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スリーライティング・中 Three Lighting  作者: タイニ
第十三章 天の灯の下で
19/70

19 洋子さん



「……」

買い物をする道を章と歩きながら、道はにんまり笑ってしまう。


「……………」

そんな道をじっと眺める章。

「章、私ね。……どうしよう、ふふふ……。」




そう言って若葉(わかは)の家に来て、道はまだニカニカしていた。


「何々、気持ち悪い。」

「だって………」

道は恥ずかしくて、顔を伏せてしまう。

「ああいうことって、やってみたら大したことなかったって聞いてたのに………」

「………はっあ………」

まあ、そういうことであろう。フムフムと若葉は聞く。


道は敬虔的なクリスチャンだったので、恋人もいないし経験もなかったが、大学の友達たちはそれなりにしていた。そしてだいたい、「まあ普通だった」「理想が高過ぎた」「小説読み過ぎた」くらいしか聞いていなかった。


そして道も最初はよく分からなかったのだが、最近すっごく幸せだ。

思った以上に満たされる。



正一には、『道子』とは呼びたくないと言われた。

申し訳なさそうに、元妻の死んだ妹の名前だと教えられ、彼女が口にも出さなくなった名で、実は初めお見合いするのはその『道子』さんの方だと思っていたらしい。なので複雑だから嫌だと。


それでもよかったので、自分は『道』になる。




「初めの頃はすっごく気を遣ってくれて………。

それで今もそうなんだけど……でも今は………。はぁーーー!!」

一人で赤くなっている道に呆れる。


「まあ、あんな男だし女の私には話さないんだろうけど、そんな隠し技があってなんてね………」

洋子も周囲が見て釣り合っている夫婦なら、それでキャッキャッと満足な感じで、そんなことはとくに話さなかったので、若葉は今になって知る。

「見た目と頭だけが良い男だと思っていたら……」

「若葉さん、正一さんは全部ステキです!」

「あー、はいはい。」

若葉の中では、正一は最初に会った「この子大丈夫なのか」という、理系に多い一本抜けた大学生のままである。


そして道も考えて気が付く。

「……あれ?もしかして、正一さんってモテる?」

道の中では最初の印象は、ショウちゃんのお父さんであり、自営業をしているおじさんでしかなかった。

「…………」

せっかくそれなりにかっこいいだろうに、洋子といい、道といい、全然そこを評価してくれない結婚相手ばかりである。きっとその方がいいのであろうが。


「章のパパのこと言ってんだよ?分かってる?」

と、若葉は無言でサンドイッチを食べる章のおでこを突く。

「早く章の弟や妹ができたらいいな………」

道もそんな章をグッと抱きしめた。


道は正一の実家や章の面倒に加え、介護資格など様々な勉強を進めている。




***




道は今、正一のマンションの白いパーテーションの向こう側を知っている。



そこには木目の美しいグランドピアノ。


あまりにかわいくて、美しくて、こんなピアノは見たことがなくて、道は一瞬息を飲んだ。他にギターやバイオリンなどたくさんの楽器がある。



それは元妻のものだ。


再婚先には部屋の都合でギターや電子ピアノなど、一部の物しか持っていけなかったのだ。隠していても仕方がないし、定期的に部屋の掃除もしなければいけないので、そこは道にも開放された。



元妻は、時々章にバイオリンを教えに来ていたらしい。


後で知るのだが、元妻はまだ鉛筆もしっかり握れない幼児であった章に、ひどく厳しい音楽教育をしていた。

けれど、その時間以外はまるで空気のように章を扱う。それでも章がバイオリンを弾きたがるので、離婚しても暫くは若葉の見守り付きで指導だけに来ていたのだ。落ち着きがなく、好きなように弾き、他の教室では手に負えない生徒だったからだ。



飴色の艶。

この子はどんな音を出すのだろうと、道は優しくピアノを拭いた。






そして衝撃のある日。


突然、その元妻が家に来たのだ。


「あれ?正一さんはいないって聞いたんだけど。」

番号も知っていて、勝手に室内に入って来た。



驚く道。

勝手に入ってきたことにも驚くが、その姿にも驚く。


何てきれいな人なんだろう。


顔ではない。顔もきれいだがそれ以上に、シルエットが、雰囲気が、あまりにもきれいだ。産後とは思えないほど堂々としたスタイルに煌めくケアされた髪。道の方がドキリとしてしまう。


それに、最初は雰囲気に押され気が付かなかったが、顔の系統が章にそっくりだ。



「……あの………」

「……あ、どちら?お手伝いさん?」


「…………正一さんの妻です………」

「……………妻?」


「………あ!そっか。再婚したんだっけ?こんにちは。」

「え?あ。……はい。こんにちは…………」

「……………」

そう言って失礼なほど道をじっと眺める。勝手に入ってきて最初に挨拶もしないこと自体、非常識も非常識だが、実家でも婚家でもいろんな人が出入りする家で過ごしてきたのであまり抵抗のない道。ただ、さすがの道も普通とは思わない。


きれいにネイルされた爪で、自分の顎から唇に手を掛けているのだが、それが物凄く艶やかだ。色っぽいのに上品というのか、まるで世界の穢れを知らないようで。



じろじろ見て元妻は普通に聞く。

「…………お名前は?」


「あ、道子です!」


「……!」


一瞬、元妻が固まっている。あ、咄嗟に言ってしまったが、そういえばこの名は……と思い出す。



「………そう…………。」

彼女は何か考えて…………考えているのかどうなのか。ピアノの前まで来て、蓋を開けてまたすぐ閉める。少しピアノの周りをウロウロすると、道に「じゃあ」と、だけ言って玄関に向かった。



章は母親が来た時にサッと逃げて、でも、物陰から自分の母親をじっと見ていた。



元妻は、息子の存在に全く触れず、意識にもなかったのか。何もせずに、来た時のように何事もないような雰囲気で、ふらっと去って行ってしまった。





衝撃で、道はしばらく考えが及ばなかったが、あんな人が現在「自分の夫」である人の元妻なのかとおののいてしまう。妻ならそう考えてしまうだろう。


けれど、全く自分の想像になかった人で、嫉妬以上にあんな世離れしたような人の夫だった正一さんも普通人に見えて実はすごいのかと、素で思ってしまった。




そして、あまりに堂々とし過ぎてその時の道には分からなかったが、道以上に混乱していたのは洋子の方であった。


元夫がまた住むのでマンションには行くなと夫から聞いていたのをすっかり忘れて、義母に子供を預けて来てしまったのだ。




***




「道さん、これは本当に上手いな!」

正一の実家で、義父と義兄たちに頼まれて、サムギョプサルという厚切り豚バラ肉の焼肉を焼く道にみんなの賛美が飛ぶ。


「焼きながら切るんだ……。」

「はい。」

その場でハサミとトングを使って肉を切っていく道を皆珍しそうに眺める。


知り合いの肉屋から仕入れた大量の肉。様々な薬味やタレ、味噌を付けたりキムチをのせ、そのままでもいいし菜っ葉に巻いたりして食べるのが定番だ。

「今度はほら、冷麺とかチャプ……何だっけ?あれを作ってくれ。」

「チャプチェですね。」

「ほら、道さん。お金渡しとくから今度頼むわ。」

と、1万円をその場で渡される。

「あの、今日の肉代は頂いていますので。」

「いいのいいの!それは今度。手間賃も込みで。」

「肉だけじゃなくていろいろ買っただろ!」

「これだけ人数がいれば、1万でも足りないな。」

と、もう1万円が飛び、お酒も入っているせいかみんな今日は道にも当たりがいい。


「…おい、韓国では…男や奢る奴が…だいたい…肉焼くんだぞ!」

と、回らない舌でおもしろそうに義父が言う。

「まじか!俺ら、加減が分かんからな!」


「道さん、食べて下さい。」

「ここ、座って!」

と、みんなが気を遣ってくれるも、道は小忙しく動く。義母が台所にいて食べないので、そういうわけにはいかない。実家だと無理に座らされたり、作ってくれている人の口に誰かが料理を食べさせてくれたりする。

けれど、もてなす日は道も落ち着いてからゆっくり食べたいので、別に後でもいい。正一にもそう言って、楽しんでもらうように席に戻ってもらった。叔母の一人にお皿ごと渡されたので、義母に勧めるも断られる。なのでその分だけは食べることができた。


「洋子ちゃんと違って気が利くわ!」

と誰かが言ってしまう。

「ほんっとうに洋ちゃんは見てくれだけだったからな!」

正一が戸惑う。

「やめてください。」

洋子にも道にも失礼だ。

「怒るな、正一!」

と男性たちが笑っていた。




みんなが満足するほどに焼いてシンクの方に下がると、そこには機嫌の悪そうな義母がいた。


そして、他の料理を作りながら道だけに聴こえるように言った。

「……嫁いできたなら、その家の料理を作るのが筋なのに………」

「!……すみません……」

「こんな訳の分からない料理。義実家の男たちにチヤホヤされてうれしいわけ?」

「…え?」

そんなこと考えたこともなかった。今日、富子はいないがその他の叔母さんたちもいるのだ。

「しかも、前妻を落とすようなことで機嫌を取ろうって……」

「?」

道は何も言っていない。それどころか正一や洋子さんを思い後ろめたさがあったくらいだ。



あの頃、正一の前妻は、言われること全部を真に受けて混乱して、大勢の前でキレてしまうこともあったらしい。みんな笑い話にしているが、道は心が痛んだ。



「机の周り、あんな油だらけにされて床にも染みこんでるんじゃない?………やめてほしんだけど。」

「………すみません。後できれいにします……。」

見ていた正一が道を座らせようとするが、道が断る。そんな雰囲気ではない。


そして、その場では食べられず、家に帰ってから正一の焼いてくれた肉を食べた。




この後ずっと、道はあれこれ持ち上げてくれる義家族と、義母の間で苦労することになる。




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