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スリーライティング・中 Three Lighting  作者: タイニ
第十三章 天の灯の下で
17/70

17 小さなシェルターで



部屋からきれいな歌が聴こえてくる。


章のおばあちゃんに頼まれた家事を済ませた道は、何だろうと章のいる部屋をのぞいてみた。



今は新しい絵本が数冊あるので、それをじっと見ているはずだ。なぜかシリーズが好きなのだ。シリーズのキャラクターやシリーズ物という本そのものの並び。子供番組やアニメを見た後は、寝転がって延々とそのセリフを言っている。声がかわいい。


その他、章は絵画も好きなので、おじいちゃんの部屋から名画シリーズも持って来た。とくにシャガールとレンブラント、ゴッホとクリムトが好きだ。絵そのものではなく、あの模様のようなタッチが好きらしいと道は気が付いた。部分ばかりじっと見ているからだ。子供の見るものなので、あまりヌード過ぎない本を分けて持って来てはいる。

ルネサンス時代もじっと見ていた。ルネサンス時代とそれ以前は、人体への感性が昇華され過ぎているので、裸でもたいして分けてはいない。


驚いたのは、この家にはとにかく絵画集や百科事典。図鑑が多いことだ。おじいさんのコレクションらしく、正一が言うにはアメリカ仕様の百科事典は、昔、知り合いにセールスで買わされた無駄に高いものらしい。全巻で60万円らしく、すごい話だがバブルの頃は買う人が多かったそうな。

いわゆる営業だが、絵や写真が非常に多く、逆に今の時代こんな凝った本はないので見ている分にはおもしろいし、延々と動画を見ているよりは良いであろう。ただ、これも見過ぎるので時間制限はしている。




その日の章君は本に囲まれた床に仰向けになって、小さな冊子を見ていた。レールプラモシリーズの部品カタログだ。本体でなく部品でいいのか。



「……………」

覗いていると、じっと本を見ている。知らない人や叔父たちが来ると、猫のようにバッと逃げて隠れるのだが、道が来ても反応しなくなったことに少しホッとした。


けれど気が付く。


「………?」


流れているアカペラの歌が、ステレオのCDだと思っていたのに、章が歌っていたのだ。



「?!」

子供聖歌隊のような音楽。


驚いて道がゆっくり章に近付くも、そのままずっと歌っている。まだ舌足らずだが、英語で西洋の聖歌隊のような響きだ。しかも寝ころんだまま。

「……章君?章君が歌ってるの?」


そう聞くと、冊子を見て歌ったままゴロンと道に背を向けた。



「………章君?」


一曲終わると今度は、聞いたことのある歌。道はこの歌の題までは知らないが、誰もが聞いた事のある有名な曲、『グリーンスリーブス』だ。



章は道と顔を合わせず、無表情でずっと歌っている。



「………………」



道はずっと歌う章の横で、じーと聴き入ってしまった。





***




仕事に追われながら、正一は章を道に任せられることに甘えてしまう。


章が集中してくれるものを、選別してくれるのもありがたかった。これまで章は暇で暇でしょうがなく、おじいちゃんの書斎も漁っていたのだ。そこには貴重品や子供によろしくないものまである。歴史の悲惨性を描いたものや、絵画集もヌードなど多い。それ以外の問題は棚に登ってしまうことだ。


最終的な解決は、本を選別し(ふすま)ではない洋室の一部屋に入れ、滑り台付きのぶら下がれる遊具と、家のように籠れるミニハウスを購入。そこに章の毛布を入れた。襖や縁側のある和室だと隙が多過ぎてあっちこっち逃げ出すからである。


それでも飽きると部屋を飛び出るが、数十分でも時間は稼げる。




「………」

けれどいつまでもこのままにはできない。



章の問題の前に、まず道をどうにかしないといけない。

家族には置手紙をしてきただけで、日本にいることも知らせていないらしい。正一の母や叔父たちは、正式に雇っている訳でもない道を煙たくも思っている。富子の仲介があるので許しているだけだ。



元妻も身寄りがなく、イギリスに帰れない身になってしまった。


そして今ここにいる、帰れるはずなのに帰らない女性。



観光ビザが切れるのを待つには長すぎる。


頭を抱えてしまう正一であった。




***




そして、ある日。正一は準備した日に道に切りだした。


「チェさん。」

「はい。」

「あの、分かっていると思いますが、私は一応この会社の社長です。」


いつもマンションに送っても正一は家に入らないが、今日は章も連れているので少しだけリビングに入った。


「……はい。知っています。」

一応ではなく立派な社長だ。



「立場の分からない女性をいつまでも身近に置いておくわけにはいきません。」

「………シッターですけど?お手伝いさんでも………」

「チェさん、真剣に聞いてください。」

私はいつも真剣ですけどと言いたいが、今は正一の話に耳を傾ける。

「そろそろ本当に帰ってもらわなくては困ります。」


「………あの、私。ホステルを見付けたんです……。そこに移動します。」

「!」


「ホステル?今の時代にもあるのか?」

「はい。まとめて長期契約すれば、ビザの間は泊まれそうです。」

部屋以外を共有する安く泊まれる宿だ。けれど、それではやはり心配だ。道にもし何かあったら、国の家族に申し訳が立たない。

「期間が終わったらどうするんだ?」

正一の口調が素になっている。



「…………………」

それは道も分からない。再入国すればいいだけだが、それには継続したお金がいる。今の道には続けられない。


もうこの選択は違ったと思って帰国するべきか。


部屋に置いてあるナフタリンを思う。

あのことはもう幻のようで、でも、確かに防虫剤があるのだ。あのおじさんから貰った。それが幻でないことを実感させてくれる。


けれどいつか、ナフタリンも昇華していくだろう。ビニールに入っていても。



でも、もうナフタリンが無くても、ここに来て今、繋がる何かがある。


章君…………


勝手に道の思いに巻き込んで、この後章君はどうなるのだろう。





そこで、正一が切り出した。


「日本にいるあなたの親戚を調べて、連絡させてもらいました。実は、今日ここに来ていただくことになっています。」

「え!?」

道が急に怯える。


「母にも連絡が行っているんですか?」

「さあ、そこまでは。それはチェさんの家族の問題ですから。」

元々道の父の名前も日本でのかつての所在も分かっていたので、調査は難しいことでもなかった。

「なら章君はどうするんですか?!」

「どうするも何も、私の息子です。私が育てるしかありません。今までも育てて来ましたし。」



「もし正一さんと結婚しなくても、私は章君の子守はします!だから置いてください!ビザも取り直します!雇って下さい!」

「大丈夫です。どうにかします。章のことはこちらの問題です。」




そして、事務所のドアが叩かれる。


「社長、お客様です!」

「こちらに。」

「!?」

道が構えた。


そこに入って来る、二人の年の男性と、同じく年配の女性一人。

「コモブ!」

道が縮こまった。

正一は叔父世代のその人たちに丁寧に礼をすると、相手も簡潔に挨拶をした。


「ちょっと正ちゃん、どういうこと!?」

富子も入って来る。

「チェさんの伯父様です。」

「?!」


「………コモブ……」

「キルジャ、こんなところで何をしてるんだ。」

「………」


「………勝手に改宗までしようとしたそうだな。」

「…………。」

「ハルモニたちがどれだけあの教会に寄付しているのか知らんのか。」

道は何も答えられない。ハルモニとは祖母のことだ。

「付属学校だけでなく、病院建設の初期にもそうしたんだ。」

すごく大きくもないが、今ではそれなりの地元の総合病院になってる。


「期待されていた娘が、この(ざま)でハルモニたちの顔が立たないと分からんのか!!」

道は奉仕も勉強も人一倍熱心だったので、大人たちに注目されていたのだ。



でも、大人たちは誰も知らない。


道の神は、人も場所も選ばなかったということに。




コモブ(伯父さん)……あの………」

「うるさい。」

「………コモブ、あの、父のお願いがあって………」

「あの、飲んだくれか?」

「……コモブ、アニヨ(違う)!」

と、道が言ったところで、パン!と空間に音が飛ぶ。


「?!!」


みんなが息を飲んだ。道が頬を叩かれたのだ。

急すぎて誰も反応できない。



カンダ(行くぞ)。」

と言うと、道の腕を掴んで出て行こうとする。


「コモブ、アニヨ!」

と叫ぶ道に全くかまわない。

「アニ、アニヨ!!トゥルセヨ(聞いて)!!」

と、道が従わないと、もう一発道の頬に平手が飛び、道がふらつく。


「?!!」

「チェさん!!」

正一が前に出ようとした時だった。



「やめなさい!!」

と、大声で叫んだのは富子だった。


「あんたたち!!うちの敷地で何をしてるの!!!」

「は?」

道子がコモブと呼んだ伯父が、嫌そうな顔で富子を見るも、富子は一歩も下がらなかった。それどころか道の前に立つ。

「こんなことをして絶対に許さない!!」


「……?」

今度は道の方が、唖然としてしまう。



これは富子には許せないことであった。小さい頃から活発で親にも何でも言ってしまい、父に嫌われていたのかよく叩かれていたのだ。兄が言っても何もされないのに。富子には()せず、さらに言ってもっと叩かれた。大人があんな風に気分で人を叩くなんて、富子には許せなかった。


「道子さん、行くよ。」

と、富子はその場から道子を連れ出そうとする。

「人の家の事に口を出すな!!」

「は?客のくせに、うちの(いえ)で何を言ってるの?!!それにあんた!」

一人付いて来た伯母らしき人にも言う。


「あんたも何なの?!こんな娘や孫のような子が、こんな手の厚い男に叩かれて何にも言えないの?!!」

「っ!?」

「もしかして、自分もこういう風に叩かれてて、これが当たり前だとでも思ってるの??」

と、富子が言い切ると、叔母らしき人が真っ赤な顔をしている。

「なんだとこの女!!」

と、コモブがにらみをきらした。



さらに大げんかになりそうなところに入って来たのは、



………今度は正一側の叔父であった。



「うちの会社でふざけるな!!俺の妹を何だと思っている!!!!」


「………!」

いつも正一の邪魔をする叔父だが、この時は富子の味方であったのだ。叔父は道が気に入らないが、いれば正一も仕事ができるし、道自身に文句はない。しかも、訳も分からない今来たばかりの韓国人が、ここの主人よりでかい顔をしている。許せるわけがない。


「なんだ?!警察を呼ぶか?!」

「!?」

「ここで人を殴ったことは絶対に許さないからな!!」

正一の叔父は会社に2人いて、こちらの叔父は背も高くさらに人相も悪い。道の親族たちはビビってしまう。いい性格はしていない叔父だが、手の速い父を疎んでいたので、富子同様この状況は許せなかったのだ。




「待ってください。」

そして、正一がさらに間に入った。

「心配されているご家族たちのために連絡しましたが、チェさんの身のためです。なので、この状態でチェさんをお任せできません!」


「………」

みんなが見てみると、座り込んだ道の顔が腫れて、そして涙が出ていた。痛みよりも、ショックだ。人前でこんなふうに叩かれて。



そして、何も聴いててもらえない。


ずっと、ずっと子供の時から。



この人生を、

ただ、誰かのために生きたかっただけなのに。




正一は静かに言った。

「……呼んだ身で言うのは申し訳ないのですが、一旦、お引き取りください。」


「なんだと?!」

「キルジャ!」

向こうが何か言うと、急に大きな声がした。


「あああーーーーーー!」

と章が叫び、隙を付いて部屋に入って来る。


「!?」



章はササっと道の前に行き、他は全部無視をして道の服を引っ張る。章の力では揺れるだけで道を起こせない。章は道子の頬を両手で挟んでおでこを少し付けてから、その涙を自分の手で拭いた。正一がたまに自分にそうするからだ。章はちょっとやそっとでは泣かないが。



道は真っ赤な顔で立ち上がった。


「……うぅ……うぁ……ぅ」

そして泣きながら、引っ張る章に任せて、トボトボ歩き出す。



「……ぅう…………」


小さい手が道を引いて、部屋を出ていく。



「…………」

大人たちはもう、何も言わない。去っていく二人をただ目で追った。





それから現場がどうなったのかは分からない。





道は子供部屋のミニハウスに連れて行かれ、その小さな部屋に入り章の毛布にくるまってたたずむ。途中で一度女性従業員の人が頬の様子を見に来て、冷やす物とお茶とお菓子も置いて行ってくれた。


章も横で何もせず一緒にいて、道が泣き疲れるまで横でじっとしていた。





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