13 全員、既婚者です
※ストーリー全体の細かい年齢調整をしています。ただ、月まで含めると不自然なところがあるかもしれませんが、一旦このままいきます。
物語の登場人物や出来事の年表や年齢を全部割り出してくれるアプリがあるといいですね……。
道はあれから、聖書を再度完読し、多くの文献を調べ決意を固め、お世話になっていたカトリック教会に顔を出した。
老年の神父に道はお願いをする。
「名前を?」
「はい、神父様。洗礼は受けないので洗礼名はいただけませんが、私に旅立ちのための名を一つプレゼントして下さい。」
「………。」
「『道子』」
「…………」
「道子でいいじゃないか。日本名も同じ漢字の意味だろう。」
「………」
「『命の道』に通ずる名だ。」
「………そうですか?御使いからも古臭いと言われてしまいましたが?」
この国では、戦争時代前後に多かった名だ。
「『道』と『羊』は神からの名だよ。」
「そうなんですね……。」
「これもあげよう。」
と言って、神父は道の誕生日の聖人のしおりをくれた。
「………ありがとうございます。」
「さあ、祝福を祈ろう。反対されても上手くやりなさい。自分の教会の牧師からもきちんと祈祷をもらって行くんだよ。」
「………?……分かりました。」
と言われ、道はここを出ていくと言わずに、20代と就職が天に導かれるようにお祈りして下さいと頼んで牧師からも祈祷をもらう。
そうして飛行機に乗って渡ったのは、中学校までを過ごした東京だった。
***
久しぶりの東京は何もかもが同じようで、でも以前とは何もかもが違うようにも思えた。
昔より道路がきれいだ。それがいつの記憶だったか。道が子供の頃は、東京の道路脇や交差点の周囲にはたばこの吸い殻が溢れていたが、そういうものもない。一泊だけビジネスホテルで過ごした道は、次の日父の給料明細の裏に書かれていた住所に向かった。
幾つかの昔からの店が並ぶ通り。
そこは、都内にしては大きな古い家と事務所があった。『タキタパーツ工務』と書いてある。間違いない。
「…………」
その事務所を眺め、どうしようかと考える。工務店?機械の部品屋?
道とてバカではない。ここまで来た一連のことを言えば、キチガイだとか、妄想癖だと追い出されるのは分かっているので、証拠の手紙は一旦しまい、「父同士が友人で、日本に来た時は連絡してほしい」と言っていたとすることにした。この時代はまだ、日本も情で結ばれたご近所や友人関係の強い時代だ。父の写真と日本にいた頃の役所関係の書類も持って来ている。
「………」
それでもどうしようかと道が考えていた時だった。
「待てっ!!」
大きな声と共に、道の目の前に小さな子供が走って来た。
「えっ?」
道は、一瞬道を見たその子供の手を咄嗟に掴んだ。
「捕まえていて!!」
と、言った低く、でも通る男性の声。
「はい!」
返事をして抱きしめたその子は、抱え込んだ道の懐にすごい力で頭突きをする。でも、教会で子供たちを見ていた道は怯むこともなくその子を捕まえ続ける。
「章!!
すみません。ありがとうございました……。大丈夫ですか?」
「あ、はい。」
疲れきった男性は、道からその子を受け取ろうとした。
けれど、今度はその子が道に抱き着いて離れない。
「…………。」
「章、今、この人をぶっただろ。」
抱きついたままその子は首を振る。髪の毛が鬱陶しいほどボサボサだ。ショウならだいたい男の子だろうが、髪が長くて分からない。しょう子ちゃんとかだろうか。
「章、来なさい。」
「………」
ショウと言われた子供はそれでも道から離れない。
「お父さんの言うことを聞けないのか?」
「ショウちゃん、お父さんが、呼んでるよ?」
と道がいうと、ショウちゃんは抱きついたまま顔を上げる。
「!」
驚く道。
まだ2、3歳くらいだろうか。かわいい盛りのはずなのに、全く表情がない。そして、真っ直ぐ道を見ているのに、心はどこを見ているのか分からない目をしていた。
けれど小さい……かわいい手。道は思わずその子を優しく抱きしめる。よく見ると、小さな小さな爪が長く伸び、でも柔らかすぎておかしなことになっている。
「ショウちゃん。お父さんが心配しているよ。お父さんのところに行こうか。」
と言っても、ショウちゃんは動かない。仕方なくその子を抱っこし、そのまま目の前の事務所に入ることにした。
「重いのに、申し訳ありません。」
一旦、道のボストンバックもお父さんが事務所に運んでくれ、他の社員さんもいる中でショウちゃんを抱えたまま椅子に座った。
「………章。お姉さんから離れなさい。」
「………」
「重いだろ。章!」
「軽いです。大丈夫ですよ。」
道は笑う。
そして、ショウちゃんをしばらく抱いていた道は勇気を出して、目の前の背の高い青年に切り出した。
「あの……ここの社長さんは山名瀬さんですよね。」
「…?……そうですが。」
「山名瀬正次郎さんにお会いしにきたのですが。」
「……正次郎?え?ウチに?」
通りすがりの女性でなかったのかと、お父さんが驚いている。
「はい。」
「……どういうご関係で?」
「私の父が昔東京に住んでいまして、友人同士なんです。父が亡くなったので……もう大分経つのですが旅行がてら知らせに来たのと、手紙を渡しに………」
「…………」
お父さんは呆気にとられた顔をしていた。
「正次郎は私の父です。」
「!」
「……父同士は同級生ですか?」
それにしても孫ほどに若く見えるが。
「………そこまでは私も……。父が死んでから知ったので。そちらが先輩だとは思いますが……」
他の繋がりの上かもしれないが、雀荘仲間とは言わない方がいいであろう。
「手紙を預かっています。」
お父さんは少し考えてから、社長室に場所を移すことにした。
いつのまにか寝ていたショウちゃんは、今度はお父さんに背負われて、頭ごと大きな布団にくるまれていた。道の前には緑茶と少しいいお菓子が出される。懐かしい、日本の感覚。
そしてその場にはお父さんだけでなく、もう一人少し高齢のおばさんもいた。
「私の叔母で、正次郎の妹ですので。」
おばさんもコクっと礼をするので、道も深々とお辞儀をする。
道は海外から来たということは一旦隠して、父の遺言で会いに来たと言い、悪い感じの人たちではなかったので、思い切って父と正次郎の誓約書を出してみた。誓約書が日雇いバイトの給料明細なのはもうどうしようもない。道の一家は日本でも韓国名なので見れば分かることもあるが、中身を先に見てもらうようにお願いする。
「…………」
「!!」
当たり前だが空間が止まる。
「へ?」
手紙を見たお父さんの目が???になっている。
「へ?え?ええ??」
「正ちゃん、何?見せなさい。」
叔母さんが横から取り上げる。お父さんもショウちゃんなの?と道、戸惑ってしまう。
叔母さんがじっくり見てから、道をもう一度じっくり見て、嫌そうに言った。
「……あなた韓国人なの?」
「………中学生までは東京に住んでいました。」
内容より、まずそちらを突っ込まれる。
「お母様も?」
「母もです。親戚には日本人と結婚した人もたくさんいますが………。」
「はぁ………」
「…………」
「日本での話じゃなくて、兄がよくソウルに遊びに行ってたんだけど、たくさんお金を落としてきて、何ていうかね……何をしてたのか男ばっかで遊んで来て………」
「………?」
「叔母さん、若い子にやめてください。」
お父さんが止めるも、叔母さん続ける。
「しかもあなたのお父様は、日本で日雇い仕事………」
明細の方も見られた。この月は日雇いといってもフルで働いていたようだが道は身が縮む。
「…………」
「このサイン、父の物で間違いないとは思いますが………拇印までは分からないですね。」
お父さんは他の書類を持って来て見比べていた。
道はもうこの際だと、別で持っていた雀荘名刺を出してしまう。正次郎が遊んでいた場所なら、むしろ旧友とであると証明できるであろう。家族に隠していたかも知れないが。
「このカードも入っていました!」
「………」
大人二人、それを見てさらに呆れる。もう言葉がない。
「あなた、この手紙内容を見てるんでしょ?」
「……あ、はい………」
「ならどうしたいわけ?」
「…………」
「もしかして、本当に結婚しに来たとか?」
「……」
「どうせ、酒の席で盛り上がって好き勝手言ってたんでしょうけど、本気にしてるの?」
「………。」
「まさか、あなた、伝言だけでなく、自分が結婚しに来たわけ?」
「……………」
何も言えない。道は自分でも自分が相当子供っぽいことをしていると分かる。けれど、この部分はバカを貫き通してみることにした。
「……はい…。」
「!!」
また驚く、大人二人。
「………はぁ………」
今度はお父さんがため息をついた。
「……あのチェさん。」
「はい。」
「申し訳ありませんが、このお話は遅すぎました。」
「はい?」
「ウチはもう全員、既婚者です。」
「……え?」
そう言って、お父さんは自分の背中を指さす。
「私は子持ちです。」
「………。」
「姉も、兄弟も私も。」
「!」
「しかも、チェさんの見た感じからすると、うちの一家より大分層が若いんでは?」
「…………」
言われてみればそうだ。
「正ちゃんバツイチだけどね。」
叔母さんが横から水を差す。
「………やめてください………」
「バツイチ?独り身なんですか?」
少し道がパァーと顔を上げると、大人二人がゲッという顔をした。この子はヤバい。
「………やだ、こんなバツイチと結婚しようとでも思ってるの?子供二人いるんだよ?」
「二人?」
「叔母さん、本当にやめてくれませんか?」
「奥さんに逃げられて。」
「……逃げられたんですか?」
失礼も、言ってしまう。
「叔母さん!」
「こんな、逃げられた上に問題持ちの親戚に問題持ちの子供付きで、問題持ちだらけの最悪な男やめときなさい。」
「………叔母さんのことですか?」
お父さんが少し本気で怒っている。なにせ、この山名瀬家の親戚ゆえにこの家族が離れ離れになったようなものだからだ。
「若い犠牲者を出すわけにはいかないでしょ。」
「……こんな話に誰がのるんですか。」
「はぁ……。……せめて、正二と章は離さないでほしかったわ。本当に……、こんなに仲のいい兄弟、見たことないってほど仲のよかった兄弟なのに………」
この家の事情の話をしているのだろうが、叔母さんはお父さんに背負われたショウちゃんの方を切ない顔で見た。
「……………」
少し沈黙が続いて、お父さんは切り上げることにした。
「なら、この辺で。チェさん、タクシー出しますよ。ご家族の分もお土産にそのお菓子、持って行ってください。叔母さん、まだ箱でありましたよね?」
お父さんが笑って立ち上がった。
「………」
しかし、道、立ち上がらない。