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スリーライティング・中 Three Lighting  作者: タイニ
第十三章 天の灯の下で
20/70

20 大丈夫。きっと



こうして過ごすうちに、山名瀬家はやたら人のいい人と、叔父たちのようにきつい人たちが点々といることが分かった。道の家もそうだが、こちらの困るところは表面と内面があまりに違うことがあるからだ。


ずっとニコニコしていた人が急に「こんな簡単に社長妻に収まるなんてなんのつもりかしら」と言った時には、まさに目玉が飛び出るほど驚いてしまった。

そういえば正一(しょういち)は社長であった。しかし、残念ながら全然悠々自適な社長夫人気分を味わっていない。嫌われ損である。



義父の世話もできる時は道の仕事だ。

正直何が沸点になるか分からない人で、性格か歳のせいかよく怒っている。助かったのは、嫁に下の世話をされるのは嫌だという概念があったことだ。しかも友人の娘に。どうしてもの時は道もするが、トイレや風呂は別の人間か訪問介護に任せている。




そんな環境に囲まれているせいか、正一は会社や実家にいるとあせくせしたおじさんに見えた。


けれど、親族のいないマンションにいる時はもっと若く見える。


道は雰囲気や控えめな服装も相まって24、5歳に見られ、正一もプライベートのラフな格好で買い物などすると30代はじめか中頃(なかごろ)に見られるので、知らない人にはちょうどいいカップルに見えるようだった。


正一の顔を見ながら、気苦労でできたような目の周りのシワを撫でる。


これが消えればもっと若返るのではと、マッサージやクレンジング、顔パックもしてあげた。日本ではカップルや家族でこんなことをしないと笑われ、笑い出すと二人とも笑いが止まらない。


「固まるパックだから、笑わないで!しわになるから!」

と言うともっと笑ってしまって、ついでに顔を寄せられておでこを合わせられる。

「!?」

おかげで道にもパックが付く。

髪にも付いたと怒っていると、章も興味深く見ているので、鼻の頭だけ同じパックを塗り、刺激の低い化粧水パックをしてあげると、くすぐったがって、それからじっーと鏡を見ていた。






マンションの夜。


ソファーに座り込む正一に抱かれ、道も横で一緒に洋画を見る。



くっ付いて顔を寄せると、そこに章が来た。

だいたいいつも二人の間に割り込む。


「章、ここはママとパパの特等席なんだけど?章はお父さんのこっち側に。」

と、反対横を指さしながら正一が言っても、章は退かないどころかもっと割り込む。そして、道側に付いて父の体を道から離すように蹴り押した。

「あっ!親になんてことを!」

怒って攻撃しようとすると、サッと逃げるので正一はまた道に抱き着く。


「!」

それを見て章はソファーに戻って来るも、間に入れないように正一が道を抱きしめた。いつも離れない時や言うこと聞かない時、正一にくすぐられる章は父親をくすぐる。正直章はくすぐられるのが嫌いだ。最大級の攻撃である。

いつしかくすぐり合いになって、今度は道が標的になった。

「やだ!やめて!」

と、言ってしまい、正一が笑うので反撃してしまう。


そして気が付いた。


!!


「………」


章が笑っている。


「………章?」

というと、真顔に戻ってしまった。



そして章は、真顔のままチョコンと行儀よくソファーに座る。


「……………章?楽しいんだな?」

今度はお父さんが少しだけからかうように抱き上げた。


そうすると確かに章は笑っていて、小さい手で不器用に、あふれる笑顔を隠していた。





***




やはり章は保育園も幼稚園も難しい。


体験の段階でだいたい断られる。



目の前のアスレチックで遊ぶ章を見ながら道はため息をついた。アスレチックもよく見ていないと、変なところまで登ってしまう。

実は章はこれまで既に数か所怪我をしており、道の前でも高いところから2度も落ちている。足から落ちたのが救いだ。一度は骨が折れたかと騒ぎになったが、ヒビもなくみんな胸をなでおろした。



そして、道は章を養子にしてもらう。周りに早過ぎると言われたが、きちんと親子になっておきたかった。



少しだけ感じる違和感。


道子自身は体のどこも温かく、準備ができているように感じる。なのに妊娠しない。

まだ、数か月だ。みんなそんなものだと言うし、そうだと分かっているのになぜか胸に不安が広がる。


そして………健康診断ではそこまで問題はなかったのに、時々正一が嘔吐するようになったのだ。





それからもっと深刻なことが分かった。



正一は前から手にしびれがあったらしい。けれど痛みはなかったため、少しの老化とこんな生活をしていたストレスと疲れくらいに思っていたのだ。重くなる章を背負って、助けてくれる人に頭を下げながら、ただがむしゃらに働いてきたから。



けれど、道に勧められて初めて行った人間ドックで、再検査を受けるように言われた。

頭痛とかなかったですかと聞かれ、頭が重い感じがすることはあれど、痛みはなかったと答える。視界がかすむことはあったが、40代で老眼になる人もいると聞いて、疲れ目かそうだとしか思っていなかった。




結果は正一ではなく道に最初に告げられた。



既に進んでしまった脳腫瘍だった。




***




それから道は、その頃のことをあまり覚えていない。



とにかく必死だった。正一ががむしゃらに働いてきたように、道もがむしゃらに会社のために雑用として働き、章を見た。時々洋子さんが若葉と共に家に来て、章にバイオリンも教えていたがあまり覚えていない。


顔しか知らない親族が、急によく顔を出すようになり、叔父たちと言い合いもしている。道には何も決定権がなかったが、正一と富子と共に出来る限りのことはした。富子と道は、それ故に出しゃばりだとか本性が出たと言われるようになる。


結婚や章の養子縁組を急かしたのは、病気と分かっていたからかと責められたが、それは正一が庇った。章を養子に迎えたところで、得も損も分からない、打算な考えはないと。


正一はもっと言いたかったが、あまり言うと後で道がいい扱いを受けなくなるかもしれない。会社がダメになれば、下手をしたら借金だ。そうならないよう、10年20年も働いた従業員にできる限りのことをし、きれいに畳もうと思っていたのに。



ギリギリまで会社の状態を整理してから治療に入る。脳に関わるため、治療後に何ができるか分からない不安があったからだ。


そして、役所に行って、いくつかの書類も準備した。






ある日、ダンと机を叩く音がする。


正一は富子の前で苛立ちを隠さない。

「何でこんなことに………」


「正ちゃん………」

「………………っ。」


叔父たちを見て呆れる。

あんなに揉めて会社は継続できるのか。こんなことになるなら、一生怨まれてもやはり会社を畳むべきであった。清算をして、従業員に給料と退職金を渡せるうちに。

買い手はないだろうから工場も解体しないといけない。そう願っても、その意思を汲み取っている富子には、自分の兄たちにアドバイスするくらいしかできることがない。

こうならないためにも、会社を継続するなら富子か外部人を役員に入れると約束したのに、あの頃土壇場で話を変えられたのだ。



章は?


そして道は?



一旦がん保険と医療保険が下りることに安心するも、この義実家や会社と絡まった中で、どう道の身を守るのだ。叔父も一部で道を評価し始めていたが、その嫁や外からの親戚も口出ししてきたことで、外国人である道の立場はどんどん揺らいでいた。




「……どうして…………」



「………たった一人、誰かと、隣で支え合って、その人の一生を守りたかっただけなのに………。」


全てが指の隙間から(こぼ)れ落ちていくようだ。




「自分は何も掴めないんでしょうか…………」

正一は力なく項垂れる。


「正ちゃん、まだ何も決まっていないから………」



死んでしまうのかも、


生きられるのかも。




***




治療に入ってから、正一の容態は悪化した。



悪性腫瘍、そして部分があまりよくなかったのだ。

会話はできるが、時々周囲の状況が把握できなくなる時もある。




たった数か月で、正一は歩けなくなってしまった。

誰もこんなに進行が早いとは思ってもいなかった。今の時代は、助かるものだと。



「道さん………」

「正一さん、ここにいますよ。」

「……道さん……………」

「……はい。」

と、正一の手を握る。章も今は大人しく座っていた。


結婚からまだ1年経っていない。



二人は病院通いが日課になっている。ハーネスを着けてあちこちサッサカ廊下を歩く章君は、病院でも顔が知れ渡っていた。看護師さんたちがそれを見てクスクス笑っている。



「道さん………」

「はい?」

「………お願いが……」

「何?」

道は優しく笑う。


そして、

「別れましょう………」

と言われ、ブスッと怒る。


「………離婚……離婚届を……持ってく来て……れ…………」

「………」

「机の鍵のある…………引き出しに……」

「それは捨てました。」

「…………なら………今なら……まだ…………サインができるから…もう一度………」

もう何度も聞いた言葉だ。



「………いやです。私の気持ちを無視するの?」


道子は横のノートを見る。もう線も書けずヨロヨロの筆跡だ。字が書けないだけでなく、建築家だったのに一桁の引き算もできない時がある。




そう、正一は建築家だったのだ。


顧客から与えられた中で、最高に自由な線を描く。



子供たちの走る広場。


音の響く壁や天井。



また行きたくなる、落ち着いたオフィスや会議室。




その線上にいたのだ。正一は。





「まだ直るかもしれないのに。脳の一部を失っても普通に生活している人もいるんだって!」

「………でも、多分……障害が……残るから………再発も………」

「でも、言葉や記憶はしっかりしてるし。」

「……………」


けれど、考えの飛ぶ時間が多くなった。


「正一さんがいるだけで、章はうれしいんだよ。」

章が、固くなったお父さんの足を叩く。


転院もしながら長い間入退院を繰り返しているので、陰気になってばかりもいられない。目立つ家族なのか、仲良くなった看護師さんたちも笑顔を向けてくれる。若いこその苦悩もあるが、若いこその希望や力もある。



道は必死だった。




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