース?なんかやらかしたの?」
「……うちの部長からも聞いてない?」
嫌な予感がする。
「…………?聴いてないけど?」
尚香は先、部長に見せられた記事を美香に見せる。
「何これ?!」
「イベント部では広まってない?」
「部署自体には。」
『LUSHのボーカルと親しい女性がいる』というニュースだ。
それ自体はまだいい、まだ。
そうであろうが、それが仕事のネタになるくらいだ。
けれど……
「尚香、大丈夫?」
「……大丈夫だけど……。」
声が浮いている。
「企画、外された……」
「は?」
「一旦、しばらく抜けてくれって部長には言われたけど、先方のお願いだったみたい……」
「?!なんでそんな……」
この話が知られたとして、なぜそれがジノンシーの尚香だと特定されたのだ。ボーカルの相手がストレートセミロングの黒髪だとして。さらに、このニュースの当人だと。
「………大丈夫?」
「多分、部長も急に弁明したり企画から外すよりも、一旦時間がほしかったんだと思う。」
「久保木さんは?」
「……出張中で………」
尚香の顔色が良くない。
「部署の人たちは?」
「知ってるかは分からない………」
聴けなかった。もう今となっては、この話をどれだけの人が知っているかは分からない。
「少し前に、イットシーの社長やスタッフの人とお話ししたんだけどそれかな……。四課の加山さんたち……、イットシーの社長やスタッフが自分と話がしたいって、それで章君との距離感に少しお咎めを受けてた時、たまたま鉢合わせて……」
「何それ?」
美香は顔をしかめる。
「尚香。今日、うちに来て。一人で考えこまない方がいいから。」
「……うん……」
尚香は頷いた。
***
会社に戻る車の中で、ラジオから流れるピアノの間奏に、久保木は昨年のクリスマスを思い出していた。
金本さんは、なぜ、
あの時泣いていたのだろう。
「何でもないです。」
と、慌てていたその先には、ピアノ。
そう、ピアノがあった。
………トラウマがあるのか、思い出があるのか。
それとも、忙しかったのか、ただ疲れていただけなのか。オーバーワークだろうか。正月三が日の元日は町興しイベントのために出勤したが、その後3日間は休んでいる。
横でスマホを見ていた、同行社員が呟く。
「本部長。これ、うちの金本さんじゃないですか?」
「……?」
「年末も出てたけど、また今日なんか出てますが……」
「なんだ?」
「ニュースですけど、バンドのLUSHのボーカルが付き合っているコンサルの女性。冤罪事件を起こして、逃げ切ったっ………て、際沢の件ですよね?これって……」
「………?」
「………ヤバくないっすか?…あ、本部長は海外にいたから……」
「…いや。ちゃんと報告は聞いてる。」
なんだか、嫌な予感がする。
「これ、見切り発車ですよね?」
問題はあった。けれど、解決はしているはずだ。
「……三文記事でも書いてるところか?」
大手なら司法で終わったことをこんな簡単に出さないはずだ。それに、一部は示談でも解決している。
「…………」
「………ウチに務めてるとまでは書いてないですけどね。容姿とか分かる人には分かっちゃいますよね。この書き方だと。」
「なんで、こんな記事が?」
「さあ?」
これが広まった時の問題は、関係各社に影響するイメージと、和解解決をしたのにそれを掘り起こされた側の反応だ。
そして、ボーカル懇意の女性、コンサル業、過去の問題。
これを誰が繋げたかということだ。
***
章もニュースを見て固まる。
『枕営業で業績を上げて来たとも言われている女性の主張を、誰が信じるだろうか』
「社長、これ………」
「………」
政木は無言でため息をつく。
「一応、こっちでも対応していたんだけどな。」
名誉棄損の話になっても、傷は残る可能性が高い。
「広告代理店からも連絡があったし……」
三浦も疲れている。
「社長はこの件どう思います?」
功が聞くと、政木は顔を上げる。
「…………。」
「功は、尚香さんが犯罪を仕掛けたと思うのか?」
「………いえ……」
「まず、そんなことはないとは思うが、相手から見ると思わせぶりだったとか、狙っていただろとかそういう言い切れる場合もあるからな……」
「…………」
いろんな書き込みも集まっている。
三浦が何とも言えない顔だ。
「この件、数年前だけど、当時は尚香さん側が負けていたんです。男に手を出されたくらいで騒ぐなって。でも……今だとけっこうデカい話じゃないですか?」
「……どうかな……。叩かれても擁護されても、現実は叩かれ損ってのもあるからな。」
「…………」
功は、記事を見ているだけで何も反応しない。
「功、知ってたのか?」
「時々尚香さん、迷惑かけるから関わらないでほしいって言ってたし、この件は知らないけど、昨年の終わり頃に自分が関わった件で自殺未遂が出たとか、いくつかは話してたんですけど……。」
「……お前、知ってたなら言えよ!」
「三浦、やめろ。」
政木が止める。
「………ならニュースになったメインの件は知ってるのか?」
「メイン…?」
その後に起こった、大きな件だ。
●興田との言い合い。
『スリーライティン・上』7 光と影
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●スタッフと会った時
『スリーライティン・上』48 何悌あるの?
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●ピアノと涙
『スリーライティン・上』88 それは続くの?それとも……
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