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スリーライティング・中 Three Lighting  作者: タイニ
第十三章 天の灯の下で
15/70

15 何度でも



1日のはずが、道はもう3日も章君のお父さんのマンションに泊まっていた。

そして、昼間は章の面倒を見ている。



かなり長い間耳掃除もしていなかったので、道が耳鼻科に連れて行き、少し詰まりかけていた耳垢も取ってもらい、他のあれこれもこなす。道に抱っこされている間はどの病院でも大人しくしていた。


なぜか歯は大丈夫。母親が口内ケアにはこだわっていたようで、歯磨きは既に人生の一部に既に組み込まれていた。章が唯一自ら進んで頑張る身だしなみ日課である。母親がいた頃は耳もきれいにしていたそうだ。


後で知るのだが、母親自身、自分の母が非常に美容にこだわり子供にも身を徹底的に管理させていたのだった。歌手で舞台女優。時代的に歯をなくす人をたくさん見て来たその女性は、娘たちに何一つおろそかにさせなかったらしく、食事にも厳しかった。


ただ、お転婆な妹は、母のいないところで好き勝手おいしいものを食べていたらしいが。




「章君はこんなに、おしゃまなミラクルボーイになったのに、ちっとも笑わないんだね。」

「…………」

事務所の一室。

シリアルをガツガツ食べている章の、自分が切った髪をフサフサ触りながら、いい感じに切れたと満足げに思いつつも、道はしっかりとハーネスを握る。

なにせ章君。昨日、メックでハンバーガーを食べた後、自分が満足するといきなり席から液体の猫のように滑り降り、ドアに直行。車も通る外の繁華街に飛び出したのだ。カバンを置いたまま「また戻ります!」と叫んでとにかく追いかけ、通りがかりのお兄さんが捕まえてくれるも心臓が縮む思いであった。

しかも、こんなに小さいのにハンバーガーセットを一人でケロッと食べてしまうのだ。


「…………」

「章君、おいしい?」


けれど道はあることには気が付いていた。


今まで障害ある子や、発達に問題のある様々な子を見てきたが、章は多分知的な面では大丈夫だと。反応はおかしいが子供なりに言葉は理解している。オウム返しをすることがあるも、ただのオウム返しとは少し違うし、嫌がる時も他で見かけた子とはちょっと違う。人間に関心がないわけでも極度に嫌うわけでもない。

なんと言うのだろう。普通の子とは違うし、大いに問題はあるが、物の不理解とは違うということは感じた。


そして、全然雰囲気が違うのにお父さんと似ている。


みんな社長とかショウちゃんと言うので初め分からなかったが、章のお父さんは(しょう)一という名前らしかった。親子で名前を掛けたわけではなく、母親が楽譜の用語から取ったらしかった。





観ていいビデオは一日多くても映画3本。放っておくと延々と見るそうで、仕事ゆえにテレビを見せっぱなしにしていたら、小さい体と頭には情報多寡であったのだろう。以前高熱を出してしまったのだ。



章君は、歌も好きだ。

ずっとずっと音楽を聴いている。音楽も聴き過ぎるので、イヤホンもヘッドホンも禁止。時間制限をされているため、町のどこかで音楽が流れているとそこに止まって、雑音に混ざってずっと聴いている。


そして音も好きだ。


公共の保育スペースでおもちゃの木琴を延々と叩いて、うるさいと叱られたこともある。



バイオリンが好きそうだったので、道は自分の持っていたお金で、おもちゃ屋で抱いていた6千円の電子機器の入った物を買ってあげた。半透明の水色のバイオリン。

「…………」

「章君、うれしい?」

「……………」

「かわいい!!」

ギュッと抱いている姿がかわいくて大満足だ。章君が満足なのかは分からないが、それからしばらくそのバイオリンをいつも横に置いていた。




けれど、その時まだ道は知らなかった。


章君は既に、こんな小さな手と指なのに、本物のバイオリンに囲まれていたということを。





***




「………チェさん。そろそろ国に帰った方がいいと思いますが?」

道をマンションに送った正一は、車の中で後部座席に座る道に静かに言った。


「…………実家には連絡しないで下さい。もし、出ていくにしても勝手に出ていきます。」

「……それでは困ります。せめてきちんとした滞在住所を決めてからです。親戚に連絡してください。それに、チェさんも世の良識くらいありますよね。」

もう成人といってもまだ若い女性。漫喫で彷徨うような生活をさせられない。

「女性を何度も、こんなふうに車に乗せられません。しかも、自分のマンションに送るとか……。前にも言いましたが、他の家族も出入りする家です。」

「………」



「………私……。章君のお母さんになれませんか?」


「………なれません。」

少し前にも富子叔母さんを挟んでこの話をしたばかりだ。実は数回、『章君の本当のお母さんになりたいです!』と言ってしまっている。



だって、章君はすごい早起きで、自分が来るのを朝ずっと待っているのだ。だから、最近は7時には山名瀬家に到着している。音で察知して、無表情で玄関まで走ってくる章君がとってもかわいい。



つまり、親同士の約束そのままに、結婚してしまおうということだ。最初に言った時、正一は全く予想していなかったのか、ひどく驚いていた。


『章君のお父さん、結婚しましょう!』

とまで言ってしまった時は、驚きを越してかなり嫌がられ、近付てもらえなかった。




でも、



だって、それが一番しっくりくる。




今でなくてもよかったのに、卒業後でよかったのに、急に焦りだした未来への気持ち。


あんな風に見付けた遺言。捨てた修道院への道。

そこで出会った、面倒の見きれない小さな小さなかわいい子。


形は違うけれど、捨てたはずのものと全部が一致する。



けれどこれは全部自分の我が儘だ。




それに実は道も、初めは正一は意識の対象にもなかった。なにせ41歳。章の方が歳が近いくらいだ。


でも、今まで誰かとどうなるなんて考えたこともなかったけれど、きつい事も言うけれど、正一さんの周りは空気が優しいし、その空気に包まれていたい。


雰囲気なのか感性なのか。自分の父……あの父はともかく、兄たちよりもずっと気持ちが若い。

正一さんとは夫婦になれそうな気がした。




「……私が、正一さんのお相手ではダメですか?」


「チェさん、何度か言いましたがあなたはまだ20歳です。結婚以前の立場ですよね?」

怒っている。

「まずは大学を卒業して自分の身を固めていかないと。それにそんな若いあなたが、これだけ年の離れたバツイチで子持ちの人間と結婚する必要はありません。しかもかなり拗れたおじさんです。他に良い人を見付けて下さい。」


「…………私。元々、結婚するつもりはありませんでした。なので、一般的な男女の幸せは求めていません。章君のための結婚でもかまいません。」

「……自分が何を言っているのか分かっているんですか?結婚は仕事とは違います。それに、気持ちなんていつか変わってしまうものです。」

「……そうですね。変わるものかもしれません。実際、180度変わってここに来ました……。

でも、根は同じです。」


道がきっぱり言うも、正一もきっぱり言う。

「それだけでなく、私が迷惑です。」

「…………」

道の方を一切見ないで、正一は強く言った。



「……けど、正一さん、やさしいですよね!私にも。」

「は?どこが?」

「ちゃんと面倒見てくれてるじゃないですか。私の!」

「…………?」


「……私、正一さんのこと、好きですよ。」

「?!」

「こんなに歳が離れていても、見惚れちゃうくらいには好きです!」

「は??」




***




既に、二週間。

その後も道は正一のマンションにいた。


ただ、章に会いに行くのは車の送り迎えではなく、交通機関を使っている。その上、正一ではなく富子叔母さんが道の身元を預かるという話になってしまったのだ。立場上は。


「正ちゃんには関係ないんだから、放っておいて。」

「私の家を使ってですか?なら叔母さんの家に住まわせてください!!」

「……ウチはダンナがいるし、若い息子もいるしね……無理でしょ。」

富子には、晩婚で産んだまだ高校生の息子幸名(ゆきな)がいる。

「私も男ですが??」

「おじさん過ぎて、男の内に入らないんでしょ?」

「それは結婚に関してであって、一般的な話は違います!!なら、幸名にしてください!!」

「………まだ背も伸び切っていない高校生なのに……?」

異物でも見るように正一を見る。

「っ?!ブーメランじゃないですか!!」

正一、流石に怒る。

「正ちゃんたちは成人同士でしょ?二十歳だし10代ではない。」

「………。」

お父さんはさらに顔をしかめた。


実は道、日本の満年齢では今月はまだ19なのだが。


そこで富子が厳しい顔になった。

「私の家って言うなら、洋子ちゃんにマンションに来させるのを先にやめさせなさい。」

「っ!」

「会わないにしても、再婚した身で元夫の家に出入りしているのもどうなの?」

「………」


しばらくはマンションに来ない予定だが、またいつか来るようになるかもしれない。それに、元妻が連れて行った長男の生家でもある。




「…………?!」

静まり返った場所で、ドアの方を見て大人二人は驚く。


「章!?」

章がいつものように勢い良く入って来ず、少し開いたドアからじーと中を見つめていたのだ。しかも、その後ろに道もいた。



「………あの。私、外国人専用のルームシェアとか探します……。」

1ヶ月はどうにかなるだろう。


すると、いつもみたいに走り出さない章が、道子の手をギュと握った。

「…………」

強く、強く。




道はこの手を知っている。


『行かないで』だ。

そして、『私のママだよね』『私のお姉ちゃんだよね』の合図。




「………でも、日本にいる間は章君の面倒は見ます。」

自分は残酷なことをしているのだろうか。



章君は、道がほしいわけではない。母親がほしいのだ。

本当なら、その『洋子』さんが。


だから、その名で止まったのだろう。


そして、いくらでも遊ばせてくれる人。章君はこの事務所で大人に縛られてストレスを感じている。そんな中、遊び場や外に連れ出してくれる自分がいるのは、本当に、本当に楽しいに違いない。


それに自分は………

まだお母さんにはなっていないかもしれないが、


ずっと一緒だと期待している章君の手を振り払えるだろうか。




……物理的にはできる。


でも、章君はまたお母さんを…………、



お母さん代わりだけど、それでもまたお母さんを失うことになるのだ。




養護院で、親に捨てられたと知らず何日も玄関先にいた子を思い出す。


いや、知っていたのかもしれない。捨てられたんだと。

親だけでなく親戚にも、養父母からも何度も離された子もいる。



でも、それなのに、期待しているのだ。あなたを捨てた母親なのに。



そんなお母さんでも……


またお母さんに会えると。






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